◆ 旧・シャム猫亭 ◆


母のコーヒーの思い出

紅茶党であるが、コーヒーの話。

ずうっと前に、コーヒーを立てている人の側で
「コーヒーも香り通りの味だとおいしいだろうに。」と、
やっぱり紅茶党の子と話をしていて、
コーヒー党の人には理解してもらえず、苦笑いをされたことがある。
あんなに香ばしいおいしい香りなのに、こんな味なんてもったいないと、
私の中では味と香りにギャップがある。

母は、思い出したようにおいしいコーヒーを飲みたくなる。
普段は紅茶だろうがインスタントコーヒーだろうが中国茶だろうがこだわらず、
何でも飲んでいるのに、急に豆を買ってきてコーヒーを立てたりする。
コーヒーに関しては気まぐれな人だと、ずっと思っていた。
母が「昔のコーヒーは匂いが良くて、本当においしかった」と言った。
どこかの家でコーヒーを立てているとそこいらじゅうにコーヒーの匂いが広がって、
通りの向こうまで匂いがしたと。
あんまりいい匂いだから、コーヒー豆をエプロンのポケットに入れて、
仕事をしたりもしたと。

母の若い頃の話だから、もうずっと昔の話。
きっと本当は今のコーヒーの方が香り高くて、ずっとおいしいのだろうけれど。
昔のことだから、今のようにそこらあたりに香りがあふれ、おいしいものが氾濫して、
あらゆるものが賑やかに個性を主張している時代ではない。
きっと、私の目から見れば、セピアの毎日の中で、コーヒー豆や母の心を動かした、
いくつかのものだけが、ワンポイントで色づいているようなそんな日々だったろう。
だからこそ、毎日の中に新鮮で小さな幸せが潜んでいる。

母のコーヒー。
思い出の中のいい匂い。
どんな匂いだったのだろう。

今それを味わうことができたら、母は何を思うだろうか。  (シィアル)

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