「ハンニバル」上・下 著者:トマス・ハリス / 出版社:新潮文庫
2000年10月13日(金)
(2)

ここでもう一遍、吸血鬼ものの古典とされている「吸血鬼カーミラ」
にも目を向けたい。
この物語の最後に、吸血鬼の特質のひとつがまことしやかに
書かれている。つまり、彼らは手の力が強い、と。
彼らにつかまれたら、並みの人間には太刀打ちできないのだ。
フェル博士ことレクターが、証拠を残したシーンが
よみがえるではないか。

そしてもちろん、吸血鬼譚に欠かせないもうひとつの要素、
それはいうまでもなく美女である。
エロティシズムと切り離せないのが吸血鬼ものの設定なのだから。
ストーカーの物語でミナにあたる人物が、クラリスというわけだ。
面白いのは、ハンニバルにおいて、正義は全き悪であるという
設定である。勧善懲悪を、本来悪であるはずのモンスターが
行う面白さ。実際、レクター博士といえば、正当防衛とクラリスを
守る以外に、今回は誰も殺していないという周到さである。
だから、元祖吸血鬼退治をしていたヴァン・ヘルシング教授の
名前の一部である「ヘル」と、レクター博士のイタリア名、
「フェル」が多少似ていても不思議はない。
これは読みすぎだろうか?
それに加えて、バルチュスが出てきたり、フェルメールが
出てきたり、現実にある店が登場したり、
遊びの小道具は星のごとくちりばめられている。

また、クラリスに対するレクター博士の反応は、
もう、ファンならずとも手を打って喜ぶシーンの満載である。
最後に登場する「針」こそは、
餌食をとりこにする吸血鬼の牙そのものなのであろう。

そうした設定を下敷きにしながら、かくも人間的な弱さを
レクター博士に与え、正義の側に堕落を極めさせた試み。
そうまでして成就させたかった目的。
おそらく、賛否の別れるこの悪趣味なラストまで持ち込まねば、
その目的の成就にリアリティを出せなかったのだろう。
ここで私はラストシーンを先に読むという誘惑に負けたことを
告白する。以上はすべてそのうえでの満足であるということも。

もしこの物語に次があるとすれば、
ハリスはさらにしたたかである。ハリスがというより、クラリスが
といったほうがよいのか。
あるいは世代交代して話は進むのかもしれない。
それはさておき。
読み終わったとき、あたかも壮大なオペラハウスの桟敷席に
最初から我々はいたのではないか、と思うのは愉しい。
そう、彼らと一緒に。

今一度、クラリスの胸のうちに湧いた疑問を、
自分自身の疑問として、ここに記そう。

"自分はいったい何者なのだろう?
これまでに、だれがいったい自分の価値を認めてくれただろう?"(M)


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