禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2002年11月&12月)



■□■2002年12月14日(土)■□■
2週間の日本滞在が終わって、ようやくパーキスターンへ帰って来られた。
ともかく、言葉は通じるものの、日本はオバハンにとっては外国にも等しく、毎回、気分はヘトヘト。しかし、活動報告を含め、これからは日本へも行き、嫌なことも克服しなければならないなどと、殊勝なことを考えてしまった。

明日からはアフガニスターンと思いながら朝刊を開くと、第1面にパーキスターンとアフガニスターンの国境が閉鎖されたとの記事。422名のアル・カーイダのメンバーがパーキスターン国内で逮捕されたとあるし、その取締りの延長か…。

今月は何かが起こりそうだというので、アフガン難民を支える会−SORAのカーブル事務所から日本人は全員、引き上げたのだが、しかし、用事があるので、取り合えず明日からはカーブルへ1週間ばかり行く。カーブルは既に−10℃とか。
オバハンは、例によって中古の羽毛服500円と、防寒靴も貰い物…。

■□■2002年11月28日(木)■□■
12月6日(金)〜8日(日)の3日間、渋谷・道玄坂で『アフガン難民を支える会』のバザーが開催される。
アフガニスターンの茶菓子、ナッツ類、パーキスターンの紅茶、カレー粉やクッションカバー、シャルワール・カミーズ(民族服)など美しい商品を取り揃えました。また、『アフガン難民を支える会』の自活支援プロジェクトで作成されたアフガン・カーペットを展示いたします。カーブルから色鮮やかな作品が届きました。
お時間のある方は、ぜひ、遊びにいらしてください。(地図は、『アフガン難民を支える会』のご案内をご覧ください。)

■□■2002年11月27日(水)■□■
ナンガパルバット付近で地震発生!
パーキスターンの北方地域、ナンガパルバット(8125m)付近は、ユーラシア大陸とインド亜大陸の合体した場所なのだが、そこで11月初旬に地震が起こった。死者数十人、崩壊家屋数百軒と報じられたが、つい先日も、またまた地震が起こり、数十人が倒壊家屋の下敷きになって亡くなった。被災者は約10万人と報じられている。
現地に行くには、カラコルム・ハイウェーという名の山道が1本あるだけ。そのハイウェーも余震で岩崩れが続いているため、修復作業も捗っていないという有様だ。
赤十字が、600張のテントと2000枚の毛布を持って走ったが、現地へはまだ辿り着けていないという。
昨日の新聞によると、あと2000張のテントと暖かい衣服などが必要だと報じられていたので、取り合えず、防寒着1000着とトラック一杯分の食料を用意した。道路が開通し次第、走る予定でいる。

14年程前、オバハンが登山学校を作りたいと夢見て買い上げたナンガパルバットの北面にある小さな土地の近くでも、数年前からゴロゴロ、ドロドロと山鳴りがしていた。現地では、卵やジャガイモを茹でられる熱い温泉も噴き出しているし、地震が起こっても不思議ではない。問題は急峻な山道は、普段でも少しの風が吹けばサラサラ、サラサラと小砂利が流れ、落石を引き起こす可能性が高いという自然条件にある。余震が続く限り、カラコルム・ハイウェーの工事はできないだろうし、そうなると平野部から北方地域への物資は全て止まってしまう。

■□■2002年11月26日(火)■□■
今年は殆どをアフガンで暮らしてしまったので、パーキスターン音痴になってしまった。パーキスターンの時事についていけない!
毎回、アフガニスターンから帰って来ると、事務所の者や息子に、パーキスターンの時事について解説させるのだが、なかなか追いつけない。
先般の国政選挙の結果、傾向、今後のこと…など、さわりを解説してもらったら時間切れ!!
今回の首相選び、組閣、州大臣などの新しい顔ぶれを見てもピンとこない。1年間近くアフガニスターンにコミットした結果、定点観測ができていなかったことを、今、反省している。

■□■2002年11月26日(火)■□■
20日にアフガニスターンから帰って来たが、今回も短い期間で事務所の雑用を片付けようと悪戦。おまけに、夏の終わりに事務所が引越しをしたままで、その片付けも終わっていなかった。実は寝る場所もなかったのだが、ようやく、大きな家の中に、小さな小さな自分の寝る場所が確保できた。まったく、『気まぐれ通信』どころではなかった。

アフガニスターンにいると、TVはおろか新聞も見ない、夕方の7時半から聞く30分ほどのラジオ放送が、外界のことを知る唯一の手段みたいなもの(よそのNGO団体などにはTVもあるらしいが、オバハンのところは無駄なく清貧をモットーとしているので何もない。もっともTVやシャワーもないのだが清貧だとは考えていないが…。)自分の時間はいっぱいあっても、「何か」をするには足りないものがいっぱいあって、工夫好きなオバハンであっても能率の悪いことはおびただしい。
パーキスターンに帰って来たら、アフガン生活のシワ寄せで何だかいつも慌しいし、明後日からは日本へ行くことになっているのでユーウツ!!
日本、そして日本で暮らしている人たちって何であんなに忙しくしているのかなぁ……。

■□■2002年11月15日(金)■□■
今年も『アフガン難民を支える会』のカレンダーができあがった。
今年のカレンダーは、オバハンたちが支援しているハザラジャード・バーミアン地方の風景や、子どもたち、縫製学校の写真を中心に構成されている。
日本では、アフガニスターンのニュースも少なくなり、この国のことも忘れがちだが、部屋に掛けて、この国を身近に感じてもらいたい。

詳しくは、『アフガン難民を支える会』のご案内をご覧になってください。

■□■2002年11月14日(木)■□■
本日は、快晴。
重いツルベから汲み上げた冷たい水を金タライに張り、久しぶりの洗濯。何もかもが機械化されている便利な生活から、何もない日常生活になり、それはそれで興味は尽きないが、たかが洗濯で筋肉痛になる足腰と腕が悲しい。汲み上げた水の中にハラハラと散る落ち葉。顔を上げるとその向こうには、カーブル市内をとりまく周囲の山々が眩しく光っている。
短歌になりそうな静けさ。

昨日はパーキスターン国境へ10回目の往復。
「腸が捩れそうな悪路で、2度とゴメン!」と表現する人もいるが、2週間前に比べると道路補修は更に進んでおり、たかだか15km程の距離にしても「快調〜!嬉しい!極楽」と言葉が止まらない。
国境からは粘土団子の専門家(女性2人)がアフガンに入り、来春の準備が始った。粘土団子のために日本全国から集まった種は約15トン。植林のために用意した苗木は2万本。住民感情を考えて、中・長期の2本立てで緑化を進める予定。

■□■2002年11月11日(月)■□■
昨日も、小雨の中を国立の孤児院へ行ったり、アチコチ走り回りバタバタ慌しい一日だった。
本日も小雨、ここ数年の大干ばつで雨など殆どなかったというのに、先週末からは雨模様の毎日。しかし、傘をさしている人などはなく(傘を買う余裕がない)氷雨にもかかわらず、市民はそれを大歓迎しているようにも見える。
郊外では麦の芽が出始めたし、土埃が立たなくてありがたいが、代わりに道が泥んこ団子に変身!カーブル河川敷に出ていた屋台店の幾つもが店たたみをしていた。雨が降っても降らなくても貧しい人々にはプロブレム!

カーブル市内の孤児院にはいろいろと問題があるようで、政府は民営(NGOを含む)の孤児院を閉鎖すると1ヶ月半前に発表している。特に今年に入ってからは雨後の竹の子のように民営(NGO)孤児院が出来、その殆どが寄付金集めに奔走、経営者はその寄付金を懐に入れ、孤児を食い物にしているという。
「アフガンの孤児のために」と、幾つか日本のNGOが孤児院(もどき)を設立して寄付金集めをしているが、現地でその実態を見れば驚かれるだろう。

1年前の今頃は市内に住民は少なく、車も少なかったというのに、現在市内で登録されているタクシーだけで35000台。狭い街中はどこもかしこも車と、道幅いっぱいにはみだして好き勝手に歩く者とで身動きも出来ない。車も人もルール無視。街角には手旗信号で交通整理をするオマワリさんがいる。しかし、それで流れがスムーズというわけにはいかない。とにかく混雑、混雑、危険なバザールで車の中へ閉じ込められていると、緊張で気分が悪い。

■□■2002年11月08日(金)■□■
昨日、錐状のもので車のタイヤを10箇所も刺された。チューブ交換までし、タイヤをはめ換えたが、そのはめ方が悪かったのか、カーブル市の北部高原地帯を猛スピードで走っているとき、タイヤが外れてブッ飛んだ!
映画や漫画などでは見たことがあるが、自分の乗っている車のタイヤが横を飛び跳ねて行き、地雷が残っているであろう畑に転げこんで行ったのには、ただただ目が丸くなった。対向車線に車がなかったのも幸いだったし、地雷がなかったのも幸いだった。

■□■2002年11月05日(火)■□■
春以降、夏に一度夕立程度の雨が降っただけで、カラカラに乾いていたカーブルにもようやく、久方振りに雨が降り、一晩で木の葉が地面を被うほどに降り積った。これで周囲の山々は雪に見舞われただろうし、本格的な冬に入るのだろう。急激に寒くなったので、古い暖炉に不要なダンボールなどをくべる。これで気持ちの悪い(恐怖の)サソリが死んでくれるよう祈る!

カーブル市内、あるいは近郊に住む余裕のある家族は、暖かで便利な(電気も水道もある)パーキスターンへと移住を開始。カーブルより標高の高いところに住む人たちは、空家が目立つ市内へと移住して来た。察するに、冬場の移住は市民たちにとっては常態化しているようだ。これを指して食べられない難民がパーキスターンへ避難して来たなどと表現するのは当たらない。昔から収穫が終わると暖かなパーキスターンへ移住、春になると種まきに帰還、猛暑のパーキスターンを逃れ涼しいカーブル(アフガニスターン)暮らし。
何だか考えてみれば、私たち日本人より優雅な生活ではなかろうか??

本日は近くの孤児院を訪ねた。2月だったかには450人の子供たちが収容されていたが、今では850人にも増えていた。一説によるとカーブル市内だけで1万人にも上る戦災孤児がいるという。もっともアフガンでは、孤児とは父親のいないものを指す。先進諸国などと異なり、女性の職場がないアフガンでは、父親を初めとする男手がなければたちまち生活が困窮する。
市内で政府が保護している孤児は約2000人。後は個人レベルの胡散臭いNGOが、雨後の竹の子状態で運営しているらしい。
とりあえず、『アフガン難民を支える会−SORA』では、孤児たちの自立支援に10台のカーペット外枠と10枚分の毛糸、指導の先生を派遣しようと考えている。冬場は家の中でじっくりカーペットを織る季節。何10枚もの暖かいカーペットを日本で売る日も近い。

■□■2002年11月04日(月)■□■
昨日カーブルへ戻って来た。
某大新聞社の方が、「いやぁ寒くてストーブを入れました!」ということだったので、識字教室などにもストーブを大至急用意しなくては!と、焦っていたが、まだまだ寒いというほどでもない。冷暖房完備、至れり尽せりの日本から来ている人は、寒暖への調整機能も落ちているのでは?

カーペット織りには、家計を助ける少年たちも多く、元気な彼らは真冬でも暖房なしの中でカーペットを織り、暖房は不要だと言いきる。男は強くなければならない、男は我慢が出来なくてはならない!と信じている彼ら。オバハンも、「寒い」などとは言っていられない。

日本は振替休日で3連休とのこと。深まる秋の中、紅葉がきれいな季節、楽しんだ人も多かったことと思う。
カーブルでも、金曜日ごとに近郊へ緑と川の流れを求めて遠出する人が多く、行楽の車などで街道が混み合ったが、秋が深まってきたせいで遠出する家族連れも下火。タリバン政権がなくなり、アメリカさんによる自由な政権を大歓迎する市民の多くは、他人の目を気にしつつも、もしかしたら束の間の自由かもしれないと思うのか、意欲的に自由を謳歌している。とはいえ、家族連れのピクニック、凧上げ、サッカー、ド派手な結婚式などだが。
結婚式は、断食月が近づいているので、その前に式を挙げようとするのか、街中に飾りを付けて走る車とその後ろをついて走る親族、友人知人の車で道路は大混雑。

■□■2002年11月03日(日)■□■
カーブルでも日増しに秋が深まり、日溜りでパソコンに向かっているオバハンの上やキーボードの上にも木の葉が舞い落ちるようになってきた。
朝夕はストーブを使う家も増えたのか、市内全体に靄が立ち込めるようになって来た。オバハンたちの住む地域は、市内でも貧しい人の多い地区で、糞便は道路へ直接垂れ流されアチコチに澱みを作っているし、乾いた糞便は午後から吹く強風と乾いた空気で目に見えない黄色の粉末となって舞い上がっている。とにかく市内を取り巻く近くの山(丘)ですら見えないくらいの濃い靄が立ち込める季節になって来た。
糞便、生理現象とはいえ、この厄介な代物!
日本では何も考えずにトイレへ行けば済むことだが、ここではその始末まで考えねばならないのが、大NGOと異なる『アフガン難民を支える会−SORA』の事務所。しかも、夜は冷え込むようになって来たし、20mも離れた戸外へのトイレ通いは危険でもある……。

タリバン政権がアメリカさんによって倒され、タリバンによる締め付けが和らいだアフガニスターンへ帰還した市民たちの多くは、春から夏にかけて国内安定の様子を見る人が殆どだった。しかし、夏を過ぎるころからは道路の簡易補修が始まり、瓦礫が取り払われ家を直す(作る)人が増え、急激に復興が進んで来た。市民たちもアメリカを初めとする多国籍軍が、アフガニスターンにいる限り、国が安定すると見たようだ。これまでのアメリカによる政策を見ていると、アメリカが権益を握った国から撤退することは余りないようだし、市民の感じ方は正しいと言えるかもしれない。


30年くらい前までのカーブルは、緑豊か、そして水豊かなカーブル川が流れる美しい街だった。第3次印パ戦争(1971年)のときには、パーキスターン在住の邦人たちがカーブルへ避難したこともあったし、近郊国への買い物にはカーブルが選ばれていたくらい近代的な首都だったという。

■□■2002年11月01日(金)■□■
今年も残り2ヶ月、春から気分的に全力疾走をして来たので、この冬は少し落ち着きたい…という気もするが、来年からのプロジェクトや仕事を考えると年内にやりたいこと、済ませておきたいことが多くて時間が足りない!
アフガニスターンでの支援活動は息長く、「できる者が、自分のできる範囲で、できることをしよう!」と呼びかけ設立、開始して丸1年になろうとしている。今、思うと『アフガン難民を支える会』の活動は、ある意味では、知らず知らずの内にイスラーム的な発想だったかもしれない。
イスラーム圏は、11月6日ごろからラマダーン(断食月)に入る。イスラーム教徒の義務、1ヶ月間に渡る断食も、毎日5回の礼拝も、誰からも少しの強制をされることなく、自己に任される。

10月のある日、暗殺されていなかったなら、アフガニスターンの大統領に選ばれていたであろう(現在はアフガニスターンの英雄として称えられている)マスードの生まれた村(パンシェール渓谷)へ日帰りで出かけた。
「ここまでタリバンが攻めて来ました。しかし、渓谷の入り口に近い道を破壊して食い止めました。その時、私はこの道路の正面に見える、あの高台に4人で篭り、攻撃の様子を見ていました。」「ここがタリバンに追われて村を捨てて逃げて来た人たちの住居跡です。」
パンシェール出身の某大臣の近くにいる知人の案内で、カーブルから訪れたパンシェール渓谷で、アフガン全土(パンシェールの狭い渓谷内を中心)にマスード軍がたった1万人しかいなかったこと、タリバンの兵士も5万人しかいなかったことなどを聞きながら、久しぶりに暗澹としてしまった。

カーブル市内などの破壊は、たった1万人のマスード軍とパシュトーン族出身のヘクマティヤール軍の内戦によるものが大半だと聞いていた。また、僅か5万人のタリバン兵士による全土90%からの制圧にしても、現場を見てみればその内戦が何の意味もなさなかったことが改めて良くわかる。
アメリカや旧ロシア、中国などが有り余る武器を援助という形で僅かな人数のマスード軍やヘクマティヤール軍、ドスタム軍、タリバンに与えた結果が現在のアフガニスターンか…と再認識して、バカらしさの余り力が萎えた。

■□■2002年11月01日(金)■□■
朝晩冷え込むアフガンから40日振りに帰って来て、4日間でイスラマバードに溜まっていた仕事を必死に片付け、本日、またアフガンへ戻るつもりだった。アフガニスターンで借りている事務所の家主、不動産屋、賃貸の交渉に当たったという人と会う約束をしていたが、いろいろあってアフガン行きを2日間延期。おかげで今日一日は少しノンビリできた。もっとも、気分の悪い会合が2日間先送りにされたので、それはそれで喉に魚の骨でも刺さったような不快さは免れない。

今春は、住めるような状態の借家が少なかったカーブルへ、世界中からのNGOや各国の大使館が業務再開などで訪れたために、市内の家賃は高騰した。オバハンもカーブルの住人となって丸7ヶ月。元々、パーキスターンには23年間も暮らしていたから、パーキスターン人やアフガン人の習性やメンタリティは知っているつもり。会って親しくなったアフガン人たちにいろいろなことをクドクドと聞いたり、ついでに家賃のことも聞いたり…。結果、ウチの事務所の家賃も、家主に渡っている金額と、オバハンが渡している金額との間に差額が生じていることが判明した。
分かった以上は「公正」を期すべく「差額返還のための話し合い」や、「経費節減のための事務所の明渡し」等々を何度かした。家主も不動産屋も、間に立った人も悪事を働いたという意識はゼロ。「差額返還などというバカなことをしてはならない!」また、「事務所を明渡されたら、今後の家賃が入らなくて損をする。」「我々、アフガン人の利益を守ろう、相手は金持ちの日本人ではないか!」と、一致団結しているので、先日は個別撃破を試みた。
「あなた方がしたこと(していること)を国連事務所や、国際NGO協会などにレポートする。」「強いては、アフガニスターン全体の不利益になり、あなた方も大恥をかく」など、各自を説き伏せ、話し合いの模様をテープに取りビデオを回し証拠とした。
とにかく、『アフガン難民を支える会−SORA』の運営費は、皆さまからの大切な寄付で賄われており、僅かな金額でもおろそかにできないと考えている。その最終的な会合(差額を払い戻させる)が、本日、夕方の予定だった。絶対に払い戻しをさせる!事務所は明渡す!

アフガニスターンでの活動メドや、生活のコツが分かってしまうと、事務所の経費も実は惜しくなってきた。今春からの活動は、取り合えず必要と思うことを最優先にしてきた。しかし、彼(彼女)らの中で考えた生活・言動を見てムダと思えることは思い切って整理もした。これは『アフガン難民を支える会』の運営委員たちがオバハンを信頼してくれ、活動に制限がないおかげでできたことだと感謝している。

しまつやのオバハンの発想でいくと、カーペット製作所の上は識字教室になっているが夕方からは静かだし、使っていないボロ部屋の2つの窓にガラスを入れ、荒壁を手直しすれば住むことが可能だ!