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「まるで魔法にかけられたように、町は一夜にしてクリスマスの装いになっていま した。」
と、いうと雪でも降ったのかな、と思われるでしょう。
残念でした、雪ではありません。
では、いつでものんびりした米南部の町に、いったい何がおこったのでしょうか?
十一月末のサンクスギビングデイが終わると、町中がクリスマス支度に入ります。
緑のリース、赤や金のリボン、金銀のモール、ガラス玉、木製や金属やプラスチ
ックやあらゆる素材のトナカイ、そしてえんえん何十メートルにも及ぶ電飾コード、
ありとあらゆる飾り物を担ぎ出し、町中の人がそれっとばかりに我が家や店や教
会を飾り付けます。
一夜にして…?いえ、それはちょっと無理です。
なにしろ窓辺、ポーチ、立ち木
に植え込み、あらゆる所に工夫をこらして飾りつけるのですから、仕事の後やお休
みの日に一家で頑張っても、なかなか大変です。
もっともショッピングモールなどは、オレンジとブラウンのサンクスギビングデ
イのディスプレイから、本当に「一夜にして」緑と赤と金銀のクリスマスカラーに
変わります。
そしてこれも「一夜にして」、道路沿いの空き地が一面の針葉樹林に変身。こち
らは「ハロウィン通信」では一面にカボチャ畑になっていた場所、そう、こんどは
クリスマスツリーの露天市になったのです。樹高二メートルほどのリビングに飾る
のに手ごろな(とはいえ畳二枚分のスペースが必要)切り立ての生木が、よく憶え
てませんが、20ドルくらいだったかな?
お家の外の飾り付けばかりでなく、同時にお家の中の飾り付けも着々と進行して
いるようです。
そうこうするうち、ある晩冷たい強い風が吹きました。
暖かな南部の町もやはりもう冬なのでしょう。
そして。
一夜にして。
まるで魔法にかけられたように、町はクリスマスの装いになっていました。
それまで町を覆っていた森があったところに、窓ごとに大きな緑のリースやガ−ラ ンドを飾り、窓いっぱいにきらきら光るクリスマスツリーや古風なキャンドルスタ ンドが見える煉瓦造りの大きなお屋敷や、白亜の壁の教会が、いくつもいくつも忽 然と姿を現していたのです。
古い豪華な絵本を開くように。
…魔法?
いいえ。
バーミングハムの住宅地は林の中にあって、樹の繁っている間は一見人の住んで
いない山の中のように思われる、ということは前回「森の中の家」で御紹介しまし
たね。
米大陸では特殊な高温湿潤のアラバマの気候風土は、日本、特に私の実家のある
南国に似ています。冬でも緑の山々を見慣れていたものですから、アラバマの家々
を覆っている深い緑の木々も、なんとなく冬でも葉の落ちない常緑樹だと思い込ん
でいました。
そうではなかったようです。
暖かいので紅葉もほとんどしないまま、いままでずっと建物を覆い隠していた葉が、
ようやく前日の強い乾いた風ですっかり吹き飛ばされて、
カーテンが開かれるように、
その背後の美しく飾られた壮麗な建物達の姿が、私達の前に現れたのです。
このあたり、米南部一帯は一般に「バイブル・ベルト」─聖書地帯と呼ばれてい ます。北部都会の人々(及び外国人)には想像もつかないほどキリスト教が日常生 活に浸透し、教会が重要な場所である地域です。
クリスマスは彼等にとって、最も尊敬し、最も愛する人の誕生日な訳であり、私達
にとってのお正月にもあたる儀式でもありますから、それは力が入ります。
全ての
美しい飾り付けは「祈り」の一形式でもあるのです。
それにしても、お屋敷のドアの上のリースなんて、直径が私の背丈ほどもあります
よ。
そしてそれがまた、夜になると灯が点くんです。
夜、なだらかな起伏の続く町を車で帰っていると、丘の上、坂の下、植え込みに
低く、立ち木に高く、ポーチに、窓に、はては屋根ごとラッピングするように、あらゆる場所で住民の飾ったイルミネーションが灯っています。
もう灯を覆い隠す葉が無いのですから、全ての光が道路から見られます。
ゆるやかに、うねりながら、金の星のまき散らされた中を走り抜けます。
どこまでも、地上の星は続いてゆきます。
私は、信者ではありません。
けれど私は車を走らせながら、感謝の言葉を思いました。
私が今これほど美しい光景を見ることができるのは、神の御子のおかげです。
あなたが地上に生まれた事を、町の人々がこぞって祝うからこそです。
この町の人々皆に、御加護を賜り下さい。アーメン。