禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2002年6月)


■□■2002年06月30日(日)■□■
バーミアンには、世界各国からの援助団体が集まり、住民はモノを貰うのが当たり前の状況に馴れつつあって、スポイル間近!??
与える方が悪いのか?ただで貰う方が悪いのか?
たとえ食べる物がナーンだけであるにせよ、過剰に摂取すれば肥満になって当然!最近のバーミアンでは、肥満児も見うけられるようになった……。

■□■2002年06月30日(日)■□■
タリバン政権が終わったせいか、偶々なのかは判らない。
しかし、ここ5〜6年間バザールでは見かけなくなっていたアフガンからの美味しいガルマ(メロン)や、大杏が早々と手にはいるようになって、食いしん坊なオバハンは嬉しい。乾いた空気と強い陽射しの中で熟成した果物は、どれもこれもが気絶しそうに甘く、舌や喉を刺すほどだ。
しかし果物以外に食材は少なく、アフガン人は肉と小麦粉で作ったナーンさえあれば満足なのか?田舎では羊の肉を油の中で煮込んで、それに生ネギでもつけば大ご馳走だし、都会ではブツ切りの大きな肉塊を入れた炊き込みごはんと、ナーン。レストランでは串焼き肉のカバーブが中心、貧しい家庭ではヨーグルトとナーンが定番。
日本人の多くは連日の肉に辟易して、何とか野菜料理を食べたいと思うのだが、バザールに並ぶ夏野菜はトマト、ナス、じゃがいも、きゅうり、タマネギくらい。家庭では主婦がこまめに台所へ立つ生活の余裕もないようで、雑食の日本人から見れば単調きわまりない食事内容。

『アフガン難民を支える会』の事務所では、オバハンが好きだというので茹でたジャガイモが必ず1日1回食卓に上がる。肉は週に3回、親指の爪くらいの小さな焼肉を5〜6個食べるだけ。鶏は鶏とも思えない大きさでグロテスク、おまけに不味くて一度買っただけで懲りた!パーキスターンの鶏が美味しいのに引き換え、その不味さたるや、不思議な肉?これ何の肉?というありさま。
明日からアフガンで自然にダイエットが出来る生活が始まる、ダイエット・ツアーでも組もうかしら。

■□■2002年06月30日(日)■□■
2002年も半分が終わった。ワールド・カップも終わった。
ほとんどの日本人は知らないと思うが、数年前までは世界で生産される公式サッカーボールの70%がパーキスターンで作られたものだった。アディダスを初め幾つもの日本の有名メイカーもここでボールを作り、年間総生産量は600万個?だったかと記憶している。最近ではシェアを東南アジア諸国に取られ、50%近くにも落ちたらしいが、それでもパーキスターンで作られたボールが、ワールド・カップを賑わしていると思えば、少し愉快だ。

平和だからこそワールド・カップが開ける、しかし競技を見て騒ぐだけ、他にエネルギーの燃やしかたを知らないような多くの若者が哀れだ!とは感じた。スポーツは見るものではなく、ヤルものだという古い感覚をオバハンが身に付けているせいかもしれない。
だがワールド・カップのお蔭で、久々に日本人意識のまとまったことについては面白いと思った、結構なことだ。

■□■2002年06月27日(木)■□■
パーキスターンでも、一連のアル・カイーダ掃討作戦で370名あまりのメンバーを逮捕して昨日アメリカへ手渡した。
日本政府は欧米に追随しての「政策的協調退避」させた駐在日本人のパーキスターンへの帰国を早々と認めたが、多くの日本人と異なり、こちらの人の多くは執念深い。日本人は欧米人に比べてテロの目標にはなり難いのだが、何処でどんなふうに巻きこまれるかわからない。オバハンも神の御心にすがって今少し長生きがしたいと思う。

それにしても日本政府の「政策的協調退避」は、独自の外交が展開できない日本らしいと情けない。駐在の日本人たちも、自腹を切っての「退避」でないから従えるというところか

■□■2002年06月27日(木)■□■
外務省は6月26日付けで広域情報を発出。
1. 6月23日(現地時間)、カタールの衛星通信局であるアル・ジャジーラ放送は、アル・カーイダのスポークスマンによる声明を報じていますが、その要旨は以下のとおりです。
(1) ウサマ・ビン・ラーディンその他のアル・カーイダ指導部の98%は無事であり、その仕事を完璧に遂行していると断言することができる。また、ウサマ・ビン・ラーディンは近くテレビ画面に姿を現す予定である。
(2) 米国がイスラム教徒に対し偏った圧政を続ける限り、我々(アル・カーイダ)は、世界中の如何なる場所においても攻撃を止めないであろう。我々は米国を脅迫するだけでなく、そのような脅迫を実行する能力を依然として有している。
今後、数日間あるいは数ヶ月間のうちに我々の発言が正しいとことが証明されるであろう。現在、新たな米国の標的に対する調査及び監視を行っており、今後、それ程長くない期間のうちに、これらの標的に対する攻撃を実行する予定である。我々の殉教攻撃分子は内外の米国及びイスラエルの標的に対する作戦を決行する用意がある。
(3) 4月に起きたチュニジア・ジェルバ島でのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)における爆発事件は、アル・カーイダによる作戦である。
2. このようなアル・カーイダの声明が伝えられる中、米国議会関係者は、24日、米国報道機関に対し、概要下記のとおり発言し、テロの脅威について警告しています。
(1) アル・カーイダはいつでも米国を攻撃できるだろう。
(2) テロリストの攻撃対象として象徴的価値がある7月4日の米国独立記念日には、特に警戒すべきである。
(3) ウサマ・ビン・ラーディンの生死に関わらず、アル・カーイダは再結集の様相を呈しているほか、1〜2ヶ月前に比べて、米国を攻撃する能力を高めつつあるように見える。
3. 米国権益等に対するテロ攻撃の危険等については、これまでも累次にわたり注意喚起してきておりますが、これまでのところテロ攻撃に関する具体的な情報はないものの、上記のアル・カーイダの声明内容や7月4日の米国独立記念日におけるテロ攻撃警戒の指摘等に注意し、最新の関連情報の入手に努めるとともに、テロの標的となる可能性がある施設等危険な場所には近づかないなどの安全確保に留意して下さい。また、テロ事件が発生した場合の対応策を再点検し、状況に応じて適切な安全対策が講じられるよう十分心がけて下さい。
――――――――――――以上――――――――――――

■□■2002年06月27日(木)■□■
先般の新聞では、確か200万人からの難民がアフガンへ帰還したと、書いてあったが、きょうの新聞による国連発表だと100万人だとか。今年度は550万トンの小麦が必要だが、その60%分の資金しか集まっていないので、帰還難民1家族に今まで150kg与えていた小麦を100kgにするとか(この間、キャンプでインタヴューして来たら150kgが50kgに減らされていたから、どちらが真実か判らないけれど)。また、難民1家族につき帰還費用を100$出していたが、予算がないから50$に減らす。おまけに、「アフガンは危険度が増しているから、難民たちはアフガンへ帰らないほうが良い」などというコメントが国連職員からも出ており、唖然とする。

パーキスターンやイランで貧しいながらも生活が安定し、アフガンへ帰りたくなかった難民たちもたくさんあったろうに、彼等の居住地までを取り壊して強引に帰還させ、予算が足りなくなったから「帰るな!」だと!

■□■2002年06月26日(水)■□■
テロリストといわれるアル・カイーダのメンバーが何人も逮捕された。
パーキスターン国内でも、マドラッサ(宗教学校)を登録制にするなら活動を許可する。外国(サウジアラビアなど)からの援助を受けるなら必ず届け出る。マドラッサといえどもコーランを勉強するだけではなく、数学も英語も、世の中へ出て一般常識を備え、普通の人間として暮らしていけるだけのことを教えなければ認められないなど、パーキスターン政府もマドラッサがテロリストの養成場にならないように、宗教家からの大きな反対意見などをねじ伏せ、アメリカをはじめインドに対しても大きな気使いをしている。
インドも印パ国境線に冬から布陣しているが、半年以上もの長丁場に疲れ、なんとか軍を引き上げたいと考えているのか、パーキスターンに対する矛先が緩んできたような気がする。

■□■2002年06月26日(水)■□■
雨が降ったせいで朝の空気は体温より冷たく、ようやく生き返った思いをしている。雨が降る前のベタついた重苦しさもなく、ようよう頭痛も取れた。と思ったら、晴れていた空がにわかに黒雲でおおわれ、雹まじりの驟雨。今年の天気は「なんじゃらホイ?」というところか。
モンスーンに入ったので、従業員を叱咤!植木をアチコチへ動かし植え替えて大汗をかいている。カーブルにいればカーブルの従業員たちに煙たがられ、イスラマバードにいれば従業員たちに「早ようカーブルへ行って貰いたい!」と祈られているような気がする。

ここのところ、当地の新聞で再びウサマ・ビン・ラーディンの名前を見ることが多くなった。
トラボラ山域の小さな場所にまで追い詰めながら、結局のところ取り逃がしたのか、爆死させたのか?確認出来ていないのがアメリカを疑心暗鬼に陥れているのだと思う。それにしてもウサマ・ビン補足作戦は、最後のところでパーキスターン軍との連携不足という下手をうち、捕まえられなかった。当時パーキスターンは印パ国境に軍隊を移動させる必要があったし、アメリカ軍は小説などで読むように緻密ではないらしい。
今頃になって、再び「ウサマ・ビン・ラーディンを見つけたら、或いは捕まえたら賞金を出すとか、出さないとか」言い出しているアメリカだが、一説によると単にアメリカはアフガン国内で戦争を続けたいだけの理由作りだとも言われている。

■□■2002年06月25日(火)■□■
ローヤ・ジルガが終わっって10日、相変わらず国としての行政機構作りが遅々としているアフガニスターン。おまけに、カルザイの退陣を求める声が軍部の将軍(主に元国王の支持者)たちから大きく上がり始めているから、アメリカは心してカルザイを守らなければならない。カルザイが倒れれば中央アジアから石油を運ぶ計画にも支障が生じようというもの。
カルザイの地位はひとえにアメリカによって守られているのだが、アフガンで活動する人間たち(援助関係者)の治安は日増しに悪化をたどりつつあるようだ。現政権に不満を持つ、ドスタム将軍は暫定政権に組み入れられなかった(自ら入らなかった?)などで、北部などは治安維持が難しくなっているといわれている。今月に入ってからは、国際援助団体の女性が武装した強盗に、車から引きずり出されるやレイプされたり、殺人などが記録されており、北部から援助活動を撤退するか、どうかなどの見直しも問われている。

■□■2002年06月24日(月)■□■
蒸し暑く白いだけの空に黒雲がにょきにょき伸びて、その黒雲が突如割れたかと思うや、突風が背の高いユーカリの大樹を轟々と揺すりはじめ、眼が明けられないほどの砂塵が舞う。マルガラの丘陵などは黒いカーテンの向こうにたちまち掻き消え、道行く人は空を見上げながら走って行く、雨の始まりだ。
まだ夕方の5時というのに、水銀灯のほのかな緑色の中でユーカリの幹が折れそうなくらい左右に揺れ続ける。ユーカリの長く垂れ下がった枝葉が滴をたらし幽霊の髪の毛さながらに狂奔する。ドアが力いっぱいで閉められ、アチコチでガラスの割れる音、雷の音。

この間の某紙、自衛隊がアフガンで道路作りに参加するとか、計画中とか書いてあったが……。
自衛隊は、すでに東チモールやカンボジアでの駐屯経験があるわけだが、水(ミネラル・ウォーター)も、食料も、野菜や果物、鶏や肉でさえも隣国パーキスターンからアフガニスターンへ運ぶことになる。海上からの大量輸送が望めない内陸国のアフガン、海辺に近いカンボジアなどとは条件が大きく異なるし、補給を考えれば大変なプロジェクトだと心配する。
それでも、ペシャーワルからカーブルへの大幹線道路は、どこの国でも良いから1日も早く直して欲しい。これが直ることによってのカーブル(アフガニスターン)へのメリットは限りなく大きい。

何時だったか、カーブル市内の街角でTV取材中のクルーを待っていると、カラチから帰還して来た難民だったという若い兄チャンが、「日本政府はアフガン国内の道路を修復すると言っていたが、いまだに修復している様子はないし、復興援助金も出さない。ケシカラン!」というようなことを言って来た。
「ローヤ・ジルガが無事終わり、アフガンに暫定政権ができ、国としてやって行ける見通しが立ったなら、世界各国は莫大な援助金を出すだろうし、その見通しが立たないのなら日本政府をはじめ世界の国々は援助金を出さない。アンタたち自身が自国を復興させようとしない、何もしないで待っているだけのアンタたちに世界がどうして援助をするのか?」 大半のアフガン人は口を開けば「我々は貧しい」と言いつのるが、自分達で自立・自活しようという意識に欠け、他人に依存、援助をしてもらって当然の生活、思考になっている。 カーブル市民は、どこの国がどんな援助をするのかということを、比較的具体的に知っていて、ひたすら「棚から牡丹餅」を待っていることが恐ろしいと思う。
「牡丹餅」が欲しければ、せめて「棚」の下まで行って待て!と言いたいなぁ!

■□■2002年06月18日(火)■□■
タリバーンの本拠地カンダハールでは、タリバーンのリーダー、ムッラー・オマルの肉声???と言われているカセットが出まわっているとか。スピーチは約15分ばかりで「アメリカの爆撃にもかかわらず、我々は生きている」というもの。世間(日本)ではタリバーンと、アル・カーイダをゴッチャ混ぜで勘違いしている人も多いかと思うが、タリバーンとアル・カーイダは全く別のモノ(団体)である。
アル・カーイダはテロリストの団体であろうが、タリバーンはイスラーム原理の団体である(テロを絶対にしないとはいわないが)。そのタリバーンたちがパシュトーンの地域で徐々にだが、息を吹きかえしつつあるらしい。日本では原理主義イコール悪いもの、或いは怖いものの代名詞みたいに思われているが、タリバーンたちのやり方の一部には行き過ぎがあったものの、オバハン自身はタリバーンを悪いと思っていない。むしろ、多くの人々に誤解されたままのタリバーンが哀れに思える。

■□■2002年06月17日(月)■□■
過日はカラチのアメリカ領事館前で自爆テロがあり、10人以上のパーキスターン人が亡くなった。パレスチナなどでは自爆テロも珍しくはないようだが、パーキスターン(イスラーム教徒)では自殺をすると天国へ行けないと信じられており、「自爆テロ?女の子?そんな風潮がここまで来たのか!」と、実はオバハンも驚いた。
犯行は、アル・カーイダならぬアルカヌーンという過激派の団体だというが、突如として現れた過激派に警察当局もとまどっているし、何よりも「アメリカに対する聖戦布告」だの、 アメリカの傀儡政権パーキスターン「ムシャラフ大統領の退陣を要求」だのを出して、次のテロ警告を出しているところが怖い。イスラマバードでもイギリス系の学校や施設は厳重警戒中だし、パーキスターン国内のアメリカ大使館や領事館はサッサと通常業務を閉鎖。 とにかくアメリカさんや、イギリスさんの施設に近いところ、欧米人が多いところへは絶対に出歩けない。

今回は、アメリカやイギリスに対するテロと印パの衝突が重なり、イスラマバード市内の商店街でも外交官ナンバーの車、国連関係の車がめっきり減ったし、911同時多発テロ時の再来、外国人を対象とする八百屋や日用雑貨店にいたるまで、またまた閑古鳥が鳴いている。
昨夜は久しぶりにマリオット・ホテル(イスラマバードで最高級のホテル)へ行ったが、広いレストランにはパーキスターン人家族の2組があっただけで、ガラ空き。暇を持て余しているらしいウエイターたちがお愛想を言いに近寄って来たり、過剰と思えるような心遣いやサービスをしてくれ、普段と大違い。

■□■2002年06月16日(日)■□■
10日からカラチへ出張だった息子の嫁サン。
前日の9日には、パーキスターン駐在の日本人、その家族が退避をしているし、もしかしたら12日過ぎには開戦か?開戦になったら海軍のある、そしてパーキスターン唯一の商港カラチが狙われるという中での出張だった。そんな中で息子をはじめオバハンたちもどことなく緊張していたが、昨夕、無事に帰って来てホッとしている。
しかし、嫁サンの事務所はアメリカ領事館に近いところにあり、爆発の瞬間にはビルディングも揺れ、「インドが攻めて来たぁ!」と、思わず腰が浮いたという。

■□■2002年06月16日(日)■□■
昨晩も蒸し暑くて寝られなかったが、ついに未明からドシャ降り。
春からの雨はパラリとか、ポッチリとかいう表現の降り方しかしなかった。
雨雲はやって来るものの砂嵐、熱風だけが小半時ほど吹き荒れ、あっさりと雨雲を連れ去って行くのが何とも悲しかったが、ようやく庭がビッショリ濡れ、傾斜のある道路を水が流れて行く。今年は雨なしの夏で庭の芝生の半分が枯れていた、しかし、これで芝生も生き返るだろう。今朝の降り方から想うと、モンスーン(季節風にのってやって来る雨)に入ったようだ。

例年より3週間ばかり早いモンスーンの訪れ。モンスーンに入ればカシミールの山々では土砂崩れ、鉄砲水に見まわれる。山道が崩れれば兵士や兵站の補給もままならない、カシミール地域での印パ衝突は、少し遠のくというところか。弱小国パーキスターンにとっては、例年より早いモンスーンに救われたと言える。これで印パの長い国境線から、膨大なインドの兵力が撤退してくれたなら、パーキスターンの国民も一安心なのだが。

■□■2002年06月15日(土)■□■
アフガン帰りの知人が、帰日1週間目にして倒れ、ヘボ医者が「エボラ出血熱によく似た症状」などと言うもので、内心はエボラ出血熱である筈はないと思いながらも、小心者のオバハンはビビッてしまった。ようやく、それがチフスと判って、今度は自分のチフス・ワクチンが半年前に効力が切れているのを思い出し、またまた慌ててワクチンの服用だ。

■□■2002年06月15日(土)■□■
始まる前は開催そのものが危ぶまれていたローヤ・ジルガ。
日本政府がそのために出した開催援助金はどうなるのだろうか?などと、いつものごとくオバハンはいらぬ心配をしていたのだが、何が何だか分からないうちに、突如としてローヤ・ジルガが終わってしまった。まったく、アフガン人というヤツ等は分からない。
その点、アフガン人に比べるとパーキスターン人は分かり易い。とはいえ、民族ごとの性向は少しずつ異なるし、パーキスターンの半数を占めるパンジャーブ人(インド国境に近い方に住む)とパシュトーン人(アフガン国境沿いに住む)では、オバハンの目には明らかに異なって見える。
「どちらが良いか?」「どちらが好きか?」と聞かれると困る。何故ならオバハンにとっては、どちらもパーキスターン人ということで好ましく、かわいい。基本的に彼等パーキスターン人はお人好しだし、情にも厚い。

■□■2002年06月15日(土)■□■
印パの衝突に怯え、また実際的に砲弾下や民族浄化をもくろむインドの占領下、或いは国境近くで暮らせない人々(イスラーム教徒たち)が、いったい何人くらい避難して来ているのか?支援の都合もあり、事務所の者をパーキスターン側カシミールまで送って調べさせてみると、この10年間で40万人以上にのぼっていた。
インド占領下では1990年以来7万人以上のイスラーム教徒が殺され、3万人からが負傷。イスラーム教徒の女性に対する性的虐待は1万7000件、レイプは8000件と、人口比率から言えばとてつもない虐待がイスラーム教徒の上に加えられているのがわかって、いささかギョッとしている(資料はアムネスティ・インターナショナル等による)。
パーキスターン・カシミールから避難して来た住民は自国民であり、パーキスターン国内どこへでも自由自在に行き来でき、働くのにもアフガン人のような差別を受けることもない。また、カシミール人は勤勉かつ頭の回転も良いということで評判は良いし、パーキスターン国内各地へ働きに出掛け、しばらくすると家族を呼び寄せ暮らしているらしく、勤勉な避難民たちの多くは長くキャンプに留まることがない。

インドからの攻撃はいまだに止まらず、連日のように10人近い犠牲者と20人近い負傷者が出ている。イスラーム教徒は喜捨が義務つけられている、せめて医薬品でも送らなければオバハンたちも心安らかにはいられない。

■□■2002年06月14日(金)■□■
カラチにあるアメリカ領事館の前で爆弾テロ。アメリカ人の死亡者はなかったが、11人のパーキスターン人が亡くなった。
反米、反政府活動家、または原理主義者によるテロで、ムシャラフはアメリカに協力しなければ早々と潰されるのだろうし、反政府(原理主義)の取締りをやれば、これまた徐々に窮地へと追い込まれていくだろう。

■□■2002年06月14日(金)■□■
ここのところ、アフガニスターンで開催中のローヤ・ジルガが、田舎芝居さながらで猛烈に面白い。
「国民大会議に出席しているメンバーたちが、会場に武器を持ち込まなかっただけでも、高く評価される」という記事を見て、思わず「ワハハハッ…!」と笑ってしまったのに始まって、読み書きも満足に出来ないような人たちまでが議長、副議長、書記だったかの席をめぐり自薦他薦の山盛り。
「オマエの性格では○○大臣に向かない、引っ込め!」とか、罵詈雑言の応酬。さながら先だっての国会みたいで、生中継で見られないのが残念。
組閣の頃には流血事件が起こるかもしれないし、カーブル行きには要注意。

アハマッド・ラシッド著『タリバン』の言を借りるなら、「勇敢で、堂々としていて、名誉を重んじ、寛大で、客に親切で、優雅で、ハンサムなアフガン人は屈折した、卑しい、残忍な心の持ち主でもある」ということになるが、オバハンは彼等の性向につき「協調性がない」というのも付け加えたい。
そんな彼らが1600人近くも集まって、何かを作り上げようとするところに大きな問題がある。いや、失礼!大きな意義がある。
オバハンの知っている限りアフガン人の多くは、自分のポケットにモノが入って来るなら動くし、入って来ないとなったら動かないと言っても言い過ぎではない。その彼らが1575票中1295票を投じてカルザイ議長を選んだ。カルザイの他に代わりうる人がないとは言え、民族派閥などなどを考えてみると、普通ではカルザイがそれほど多くの票を獲得出来る筈がない。アメリカがカルザイの後押しをし、背後に金が流れるからこその1295票だとしか考えられない。

■□■2002年06月12日(水)■□■
今年は国際登山年ということで、パーキスターンの山は登山料が半額になったにもかかわらず、昨年からの911テロや今冬からの印パ衝突か?などと波瀾が続き、例年よりも登山隊やトレッキングの数は激減。しかし、登山料金が半額というので、掛け込み申請も結構あり、結局のところは例年の3分の1まで登山隊が来るようになった。
印パの衝突をものともせず登山を続けている人たちへ、在パ日本大使館は「退避勧告を大至急に送って欲しい」と矢の催促。しかし、エベレストに次ぎ世界で2番目に高い山、K2のベース・キャンプまではどんなにがんばっても3日はかかる(高所順応が出来ていない日本人トレッカーの足なら2週間近く)。
大使館からの通達なので、「退避勧告書」をキャンプへ送ったが、当地の危機管理専門家によると「退避」して都市部へ帰って来る方が危ないと言うし、「エ〜イ、勝手にせぃ!」と言いたい。
印パの緊張が急激に緩和されているとの報道に、中止の申し入れがあった登山隊から「やはり行く!」と連絡があったりして、オバハンたちの桃源郷フンザへの避暑は少し遠のいた。なんぞ北方地域へ行く用事はないかいなぁ……。

明日も、登山に出発するグループがある。印パ国境に近いところだから、「片側はインド国旗、もう片側はパーキスターン国旗を掲げながら登る」とノーテンキ。在パ日本大使館の心配を他所に、「弾の下をかいくぐって登ってきます」と豪語している。

■□■2002年06月11日(火)■□■
印パ両国から駐在の日本人たちが退避した翌日から、印パの緊張が緩和しつつあるようなニュースが流れる。帰日された方々は、実に複雑な気持ちだろうと察する。
大国インドからは英米だけではなく、多くの外国人が国外退避をし、その経済的損失も大きいとか聞く。しかし、英米に追随しての遅れた「退避」は、「政策的協調退避」とかいうものでもあったらしくて、一部諸国からは笑われているのを小泉政権は知っているのだろうか?

■□■2002年06月11日(火)■□■
某紙によると、「印パ領空通過を再開」とある。印パの危機回避に一歩近づいたように見えるが、伏兵はどこにいるか分からない。
インド側は、「パーキスターン側がテロリストを送って来るから、そのコントロールをせよ」と強硬に言いたてていたが、50年近くにもおよぶカシミールをめぐっての紛争では、インド側の兵士などに精神の弛みも大きく、パーキスターン側カシミールにはインドの兵士が横流しをしたと思えるアルコール類が売られていたり、国境付近を行き来する者たちを、幾ばくかの賄賂を貰って見逃したりするのは常識となっているとか聞く。
「テロリストの侵入をコントロールせよ!」とパーキスターン側へ言いつのる前に、そうしたテロリストが侵入しないように兵士の質、士気を高めることも要求されると、パーキスターン贔屓のオバハンは考えてしまう。

また、某紙には「国境線を米英の監視に委ねよ」との社説が載っていたが、オバハンの知っている限り、印パのコントロール・ラインと称するところには、71年以降???だったかから国連によると思う監視軍がある筈だ。それを、改めて英米による監視団と言い出したのが不気味でならない。
英米は何をたくらんでいるのか?

■□■2002年06月11日(火)■□■
本来はカラリと乾燥。暑いというより、「熱い」だけの季節6月の筈が、蒸し蒸しもひどくてたまらない。年々体力の衰えとともに踏ん張りが利かなくなって、ついにエアコンを入れた昨今だが、若い時はどんなに「熱く」ても寝られた。
昨日ポッチリ降った雨のせいで蒸し暑くなっていたが、夕方から、ようやく恵みの雨。晴れ間も覗いているのに雨だから、もしかしたら更に蒸し暑くなるかも。

■□■2002年06月10日(月)■□■
未明から厚い雲におおわれ、ほんのポッチリと雨が降ったので、かえって蒸し暑くなった。昨日の最低気温は31℃、まったく何もしたくない……。それでも、本日は息子に睨まれながら会計の報告書作りに励んだ。
まるで夏休みが終るのに宿題の出来ていない子供の頃に戻った気分。
デスクの前では息子がオバハンを睨んで「まったく!僕が勉強をしたくない時に、アンタが机の前に来て睨んでいた気持ちが解かる。ホンマ、イライラするなぁ…」だって。

■□■2002年06月10日(月)■□■
印パの衝突を懸念して、最悪の事態に対処するためにと、外務省は印パに滞在する邦人に対して「退避勧告」やら、「避難勧告」を出したのだが、インドから退避する日本企業の方が新聞へのインタヴューに答えたセリフが奮っている!
もっとも、ご本人の言わんとしたことがインタヴューをした記者の受け止め方と異なっているということもあり得るが、なかなか考えさせられる。
「お上が(外務省)が退避せよ!というので、退避などしたくはないのだが、退避する」と。大企業にお勤めのサラリーマンらしい答えで、これは退避する邦人の多くが感じていることを代表しているとも言える。
しかし、サラリーマンといえども、やらなければならない仕事を持っている人は、「自分自身のリスクで残る。会社に保証をしてもらおうとは思わない」と開き直れば良いのだし、それを「退避したくはないのだが」と言うところが他人に甘ったれているようで見苦しい。企業の方も、駐在員に対して「外務省からの勧告が出ている」ということで、その上に乗っかり自身の判断を避けるところが薄汚い。
また、退避出来るのは大企業をはじめ、公的な立場の方々が多く、本当に危険な状態になった時に、逃げたくても逃げられない人々もいることを思えば、贅沢過ぎるセリフだったと思う。

それにしても、何時から企業のトップと言われるような人々が責任を回避したがるようになったのか?
他人から何かを言われることを怖れ、責任を回避し、腹を括らなくなったら、後は及び腰でいるしかない。企業戦士であれとは言わない、経済戦争に勝つだけが日本の生き残れる道だとも思わない、しかし、こんなことでは今後の日本が本当に思いやられる。
判断を他人にまかせ、かつ他人の責任にして「自分は不本意だが……」と口に出して言うことがどういうことであるのか?私たち自身も考えなくては。

■□■2002年06月10日(月)■□■
事務所の大住が朝、目覚めるなり、
「夜中に良いことを思いついたの!万が一の時には、体一つで逃げるンやから、今からギルギット(北方地域の中心地)の事務所に猫のエサと日本食など、それにトレッキングの道具も送っておこう!夏休みは桃源郷フンザ近郊で過ごそう!」
オバハンも痛めた膝がイマイチ、万が一の時にはわが身だけで手がイッパイと思えるので、大住の意見に賛同!

■□■2002年06月09日(日)■□■
金曜日の夜遅く、インド国境に近いラホール市の南で、インドからのスパイ偵察機が撃ち落されたという。海外ではこのニュースが昨日のうちに流れていた。しかし、こちらでは今朝、日曜日の新聞にようやく写真入りで載った。
アフガニスターンでも空爆に先立ち2〜3機の偵察機が撃ち落されていたから、予定通りのパターンに入ったか……と、考え込んでしまった。 一部の報道では、印パ開戦は回避されそうだという希望的観測もあるが、当地の人々はそう感じていない。

■□■2002年06月09日(日)■□■
国連のおかげでアフガン人たちが餓えもせず生きているのを知っている。しかし、国連のプロジェクトには不満も多い。
イスラマバードのカッチャアバディ(難民居住区)には約5〜6万人のアフガン人達が住んでいた。しかし今月初め、アフガンから帰って来たら国境で出迎えの者から「識字教室4つが閉鎖になりました。住民達の家もブルドーザーで壊されています。」との報告を受けた。 4つの識字教室では1000人弱の子供たちが熱心に学んでいた、本当に嬉々として学んでいた……。親達からも感謝されていたその教室には机も椅子もなく、土間にシートを敷き、安物の黒板があるだけの粗末なものだった。昼間は暑いからと朝5時からの授業にも休む子は少なく、14人からの先生方も意欲的だった。
それが、国連の「難民帰還プロジェクトに予算があるから使ってしまわなくては!」という理由だけで、アフガン人たちは檻に追い込まれる動物さながらに捕まり、帰還トラックやバスにつめ込まれ国に送られたという。

息子の嫁サンがオバハンの代わりに、カッチャアバディへ行き、その様子を写真に撮っておいてくれた。彼らは抵抗するようすもなく、1人当り20$という難民帰還費用を受け取り、静かにトラックへ家財道具を積み込み、自分達も乗り込んで行く様が、なんとも胸をうったという。
国連の難民帰還プロジェクトは、ペシャワールから帰還する難民に対しては1世帯につき100$、帰国してからの食べ物1ヶ月分として150kgの小麦粉、石鹸2個、毛布2枚を支給してくれるが、仕事もなく、家も少なく、それだけでは暮らしていけない彼らは裏街道に車を仕立て、官憲に賄賂を支払い再び難民としてパーキスターンへ舞い戻って来る。この繰り返しを何年も続けながら、何十万人帰還させたという報告書だけを作る、国連の仕事というものに疑問を感じる。

■□■2002年06月09日(日)■□■
昨日、きょうの外気温は45度。
ほん少し外へ出ただけでクラクラしたので、終日部屋に潜み隠れていた。
アフガニスターンでの活動報告、会計報告などなど仕事以外にも、やらなくてはいけないことがたくさんある。しかし、今頃になって疲れが出てきたのか、それとも単に暑いだけなのか、少しも体が動かない。室内の一番涼しい部屋でさえも35度からあり、気力の湧かないことは夥しい。気温は夜になっても下がらず、この夏一番の暑さ。

アフガニスターンでは、この4ヶ月で合計60日間、月のうち半分を過ごし、厳寒期から夏に装うまでを垣間見たことになる。『アフガン難民を支える会』の事務所はカーブル市内でも最下層のハザラ人達が多く住む地域にあるが、貧しい彼らが住む地域の方が諸物価も高くて暮らし難い。
しかし最下層といわれる彼らの生活や、餓死線上にいるという中央アフガニスターン高地に住む彼らの生活、実際に自分が見たものや他NGOからの情報を集めてみると、国連発表の摩訶不思議さを改めて感じてしまう。
確かに彼等は、私たちに比べて圧倒的に貧しい。しかし、全体的に見るなら餓死には程遠い。「空の鍋に水だけ入れて掻き回していた母親。雑草を食べてしのいでいる人々」それらはとても特別な状況にあったとしか思えないという、オバハンの正直な感想を述べておきたい。

前にも述べたがバーミアンは援助銀座、世界各国のNGOで賑わっているというので、オバハンたちはバーミアンの南南西、直線コースにして70kmくらいのところに地方支援プロジェクトを展開することにした。スルハバット郡はカーブルから西へ約8時間、標高は3300〜3700m、緩やかな山が縹渺と連なり人家も稀。
元々は1万世帯からあったらしいが、旱魃で小麦が採れなくて餓死を恐れた4000世帯からの人々がカーブルやイラン、パーキスターンへ逃れたという。その逃れた人々を総計すると餓死線上の人、数百万人ということになるのかもしれない。
プロジェクトは灌漑用水・井戸、その整備、道路作りなど、帰還してきた人々が昔の暮らしに戻れるようにとを考えている。プロジェクト展開の都合上、残っている住人たちには集まってもらい、多くの聞き取りを行った。また女性120人に対しては個別に聞き取りをしたが、一応に口を揃えて言うには「食べるだけは食べられる。餓死したという話は聞かない」ということだった。
医薬品を多く用意していったこともあり、滞在した村から更に遠い山の中から、丸1日歩いて薬を貰いに来た人などもあったが、彼女たちも痩せてはいなかった。中には腰痛を訴える太りすぎの人々さえもあり、「体重を減らすよう」とのアドヴァイスをしたくらいだ。 アフガンに比べると、パーキスターンの山岳地帯や一部平原部の方が、遥かに遥かに貧しいとさえ感じた。しかし、それでもパーキスターンには餓死する人などがいないことを思うと、国連のデーターはいかにして作られているのか?と。
何よりも、オバハンたちが支援プロジェクトを展開しようとしたところには、過去30年、外国人が入って来たことさえないというのに。

■□■2002年06月08日(土)■□■
印パが激突か?というのに、日本では、そのニュースはワールドカップの陰になってしまい、ほとんど流されることがないようだ。
激突して日本人に犠牲者が出たならニュースにもなるのだろうが、それ以外は遠い遠い国の出来事として扱われている。日本から見ると、アフガンは地理的には印パより更に遠かったが、あたかも特撮映画のような強烈な印象でTV画面に踊り出た。8ヵ月前にカーブルやイスラマバードを地図上で知っている人が何人いただろうか?

印パの衝突は今に始まったわけでもなく、50年近く毎年雪解けの頃から始まり、どういうわけか夏には終了(山岳部は8月に入ると寒さが厳しくなる)してしまうパターンが多かった。しかし、今年のインドは総選挙をひかえ、『強いインド』という演出を更に必要としている現政権は、冬から印パの長大な国境線に大布陣したままのインド軍を動かさず、小競り合いは平野部で起こっているから、もしかしたら長引くかなぁ??
長引くだけなら全国民への直接被害は少ない……、しかし激突になれば……。

弱小国パーキスターンは大国インドに勝てるわけもない、約3〜5倍の軍事力差と過去3回の印パ戦争を戦って知りすぎるほどに知っている。
印パ在住の日本人たちは、最悪の状況を想定して続々と退避をしているが、弱小国に「イザとなったら皆を道ずれ」と、核のボタンを押させるほど追い詰めなければ良いと思うのに……。

事務所のマネージャーは、外貨取引場が開く朝10時、午後、夕方と$換金の動きに目を光らせている。ルピーが下落を始めたら要注意というわけだ。
連日40度を越える毎日、学校も夏休みに入り、金持たちも早めの休暇と海外へ出始めた。 印パ両国にある日本人学校も繰上げの夏休みに入り、帰国の途につく。

■□■2002年06月07日(金)■□■
某新聞記事、『カーブルで200人の女性がブルカを脱ぎ、決起集会』
カーブルの某ホテルには、アメリカから集められてきた進歩的アフガン女性の団体とやらが宿泊していて、アメリカでの自由で豊かな生活とやらをカーブルに住む親戚や知人に語って、頑迷なイスラーム生活を笑い物にしたり、「私たちと一緒にダンスを楽しもう!ブルカを脱ぎなさい!」などと、なかなか活動的らしい。
一部には、血気盛んな多国籍軍用兵士のために連れて来られたのだと言うアフガン人もいるし、自由を謳歌しろ!などとダンスの強要もする女性などがいることから、一部にはタリバン時代の方が良かった、清潔だったと回顧する者も増えている。
冒頭の新聞記事が、そうした進歩的な女性に指導されたのか、どうかは知らないが、アメリカから連れて来られたというアフガン女性たちは、最近のカーブルで物議を醸している。

また、某国はカーブル国内に兵士用の慰安所を作れなどと、なんとも寒気がするような要求を出しているとか。もし、そのような慰安所をアフガン政府が用意出来ないのなら、自国から連れて来るというから、凄いものだと感心してしまう。
「ブルカを脱ぐ」などという瑣末なことにワザワザ拘らず、平和維持軍と称する駐留軍がどんなに理不尽なことを平気で行おうとしているのか、自分たち女性の人権も大切だが、そんなことは、ブルカとは何の関係もないと1日も早く気づくべきだろうが。

アフガン帰りの友人がエボラ出血熱によく似た症状だというので、怖がりのオバハンはたちまちビビッて、対処方法を探っている。

■□■2002年06月07日(金)■□■
何日か前、カザフスターンだかタジキスターンであった印パ首脳会談。
弱小国パーキスターンの大統領は、常に英米ロなどの大国や国連からの介入を切望しているが、強い大国を目指すインドは、第三国による介入を望まず、例によって会談は決裂。インドの首相は会談に臨む気がないのなら、何しに旧ロシアまで出掛けて行ったの?
この日の印パ首脳は、仲介者の各国首脳4人の両側に位置して、互いにそっぽを向いているし、当地での新聞によると、印パ首脳同士は目さえも交わさなかったという。
アメリカなどは、パーキスターンに対して印パの衝突を回避するための「労」を取るような態度を示しながらも、自分たちが書いた印パ紛争シナリオを進めるのだろうというのが、当地での反応。
オバハンも銀行から現金をすべて引き出した。中国へのビザ申請用紙も取り寄せた。万が一停電などになって、冷凍庫の中の物を腐らせるくらいならと、ここ3日間は冷凍食品の日本食をいろいろな人に大盤振る舞い!

しかし、この緊迫していると思われるイスラマバードでの話題は、「夏の大売出し、シンガポール旅行」。ジナー・スーパー・マーケットという名前の商店街に、高級衣料・寝具を商う『ChenOne』というチェーン店があって、そこで2000ルピー分の商品を買うと、シンガポール旅行の福引券をくれるとか。2000ルピー分は、ウチのお掃除姉さんの1ヵ月分給料に相当する。しかし、小金持ちも多く住むイスラマバードにあっては、購買可能な人口も増え、大の人気!

■□■2002年06月06日(木)■□■
インド側では、邦人の退避に際して商業便に席が確保出来ないからと、JALのチャーター便を出すとか。
パーキスターン側も9日のフライトで60人からの日本人が退避する。実はこの9日便にはオバハンも乗る予定をしていた。しかし仕事で1週間だけの帰国とは言え、退避する方々と同じ便に乗って成田へは到着したくない、万が一、知り合いの報道陣なんぞに出会ったらどうするのか?
普段からの大口はどこへ?「エ〜ッ、オバハンも逃げて来た!」なんてだけは思われたくない。10日〜16日までの日本滞在はアッラーの御心、先方の都合もあって延期になり心底ホッとしている。

印パの緊張が限りなく高まり、核戦争に突入か!などという心配をヨソに、日本はワールドカップ一色。
世の中にはお節介?いや、ご親切な方々も多いようで、
「アフガニスタンの人々を日本へ招待、ワールドカップを見せてあげたい。」
「日本の教育制度を今後のアフガンの参考にして欲しい。」
なんだ、かんだとアフガン人を日本へ招待する話が絶えない。いずれのご趣旨もうるわしい。しかし日本人がインド・パーキスターンから続々と退避を始め、心せわしくしているというのに、「アフガン人のビザ申請を日本大使館へ願います、急いで下さい。」とのメール、電話、FAXの山…。しかし、イスラマバードとカーブルは、近いようでとても遠い!
通常の電話ですら、なかなか繋がらないし、繋がってもハッキリ聞こえることも少ない。そんな状況の中で考えられる最善を尽くして日本とアフガニスタンの仲介をする。急ぐ時には、イスラマバードとカーブル間に特急便も走らせることも。
「ネェ、この天下太平、日本の役所人間たちは、私たちが退避しないと全幅の信頼をしているンやねぇ。自分たちの仕事の分担だけを考え、ワイワイ言ってビザが発給されるかどうかと騒いでいるけれど、こちらの状況については想像もしていないのかしらネ??」

■□■2002年06月05日(水)■□■
印パの緊張は高まっているとも、高まっていないとも、人によっての受け止めかたは随分違うようだ。
3年前だったかの核実験時、現地へ潜入して来た某大新聞社の大記者は、「現地では兵隊たちもノンビリしていましたヨ、僕は、核実験はないと見ました。」
しかしパーキスターンは核実験に踏み切った。

今回、印パが対峙するカシミールの最前線へ行って来た報道陣も、「兵士たちはお茶を飲み談笑していました、緊張感は感じられませんし、戦争にはならないような気がします。」
お茶を飲み談笑していれば緊張感がないのか???
日本人と、こちらの人との感覚の違いだろうとオバハンは思う。
日本人の多くは、戦争というからには一色即発ピリピリを想像するのかもしれないが、戦争を継続している中にもラマダン(断食)は守られるし、宗教行事のある時は休戦ともなる。何もない時には、お茶の時間はインドでもパーキスターンでも守られるだろうし、それが緊張感に欠けることにはつながらないような気もする。

インドの国防大臣だか、参謀長官だかのご子息のご結婚式が間近。
「その結婚式が終れば開戦になるらしいヨ」
「そんな要職の人が、戦争という大事を前に、そんな公私混同をするのですか?」
「そんな要職に昇ったからこそ、公私混同が可能になるンじゃないか!」
「そんなモンですかネェ……私たち日本人には理解できませんネェ…」
ご結婚は10日、開戦は12日以降と、まことしやかな噂も流れる。

■□■2002年06月04日(火)■□■
ただ今、在パ日本大使館から国外退避の勧告が来た。やむを得ぬ事情で滞在する者を除きという但し書きがついているので、無理やりということではないが、日本大使館(外務省)も1年に2度もの退避勧告を出すには相当の悩みがあったろう。
911テロでも退避勧告が出、その際、帰国した駐在員たちや家族は、日本での居場所がなく外務省などに苦情が多かったらしいが、個人レベルで意志表示が出来ない勤め人たちというのはなんという不便なものか……。

先日から空襲警報の練習が始まったという。練習にせよ、空襲警報を聞くことになるとは思わなかった。しかし、いつものように街はまだ緊張していない。
日本はワールドカップ一色、天下泰平。その幸せを日本人たちの何人がわかっているのだろうか。

■□■2002年06月04日(火)■□■
先月末からのアフガン行きには、某TV局の取材がオバハンにくっ付いて来た。最終日近くになって、その取材が「ガイアの夜明け」たら言う仰々しい題名で、日曜日の午後10時から放映されると聞いた。出来あがりと内容については知〜らない!しかし、何と!オバハンにぴったりの話ではないか!と一人で悦にはまっていたら、事務所の大住達にバカにされた。
その取材が予定より早く終ったので、イラン国境に近いアフガンの古都ヘラートへ「旱魃の状況を自分の目で見たい」と、行こうとしたのだが、アフガン国内の治安状況も悪化しつつあり、ローヤジルガでさえも覚束ないというありさま。思い切ってヘラート行きもあきらめ、結局予定より3日早くイスラマバードへ帰って来た。昨朝は4時20分カーブル発、途中ペシャワールへ立寄っていたのでイスラマバードへの帰着は夜の9時半にもなった。まったく年甲斐もなく良く走るものだ。それから12時過ぎまでメールのチェック。

もちろん、アフガンにいる間も印パの関係が気になっていた。
『アフガン難民を支える』どころの話ではなく、下手をすればインドから大量のイスラーム教徒たちが難民としてパーキスターンへ流れ込んで来る……。パーキスターン国粋主義者のオバハンとしてはパーキスターンのためにこそ、何かをしなくてはならない。
今回の印パ衝突では、日本からの報道陣のほとんどがインドからの報道に終始するらしい。 アメリカがインドの後ろにいる、勝ち馬の後ろから報道することこそが報道陣にとっては安全であるらしい。いつの報道でも、報道陣の多くは勝つ方側からの報道しかしないのが不思議で仕方がない……。勝てば官軍、大義名分のある報道が可能というところか。
しかし日本(ゆとりある国々)は今、ワールドカップ一色。日本人は天下泰平だなぁ……。

今回の印パ衝突につき、難民の出る可能性も多く、いろいろなシュミレーションを考えてみる。パーキスターン国粋主義者と大手を振って生きて来たオバハンに何が出来るか?イスラマバードではほとんどの外国人が国外に退避、JICAの職員や専門家、海外青年協力隊員たちも明日の便で日本へ退避する。
実は、オバハンも9日〜16日まで日本へ行く予定をしている。しかし、印パ開戦になったら空路はすべて閉鎖になるから、日本からの帰パは中国経由の陸路しかない。しかし、オバハンはパーキスターンのために、いや自分のために帰って来る。
日本では愛国心というもの、或いは国粋主義とかいうものに対して特殊な怖いもの、胡散臭いものとして捉えがちだが、オバハンには愛する国があって生きる力も得ているので幸せだと思う。もちろん日本に対しての愛国心もあるが、対インドでは常に弱者であるパーキスターンに肩入れをし、新たに生まれるであろうインドからの難民に対しても、個人レベルだが何かをしなければオバハンの女がすたる。