◆ 函館 ◆


星の形の城


年に一度待ち焦がれる星は
クリスマス・ツリーのてっぺんの銀紙の星。
運動会の日はグラウンドに座って万国旗を見上げます。
日本の旗の模様はまんまるでつまらない、
アメリカやトルコみたいに星がついていたらいいのに。
分度器を使って正五角形が描けるようになると、
自分で正確な星形が作れてとても嬉しかった。
写真で見る五稜郭はなんで一つだけ角が多いのでしょう、
あれがなければ完璧な星の形をしているのに。

その星の一辺は傍らに立つと長い長い真直ぐな石塀で、
真っ青に晴れた空の下で堀に鴨が遊んでいます。
空から見ると一つ余計な角も五稜の城壁も、
シャープな白い石垣に鬱蒼とした緑をこんもりとのっけています。
余計な一角と見えたのは、当初の予定では星の角の間にそれぞれ
五角作るはずだった堡塁が一つしか作れなかったからだそうです。
日本唯一の洋風城塞「五稜郭」は、
ヨーロッパには数多く見られる建築様式だそうですが、
天守を持つ古城の遺る町から来た私から見ると
全く見なれぬ平面的な構造です。
これはFortですね。
死角をつくらぬように設けられた出っ張りが、
星の形を描いている事は地上からでは分りません。


暑い日が続くので、涼しい町にいきましょう。
「函館」って何があるんだっけ。
夜景、教会、坂に湾に新鮮な魚介類。函館戦争、五稜郭。
幕府最北の藩は松前でしょう。お城からだいぶ離れているのに、
なんでこんなところに町ができたんだっけ。
さあ。行ってみたらわかるんじゃない?

来てみたらわかりました。
大きいのに可愛らしい洋風の旧公会堂を目指して基坂を上ると、
坂の途中の紫陽花と薔薇に囲まれたイギリス領事館の向かい、
移転した市立函館病院の空き地に
颯爽とコートを翻すペリー提督の銅像が。
あ、そうだそうだ、ペリーが黒船で来たので
幕府は大慌てで下田と函館を開けたのでした。
それで一気に外交の街になって欧米文化がなだれこみ、
外国領事館やキリスト教系の教会が出来て、
貿易が栄えて街は豊かになったのでしょう。

外国に開かれると同時に外国の脅威に備えるために
大急ぎで建てられた幕府最期の城が五稜郭です。
結局、当初の目的に使われる事は無く、
といって戦に関わり無く過ごせた訳でもなくて、
新政府から言えばいわば反乱軍である
榎本武揚達旧幕府軍の生き残りが乗っ取って、
最後の最後に抵抗をした城として名を遺す
不思議な旧跡となりました。

かって戦闘より外交や教育の場として活用されていた
木造の函館奉行所はもう城郭内にはなくて、
残された奉行所の松がそれは見事に天を突いて育っています。
敷地内の小さな函館博物館分館では、
丁度函館戦争の遺物の展示をしていました。
榎本達が乗って来た軍艦「回天」の模型の
優美な三本マストを眺めている私の後ろで、若い娘達が
「ヒジカタさんイケてる!ふつーにイケてるよぉ!」
と、洋式軍装に日本刀の土方歳三の写真に盛り上がっています。

五稜の星の建築物は大きすぎて
空からでないと全体像を把握する事が出来ませんが、
傍らに立つタワーに上れば城壁の一画が
鋭い角になっているのがわかります。
タワーの上で「わあ五芒星」とつぶやいた若い女性がいました。
近年陰陽師「阿倍晴明」で有名になった魔除けの紋ですね。
晴明の紋所「晴明桔梗」ドーマン・セーマンは五芒星の形で、
晴明のライヴァル「芦屋道満」の紋所「籠目紋」は
ユダヤの紋章「ダヴィデの星」と同じ六芒星の形。
昔の日本ではぎざぎざの角のあるデザインを
「星」を表したものとは考えていなかったと思われますが、
呼び名はともかく同じ形は世界各地で邪を払う
魔力のマークとして用いられています。

いまや繁華街が移ってきて、
デパートの巨大な買い物袋を抱えた御婦人連や
ほにゃほにゃした可愛い函館弁で喋る
短い制服スカートの女子高生達が
普通の地方都市らしい賑わいを見せる五稜郭の街から、
電車で妙に活気を失って寂れた駅前を経由して
広々と綺麗で住民の気配のない元町へ戻ります。
静まり返った町でバカラのコレクションを見て、
併設したショップでペンダントを買いました。
薄青く透き通った星の形のクリスタルガラス、
日射しの下では空色で、照明の下ではオレンジ色に見えます。

ライトアップされた倉庫街の闇を縫って歩くと、
金色の星が胸元でぴかぴか光ります。 (020913:ナルシア)


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