禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2003年01月&02月)


■□■2003年02月23日(日)■□■
子犬たちのエサがなくなり、久々に30分だけ外出。
怖がりのクセに怖いもの見たさ、ちょっと危険だが面白いところ…、なんていうと率先して走るのだが、根は思いっきり出不精のオバハン。日頃は買い物に出るのも面倒で、何かのついで以外には外へも出ない。最近は刺激的な出来事も少なく、ますます事務所にこもる傾向になっている。何かオモシロイことはないかいなぁ!!

カーブル事務所から連絡があった。
 「今日(21日)は朝からとんでもない目に遭いました。庭で歯磨きをしていたら、ISAF(多国籍軍)のヘリが突如低空飛行で現れ、6発ばかりミサイルを発射して去りました。デダナ方面(SORAのカーペット製作所近辺)の数キロ先に着弾(パシュトーン族の住む村がある)したと思われたので直ぐに駆けつけたら、デダナから新市街方面に向かう小道沿いの工場跡にドイツISAFが陣取っていました。もちろん詳細はわかりません。訊問されるのもいやなのですぐに立ち去りました。大した事件ではなかったのかもしれませんが、至近距離で突如ミサイルが視認できたので、私たち二人とも気が動転してしばらく動けませんでした。あんな街中で威嚇にせよミサイルを放つなんて信じがたい行為だ。」と。

カルザイ大統領は日本で、アフガン復興のためのプランを語っているが、現地で現実を眺めて見るとアフガン(カーブル)での生活そのものからして信じ難いほど過酷だ。
末端での、水がない、アレがない、コレがない等の不便は我慢できるとしても、まず、信じるに値する人が物凄く少ないという過酷さには、どこまで目をつぶるべきかと真剣に悩んでしまう。そして、その中で真面目に何かを作り上げて行こうというのは、現実把握が出来れば出来るほど気が遠くなる。
まず「夢や理想を求めないで継続あるのみ」という境地にまでならないと、一歩も進めないような気がする。毎日は文字通り砂を積み上げて行くような作業の繰り返しだ。

日本政府をはじめ、各国の援助団体は学校、病院などのインフラ整備に力を入れているが、それを運営し、動かしていくことは2の次になってしまっている。「学校は建ててもらいました、しかし運営するための経費がありません、運営費を下さい。」多くの現地NGOが口を揃えて言うセリフだ。そしてそれらのNGOの多くが、立派な事務所を構え、経費がないといいながら不相応な事務所運営をしているのを見るとき、あるいは何の根拠もなく、「アフガンは2年で国造りが可能になります、アフガン政府は2年後から国内各地の学校に運営費をくれるから、とりあえず2〜3年間運営の面倒を見て下さい…。」と言われると、根本的なところで食い違っているような気がしてならない。

古着は要らない、使い古しの文房具も不用、とにかく復興のために「大金」を!というアフガン政府の姿勢は民衆から乖離している。ここのところのアフガン政府からの強気発言は、各国政府(大使館)でもあきれているというし、徐々に支援団体が離れて行く傾向にあることに気づくべきだと思う。某アフガン専門家は「各国政府や支援団体が少し退けば良い、さすればアフガン政府の方針も強気から変わるだろうに…」と。それにしても、民衆の支援をするためのNGO活動だと思うが、大金をばら撒かないNGOへの監視や厳しさも気になるところだ。

■□■2003年02月20日(金)■□■
夜明けとともに弱々しい陽の光が射し、濡れそぼった木々や庭草の葉が重そうに垂れ下がっているのが見える。中には一抱えもある大きな鉢植えの鉢イッパイに水が溜っているものもあって本当にこの季節には珍しい長雨だった。なにしろイスラマバードでは年間800mmくらいしか降らない雨が、3日間で300mmも降ったと大騒ぎだったし、砂漠の国パーキスターンらしく、屋根に「樋」なる排水設備もないので古い家や泥作りの家は雨漏りがするし、流れ崩れるし、結構な被害が出たみたい。

悪天ドカ雪のせいでカーブルでも4日間空港が使えなかった。イランでもパーキスターンでも悪天のせいで飛行機が落ちるし、散々な6日間だったが、ようやく陽の目を見るが出来、野外マーケットの商人たちもホッとした顔を浮かべている。
長雨後の野菜の瑞々しいこと、あれもこれも食べみたいと思うが、しょせん食べられる量は限られているし、毎日の食事には干物、野菜のおひたしがあればそれ以上を望まないオバハンには見るだけで楽しい野外バザールだ。

イスラーム教徒の義務である大巡礼から続々と人々が帰りつつある。飛行場では花輪を下げた家族、一族郎党がウチ揃って大巡礼を終えた人を出迎えて喜びの声を上げている。しかし、今年の大巡礼からは88人のパーキスターン人が帰国出来なかった。心臓麻痺や他の疾病によって現地で亡くなった人は、幾つかの墓地に埋葬されるが大往生として扱われ、イスラーム教徒としては最高の死に方だという。

■□■2003年02月16日(日)■□■
最近のパーキスターン、特に都会の変貌振りは、イスラーム思想に大きく影響されているの上、田舎モノのオバハンなどには付いて行けなくなって来た。
欧米に住み難くなったパーキスターン人が自国へ帰って来ているせいだけではない。そういう人達からの影響やら、外国からの流行を宣伝会社が上手く宣伝するようになったこと、売らんかな!の商魂も逞しくなっていること、若者自身の価値観が変わりつつあり、イスラームの教えが希薄になっていること、いろいろな要因が重なったとはいえ、未婚の男女がバレンタインデーをイタリアン・レストランでお互いの目をみつめ合いながら過ごすなんていうのは、オバハンの頭ではビックリ仰天の出来事だ。
イスラマバードでは本格派のイタリアン・レストラン。始末屋のオバハンなどは招待でもされない限り、2年に一度くらいしか行かない。貧富の差が激しいとはいえ、1食1人(平均)600〜700Rsもするレストランなどに入れるか!!家の使用人の給料にすれば、1週間分にもあたる大金をアッサリ消費できる階層が本当に増えている。

しかし、考えてみれば、1万ルピー以上もするヤギをイスラーム教徒の「義務」だからと、神に捧げるのだから、時代が変わったのを認めざるをえない。
犠牲祭には1日遅れたが、オバハンも従業員のために(神に捧げた)ヤギの肉を振る舞った。1日遅れのヤギは、とりあえず半額になっていたので、始末屋・オバハンの心も休まった。

■□■2003年02月16日(日)■□■
オバハン家族がパーキスターンへ移住し、女だてらに民宿と旅行会社の経営に孤軍奮闘しているのを見て、また慣れない海外の生活に子供たちが奮闘、オバハンと子供たちの水も漏らさぬ一致団結の生活を見て心を動かし、ご厚誼を下さっていた方が亡くなられた。
911報道に対して、多くのミス・リードがあったことにオバハンが怒り狂い、その報道陣に対する批判を込めて、「911報道で儲けた1000万円余をアフガン難民へ返す、支援金として使う」と決めた時にも、イの一番にご厚情をお寄せ下さった。オバハンが、SORA−アフガン難民を支える会を設立しようというきっかけを作って下さったのもその方だった。

今、20年間にも及ぶ暖かく厳しいご厚誼に心から感謝している。
本日は足利市でお通夜が営まれる。パーキスターンでも未明から霧雨が静かに下りている。今朝は夜明けとともに野鳩が「ポポー、ボボー……」とのどかな鳴き声を振りまいている中、窓の外に広がる霧雨をしばらく眺めてしまった。

■□■2003年02月15日(土)■□■
昨年12月に一時帰国していたオバハンと、「世界がもし100人の村だったら」の池田香代子さんが対談しました。
2月7日発売の月刊『創』3月号に、収録されています。本屋さんをのぞいて見てください。

■□■2003年02月12日(水)■□■
今年も、世界中から約200万人のイスラーム教徒がメッカに集まった。
約200万人は、アメリカのイラク攻撃が避けられるようにと、等しく神に祈ったという。それにしても、アメリカの外交姿勢はアフガンに対する時とまったく同じでワンパターン、ともかく強気、大きく病んでいるとしか思えない…。
そのアメリかを追わざるをえない日本、お役人サマたちの多くは敗戦後に生まれた方々で、「敗戦直後の瓦礫」の世界を自分で目にした方は少ないと思う。しかし、どこの国の現象であれ「敗戦直後の瓦礫」を自分の目で見たなら、戦争の絶対悪に気が付くと思うのだが…。

一昨年のタリバン政権については石仏破壊にまで追い込み、アメリカ(国連も含めて)はタリバンに対する悪宣伝の限りを尽くして、世界の世論を盛り上げようとした。しかし、今回のイラク攻撃反対のデモは、世界中で日増しに大きなうねりとなって盛り上がりを見せつつある。アメリカの政策に正面から反対を唱える国は本当に立派だと思う。自分の意志を表示するには勇気がいる、しかしイラクやアフガン人を可哀相だと思うだけではなく、また、見ているだけではなく、私たちも行動しなければならないと思う。
日本のお役人サマというのは、「前例」を絶対に覆さないと聞いているが、いつまでもアメリカに追随する政策を守るのではなく、根源的なことをも考えて、一人一人が日本の平和だけでなく、世界平和のためにも努力するべき時代に来ていると思うのに。

パーキスターンでも、小規模ながら大都市を中心に女性も交えて「イラク攻撃反対」デモが始まり出した。

■□■2003年02月10日(月)■□■
春到来、恒例のバサント(凧上げ祭り)が始まった。
インド文化の影響を濃く受けたバサントは、心待ちにしていた春の到来を人々が野外に出て凧を上げ祝う祭りだが、今年も負傷者は60数人、死亡者数も10人を上回ったとか。
今冬のラホールは、濃霧のために陽が当らなくて極寒だった上、スイでのガス・パイプラインの破壊などで暖房もとれず、寒さはひとしおだった。いつも以上に待たれていたバサントでの事故だけに、痛ましい。

■□■2003年02月10日(月)■□■
犠牲祭で神に捧げる(イスラーム教徒の義務で、1家族1頭のヤギを捧げなければならない。大きな牛なら7家族分としてみなされる)ヤギが2万ルピー、牛が10万ルピーの声を聞き、心底たまげている。どこの誰に2万ルピーもするヤギが買えるのか?昨年までは小さなヤギが2000〜3000ルピー、驚くほど立派なヤギでも7000ルピー。牛も立派なモノが3万ルピーだったというのに。ヤギが買えないのならせめてニワトリをと、貧しい人は考えたようだが、そのニワトリですら本日は1500ルピーの値段が付いているという。「ご冗談でしょう!!!」と言ってみたが業者は強気の一点張りだ。ウチの従業員たちも家畜が買えなくて「イスラーム教徒としての義務が果たせない、コーランに書いてある教えを書き改めてニワトリでも良いとして欲しいものです……」と泣いている。この分では来年も思いやられるので、シッカリ学習し、従業員のためにも備えを強くせねば。

犠牲祭の休み中はバザールも休み、もちろん公営のトサツ場などは10日間近くも休みになるそうで、肉が食事の中心になる金持のパーキスターン人などは3日前から慌てているそうだ。たまたまオバハンは6頭分の犬のエサが切れ、4日前に人間さま用の食料などを含め、2週間分の(肉、鶏、魚)買い物を済ませていた。ここ3日、バザールからは肉が消えたままというので、我が家も肉ナシ・デー(肉を食べない日)とする。

■□■2003年02月09日(日)■□■
街も大通りも静か、役所やオフィス街も休みで、電話回線が混み合うこともない普段なら最高の日曜日。しかし本日はインターネットが殆どつながらなくて根負けした。ここ2〜3日は停電も多く、給水状態もイマイチの上、全自動洗濯機も壊れ、手作りコンニャクも上手く固まらず、5匹の小犬は泥まみれで手がかかり、何となくイライラするような生活環境だ。

おまけに、パーキスターンは休日でもアフガニスターンは平日で、緊急の電話が何かとカーブルやジャララバードからかかって来、「お返事はFaxやメールで」等と言われると、電話にかかりっきりとなって身動きがとれなくなってしまう。かけてこられる方の努力、根気も凄いが、アフガンの電話回線、インターネット回線は、あれで回線というのかしら?まったく信じられない話しだが、送信したメールは半分くらいしか届かないし、Faxにいたっては泣きたくなるくらいに手強い。

静かな街に反して野外大バザールの方は犠牲祭の買い物をする人で賑わっている。
ヤギやコブ牛などがピンクやペパーミント・グリーンの染め粉で飾り立てられ、おしゃれな様子で立木の間を歩き回っている。ここ数年間の旱魃で家畜が激減したのか、値段が一挙倍になっているのには驚き。
この間、お見えになった某農学部の先生がおっしゃっていた、インダス河を挟んで西側では、出産時にヤギの子供は1頭しか産まれないが、インダス河の東側では平均して2頭生まれると。インダス河の西側は、広大な砂漠(土漠)が連なる乾燥地帯で牧草が少ないし、対して東側のパンジャーブ州では牧草が豊というわけで、神のなし賜う(大自然の摂理ともいうべき)ことには本当に感動してしまう。

一昨日の新聞によると、インドが9月にアグリ・ミサイルの発射実験を行うとあった。
最近のパーキスターンはイスラーム国家というだけで、欧米諸国などからテロ国家として色眼鏡で見られているのではないかと気を使っているし、反対にイスラーム国家でないというだけで、大国インドは何をしても世界から余り咎められないのではないかと僻んでしまう。今は良い、しかし後何年かすればイスラーム国家に住んでいるというだけで、オバハン自身も色眼鏡で見られるような時代が来るのかもしれない。

■□■2003年02月07日(金)■□■
先月半ばにインド政府は、パーキスターン人の外交官など4人に対して国外退去命令を出した。理由はいつものようにお決まりの「人格がインド政府にとってふさわしくない」そうだ。それに対して、パーキスターン政府もインド人外交官など4人に同様の理由で国外退去命令を。さらにインド政府は2人のパーキスターン人に退去命令。パーキスターン政府も足並みを揃えて2人に退去命令。
毎年のごとく、春になって雪解けが進むと印パ間の緊張が徐々に高まって来る。今年は、まだ両国ともに大使館を閉鎖するところまでは行っていないが、先日のカラチでの爆弾騒ぎ、インド国境に近いシアルコットで多くの人命が損なわれた爆弾騒ぎで、報復を考える跳ねっかえりのバカが出ないようにと、ヒヤヒヤしてしまう。

カラコルム登山、12月末の締め切りでは1隊しかなかったが、1ヶ月締め切りを延長した結果、本年パーキスターンへ来る登山隊は10隊に増えた。10隊中のうち7隊が印パ国境に近い8000m峰を狙う。韓国からは4隊もが入山予定。
とにかく、今年はナンガパルバット8126mの初登50周年記念でもあり、全登山隊からの登山料金を半額に大サービスしてまで、ある意味では国を挙げて世界からの登山隊を歓迎しようと張り切っていた観光省登山局は、肩透かしを食らってガッカリしている。この2年間で登山隊が登山局に支払った登山料金は、3年前の10分の1にも落ち込んでしまったというし、印パが落ちつかない限り登山隊は戻らないのかも。

2月12・13日は犠牲際。金土日と連休にはなるし、遠くから出稼ぎに来ている従業員たちが実家への土産を用意したり、長距離バスのキップを用意してソワソワし始めた。街のイルミネーションも、外国人が国外退避して寂しかった一昨年から昨年への不景気時に比べると圧倒的に増えた。
ムシャラフ大統領がアメリカとの綱渡りを続けながらも安定を見せ、一昨日はロシアへ飛んでプーチンと何やら話し合って来たし、元特殊部隊(グリーン・ベ
レー)出身者らしい身軽さで各地を駆けずり回るので、軍内でも評判は良いという。秋の選挙で組閣なった現政権もしばらくは安定するとみたのか、腰を落ち着けて商売をしようとする動きもでているし、とにかく大国インドがパ―キスターンにちょっかい出さずにいて欲しい、しばらくは静かなパーキスターンであって欲しいと願っている。

■□■2003年02月03日(月)■□■
断食明けの大祭とともに、イスラーム教の二大行事である犠牲祭が近くなって来た。
神に捧げるための家畜が街にもあふれ、HP用に家畜売りの写真などを写したいと思いつつ、この20数年間、それを写したことがないオバハン。
まったく、あのカメラなるものは、シャッターを押せば良いにもかかわらず、ただの一度とて、自分の思うように写ったことがないので腹が立つ。

■□■2003年02月03日(月)■□■
夜明けとともにしのびやかな濃い霧が目に見えて下り始め、陽射しを遮断。辺り一面を白く被ってしまった一昨日、そして昨日。強烈な雹でここ3〜4日は上空までが冷え込んでいたイスラマバードだったが、ようやく立春の本日は春の空気に変わった。…とは言うものの、今年も異常気象に違いない。本来なら冬から春への気象変化、菜種梅雨状態や春雷と雹の組み合わせがあって本格的な春になるのにもかかわらず、一進一退の状態でもどかしい。
しかし、それでも1ヶ月前に比べると空気は大幅に温み、夕方の散歩やウィンドショッピングをする人が増えた。
バザールの緑地帯にあるジュース屋さん、軽食屋さんの前に並べられた椅子には家族連れ、ガール・ハントを目指す目立ちたがりな若者も多く、パーキス
ターンも変わった……という感がぬぐえない。
一部には、アメリカの行動を何が何でも反対する強力な人たちがあり、片やアメリカナイズされた(イスラーム教徒にもかかわらず、髭もたくわえていない)若者
が巷に溢れている。

何時の頃からか、パーキスターンでも都会の若者の間では髭をたくわえない人が増えた。保守的なタリバン頭のオバハンなどは、そうした髭なしの若者の顔が間抜けに見えてしょうがない。男らしく背筋を伸ばし、ビシッとした髭をたくわえ、ニヤニヤしない人こそイスラーム教徒の男に思えるのは偏見か?

■□■2003年01月31日(金)■□■
暖房がほんの少し効いているだけなのに、陽射しが暖かなために汗ばむような車中。
道路の分離帯では連翹の花が鮮やかに咲き始め、市内から外れると菜の花も辺りに一面。昨年に続いて1ヶ月も早い春の訪れだと思いながらハイエースに揺られていると直ぐに居眠り…。
28日は午後から暖かなイスラマバードを後にして、ナンガパルバットの地震被災地へ向かったが、途中からは厚い雲に覆われ、周囲の山々は雪の空模様。翌29日、30日とも現地では「今か、今か!」と大統領のお越しを待つ住民が溢れて、歓迎の垂れ幕もギッシリ。しかし続く悪天の中、フライトが飛ばずに大統領はついに現れなかった。
余震が続き、急斜面の道路崩壊が続くので、心配しているであろう事務所に山麓の町から電話を入れたら、イスラマバードは時ならぬ荒天、雪(雹)に大うかれだった。

本当に、出がけのイスラマバードでは春爛漫も近し!と、思える天候だったにもかかわらず、その夕方からは俄かに横殴りの雨。おまけにアラレ大の雹が1時間以上にも降り続き、地面は数cmもの雹で埋まってしまったという。雹で埋まった道路は新雪後のような轍が出来たと、雪を見たこともない人々はカメラを持って大騒ぎ。息子もそのうちの一人で、イスラマバード中を走り回ったと自分で笑う。
帰宅して日陰に残っていた雪(雹)の厚みを見、また街中を写したビデオを見せられ、庭木を見て唖然。水仙、スイトピー、ブーゲンビリア、きんぽうげの花は全滅。もう直ぐと楽しみにしていたハイビスカスの新芽、あらゆる新芽、竹の葉までもが無残に引き千切られたように傷つき、雪焼けしている。生命力の強い亜熱帯の植物たちだから直ぐにも回復するとは思いつつも、余りの痛ましさにため息が出る。

■□■2003年01月28日(火)■□■
スイに近いところで、3度目のガス・パイプラインの爆破。
スイからの天然ガスは国内消費の45%を賄い、それは北西辺境州とパンジャーブ州燃料のほとんどを賄っているといわれている。天然ガスを消費してのタクシーや工場群で大きな支障が出始めた。現地では外出禁止令まで敷かれ厳戒体制だというが、広大な砂漠の中を走るパイプラインの管理は、今まで事故なく来たほうが不思議かも。
簡単にガス・パイプラインの破壊ができ、国内に混乱が巻き起こせると分かったなら、世界中で今後はこの手の破壊工作が進むのであろう。
パーキスターンでさえこの有様なら、広大なアフガニスターンに敷く、トルクメニスターンからのパイプラインなど、アラビア海に無事到達できるのか?と大き
な疑問となってしまう。

■□■2003年01月24日(金)■□■
イラン国境に近いスイという街で、3日ほど前に天然ガス・プラントのパイプラインがテロによって破壊されたという。修復には3日くらいかかるので、その間、北西辺境州やパンジャーブ州の工場などにはガスが配給されないと報道された。しかし、昨日は再びガスのパイプラインが破壊され、修復には更に時間がかかるらしい。普段から寒い朝などはガスの圧力が弱かったので、一般家庭の暖房や炊事にも支障が出ているようだ。

そんな訳で、ナンガパルバット地震の被災者たちへ運ぶ予定になっていた、植物油(約3トン弱)などの生産も遅れるという。
28日には大統領もようやく被災地へ視察に行かれるらしい。地震から2ヶ月もたっているが視察に行かれないよりは行かれる方がマシだろう。まさか大統領が手ぶらで行くとは思えないし、僅かでも支援が増えれば住民のためにはなる。

オバハンもイマイチの体調を押して子供用にと、足りない防寒着を買い足しに行き(ラホールで買った1万着と合わせて11700着用意出来た)少しでも安く良いものをと古着屋の倉庫まで押し入った。
古着屋でも、植物油工場でも、ダール(豆)問屋でも、製粉工場でも、「ナンガパルバットの地震被災者に持って行く」と説明したら、安くしてくれたり、現物での寄付を申し出て下さったり、なんだかホロリとさせられた。
いつも「パーキスターン人はお人好しです!」と、日本からの人に説明していたが、それが実証されたようで嬉しかった。
それにしてもウチのスタッフたちの口上も奮っていた。「神様の恩恵を私たちにだけではなく、アナタたちにも分けてあげようと思います。どうぞ被災者のために安くしてください!!」だって。事実はその通りだが少し笑えた。

■□■2003年01月21日(火)■□■
先頃より、イスラーム教徒の義務であるメッカへの大巡礼が始まった。
サウジアラビア政府からの許可を得て、パーキスターンからは毎年15万人前後が大巡礼に旅立つ。大巡礼はイスラーム教徒としての義務でもあるが、それまでに犯した罪がすべて「キレイ」になるとなれば、金銭的な余裕がある限りなんとしてもメッカへ行かなくてはならない。
今年の大巡礼は2月6日が最終日といわれているので、聖なる大巡礼が終わればアメリカの攻撃だと巷の噂が高くなって来た。

本日の新聞によると、日本政府はアメリカがイラク攻撃に踏み切った時に、邦人の陸路での避難を想定し、GPS(全地球測位システム)を近隣の4ヶ国にも配備したと報じている。GPSを配備した車などにのっていると、邦人の現在地がつかめ、緊急時の救助にも役立つというわけだ。GPSにはインマルサットの端末機もついており(どちらが主体かオバハンのアタマでは理解が出来ない)、そこからは本省や在外公館、所属のNGOなどにもSOSの発信が出来るという優れものだ。
危険なアフガンでの活動に対しても、外務省の外郭団体である「邦人保護ナントカ会」というところからオバハンたちもGPSとインマルサットを無料で貸していただいており、それは大変ありがたい機材なのだが、オバハンのようなパソコンも満足に使いこなせないようなアタマにはチンプンカンプン!
使い方が難しいのも難しいが、土埃の舞う開発途上の国では車輌にセットして走るにはイマイチ相応しくないし、精密機械の限界を超えているような気もする。おまけに万が一、武装強盗団に出会ったら!!本省や在外公館、所属のNGOにSOSをしても間に合わない!
在外公館から救助に来てもらうとして……、せめて2〜3日間、飢えと渇きをしのげるようにして陸路を走る(避難する)べく、邦人たちも心しなければ……。

■□■2003年01月20日(月)■□■
昨日の日曜日、晴れ間の見えたイスラマバードは日中23℃にもなり、広々とした庭に椅子を持ち出し日向を追いかけながら、本を片手にポカ〜ンと久々の極楽日和。911の始まる前の冬までは、毎年ご褒美の冬休暇が2〜3ヶ月もあって、下手な絵を描いたり、物書きの真似事をして小説を書いてみたり、好きなこと三昧ができたのに、昨冬は報道陣への怒りで自分のことは忘れていた。
今冬は、オバハンの代わりにカーブル事務所を見て下さる方ができ、ようやく久々の極楽。明日は息子の家に生まれたラブラドールの子犬を3匹貰える、幸せの極地!

イスラマバードは23℃というのに、本来イスラマバードよりズッと暖かいはずのラホールが濃霧のため、晴れ間が見えなくて寒い冬だという。ラホールもここ10年近くスモッグと寒暖差から出る深い霧が悪循環をもよおし、死者が増えている。インドでも1300人からの凍死者が出ていると聞く。陽射しは、1ヶ月前の冬至の頃に比べて各段に長くなっているにもかかわらず、まだまだ凍死者が出そうな勢いだ。

■□■2003年01月18日(土)■□■
昨日の新聞をパラパラと見ていたら、ナンガパルバット(標高8126m)の山腹を中心に起こった地震に関する記事があった。
『世界からのNGOはアフガン難民のためには、莫大なる支援をしながら、雪の中で震えている可哀相な被災者8万人は捨て置かれている!彼らにもっと支援を!』という記者の怒りが伝わるような記事だった。

昨年末、JRUにもお願いしてお金を出していただき、事務所の大住とオバハンで個人的に支援物資を送った。とはいえ、土砂崩れが続く急斜面を走ってくれる車輌はなく、被災地の最寄り軍隊へ支援物資(冬物衣料1000着、小麦や砂糖などの食料品を積んだトラック2台)を運び込んだ。パ政府と赤十字からは毛布やテント、マットレス、医薬品などが送られたが、これらの輸送も軍隊のヘリコプターに頼った。

事務所スタッフの家もナンガパルバット周辺に散らばっているし、被災事情は詳しく知り得た。スタッフたちの家も大きくひび割れし、石積みの家が崩壊する怖さを知っている彼らは家の敷地にテントを張り、余震がおさまるまでそこで暮らすという。とにかく弱い女子供が犠牲になりやすいのはどこの国でも同じ。
そこで今回も、厚かましいのを承知でJR労組にお願いして緊急支援金を出していただいた。弱い女子供への防寒着1万着、動きが取れるようになる春までの食料約300トン余りを運んでいただく。ただただ深謝!!

■□■2003年01月17日(金)■□■
2003年の登山申請は昨年末に締め切られた。
観光省から届いた今年の登山隊リストを眺め、絶句!!まったく……言葉がない……。
今夏の登山隊は、オーストラリアから来るプロ−ド・ピーク(8047m)への1隊のみ。オバハンがパーキスターンへ移住して23年間、これまでは毎年、年間80〜120隊くらいの登山隊があったことを思うと、ここに来て何が起こったのかと?考えざるを得ない。

確かに、ここ2〜3年のパーキスターンは、核実験、クーデター、911、欧米人へのテロなどで揺れ動いた。外務省からの危険情報を見る限り、危険のイメージは拭い難い。オバハンから見れば、総て一過性の出来事にしかすぎないのにも関わらず、危険なイメージは世界中を駆け巡り、海外からの観光客は激減。パーキスターンの観光業界は壊滅状態だ。もっとも現地の事情を何も知らない一見の観光客と、現地に長く住む者では危険に対する触覚も異なるし、万が一危険な状況に巻き込まれた場合、対処方法にも差が出ることは確かだから、誰でも彼でもがパーキスターンへ来て安全だとは言わない。
だからと言って全土が危険と言う訳でもなかろうに、今夏の登山隊は例年平均の100分の1。

特に今年は観光省としても初めての試みで、印パ国境に近いヒマラヤの明峰の一つを、「ナンガパルバット8126mの年」と定め、特別行事でも組もうかと意気込んでいたというのに。
もっとも、このナンガパルバットは祟られているのかもしれない…。過去には、60人以上もの登山者の命を飲み込み、また昨年11月3日と23日頃には地震が起こった。今も微かな余震が続いているので急斜面を流れ落ちる土砂を止める術もない。
しかし、登山隊やトレッキング隊が入らなければ荷運び仕事もないし、輸送やホテルなども成り立ち行かない。地震で壊れた家の修復もままならぬまま、雪のチラつく2000m高地に住む人々の現金収入の道が閉ざされることとなったら、貧しさは雪だるま式に膨らみ、人心は荒れ、紛争に発展する…。

いつも思うが不幸は、貧しければ貧しいほど過酷な上にも、過酷にやって来るのは何故なのか?
まったく、この世は仮の世界であって、死んだ後に本当の幸せな世界が待っていると思わなければ、生きる気力が萎えるのもムべなるかな…。

■□■2003年01月15日(水)■□■
この2〜3日ばかり、とても冷え込むようになって来た。まだ風邪の熱が抜けないのかと重ね着をしたり、寝るときも毛布を追加したりしている。イスラマバードにいると緊張感が足りないせいか、どうでも良い細かなことが気になるようだ。
昨日の最低気温は−1℃、最高気温は23℃だった。しかし、石造りの家の中は冷たくて寒さが倍増で感じられる。ガスのストーブを焚いても、寒さのせいでアチコチの家庭が使うせいかガス圧が少なく、火力が半分くらいしかないように思える。日本なら−1℃で凍死する人もないだろうが、夏45℃以上にもなる酷暑を過ごせる彼等パーキスターン人には酷寒らしくて、首都イスラマバードでも凍死する人が出始めた。

一部には、アメリカのイラク攻撃が回避されるかもしれないという観測がなされはじめたが、北朝鮮へのアメリカの外交も大きく変わりそうな局面を迎えている。日本からアラビア海へ派遣されたイージス艦といい、過日イギリスを出発した空母アークロイヤルといい、これらも協調的な出兵の真似事と読むべきなのか。アメリカは北朝鮮から遠い、テポドンなどからの射程距離からも遥か離れている。もちろんイラクからも、火種を抱えているアフリカ諸国などからも遠い。アメリカ政府や自国民は安全圏にいながら同盟諸国を振りまわすやり方に、日本はもう少しモノ申すべきではないのか。

■□■2003年01月13日(月)■□■
今月の初めに、12日のイスラマバード発、成田行きがキャンセルになるとパーキスターン航空からは旅行会社に早々と連絡が入っていた。キャンセルの理由は連絡がなかった、しかし、長年の感でピンと来るものがあった。ようするに、空港を閉鎖して特別に使いたい方(国)があるのだろうと。これ以上を詳しく書くと、どこからも保護されるアテのないオバハンなどは、スパイ罪の適用になりそうだし、国外追放にもなりかねないから書けないが、駐在の新聞記者たちは何処に目をつけ、何をしているのか?まぁ、書いたところで、今の日本ではイラクの報道が中心であり、パーキスターンのことなどデスクの目に留めてもらえないというところかもしれない。

イスラマバードに駐在する日本からの新聞記者たちも、イラク睨みでシフトが変わって、既にイラクへ出掛けた人たちもあり、カーブルに駐在する日本人たちも万が一を考え、アフガンからの脱出航空券の予約を始めた。
現在、イラクへは日本の平和団体やNGOなどが何十人も入国していると聞く。また戦争反対、アメリカの空爆反対を叫ぶ世界からの平和団体や、人権団体なども多数が入国し、それらの人々や団体のためにイラク政府はホテルなどの滞在費などを無料にし、国家を挙げて受け入れているという。国際ニュース解説の田中宇氏によると、多くの外国人が滞在していれば、アメリカが空爆をしないだろうとの予測?の下に、外国人の受け入れをしているという。

アメリカは凄い国だし、もちろん良いところがいっぱいあるのは分かる、しかしオバハンのアメリカへの不信感は大きい。なんと言っても今のアメリカは有り余る武力を誇示し、恥かしげもなく自国の利益のみを最優先し、イスラーム国家のみならず、自国にとって不都合な国を悪の枢軸として作り過ぎ、また都合によっては手のひらを返したよう平気で握手をする。国際外交とはそうしたものかもしれないが、外交音痴の国に生まれ、その尾っぽを引きずっているオバハンには、時々割り切れないものが残る…。

そんなアメリカに住んでいたパーキスターン人たちの多くが、春くらいからイスラマバードでも目立つようになって来た。イスラム教徒である彼等に対する圧力が大きく、アメリカでは住み難くなっているからだという。パーキスターン人でありながらパーキスターン人とも言えない彼や彼女等。大変失礼なのは承知で近くに寄り聞き耳を立てたり、見たりしていると、ちょっとした高級ショップやレストランでは$札をビラビラ見せたり、切ったりしている。
アメリカでの庶民もパーキスターンでは金持だし、春以降そうした人達が購入するせいで、不動産の価格が3割は上がったという。

■□■2003年01月12日(日)■□■
「アフガン難民を支える会」が作成した2003年のカレンダー。まだ在庫があります。
きまぐれ通信愛読者の皆さま、ご協力をお願い致します。
(詳しくは、「アフガン難民を支える会」のご案内をご覧ください。)

2月一杯はイスラマバードにいて、きまぐれ通信を頑張って???書く予定です!!!

■□■2003年01月12日(日)■□■
気がついたら1月も半ば近くで、陽射しもほんの少しばかり長くなって来た。
日本やアフガンは極寒だというのに、イスラマバードにある我が家の日溜りではスイトピーが花を咲かせ始めた。
昨年はアフガンで大半を過ごしてしまい、それならイスラマバードに机がなくても良かろうと、オバハンの机は撤去されてしまったので、今は午後の陽射しが燦燦とあたる臨時のデスクで、暑さ防止の日除け帽を被りながらキーを叩いている。

さて、アフガニスターンだが政府はこのほど、「NGOからの支援物資は不用」と通達した。
早い話が中古の古着や文房具などでは、関係各位が中抜きをして私利私欲を満たそうにもも大したことはないし、NGOもインフラ整備などに関わる大きなプロジェクトで参画せよということらしい。アフガン暫定政権には未だに国土再建のためのマスタープランとも言えるような物もないし、本当に彼の国はどうなるのか。
もっとも、それを言うなら日本のNGO議員も似たようなもので、相変わらずの国だ。鈴木宗男元議員がNGOをトンネルに日本政府からの支援金をどうした、こうしたと大騒ぎだったのが、ついこの間の話だったのに、懲りずに似たようなことをする手合いは後を絶たないようだ。どんな手蔓か知らないが、何の実績もない、昨夏にようやく認可されたばかりのNPOに、6000万円などという支援金がスンナリ下りること自体が不思議だし怪しい。また、書類さえ整えればそれを通すという役人も腐りかけの魚みたいなものだ

■□■2003年01月11日(土)■□■
本日は、在パ日本大使館主催の賀詞交換会で、事務所の大住に前々から何度も念を押されていたのだが、風邪から気管支炎と中耳炎になってウンウン唸っていたオバハンは欠席…。
昨秋、赴任された大使閣下と令夫人にご挨拶をと、パーキスターンの北半分に在住する日本人。また日本料理が振舞われるので、それを楽しみに集まった若い人たちも多く、にぎやかな賀詞交換会だったという。オバハンには、ハードな自然が似合っており、よくよく人の集まるところには縁がないということだろう。

いつのパーティでも思うのだが、パーティ料理は必ず大量に余る。余った日本料理を大使閣下と令夫人が我々庶民のように、何日も召しあがることは考えられない。余ることを前提に作るのなら、残った料理を希望する人には持って帰れるように配慮することがあっても良いと思う……。もちろん最近の日本では、食中毒など後々のことを考え、「お持ち帰り」を極端に嫌うが、そういうリスクがあったとしても、持って帰りたい人には「各自のリスクで」の前置きをして、持って帰ってもらうのも大切ではなかろうか。貴重な日本食は、我々庶民の支払った税金で賄われてもいるのだし、捨てたところでパーキスターン人も拾ってはくれない。

お腹いっぱい食べられない何億という人々が、世界中にはいる。日本を初めとする、極一部の諸国だけが信じられないほどの食料を無駄にしていることを、心から恥ずべきだと、しまつやのオバハンは思うのだが。

■□■2003年01月03日(金)■□■
皆さま、明けましておめでとう存じます。
昨年もいろいろのご支援を賜り、心からお礼申しあげますとともに、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2003年元旦、パーキスターンには新年の特別業務はなく、役所も商店街も、オバハンの日・パ旅行社も、相変わらずバタバタとして平常業務。
何もなくてサッパリした年明けが、毎年爽やかです。

新聞ではアメリカがパーキスターン国内(アフガン国境沿い)を空爆したなど、正月らしくない記事が載ったりしていて、脆弱な新内閣や強硬派の北西辺境州々議会がどうするのか?など、相変わらずの心配はあるものの、よく考えてみればオバハンが心配してもどうにかなるものでもなし、今年は地道に生きようと決心しています。

日本からの新聞やTVを、そして読めないながらも現地の新聞をパラパラ見ると、腹の立つこと、気になることが満載。日本はどうなって行くのだろうと心安らかではない。
言いたいこと、書きたいことを遠慮しながら書いた「オバハンからの緊急レポート」だったが、現地の生活に根ざしたレポートをネットで送り続けたという理由などで、計らずも2002年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を頂いた。しかし、オバハンの性格としては、怒り心頭に達しないとエネルギーが出ないようだ。まぁ、何はともあれ今年は地道にアフガンでは巡回医療や緑化などに静かなエネルギーを使うつもり。