「ハンニバル」上・下 著者:トマス・ハリス / 出版社:新潮文庫
2000年10月12日(木)
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さて、いまこの原稿を打っているソフトは、クラリス・ワークスである、
というのはいささか調子に乗りすぎだろうか。

この第三作が、トマス・ハリスの「レクター博士シリーズ」の最高傑作
であることをまず素直に称えたい。
広義のミステリファンにとって、この作品の魅力は、
読むことの快感そのものなのである。
かつて、遠い昔に「戸増張子」などと当て字をして遊んだ
「ブラック・サンデー」の著者が「羊たちの沈黙」で
大ブレイクしたときも喜んだが、「ハンニバル」には
まさに作家の黄金時代、脂の乗り切ったゴージャスな
遊び心が感じられる。
アマゾンでは星三つであったが、この困難な課題を、
マントをひるがえして我々に永遠たらしめた
作家の力量に拍手を贈る。

私は確信する。

この話の結末をこそ、ハリスは最初から意図していたのだ。
ハンニバル・レクターという最強の怪物を生み出した時点で
勝算はついていたし、そもそも、本書でも前作でもたびたび
クローズアップされるレクター博士とクラリス・スターリングの
出会いから、運命は廻り始めていた。
初めて会った見知らぬ女性に対して、いささか度の過ぎた
いたずらをしたからといって、なぜ博士がその男を殺さねば
ならなかったか。
その理由を問うとき、少なくても作家の胸に
答えは在ったのだとしか思えないのである。
頭にではなく、胸にである。

では、なにがどう傑作なのか、私なりの解説をこころみよう。
もし時間に余裕があって未読であるなら、
本書を読む前におすすめしたい古典がある。
ブラム・ストーカー作「吸血鬼」。
人類の歴史始まって以来、洋の東西を問わず初めて
共通ヴィジョンを持ちえた怪物として最高位を約束された吸血鬼。
ハリスは、この古典をベースに敷き、その上で登場人物を
躍らせることにしたようだ。
そして、レクター博士をヴァンパイアに見立てることで、
彼を古典的怪物を継ぐ次代の完全なモンスターの地位に
押し上げようとしたし、みずからもパズルの断片をつなぐことに
愉悦のときを過ごしたことだろう。

本書を読み進むうちに、私はかつてのレクター博士の
イメージがゆらぐのを感じていた。
これまではなんとなしに映画化されたときの俳優、
アンソニー・ホプキンズで収まっていたものが、
もっとしなやかで美しい、老人とは呼べない「不死の存在」に
変化していったのである。

イタリアでの博士の生活は最初から吸血鬼めいていた。
黒と白に彩られた服装の趣味といい、
どこに住んでもすぐ城なり館なりを入手する手際といい、
大陸を移動することといい、不気味な赤い目といい、
ご丁寧に東欧の貴族の血を引くという事実まで暴露された。
ごく自然に、フィレンツェのお歴々を前にレクチャーする
レクター博士のまわりにコウモリを舞い躍らせたあたりで、
疑念は確信に変わったのである。
これが吸血鬼譚であるなら、我々読者はその証拠を探すという
楽しみを、迷いの森の中のパンくずのように与えられたわけである。

吸血鬼とくれば、ニンニクと十字架。打ち込まれる杭。
墓をあばく行為。そして聖水。身長に特徴のある僕。
ニンニクの香りを吸血鬼は嫌うので、魔よけになるといわれる。
レクター博士は知っての通り、臭いフェチであるから、
おぞましい臭いは拷問にほかならない。
十字架と杭に関しては佳境で登場するのでここには書かないが、
レクター博士とともに在ったということだけ記しておこう。
これもストーリーに絡むので控えるが、墓をあばくのは吸血鬼こと
レクター博士本人である。
聖水については、ヴィンテージワインだったのか、
少年の涙だったのか、他にも多くて迷うところである。
僕(しもべ)だってちゃんといる。前作から登場するバーニーだ。(M)


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