◆ 旧・シャム猫亭 ◆


紅茶のHONDA

大学生の頃、地方都市では珍しく、紅茶の量り売りの店ができた。
高校生の頃は、紅茶というと、LiptonかNittoh、ちょっと奮発してTwinings
くらいしか思い浮かばなかった私も、この量り売りのお店のおかげで、
「紅茶は美味しい、楽しい。」という事を知るようになる。
大学生の頃は、このお店のマスターの(今思えばこだわりか)気取った感じが、
鼻にもついたし、どう見てもナルシストとしか思えない、あれやこれやに
3〜4年間通いつめた割には、どちらかというと、余りいい印象を持ってな
かったように思う。
でも、今こうやって、「シャム猫亭」をやっている原点にそのお店があったこ
とは否定できない。いや、そのお店の美味しい紅茶をたくさん飲んだから、
「シャム猫亭」が今あるのだ。どこかのブランドティではなく、フレーバーティの
量り売りで、本当に大学生の間、香り豊かな毎日がすごせた。ぼろいアパ
ートに住んでいたが、安い食器を使っていたが、いつも紅茶は贅沢をした。
25〜30gくらいから売ってくれたから、新鮮なお茶を色々試すこともできた。
あの頃に好きだったのは、

1. アプリコットティ
2. グレープフルーツティ
3. ピーチティ
4. バナナティ
5. チョコレートティ (TeaBoutique)

本当の紅茶の葉っぱの美味しさとは違うかもしれないけれど、
香りを楽しみ、その時の気分でお茶を選ぶ贅沢があった。
いろんなロマンティックな名前のブレンドティもあった。
エキゾティックな香りだった。余りその手の複雑な香りは好きでなかったから、
名前も覚えてないけど。
小さな店内いっぱいあった、紅茶のボトルから、今日は何を買おうかと、
限られた生活費から捻出するささやかな贅沢。
それをあの頃は幸せだとは思いもしなかった。
見過ごしてしまうような小さな幸せ。毎日何かしらあった、心配事や辛い事で
日々が塗り込められていくような気がしたけれど、そんな日々にもやっぱり
ささやかながらも贅沢が、人生の休息が用意されていたのだ。
振り返って分かることがある。またずっと先で、今の生活を振り返れば、
今自分が自覚する以上に見過ごしている幸せがあるのかもしれない。
ささやかであることの価値が、やっと分かりかけてきた。
卒業後、このお店に紅茶を買いに寄った。
思い出を買いに行ったのかもしれない。
小さなガラス張りの店舗には、移転のお知らせが。
すぐ側だったので、探し尋ねたお店は「デュバール (←フランス語かなんか
で書いてあった)HONDA」と大出世し、紅茶屋だけでなく、昼は喫茶、
夜はショットバー風のお店を兼ねて大きくなっていた。
再び紅茶を買うことはできたが、あの頃の思い出は手に入らなかった。

さらに、その半年後くらいに、またその街を訪ねた。
でももう、「紅茶のHONDA」はなかった。
「デュバールHONDA」すら、跡形無くなかった。

思い出の中だけに、「紅茶のHONDA」と小田和正に似たマスターがいる。
喫茶ボンゴレと軒を並べて、思い出の街の住人だ。  (シィアル)

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