12.アンペイドワークについて考えてみました

アンペイドワークとは、日本語では一般に「無償労働」と訳されています。これは、家庭や地域において、お金は支払われていないけれども、人々の生活の維持に関係している「地域活動」「PTA活動」「家庭内介護」「育児」などが相当します。

日本の場合は、かつて(現在も?)24時間=就労+余暇で成り立っていると考えられる場合が多いように思います。(特に経済学においては)しかし実際は、就労でも余暇でもなく、貨幣価値としては成立していないけれどもお互い人間として存在するためには必ず必要な活動があるはずですよね。

育児や、地域の子育て環境の整備などは、まさにここに分類されるものですが、どうも経済優先の日本においては、ないがしろにされているように感じます。

そこで、このアンペイドワークに注目することにより、子育てに関係する人の価値をもう一度再認識することができるのではないか?、子供を産みたい・育てたいと願う人々の努力が目に見えやすいものになるのではないか?と考えました。

下の表は、一人当たりの年間無償労働評価額を当時の経済企画庁が算出したものです。算出方法としては、いくつかの手法があるようですが、今回はもっとも明確な(簡単な?)OC法による集計を採用いたしました。

一人当たりの年間無償労働評価額(1991年 OC法による※1)  単位:万円

  平均 15〜
19歳
20〜
24歳
25〜
29歳
30〜
39歳
40〜
49歳
50〜
59歳
60〜
64歳
65〜
69歳
70〜
74歳
75〜
79歳
80〜
84歳
有配偶者 有業 176.5 67.7 122.5 180.4 212.1 183.8 155.8 146.3 135.3 126.3 124.7 74.4
無業 276.2 162.1 258.5 337.8 355.1 302.5 264.3 240.3 201.3 178.2 154.6 105.6
有配偶者以外 66.0 17.4 31.6 50.9 87.6 114.1 133.1 146.2 135.0 122.7 101.4 105.6


  平均 15〜
19歳
20〜
24歳
25〜
29歳
30〜
39歳
40〜
49歳
50〜
59歳
60〜
64歳
65〜
69歳
70〜
74歳
75〜
79歳
80〜
84歳
有配偶者 有業 31.4 10.0 20.1 27.4 34.7 31.9 32.2 27.5 27.6 25.5 23.5 23.8
無業 59.0 20.6 126.7 62.8 61.9 81.9 93.5 70.7 67.9 56.0 49.1 34.0
有配偶者以外 18.0 6.9 12.3 14.7 23.7 40.4 62.9 69.9 72.5 72.4 52.9 47.1

資料出所:経済企画庁「無償労働の貨幣評価について」1997年

この金額をご覧になって、いくらなんでもそれは高いんじゃない?とお感じになるでしょうか?それとも安過ぎる!!とお感じでしょうか・・・。
男女の差や、年代の差によってその感じ方は大きく異なるかもしれません。
(私が、社内の女性に聞いた限りでは、昼間の就労を10とした時に、5ぐらいかな?って答えが帰ってきましたけれど・・・。)
それ以前に、こんな算定をすること自体がおかしい!とお感じでしょうか?

家事・その他の値段を、貨幣価値に置き換える「乱暴さ」は承知の上で、私たちの生活は、このアンペイドワークに追っている部分がいかに多いか。また、有業・無業にかかわらず、男性はいかに女性に「無償労働」を強いているのかが良くわかります。

この金額のうち、いくらが子育てに費やされているのかはわかりませんでした。
しかしながら、特に乳児期の子育ては、日々の掃除や洗濯に比べて、肉体的にも精神的にも多大な労力を費やしていることは容易に推測できます。介護の問題も同様です。程度の差はあれ、地域の諸活動も同じだと思います。

生活時間の国際比較「NHK放送文化研究所」1994年
  仕事(時間)   家事(時間)
日本 男性 7時間15分 0時間31分
女性 3時間49分 4時間41分
カナダ 男性 5時間27分 1時間46分
女性 3時間12分 4時間09分
アメリカ 男性 5時間45分 2時間04分
女性 3時間13分 4時間18分
イギリス 男性 4時間33分 2時間07分
女性 2時間18分 4時間31分
オランダ 男性 4時間19分 2時間03分
女性 1時間20分 4時間53分
デンマーク 男性 5時間04分 1時間38分
女性 3時間22分 3時間11分
フィンランド 男性 5時間00分 1時間57分
女性 3時間32分 3時間37分


日本では、豊かさ=経済の発展というふうに、短絡的にとらえてきた過去があります。しかしながら、私たちが、本当に豊かさを実感できる社会というのは、有償労働のみならず、むしろこのようなアンペイドワーク(多大な無償労働)が正当に評価され、それらに従事している人/これから積極的に取り組もうとしている人達が、胸を張って生きていける社会ではないでしょうか?
特に、子育てを行っている人は、もっともっと尊敬されるべきだと思いますし、社会はそのサポートをすべきだと思います。単に経済的な支援だけではなく、心の問題として・・・。

最後に、確認の為に申し添えたいと思います。
この「アンペイドワークにスポットをあてる」ということは、家事の値段を求めることにより、男性・女性のどちらがよく働いているか!貨幣価値の高いのはどちらか!どちらがエライのか?を考え、比較しようとかするものではありません。
この項目の目的は、世の中にとって、なくてはならないアンペイドワークがいかに大きなウエイトを占めているのか?いかに大切なことが、私たちの意識の中から欠落しているか?ということを再認識しようとするところにあります。

私は、一方的に女性を援護する立場でもありませんし、経済活動を軽く考えることもしていません。しかし、たとえば、育児や地域活動にかかわる全ての人々(勿論、男女とも)が、もっともっと尊厳のまなざしで世の中に受け止められることにならなければ、普通の生活すら危なくなっていくのではないかと感じています。

いつもそうですが、この項目もただ単に、ひとりごとで終わってしまいました・・・・・。スミマセン・・・。

※1→OC法
機会費用法ともいわれ、アンペイドワークした時間に、年代別・性別の平均賃金をかけ合わせて産出された額で、もし賃金として受け取ったとしたらどれだけの貨幣を獲得することができるかを表す数字となります。

他の算出方法としては、RC法があります。これは、代替費用法といわれ、家庭での家事などを他のサービス業が代行したらどれだけお金がかかるか?を算出したものです。洗濯ならクリーニング店などです。


13.結婚しないということは、権力への疲労?

結婚って、何の為にするものでしょうね。と言っても、私自身が結婚相手を探しているわけでも、今の結婚生活に疲れたから。。。でもありません。少子化の原因は、女性の高学歴化であるとか、晩婚化であるとか言われますが、理由は単純に未婚化が原因です。では、何故結婚しないのか?そんな事を考えてみました。

このHPを作った頃、私は「何故子供を持たないのか?」「結婚しないのか?」不思議で仕方なかった時期がありました。従って、最初の頃の文章はほとんどその論調です。しかし、もし結婚しない理由が、次のような事であったとしたら反対などできないし、むしろ歓迎すべきではないのか?との考えに変わってきました。
今回の項(いつもの事ですが)は、そんな私自身の心境の変化?を書きとめようと感じました。(これまたいつ変わるかは、わかりませんが)


@ 女性にとって、結婚しないのは「権力に対する疲労?」

世の中には、様々な関係が存在しますが、多くは何らかの権力を持つ者と、持たない者との関係です。例えば、男女の関係・夫婦の関係・上司と部下の関係・嫁姑の関係。。。etc
稀に心地よい権力関係もあるでしょうが、ほとんどの場合、弱い立場の人間にとって居心地の悪い関係になっています。そして、居心地の悪い人々が圧倒的に多いような気がします。

また多くの場合、女性は「権力を持たない」存在として位置付けられているのです。たとえそこに血のにじむような努力があったとしても。。。例えば、TVなどで成功したごく一部の女性経営者が、シンデレラのように取り上げられているのはその裏返しですよね。

今の社会は、一体誰のものとなっているのでしょうか?誰にでも、可能性があるように見えながらその裏においては「厳然たる取捨選択」が存在するのです。そして、このような実感は、他方に振り分けられた者のみが思い知る事となるのです。もし、女性がこれらの仕組みに気づき、嫌気が差し、声なき批判の態度として、非婚を選択したとすればその勇気を尊重すべきだと思います。

ITの普及で、インターネットやチャット・メールが大流行となっています。そこに、相手の顔はないものの、どちらかが一方的に気を使い、どちらかが一方的にくつろぐ関係は存在しないのです。男女の区別も、腕力も、収入も。そんな人間にとって副次的な装飾品で区別されない世界が目の前に現れたのです。

女性は、人間本来の結びつきを目指しだしたのだと思います。
権力が存在しない、疲れない関係を求める女性が少しずつ増えてきたのだと感じます。

「女だろ!」「母親だろ!」その一言で済まそうとする世の中への批判が、非婚という形に現れているのであれば、非婚の結果の少子化は容認すべきだと考えます。


A 男性にとっても、結婚しないのは「権力に対する疲労」?

他方、権力を持つ者(もしくは強いと思われている者)は、常に心地よいでしょうか?
例えば、男が外で生活費を稼ぎ、家族を養い、必要に応じて最善の決断を求められ、一家の大黒柱としての威厳を求められることが当たり前の社会があります。
これは、戦後高度経済成長期に形成された比較的新しい形態であるのにもかかわらず、さも大昔から存在する伝統であるかのように語り継がれています。そして、女性の社会進出が再び著しくなったとしても昨今においても、多くの意見がここにあります。この「男らしさ」に対する疲労も、一種の権力構図における疲労と考える事はできないでしょうか?権力を維持して行く事は、並大抵のことではないのです。

このような事を書くと、「それはフェミニズムへの悪乗りだ!」とか、「だから、最近の男は根性がない 云々!」のご意見が聞こえてきそうです。確かに、現在の社会生活は男性にとって有利に構成されていますし、その恩恵を享受している男性が多くいます。
しかし、男にとっても今の世の中のシステムを後何十年も維持して行く事はできませんし、すでにあちらこちらで明らかに矛盾が噴出しています。

結婚しない理由が、男性自らが「男らしさへの疑問」=「権力維持への矛盾」に気づき、自分には向いていないという事を自覚した結果の行動であるとすれば、それは賛成すべきだと考えます。何故なら、人は「できない」と感じた時に初めて問題解決の可能性を得られるからです。全ての男性が、良き夫となり父となり、出世できるわけではありませんし、またその必要もないのです。

「男だろ!」「男なんだから!」その一言で済まそうとする世の中への批判が、非婚という形に現れているのだとすれば、非婚の結果の少子化については容認すべきだと考えます。


14.選択性夫婦別姓を考えてみました。

 

一般に少子化問題とは、子供の数が減少し、経済の減速・各種公的年金への影響・労働力不足などと言われています。しかし、私がとらえる少子化問題とは、あくまでも子供を出産したい・その命をはぐくんでいきたいとする意思のある方の、その思いが外的要因によって阻害されている状況そのものであると考えています。

つまり、経済の減速・想定される社会への悪影響は、少子化問題のまたその先の問題であると考えています。
勿論、子供の数が減ることによって生じる結果に対しては、社会の仕組みを再構築し慢性的な少子化状態においても豊かに生活できるシステムを早急に作り上げていく必要があるとは思いますが・・・・。

端的に出生率が下がっている主たる原因は、未婚化もしくは非婚化です。ではどうして未婚化・非婚化が進んでしまっているのでしょうか?女性が経済力を蓄えてきたから?男性がだらしなくなってきたから?それらはけして間違いではないと思いますが、各種調査によればそれでもやっぱり結婚したいとする意見が圧倒的多くを占めています。結婚したい。けれども結婚できない。もしくは結婚に何らかの躊躇を感じてしまう。それが、現実的な回答ではないかと感じています。とすれば、そこには躊躇せざるを得ない何らかの事由があるはずです。

今回は、結婚に対して躊躇せざるを得ない一つの原因ではないかと思われる「家制度」の出発点・夫婦同姓について考えてみたいと思います。選択的夫婦別姓を制度化すれば、すなわち婚姻率が上昇するなどと短絡的に考えているわけではありません。まして子供の数が増えるのではないかなどと考えたわけでもありません。
この問題を取り上げたのは、夫婦別姓など内面的な問題をクリアーしない限り、人間が楽に生きていくことが出来ないのではないかと感じたからです。
楽とは、「てきとー」とか「モラルも無い社会」ではなく、人間本来の良さが出しやすい社会を指しています。少子化問題は保育園の充実・児童手当の拡充など制度の変更によってのみ解決されるものではないと思います。またそのような事由だけで子供の数が増え始めたとしたら、それはそれで怖い事だと思います。人間がのびのびと豊かに生きることが可能となり、そして命の大切さ・尊さを再認識する事が出来てその上で初めて少子化問題が解決しない限り、そこで得られた答えは偽物と考えているからです。

選択的夫婦別姓とは? 96年2月に法務大臣(当時)の諮問機関である法制審議会がまとめています。
その要綱によると、
@夫婦は結婚に際して同姓にするか、互いに結婚前の姓を名乗るかを選択することができる。
A別姓を選んだ夫婦は、あらかじめいずれかの姓を子供の姓として届け出る。
B兄弟姉妹は、同一の姓(子供の姓の同一)などが柱になっています。

全国の成人男女5000人に対し、「選択的夫婦別姓制度を実現するために、(民法を)改正しても良いか?」との世論調査(内閣府が01年5月に実施)に対して、次のような結果が出ています。

賛成である 42%   年代別では、20代女性→52.1%、 30代女性→52.9%
        20代男性→51.4%、 30代男性→52.7%
ただし、実際に別姓を希望する →18%
反対である 30%
わからない 28%
旧姓の使用は認める を含めると賛成派は65%となります

との答えが出されています。また、旧姓の使用は、現在上場企業など372社のうち、22.8%が認めており、都道府県においては16県が、国においても01年10月から容認しています。
私がこのアンケートで おもしろいな!と感じたのは、男女とも20代よりも30代に賛成派が多いことです。これはつまり「結婚前よりも、実際問題として不自然であったり不都合である」と感じている方が多いのでしょうか?
それとも、30代未婚の方に同姓化へのアレルギーが根強く残っているからでしょうか?

夫婦別姓について 容認派と反対派のご意見は一般的に次のように集約されると思います。

容認派→    @男女共同参画社会実現の為に不可欠
A実質的に女性が男性の姓を名乗らざるを得ない事への反発
 (現在では婚姻する女性の98%前後の方が男性の姓へ届けています)
B女性の各種届出書類などの煩雑さ解消のため
反対派→ @姓は生活最小単位である家族統合の象徴である
A子供の成長への悪影響・離婚率上昇など社会不安定化が増大する
B通称姓の使用で差し支えない

 

容認派・反対派のご意見はHPにおいても書物においても色々なお考えがあり、それぞれもっともだと感じる事もあります。
皆さんは、如何お考えでしょうか?

私個人は、下記のように感じています。何のご参考にもならないと思いますが、少子化問題を根本から解決しようとすると夫婦別姓問題もどうやら避けられそうにありません。ご一読いただきご意見を頂戴できれば幸甚です。

@夫婦別姓<方向性として>には賛成です。

A但し、選択的別姓には反対です。

B早急な法制化には反対です。

上記@〜Aの根拠は、下記の通りです。

@夫婦別姓<方向性として>に賛成です。

前述のとおり、約98%の女性が婚姻時に男性側の姓へと改正されています。
民法においては、男女の性差はどこにも存在しないにもかかわらず、このような一方的な数値は実質的に男女間格差を容認しているかのようにも受け止められます。

多くの反対派は、一家庭二姓となれば家族同和が薄らぎ不安定な社会を迎えてしまうというご意見を述べられています。特に幼児期の子供に対しては影響が大きすぎると・・・。確かにご意見の全てを否定できるものではありません。なぜならそのような経験が無いからです。ただ、我が家においてはどうだろうかと考えると、一緒に寝食をともにしているという繋がりが重要なのであって、同性であるという必然性はあまり感じ取れません。

また、反対派の方には、通称使用によって問題なし!とのご意見もあります。通称使用はあくまでも職場においてのみ個の存在を認められるものであって、女性は対価を得る職に就く方ばかりではありません。むしろアンペイドワークに従事している方も多いのです。また、アンペイドワークにも尊い仕事が多くあります。
夫婦別姓は、女性の社会進出を促す目的のものではないはずです。たとえ夫婦であっても個は存在すべきだと思いますし、お互いの個を認める、つまり違いを認識する事が結果として相手を尊重できるようになるのではないかと感じています。夫婦だから!家族だから!そんな言葉の暴力も減少していくのではないかと思います。

A選択的別姓には反対です。

理由は明白で、例えばあるカップルが夫婦別姓を選択したとします。そのカップルがそれぞれの両親から、手放しでの祝福を受けるでしょうか?特に男性の両親から・・・・。
「うちの息子は好きだけど、私たちは好きじゃないってこと?」
「同じお墓には入りたくないってこと?」
現実的にこんな考え方は存在しないでしょうか?新婦となる女性の苗字がよほど有名で経済的価値を持ち合わせていない限り・・・。

私が、別姓に賛成する理由は、人間が気を楽にして生きていけるのではないか?との期待からです。現在においては、選択的という選択肢を設ける事によって余計に不自由な思いをする方が増えるのではないかと危惧します。
故に、カップルとなる全員が別姓とするのがベターではないかと考えます。もしくは、夫婦で共通のセカンドネームを創出して新しい門出の祝福とするのは如何でしょうか?ただ、私の職場の女性に改姓について聞いたところ、「相手の姓になって幸せを感じる事もある」との意見も想像以上に多かった事も事実です。

B早急な法制化には反対です。

反対派が強調されるように、夫婦別姓は事実上、事実婚を認める事になります。現在、日本においては事実婚カップルをサポート《特に、そこで生まれた子供に対して》できる体制が整っておらず、もっとも声無き存在を擁護できないうちに制度化のみを推し進める事は、良くない結果を招く事になります。非摘出子は、法律上相続時に差別を受けるばかりではなく、就職・結婚時においてもいまだに無意味な区別を受けている事実があります。まして、男女間の事実婚を認めることは、同性愛者の事実婚を認める事に繋がっていくことになます。

同性愛者の事実婚を否定するものではありません。あくまでも現時点において、養子として迎えるであろう子供たちの権利が保障されていない事を危惧するためです。

また、現在の夫婦別姓容認派の中には、賛成理由として、女性を「働き易くする為」「社会進出し易くする為」といった労働力確保を目的としているご意見も見え隠れしています。純粋に夫婦別姓の目的〜人間が楽に生きられる為に〜がないがしろにされている気がしてならないのです。

 

本文にもありますが、少子化問題は経済的支援によってのみ解決される問題ではなく、もっとメンタルな問題も含んでいると考え、今回は夫婦別姓を取り上げてみました。あたりまえの事ですが、私の意見が正解だとも思いません。ただ、このような問題も取り上げ皆で考えていく必要があるのではないかと考えました。皆さんの実直なご意見をお願いいたします。