カントのお茶
◆ カントのお茶 ◆



「自律こそ自由である」とカントは説いた。
自由というものは、野放図なものではなく、
ストイックでとても厳しいものだと感じられる。
私は仕事の合間に、あるいはその途中に、
疲れたり喉が渇いたりするとすぐに、いつでも
何をしていても、雪崩式にブレークに入る。
ほっと、息をついて、つかの間の「自由」を味わう。

…そういうのは、自由ではないのだ。
カントは「自由」とは呼ばない。

それは自由ではなくて、「喉が渇いたからお茶を飲む」
という衝動。「疲れたから一服したい」という欲望。
自由だと思っているだけで、衝動や欲望という自然法則に
支配されているに過ぎない。
本能のままというのは、動物と同じで、人としての自由意
志ではないのだ。

自由というのは自分を律すること、自律から始まる。
喉が渇いても、仕事に飽き飽きしてきても、中座したり
投げ出したりせず、自分をコントロールして、
きちんとやり遂げる。
これが自律であり、本当の自由がここに生まれる。

カントは、自らの生活を律することで、「自由」を生きている。
彼は自然法則に支配されることを心から嫌っていたのであろう。
食事は昼食のみの一食主義で、非常に規則正しく、
毎日を律して生きていた。はんでついたような生活。
朝5時に起きて、朝食は二杯のお茶と一服の煙草。
午前中は仕事と、講義の準備を。
講義を終えると、午後1時から4時ごろまで、一日一食のみの
ボリュームある昼食を仲間と語らいながら。
その後には1時間の散歩。
近所の人々はカントの散歩の時間で時計を合わせたという。
恐るべき正確さ。

毎日をこんなにも、きちんと生きることはどういうものだろう。
きっと毎日毎回同じ銘柄のお茶を買いつづける。
贅沢を排して、実用的なものを選ぶ。
誘惑もされず、目移りもしない。
自ら律しながら、自由を満喫するというのは、どういう感じなのだろう。

カントの臨終の言葉は、「これでよし。(Es ist gut.)」

…そういうことだ。

カントにはカントの幸せ。
私には私の幸せ。


紅茶百科 / シャム猫亭