10.児童手当を考えてみました

2000年の6月より、児童手当法改正が行われました。この結果、第1子・第2子に5000円/月、第3子からは、10000円/月が、小学校入学前まで支給されることとなりました。改正前までは、「3歳未満」に限定されていましたから、見かけ上の支給総額は拡大されたことになります。しかしながら、その財源は、昨年度に実施されたばかりの「子育て減税」の廃止によるもので、所得中堅層以上においては、増税になっています。

この、児童手当には、大きく二つの問題点が含まれていると感じています。

(1)所得制限という観点から

人口問題審議会が、1999年のフランス・ドイツ・オランダ・デンマーク・スウェーデン・イギリス・アメリカ・日本の政策をまとめています。それによると、児童手当に親の所得制限を設けているのは、日本だけ。(ただし、アメリカには児童手当の制度そのものがありませんが。)支給対象年齢においては、フランス・イギリス・スウェーデンが16歳未満まで、ドイツ・デンマーク・オランダは、18歳未満まで。となっています。

児童手当は、現実的には親に支給されるものですが、この手当ての真の目的は「子供が健やかに育つために!」ということに他ならないはずです。別項の、「保育に欠ける子?欠けない子?」とも関係していますが、親の所得がある水準以上であれば、それは「保育に欠けない」「健やかにかに育つ」と同義語と考えてよいのでしょうか?私個人はおかしいように思います。

このHPの掲示板においても「所得の多い人は、子育てにおいても多くの負担が当然」というご意見を戴くことがあります。しかし、それはすでに異常なまでの所得税で吸収されているハズで、子育てという観点においては全く別の問題だと考えています。

親の所得によって、「真に子供の成長を願う」ハズの児童手当が支給されたりされなかったり・・。
このような考えたかは、裏返せば、「金持ちは、自分で子育てしなさいよ!。それでもダメな人だけ補助してあげよう!」と感じてしまうのです。

私が、所得制限を撤廃したほうがいいんじゃないか?と思うのは、支給される金額の絶対値を言っているわけではありません。確かに子供二人いた場合に、毎月10000円もらえれば嬉しいわけですね。しかし、自らの意思で生みたい・育てたいという人にとっては、あまり意味の無い金額かもしれませんね?
あと10000円有れば、もう一人子供を産もう!なんて発想はナンセンスに近いと感じます。
従って、所得制限を撤廃したからといって、すぐに少子化対策につながるとは思っていません。

それよりも問題なのは、子供や、子供を持とうとする人を社会全体で支えようとしていないことだと思います。つまり、出産・子育てという行為を「尊敬の気持ち」で見ていないんですね?
子供を持つ持たないは、個人の意思で決定されるべきものです。しかし、「新たな命を育む」という尊い行為に対しては、最大限の敬意を払うべきだと思っています。
そんな観点から、親の所得により児童手当の支給を区別するということに反対します。

(2)受給時期という観点から

現在の児童手当は、前述の通り「小学校入学まで」と規定されています。子供が生まれたら多くの費用が発生するから、産まれてから財源の許す時期まで・・・。という発想になっているのだと思います。しかし、子育てされた家庭であれば、実感としておわかりいただけるかと思いますが、二人目以降の場合は、一人目のお下がりを流用したり、子育てに対する精神的な慣れがありますから、あまり「二人目が生まれたから」といって、驚くような費用は発生していないのではないかと思います。(少なくとも我が家の場合はそうでした。)

となれば、仮に財源にゆとりがないとしても(これもおかしな話だと思いますが)、その支給時期を各家庭の都合によって、「我が家は、むしろ中学入学からお金がかかりそう」とか、「やっぱり、産まれた直後から受給したい」とか、選択することは困難なことでしょうか?もちろん、金額を一時金でという選択肢もあろうかと思います。

もともと、多くの手当てを受給しているわけではありませんが、せめて、的確な時期に受給が可能だとすれば、もう少し「児童手当」が生きてくるのではないかと感じています。

登録制でも良いかもしれません。クーポンを配布しておいて、受給者の申請により支給するとか・・。手続きとしてはけして難しいものだとは思えないのですが・・・。おバカな地域振興券だってできたんですから。朝飯前でしょ!?

お役所仕事と言ってしまえば、それまでですが、その根底には、(1)でも述べたように子供の成長を願って支給しようとする考えではなく、あくまでも「形だけ」してやっている!という気持ちが現れているように感じられて仕方が無いのです。

有難いことに、HP読者の方から、掲示板や直接メールにより多くのご意見を頂戴しています。
しかし、そういったご意見を賜るごとにますます感じが強くなってきたのです。
「少子化は、制度の問題ではない。出産・子育てという行為が尊敬に値していない。それが真の問題ではないか!?」

それは、どこからきているのでしょう?親となる世代が受けた教育?宗教感?それとも先進国特有の避けられない産物?心の中は、モヤモヤでいっぱいです。

今回は、その考えの現れのひとつである「児童手当」について考えてみました。
「考えは良いけれど、財源はどうするの?」そんな声が聞こえてきそうです。橋をかけるのも箱物をつくるのも大事でしょう!しかし、同じ土俵で考えないでもらいたいと思います。単に人口維持を願っているわけではありません。人間としての尊厳にも係わるような問題なのですから・・・。

生む・育てるという事に尊敬の念を与えなければ、「生きる」ということもないがしろにされて当然です。「生きる喜び」がなければ、学ぶ目的も、働く意欲も希薄になってしまいます。学校の崩壊や、社会人のモラルの崩壊もひょっとすると無関係ではないかもしれません。


 

11.女性の就労条件の社会的不備について考えてみました。

 

現在の少子化の原因については、多くの諸説がありますが、端的には未婚率の上昇が最も直接的な原因であると感じています。理由は次の通りです。

@1970年代以降、子供の数は減りつづけているが、1組の夫婦あたりでは、約2.2名で推移している。
A日本の場合、婚外子は全体の1%程度で安定?している。
B純粋に未婚率が上昇している。

女性の未婚率
25歳〜29歳 1975年 21%
1995年 48%
30歳〜34歳 1975年 8%
1995年 20%

もし、この仮説が正しいとし、今後婚外子の比率が飛躍的に高くならないとすれば、未婚率そのものが下がらなければ、出生率は回復しない事になります。では、何故未婚率が上昇しているのでしょうか?色々な理由がありそうですが、今回は、「女性の就労についての社会的不備」という点を中心に未婚率の上昇・出生率の低下を考えてみたいと思います。

女性の就労条件の社会的不備とは、次のように考えています。


@子育て期間における、収入の機会損失が大きすぎる。(短大卒で、6300万円)
  ⇒短大卒の女性が正社員で就職し結婚・出産で退社した後に、正社員として新たに採用されたとしても退職金まで含    めた生涯賃金は、約6,300万円に達するとの推計。 (平成9年度国民生活白書・経済企画庁)

A経済的不況によりフルタイム職種を手放せば、男性以上に再度正社員として雇用される可能性  が極めて低い。
  ⇒男性も同じですが、女性はもっとヒドイ状況です。

B高度成長期の都市形成を見れば、住職別域となっており、三大大都市圏において子育てをしな  がら女性の体力で往復2時間を超える通勤は現実的ではない。
  ⇒男でも大変なのに、これでは女性はフルタイム労働ならぬ、オールタイム労働になってしまします。

C正社員か、希望しない職種で、しかも収入も半減してしまうパート社員かのどちらしか選択肢がな  い。
  ⇒何だか、働き方が画一的ですよね。80%労働とかあれば良さそうなのに・・。

E育児休業というハードは整備されたが、運用していこうという雰囲気が感じられない。
  ⇒男性の育児休業なんて、ニュースにさえなりますよね。

F特に女性の再就職のための教育プログラムが皆無である。
  ⇒ドッグイヤーと言われるように、毎年求められる能力が著しく高まっており、離職はキャリアアップの大きな妨げとなる

直接未婚率の上昇とは関係ないかもしれませんが、下記のような不備もあります。

@男女雇用機会均等法が出来てからも、男性は総合職、女性は一般職という新たな呼称で間接的  に差別を受けている。
  ⇒ある調査によれば、女性の55歳の給与は、大卒男子の27歳と同じとか・・・。特に、男女雇用機会均等法が出来て    から、益々賃金格差がひどくなっていると言う報告もあります。


思いつくままに列記しましたが、これでは、女性はせっかく掴んだ正社員の椅子を手放して、結婚し、ある一時子育てに時間を割こうとは思わないですよね。特に、キャリアアップと重なる時期に・。
最近、女性の専業主婦志向が高まっているというデータもあります。しかし、これは何も、就労を拒否しようとするものではなく、現在の就労に対する憤りの裏返しではないかと感じています。

欧米のデータを見ると、女性の就労率が高くなれば、出生率も高くなるという傾向があります。就労率=安定した収入=精神的にも経済的にも自立できる。そんな構図があるのではないかと思います。

勿論、実際に子育てをしていく為には、保育所の問題も、住宅面積の問題も、医療の問題も多くの事を解決していく必要があります。しかし、その前に、女性が経済的にも・精神的にも自立できる社会を造らない限り出生率の上昇はあり得ないと感じています。

また、この問題は女性だけの問題ではなく、男性の働き方にも大きく影響しています。単に女性の問題として捉えるのではなく、もっと社会問題として捉えていく必要があるのではないとかさえ思っています。(あの通勤時間は、男性にとっても過酷ですよね?)

男性は、外でお金を稼いできて、女性は、家事・育児に大きな責任を持つ・・・。このような考え方が変化する事もなく、女性の就労条件も整っていない為に、男性は上がる保証もない給料を求めて過労死までして働きつづけるのです。女性の就労条件改善は、未婚率を低減させるばかりか、男性自身にも精神的余裕を与えます。男性を企業中心生活から解放することにより、地域の活動や、育児参加の機会が増えるのではないかと感じています。

女性の労働条件不備は、間違いなく未婚率を押し上げ、結果として少子化問題に関連していると思うのですが、如何でしょうね???もちろん、女性の働き方だけではなく、男性の働き方も同時に変更する必要があると思うのですが・・・。
財界リーダーの皆さんの再考をお願いしたいところです。

追伸:
複数の方から、この項をご覧になった上で、次のような考え方も頂戴しています。
「そのような考え方は、フェミニズム論を利用した男性の現実逃避では???」
うーん、そうかもしれない。いや、違うかもしれない・・・・・・・・・。
(2001年1月8日追記しました)