禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2002年4月&5月)


■□■2002年05月27日(月)■□■
ウゥ〜ッ!まだ5月の下旬だというのに、このムシ暑さは何だぁ!!
本来はカラリと乾いている筈のこの季節に異常なベタベタ、ムシムシ。
久しぶりに首筋を汗がつたい流れるのが気持ち悪い。こうなると、オバハンが幾ら風呂嫌いでも、せめてシャワーなりとも浴びねばならぬ。
朝から2回も水をかぶってしまった。
カラスの行水程度だが、それでも地球資源の無駄づかい……。

オバハンは知らなかったが、イスラマバードでも雨が少なく、渇水状態。
なんと50mの深さにまで掘ってあった、予備用の井戸にも水が少ないという。街には水を運ぶタンクローリーがひっきりなしに走っているし、このままでは大変なことになりそう。こうなればムシムシもベタベタも大歓迎!雨が降ることをひたすらお願いせねばならない。

今夕からカーブルへ行く予定だったが、いろいろな雑務に追われて、会計報告用の書類が出来ずに、まだグズグズしている。
明朝までに仕上げて、5時には出るゾゥと気合をかけながらも、ムシムシ、ベタベタに完敗している自分が情けない。
これだけ暑ければ、インド軍もやる気がそがれるだろう……。結局のところ、この暑さの中で、全面戦争などが出来るわけもなし!と、オバハン独自の見解なのだが、休暇を終えて活力の補給をしてデリーへ帰って来たら、バジパーイ首相は「ヤ
ルゾ!」と考えるのかも。きょうで連続3日目のミサイル・テスト、沈黙しているバジパーイ首相が不気味。

3年前の印パ衝突、カルギル紛争の時と同じパターンになって、一日も早く緊張が解けることを祈っているが、ここのところ戦闘機が上空を飛び交うのも多くなったし、今早朝などは、風の具合か戦闘機の音がアタマの上で聞こえた。
大住は一瞬「インド軍の攻撃か!」と思ったという。

明日からはまた、カーブル。

■□■2002年05月22日(水)■□■
イスラマバードを20日あまりも留守にしていたので、事務所の者たちには肩身が狭い。日・パ旅行社は例年GW頃から忙しくなり、最盛期には早朝から夜中まで働くことも多く、下手をすると朝昼食抜きなどは珍しくもない。
友人たちのあいだでは、「最盛期に事務所へ行くと怒られる!近寄ってはならない!」とばかりの触書も回っているらしい。
事務所の大住や息子は、オバハンが抜けている分の仕事もカバーしなくてはならないのでイライラが募っているようだ。恐る恐るまたいだ事務所の敷居は高くて、対人地雷(大住)や対戦車地雷(息子)を踏まないようにと、細心の注意を払いながら身を縮めている。

今月28日から6月5日まではまたまたカーブルだが、今シーズンの長期アフガン行きはこれまでとし、夏の間は本業に励まねばならない。本業の合間にするボランティアであり、ボランティアであるからこそ支援は純粋だぁ!と、都合良く自分に言い聞かせている。
「ボランティアは出来る者が、自分の出来る範囲で、出来る時にする」と、声を大にして言っていたが、忙しくなって来た今は、この言葉の重みを感じる。

実は、オバハンもオバハンなりに、何とか最盛期が来る前にカーブルでの支援プロジェクトを立ち上げてしまいたいと足掻いていたのだが、パーキスターン以上に物事が進まない。
電話1本で大概の用事が済ませられる日本という国は、なんと便利な国であろうか!
用事のことだけではなく、生活も一挙に45年もの昔に戻ってしまったような中で工夫しながら暮らしていた毎日、まったく時間はゆっくり流れた。

カーブルの事務所は縫製学校・識字教室、カーペット家内工場のある近辺に構えたが、新市内からはほんの少し離れているので電気はなく、水道もないので井戸端で手押しポンプをガッチャン、ガッチャン賑やかに押しながら水をくみ上げ、食器や野菜、顔を洗う懐かしい生活。
風呂やシャワーはもちろんなく、飲み終えたミネラル・ウォーターの空きボトルに水を入れ、日向にズラリと並べ置いて暖かくなったらそれをかぶってシャワーの代わり。
「きょうは3本のボトルを使い贅沢した!」と、同居のJR労組アフガン支援チームのメンバーたちが言い合うのを聞きながら、「ささやかな贅沢」に心が和む。しかし、風呂嫌いなオバハンにはシャワーをしたいという願望が薄く、ささやかな贅沢にも混ぜてもらえないが、40年余り前には日本の何処ででもみられた生活に郷愁を感じながら暮らしている。

印パの衝突は50年余りに渡るのだが、外務省式に表現するなら、今年は危険度5。
隣国アフガニスターンどころではなく、足元に火がつきかねない有様になっており、当面はインドの動向に目が離せない。酷暑のこの時期、50℃近くにもなる平原部での戦闘にはなるまいが、印パ国境線に大布陣をしいているインド軍は不気味だ。
ルピーはジリジリ下がり出した、海外へ目を向ける金持たちが増えたせいだろうか。

■□■2002年05月21日(火)■□■
3週間振りにアフガニスターンから帰って来たら、ペシャーワルもイスラマバードもシッカリ真夏42℃。南のムルターン市などでは暑さのあまり70人からの死者も出ているありさまで、いよいよ夏は本格的。
1800mの高原都市カーブルからパーキスターンへ帰って来たので、暑さが体にこたえるかと思ったが、乾燥しているせいかソレほどでもなく、まだエアコンなしでも寝られるのでエアコン嫌いなオバハンはホッとしている。

カーブルではハザラ族の多く住む地域に裁縫学校(識字教室を併設)を3ヶ所(ミシン100台、生徒計170人)設置、女生徒たちは嬉々として学び、縫い物に余念がない。
また、カーペットの家内工場は3ヶ所に設置、約600人がカーペットの製作に励む予定。 最初カーペット織りのための外枠は、「未亡人の家に設置して彼女たちの生活を支える」ということであったが、借金のカタに持って行く輩があったり、勝手に自分達の都合で移動させたり、挙句が移動費用だ、設置費用だ、修理代だ、アレくれ、コレくれと次々に難問が持ちあがり、20年余り外国からの援助を貰い慣れたもの特有の厚かましさ、無神経さにオバハンの声もツンツン尖がり気味。
結局、家賃を払うのは業腹だが、キチンと管理をするためにも家内工場として稼動させることにし、雇用をふやして行きたいと考えている。
とにかく、無料でモノを配布する援助ではなく、自活につなげるということで、それぞれの働きに対して、現地へお金を落とすことが支援だと思い切ることにした。

手を広げすぎると充分な管理が出来ないとの意見もあるので、鍛冶屋さんと木工所には「自分たちが是非やりたい」という人が現れるまで待ち、時間をかけるつもり。

■□■2002年04月28日(日)■□■
アフガニスターンから帰って以来、体調がスッキリ戻らず空咳に痰が出る。午後になると微熱、寝汗などというものには一切縁が無かった筈なのに寝汗……。思い余ってついに検査に行った。万が一、他人にウツすような事態であったら許されないし、今後の計画にも支障が出るのでと。とりあえず検査の結果はマイナスでホッとし、明日からまたまたカーブルへ行く。
どうしても前回し残した仕事が気になるし、何よりも報道陣にたいする怒りや批判で立ち上げた『アフガン難民を支える会』だからこそ、オバハンなり考える理想のNGOとして育てたい。

■□■2002年04月25日(木)■□■
昨夜の名月はどこへ行ったのか?
今朝も遠雷と共に雨が降り、先般来の暑さは何処へ?と思うほど、明け方には肌寒さを感じた。
カーブルでも、ここのところ毎日のように、午後になると必ず一雨くるという。
「タリバンがいなくなったから、雨が降り旱魃がなくなった」と市民は大喜びだったが、オバハンの予感からいえば、洪水年になりそうな可能性も捨て切れない……。
この間までは旱魃で生きるの死ぬの、食べられないと騒いでいたアフガニスターンの人々だが、「今年は洪水で生活できないから援助を!」と言うのかもしれない。
何処かの国で紛争や戦乱になり、あるいは大自然のなすがままに翻弄されたら、国連を始めとする援助機関、NGOが大挙して押し寄せるが、国際的な援助機関で働く人々(特に欧米系)に高給を与えるようなシステムが出来ていることには不満を感じる。
世界の各地で紛争や戦乱をおこし、人々を困窮させ、国連を初めとする援助機関を派遣、機能させるために(そこで働く人々の雇用)を促進するために、米英は動いているとしか思えないことを時折、痛いほど感じる。

いよいよ大統領の去就を問う国民投票日が近づいて来たが、相変わらず国民の関心はイマイチで、国民投票よりもインド西部グジャラート州で吹き荒れている宗教暴動??の方に関心が高いように見受けられる。
イスラエルとパレスチナを初め、世界各地での紛争の後ろには、考えまいと思っても大国の陰がちらつく。
かってインドだった頃には、ヒンズー教徒もイスラーム教徒もそれなりに共存していた。ドイツが「民族浄化」という名の下にユダヤ人を排除しようとした頃から、世界は徐々に狂い出したのだろうか……。今回のインドでの宗教暴動?にも、ヒンズー教徒による「民族浄化」でイスラーム教徒を排除しようとしていることが、あたかも特別なことが起こったように書かれているが、インドによるイスラーム教徒の排除は今に始まったことではない。ここ50年にわたるカシミール問題(紛争)も、ある意味では「民族浄化」のための紛争だ。
国連の決議で、国民投票をしてインドへ帰属するか、パーキスターンへ帰属するかを決定しようと決まった日から、インドによるイスラーム教徒の排除が始まったといえるし、それは今に至るまで50年も続いている。

■□■2002年04月22日(月)■□■
東と北の空にかけて、今にも降りそうな黒い雲が朝から厚く広がっていたが、何時ともなしに晴れ間が見えて余計に暑くなった。荒天前には気圧が下がるので、頭痛持ちの大住は薬を飲み続けているが、オバハンは歳のせいか昔ほど敏感ではなくなったとみえる。
夜8時、ピカピカ、ゴロゴロ遠雷とともに一斉に木の葉が舞いあがり、何時ものようにガラス窓やドアがバタン、バタ〜ン、ガシャ〜ンと大騒ぎになった。

「成田から来られるお客様が空港に到着するころは、イスラマバード空港へは下りられないかもヨ」
「ウ〜ン、もう今頃は中国とパキスタンの国境付近で、機内席の肘掛にツメを立てて冷汗や油汗を流しながら、お祈りしているかもネ」
「1時間も上下に揺られ、雷と驟雨の中を飛んで来るのはかなわんなぁ……」

心配した通り、成田からのフライトはイスラマバード空港には下りられず、インド国境に近い街、ラホールへ行ってしまい、6時間遅れとなって明け方イスラマバードへ戻って来た。

■□■2002年04月22日(月)■□■
みなさま方には、いつも「アフガン難民を支える会」をご支援いただきまして、心から深謝申しあげます。
皆様方のご支援のおかげで、活動は広がり順調にすすんでおります。今月10日にカーブルから帰って来ましたが、新たにアフガン政府(農業省)とタイアップで、アフガン緑化5ヶ年計画も推進することとなりました。
高地での多収穫がみられそうなジャガイモの試験的な植えつけもカーブルとバーミアンで終えましたし、自活のための支援もボチボチ進んでおります。

また5月5日(日)〜8日(水)まで、渋谷駅近くのクリオ・ギャラリーで写真展を開催します。
小さな電話用のカーペット、ナッツ類、母の日のプレゼントにぴったりのパキスタン・タオル地のオリジナル・エプロン、絵葉書や民族衣装、督永忠子著 『オバハンからの緊急レポート』などの発売も予定しております。
詳しくは『アフガン難民を支える会』のご案内をご覧ください。

■□■2002年04月21日(日)■□■
とうとう本日は、イスラマバードでも日中の気温が40度を越した。
夜になっても室温は30度を越えていて、いささか寝苦しくなって来たがオバハンも大住も、まだ扇風機を使っていない。しかし、隣の家(事務所)は、早朝の涼しい時間帯でも早々と扇風機をまわしているし、野外で勉強をしているカッチャー・アバーディ(難民居住区)の識字教室も、子供達には欠席者が増えて来たという。
イスラマバードの公立学校の多くは、6月に入ると長い夏休みだが、アフガンからの難民たちが不法占拠した土地の上に住んでいる、カッチャー・アバーディでは永久的な建物を作る許可が政府から出ないため、モスクの庭で勉強をしている子供達は直射日光を受け、暑さがしのげなくなって来たという。

昨日は、イスラマバードやラワルピンディをはじめとする、各都市に掲げられているムシャラフ大統領の看板のことを少し書いたが、あの看板は政府やムシャラフ大統領が掲げさせているわけではないと聞いて、ちょっと驚いている。
今月末にある、ムシャラフの、大統領としての是非を問う国民投票、今秋にある国政選挙に出馬する候補者たちが、ムシャラフの隣に自分の看板を掲げて、ムシャラフにあやかろうと、それぞれが勝手にムシャラフの看板を描かせていると聞いた。
日本にはない大らかなシステムが、パキスタンらしいといえばパキスタンらしい。

イスラマバードの街にも国民投票に行くようにと、街宣車まがいのトラックが走り出した。街の重要な箇所には土嚢が積まれ、兵士が駐屯し出した。
軍人としてはたいそうリベラルなムシャラフには、反対するイスラーム原理主義グループや、軍内部にも反対勢力は多いと聞く。
パーキスターンは軍事国家でありながら、リベラルなムシャラフ大統領を戴いたことは、この時期、パーキスターンにとっては幸せなことだったと思うが、一般国民にはまだまだ認識も薄いようだ。
また、国民投票も、本籍地へ帰ってしか投票出来ないとなると問題も大きい。ウチのガイド達も一番遠い村に住んでいる者は、実家まで往復10日間もかかる。その上、道中の費用だ、10日間の休暇だ、なんだとかかれば簡単に国民投票はできない。

■□■2002年04月20日(土)■□■
樹上高く、霞のように広がる薄紫色のジャカランダの花が初夏の空に映え、新緑もことのほか冴えわたるこの季節は、イスラマバードが1年中で1番美しい季節だ。気温が急激に下がる爽やかな朝夕には、鮮やかな緑色をしたインコが何羽も連れ立って、良く熟れた桑の実をついばみにやって来るし、満開に咲き誇るブーゲンビリアの中に巣を作っているらしい駒鳥は花の間の出入りに忙しい。

先日来、イスラマバードやラワルピンディの街中には、大統領としての是非を問う国民投票の日が迫って来ているので、ムシャラフ大統領の大看板が氾濫している。上手に描けている看板にはホッとするが、下手な看板を描いたヤツはマイナスのイメージを与えるようで許し難いと思う。
10数年前にもジアウルハク大統領の是非を問う、国民投票があったが、当時のジアウルハク大統領は三白眼でやや陰険に見えた。しかし、オバハンが支持するムシャラフ大統領はハンサムではないけれど誠実な人格に見えるし、「人間はやっぱり外見だァ!」と、感じ入っている。
事務所では、「ウチのムッちゃん!」などとふざけて大住と言い合うのだが、100の命があっても足りないような現大統領の全国行脚、去就には目が離せない。 ムシャラフ大統領は国民投票に向け、気温が40度を越す中でパーキスターン国内の行脚に忙しく、やや疲れが見える。
貧しい国民へのサービスで○○税を割り引くとか、○○を認めるとか細々としたことで騒がしいのが少し悲しいなぁ。何時もちょっと困った顔をして見せる、ウチのムッちゃんには寛いで欲しいとシミジミ思う。

膝の調子は前にも増して悪くエアー・ギブスをはめている。強気のオバハンにも一抹の不安が漂い出した。
「時間が経てば治ると思うンだけど」
「いや…、歳には勝てまへんデ、無理は禁物です!」
「ムム…ム……」
若い者には思いやりがない……、前向きなオバハンを不安に陥れるとは……。
日本へは行きたくないが、行かねばならないとしたら……いろいろ考えて久々に悩んでいる。

■□■2002年04月19日(金)■□■
日本で痛めた膝を、「負担をかけないように」というアフガン人医師のアドヴァイスで、大切に大切に庇っていたのだが、「使わなければ筋肉が落ちて戻らなくなる!」と右翼のT先生に叱られ、筋トレを始めた。息子には「アンタには加減というものがないのか?筋トレを始めたら朝から晩までそればかりか……」と叱られたが、3日で足は普通に動くようになった。
「ヨシ、普通に歩ける!ヨシ、大丈夫!」と、何度も自分に言い聞かせ喜び、翌朝は10時半になったからと、ラワルピンディの某バザールへ出かけて見た。なにしろ、そこへ行けば難民用に寄付されたとおぼしき、某有名シロクロ社とやらの服が買えるとかで、それを見逃す手はないし、何かの取材でも使えるかと考えた。

サマー時間が施行になり、10時半は10時半と出かけてみたが、バザールは従来通りの時間帯になるまで開かず。ノロノロと噴水の掃除をしている男に目を奪われ、階段でバランスを壊し膝の後ろの筋だか腱だかを思いっきり伸ばしてしまった。人目も構わず事務所の大住にしがみついて痛さの余り震えていたが、「くやしい!」
いい男に目が眩んで痛い目にあったのなら、まだ許せる!
いい男でなかったのに目が眩んだ自分に悔しい!許せない!

■□■2002年04月17日(水)■□■
カルザイ議長、その他アフガニスターンの大臣たちがザヒール・シャー元国王を迎えにイタリアまで出向いて行ったという。臆病で猜疑心が強く、アフガン国民のためには何もして来なかった元国王と非難は多いが、カンボジアの例に従ってシアヌーク国王をして国を取りまとめたように、アメリカ(国連)はザヒール・シャー元国王を戴きたいようだ。
それにしても、カルザイ議長をはじめ大臣たちが出向いてまでも迎えることはなかろうと思うのだが、アフガンにも国をまとめるだけの人材がないという悲しい現実だ。

喘息?気管支炎?がやや治まり体調が良くなって来たせいか、時間切れで中途半端のまま置いて来たカーブルでのプロジェクトが気にかかり出した。緊急以外は食料援助をしないかわりに、自活のための生活全般に対する支援をしようというわけで、今年はいろいろな分野に試験的に手を伸ばす。
そんなわけで何しろ気持ちだけは忙しい。

■□■2002年04月14日(日)■□■
イスラマバードへ帰って来たら、急に喘息?気管支炎?がひどくなって、動けなくなってしまった。事務所の大住からは「次からカーブルへ行くのを禁止!!」と、大目玉を貰ってしまったが、「家出してでも行くもんネェ!」と憎まれ口をきいて、またまた怒られている。
オバハンにとっては、パーキスターンが世界で一番素晴らしい国だが、ヘヘヘッ…、『アフガン難民を支える会』などと、格好の良いことを言いながら、その実、新しい事柄に自分自身の気持ちがしゃかりきに?なっているだけ。

カーブルでは、初日には水もなく、台所にプロパンガスもなく、風呂なし(シャワーもない)、2週間とも事務所の長座布団で寝袋をかぶりながらの雑魚寝だった。
「新しい縫製学校は掃除をしてペンキも塗りなおしておけ!」と言ったにもかかわらず、職人が見つからない等で何も出来ていなかったし、高所でのジャガイモ栽培試験場(300坪くらい)の借り賃は、年間1500$だなどと、何もかもが人をバカにした話し。
しかし、街は前回に比べると更に活気が増しており、アチコチで結構建築が開始されている。職人は引く手あまたで高額の日当を要求するが、まぁ仕方がないか……。
反面、バザールの土産物屋は、パーキスターンから帰還して店を出した者が凄く増えたせいか、値段競争となってペシャーワルの2倍程度に落ちついていた。

出発前の説明会で「何事もスムーズに行ったらパーキスターン(アフガン)ではない!」と、今回のカーブル行き参加者11人に訓戒を垂れたが、本当に毎朝昼晩と10回くらい復唱したと思う。

■□■2002年04月11日(木)■□■
ただいまぁ!
カーブルから、陸路を揺られながら元気に帰って来ました!
飛行機ではたった1時間の距離が、車ならまるまる14時間も楽しめるので、オバハンは大満足!
戦車で深くえぐられた道では、前など殆ど見えないほどの土埃が舞い上がり、ペシャーワル方面から次々とやってくる、帰還難民(特に子供)たちの明るい笑顔も定かには見えないほどの凄さだったが、土埃の合間に子供たちの手を振っているのがチラリと見えたり、家財道具を満載のトラックやバスとひっきりなしにすれ違い、空のトラックを追いぬきながらと、強盗などが出る暇もないくらいに、賑やかな道中だった。

ジャララバード近くになると、カーブル川が水流を集めて広くなり、川の両側にも厚い緑のじゅうたんが広がり出し、あちこちでパシュトゥーン族が栽培するケシの花が満開。 スッキリ立ちあがったケシ坊主に近寄ると生阿片の生臭い匂いが体を包むのにギョッとしながらも、ケシの花の妖艶な美しさを「来年のカレンダーのために!」と、意欲的に写真を撮る。
国連がケシ畑(阿片を作る)2000uにつき250$の代替金を出すというのに、それを納得出来ないとして栽培している住民たちが道路を封鎖、ここ3日ばかりはデモンストレーションで荒れ、撃ち殺された人もあるというのに、悪運強くオバハンたちは、そこを何事もなく通過した。

トルハムの出入国事務所に到着したら、時計が1時間半も進んでいる。パーキスターンでは4月から、サマー・タイムとやらが導入され、陽は高いのにアッという間に時間だけは夕方。
入国審査が終ると、出迎えに来てくれた事務所の運転手の安全運転に体を委ね、ウルドゥ語の通じる世界にホッとする。報道陣を始め、カーブルへ行った人の多くがペシャーワル(イスラマバード)までたどりついたら文明国に戻った!食事が美味しい、風呂に入れる!天国だと大騒ぎをしているが、オバハンには安全運転の車、言葉が自由に話せるというだけで幸せ、天国。
風呂? 汚くて死んだ話しは聞かンというに、何を騒ぐのか。オバハンにはまったく理解が出来ない……。