雑貨主義


[No.4] 整理王の休日

少し休みができたので、
ほうぼう、大掃除をしている。
引っ越しの後、段ボールが山積みになって、
眠るためだけの部屋。
仕事するだけの部屋。

あれほどまでに、頭では思い描いているのに、
くつろぐ余地がいっさいない、とんでもない部屋が、
ここにある。
このままでも、生活はできる。
別に、不便はない。
ときどき、段ボールにぶつかって、
いろんなものがひっくり返る以外は。
ああ、このままでは。
一生、このままになってしまうかもしれない。

そういう危機感に突き動かされ、
ついに、部屋らしい部屋になるよう、
大掃除を始めた。

机を動かし、棚を動かし、
棚やら、引出やらの中を、出したり入れたりする。
PCの付属品をまとめるべく、
もの入れを買ったり、陰気な壁に向かうのを嫌い、
机の前の壁に、花を透き込んだ、厚手の和紙を貼る。
模様替えやら、片づけやらは、
やりはじめ、完成後の姿が垣間見えはじめると、
楽しく、嬉しい。

未だところどころに、収まるところが見つからない、
段ボールや、新聞の山があるが、
それぞれこぢんまりと片づき、ようやっと息をつくことができた。

ここ最近、この勢いで、書庫を整理している。
棚にそれぞれの本の居場所を決めていく。
場所が決まれば、すいすいと、
吸い込まれるように片づくから、ほんとうに清々しい。
次は、不必要な本やファイルやら捨てることができれば、
言うことはないのだが。

宝とも言える、古い本を前に、
にわか整理王は、嘆息する。
大事な本なのに、これらの本を読むことは、
とても難しい。
なぜなら。
古い本は、目に見えない誇りにまみれていて、
アレルギー症の私には、
涙と息苦しさ無しには、読むことはできないのだ。

しかたない。
次は、マスク持参で、本を乾拭きしよう。
ちょっと、快調な整理王であった。

(シィアル ,010810)




[No.3] 挫折の家

「羅刹の家」という、ドラマがあった。
どろどろの嫁姑ものであったか?
それよりも、さらにどろどろなのが、
私の部屋である。

自称、雑貨王は、挫折している。
部屋は、できれば、SOHO風の仕事部屋と、
おうちCafe風のくつろぎ部屋にしたかった。
仕事部屋と、くつろぎ部屋はどちらも中途半端で、
どう見ても、雑貨スタイルではない。

問題は、持ち物が多すぎること。
インテリア雑誌の、グラビアの部屋はどれもこれも、
さっぱりとしている。
選び抜かれた家具が置かれた部屋には、何もない。
本の山もなければ、ビデオの山もない。
散らばった、鉛筆やボールペンもない。
積み重なった新聞も。
そんなものは、グラビアの部屋のどこにも見あたらない。

仕事に追われ、地道な生活を送っている間は、
挫折の部屋のまんまで、
なかなか雑貨王的くつろぎの部屋にはならない。
どろどろの部屋で、
今日も泥のように疲れた身体を休めてている。

(シィアル ,010720)




[No.2] 雑貨の城

引っ越しを終え、やっと、自宅の部屋も片づいてきた。
片づいてきたとはいえ、雑然と棚に物を押し込んだだけで、
味も素っ気もない状態である。
雑貨王としては、つらいところだ。
とにかく、収納が下手な上に、十分な収納スペースがないので、
多くが箱に入ったまま、再び来るかどうかわからない、
開封の日を待ち続けている。
雑貨王を自称するだけに、物持ちである。
半端ではない。
捨てるのが下手だから、物に埋もれている。
比喩でないのが怖いほどだ。

考えてみると、私の雑貨の城は、恐ろしい空間である。
純然たる日本家屋なので、鶯色の砂壁に御所車のふすま。
そこにローラ・アシュレイのカーテンが掛かり、
さらには、目隠しのためのカフェカーテンまでかかっている。
無機的なパソコンが並び、細々とした小物が
棚いっぱいに充ち満ちている。
これでいいのだろうか。
雑貨王だって、悩んでいる。
悩んでいるが、これが平均的な日本の家庭事情だと思う。
誰もが、おしゃれなフローリングの物のない部屋にすんでいるわけではない。
バリ風だの、アジアンテイストだの、色々流行っているが、
畳の上に絨毯を敷いて何が悪い。
と、つい、開き直りたくもなる。

私の部屋だって、いつかは。
いつかは、と思っている。
そのいつかが来るかどうかも、あるいは、
そのいつかが来たときに、このお城をどう再生させるかも
皆目見当はつかないが、
とりあえず、雑貨王は悩み、なんとかしようと頭をかきむしっている。

(シィアル ,010522)




[No.1] めざせ、雑貨王

私は“雑貨屋さん”になりたかった。
「なりたかった」という以上は、すでに過去形で、
“雑貨屋さん”を諦めたことになる。
まあ、諦めているわけでもないのだが、
どうにも、“雑貨屋さん”になるのは困難だ。
困難な理由はいろいろあるが、
一の理由は“雑貨屋さん”になるにはもう、
あまりに現実すぎるのかもしれない。
雑貨が好きというだけでは、仕事には選べないし、
商売となると、雑貨が好き、というだけではだめだ。
今の職業の方が、“私の雑貨屋さん”より、
社会の役に立っているだろうと、そうも思える。
定年退職後でもいいかと、考えたりもするが、
おばあちゃんの“雑貨屋さん”では、
商売にならないかもしれない。
難しいところだ。

だから、私は「猫や」をしている。
猫やは、楽しいものがいっぱい詰まった“雑貨屋さん”で、
目指すところは、さらに大きく、ショッピングモールのような
そんな楽しいところだ。
この猫やの中には、実際私が“雑貨屋さん”に併設したかった
TeaRoomもある。そう、それが“シャム猫亭”。
TeaRoomだけでなく、“雑貨屋さん”にもすでに名前はあるのだが、
それはまだ、秘密である。
“雑貨屋さん”になりたかったというささやかな夢を持つ私は
そのかなわぬ情熱をぶつけるかのように、
経営シミュレーションゲームが好きだ。
遊園地も経営した。
レストランも経営している。
ときおり、町長になったりもするし、
ビルのオーナーになってみたりもする。
悲しいことに、経営センスはゼロに近い。
だから。
「猫やがあるさ。」
とその悲しみや空回りな情熱を猫やに注いでいるのである。

「猫や」は、私の夢のお店の分身だから。。。

(シィアル ,010121)


シャム猫亭 + お天気猫や