アリとキリギリス1

 ある夏の日、働き者のアリさんは一生懸命働いて食べ物を巣に運んでいました。アリさん達が一生懸命働いている間、キリギリスは歌を歌って遊んでばかりいました。アリさんがキリギリスさんに

 「遊んでばかりいないであなたも働いたらどうですか。」

 と言いましたが、キリギリスさんは

 「夏は働かなくても食べ物がいっぱいあって楽しい季節です。いま遊ばなくて、いつ遊べばいいのでしょう。」

 と取り合いません。結局キリギリスさんは夏の間中ずっと遊んでいました。

 やがて冬がやってくると、アリさんは暖かい巣の中で夏の間ため込んだおいしい食べ物を食べて楽しく暮らしています。そのアリさんのお家のドアがトントンとノックされるのでアリさんが行ってドアを開けてみると、雪の中でボロボロになったキリギリスさんが立っていて

 「アリさん、すみませんが、僕も中に入れて食べ物を分けてやって下さい。」

 と哀れな目でお願いします。アリさんは

 「あなたは夏の間働きもせずに遊んでばかりいたでしょう。そんなあなたに与える食べ物などここにはありません。」

 そう言ってキリギリスさんを雪の中に追い返してしまいました。

教訓:遊んでばかりいると、後で苦労します。

アリとキリギリス2

 ある夏の日、働き者のアリさんは一生懸命働いて食べ物を巣に運んでいました。アリさん達が一生懸命働いている間、キリギリスは歌を歌って遊んでばかりいました。アリさんがキリギリスさんに

 「遊んでばかりいないであなたも働いたらどうですか。」

 と言いましたが、キリギリスさんは

 「夏は働かなくても食べ物がいっぱいあって楽しい季節です。いま遊ばなくて、いつ遊べばいいのでしょう。」

 と取り合いません。結局キリギリスさんは夏の間中ずっと遊んでいました。

 やがて冬がやってくると、夏の間遊んでばかりいたキリギリスさんが雪の中で寒さに震え、ハラペコになりながらアリさんのお家のドアをノックしました。夏に働いて食べ物を蓄えていたアリさんはお家の中に食べ物をいっぱいため込んで暖かい暖炉のそばで良い暮らしをしているに違いないのです。キリギリスさんがドアをノックしアリさんが出てきたとき、アリさんの顔を見てキリギリスさんは驚きました。アリさんもまたお腹を空かせ痩せこけていたのです。アリさんのお家の中には夏の間ため込んだ食べ物の腐った臭いだけが充満していました。

教訓:なまものは富の保存に適さない。

アリとカブトムシとクワガタ

ある夏の日、働き者のアリさんは一生懸命働いて食べ物を巣に運んでいました。アリさん達が一生懸命働いている間、カブト虫さんとクワガタさんはお相撲ばかりとって遊んでいました。アリさんがカブト虫さんとクワガタさんに

「遊んでばかりいないであなたも働いたらどうですか。」

と言いましたが、カブト虫さんは

「夏は働かなくても食べ物がいっぱいあって楽しい季節です。いま遊ばなくて、いつ遊べばいいのでしょう。」

と取り合いません。クワガタさんも

「アリさんは夏に食べ物を蓄えてるけど、そんな物は冬になれば腐ってしまうんだよ。」

と取り合いません。そうして結局カブト虫さんとクワガタさんは夏の間中ずっと遊んでいました。アリさんは働いて得た食べ物を銀行に蓄えました。こうすると冬でも銀行預金をおろして食べ物に変えることが出来るのです。

やがて冬がやってくると、アリさんは夏の間ため込んだ預金を下ろしに銀行に行きました。預金をおろしておいしい食べ物をいっぱいもらおうと思ったのです。困ったのは銀行です。夏の食べ物があふれているときに食べ物をあずけたアリさんが食べ物のない冬になって食べ物を返せと言ってきたのです。銀行はアリさんのわがままさ加減にあきれましたが、約束は約束です。食べ物を返さなければ成りません。銀行はアリさんと交渉し、夏の食べ物は冬の食べ物の半分の価値しかないので、半分しか返せないと言いました。アリさんは渋々

「半分で良いから返してくれ。」

と言いました。銀行は

「この冬に食べ物を持ってきた者は夏には二倍にして返すので今すぐ食べ物を集めてきて欲しい。」

とカブト虫さんとクワガタさんに言いました。カブト虫さんもクワガタさんも夏の間お相撲をとって体を鍛えていた力自慢です。2人はアリさんがとても出れないような冬の寒い雪の中に出て食べ物を探し回りました。とても厳しい寒さだったので途中でカブト虫さんは死んでしまいましたが、クワガタさんは何とか生きて帰ってきて銀行に食べ物を預金しました。銀行はその食べ物をアリさんに分け与えました。アリさんは銀行とクワガタさんにとても感謝して、

「夏には失礼なことを言ったけど、ごめんね。」

とクワガタさんに謝り、クワガタさんは昆虫の英雄になりました。

教訓1:冬に働く虫がいて、夏働く虫も救われる。

教訓2:クワガタは冬を越せるが、カブト虫は越せない。

アリとセミ

ある夏の日、働き者のアリさんは一生懸命働いて食べ物を巣に運んでいました。アリさん達が一生懸命働いている間、セミさんは木の上で歌を歌って遊んでばかりいました。アリさんがセミさんに

「遊んでばかりいないであなたも働いたらどうですか。」

と言いましたが、セミさんは

「夏は銀行から安く食べ物が手に入るので働かなくても食べ物がいっぱいもらえる楽しい季節です。いま遊ばなくて、いつ遊べばいいのでしょう。」

と、まったく取り合いません。そうして結局セミさんは夏の間中ずっと遊んでいました。アリさんは働いて得た食べ物を銀行に蓄えました。こうすると冬でも銀行預金をおろして食べ物に変えることが出来るのです。

やがて冬がやってくると、アリさんは夏の間ため込んだ預金を下ろしに銀行に行きました。預金をおろしておいしい食べ物をいっぱいもらおうと思ったのです。困ったのは銀行です。夏の食べ物があふれているときに食べ物をあずけたアリさんが食べ物のない冬になって食べ物を返せと言ってきたのです。銀行はアリさんのわがままさ加減にあきれましたが、約束は約束です。食べ物を返さなければ成りません。銀行はアリさんと交渉し、夏の食べ物は冬の食べ物の半分の価値しかないので、半分しか返せないと言いました。アリさんは渋々

「半分で良いから返してくれ。」

と言いました。銀行は

「夏に渡した分の半分で良いから食べ物をこの冬の間に集めてきてくれ。」

とセミさんに言うつもりでしたが。セミさんは夏の終わりにみんな死んでしまってました。銀行は誰も食べ物を集めてきてくれる人がいないので倒産しました。アリさんの持っていたゼロのいっぱい付いた預金通帳も今ではただの紙切れです。アリさんは渋々寒い雪の中に出て食べ物を集め始めました。

教訓:夏に遊んで、冬働く虫もいないと世の中は成り立ちません。

アリとみの虫

ある夏の日、働き者のアリさんは一生懸命働いて食べ物を巣に運んでいました。アリさん達が一生懸命働いている間、みの虫さん達は冬に備えてコートを作ってました。アリさん達は10匹で20匹の昆虫が冬を越せるだけの食べ物を集めました。みの虫さん達は10匹で20匹の昆虫が冬を越せるだけのコートを作ります。そして秋が来たとき、10匹分の食べ物と10匹分のコートを交換するのです。これがアリさんとみの虫さんの毎年の恒例行事でした。

ある夏の日、アリのポンちゃんが魔法の壷を発見しました。この壷の中に手を入れると、いくらでも食べ物が出てくるのです。アリのポンちゃんは喜んで壷をお家に持って帰り、独り占めしました。これでポンちゃんはお金持ちです。遊んでいても食べ物は手に入ります。ポンちゃんはその壷からいっぱい食べ物を出してはみの虫さん達や他のアリさん達を呼んでお食事会を開きました。その席上でポンちゃんはみの虫さん達にこう言いました。

「今年の冬は昆虫5匹分が冬を過ごせるだけのコートしかいりません。5匹分のコートであなた達全員の食糧を確保しましょう。」

5匹分のコートで10匹分の食料をもらえると言われたみの虫さん達は大喜びです。今でも15匹分ほどのコートが確保されていたので後は冬まで遊んで暮らすだけです。さて困ったのは他のアリさん達です。今まで食べ物を集めていればそれをコートと交換できたのに、今では食べ物は魔法の壷からいくらでも出てきます。いくら食べ物を集めてもコートとは交換できません。でもアリさん達はみの虫さん達と違ってコートを作る技術を持っていないのです。

次の日からポンちゃんはアリの王様です。なにしろポンちゃんに仕えてコートをもらわないと今年の冬が越せないのです。そしてコートはポンちゃんの分を除くとあと4着分しかありません。9匹のアリさんは少しでもポンちゃんに気に入ってもらおうとポンちゃんの機嫌をうかがい奴隷のように尽くしました。冬が来て、ポンちゃんにコートをもらえなかったアリさん達は死んでアリさんは5匹しか冬を越せませんでした。春が来て夏が来たとき、突然ポンちゃんの魔法の壷から食べ物が出てこなくなったのです。今までポンちゃんに仕えていた4匹のアリさん達は再び食べ物を集め出しました。困ったのはみの虫さん達です。みの虫さんは冬を越すための食べ物を集めるのに慣れていません。5匹のアリさん達で集められる食べ物はたぶん10匹分。何匹のみの虫さんがこの冬を越せるでしょう。

教訓:共存関係にある隣人の死は、ときに自分の死を意味する。

ぼくは小学二年生

ぼくの家のおばあちゃんは尋常小学校の四年までしか出てないから、おばあちゃんはひらがなとほんの少しのカタカナしか読めない。おばあちゃんの読めるカタカナはセブンとパチンコとラッキーだけなんだ。おばあちゃんが小さかった頃は戦争中でみんな貧しくて、学校に行きたくても行けなくて、満足な教育も受けられずに幼い頃から働かされていたんだ。いまは、ぼくたち子供は働かなくて良いし、好きなだけ勉強できるし、学校にも行ける。豊かでとても良い時代なんだ。

ぼくは幼稚園のとき、小学入試に受かって、いま付属小学校に通ってる。みんなと違って電車通学なのがつらいけど、有名私立小学校に通ってるなんてちょっとしたもんだろ?入試は個人面接と集団面接があった。お行儀が良かったのとシュウガク前に九九を全部言えたのが勝因かな。集団面接ではみんなで牛乳パックを使ってお城を作った。集団面接ではキョウチョウセイを見られるので、初対面の人とも仲良くできなきゃいけない。ぼくはみんなを束ねてリーダーシップを取って、一人ポツンと居る人にも優しく声をかけたから、これで受かると思ったよ。面接の練習はママと何度もやったんだ。自分しかリーダーシップを取る人が居ない場合、リーダーシップを取る人が自分以外にいる場合、仲間の誰かがケンカをはじめた場合、自分がリーダーシップを取ってるのに、別の誰かが自分と対立したとき。状況に応じた適切な行動が取れなきゃいけない。今回のショウインは、みんなとはぐれて一人ポツンと居る人に声をかけて仲間に入れたら五十点プラスだから、それが合格への近道なんだってこと。

ぼくはテレビゲームが好きでよく、遊んでる。勉強せずにいつもゲームをしてるものだから、ママにしかられて、一日に二時間しかゲームをしちゃいけないって言われてる。テレビゲームは飛行機や人間を撃つシューティング物や人間同士が殴り合いをする格闘アクション物など暴力を賛美した物が多くて子供の教育上良くないんだ。これらのゲームは暴力を振るわずに高得点を上げることが出来ないようになっていて暴力その物が目的になっている。こういうゲームばかりしていると子供は次第にゲームと現実の区別が付かなくなって現実の生活の中でも飛行機で爆弾を落としたり、敵の飛行機にミサイルを撃って人を殺したり、見ず知らずの人に突然殴りかかったりして周りに迷惑をかける。テレビゲームは子供の非行の原因にもなっていて、ゲームをしてる子供はすぐに「殺す」とか「死ね」とか「死んでる」とか口にして下品になるんだ。でもパパは子供のころ、テレビゲームをしてなかったけど「今年の巨人は死んだ」とか「中継ぎ陣が死んでる」とか言ってよくママに「子供の前で下品なこと言わないでちょうだい!」って怒られてる。でもパパに言わせると、「死人に口なし、しょうじにメアリー」って言うパパはぼくよりちょっとだけ賢いんだって。早くぼくもパパみたいに賢くなりたいな。

晩ごはんは、みんなでテレビを見ながら食べるんだけど、とんねるずと金曜ロードショーの死霊のはらわた2は見てはいけないんだ。イギリスではホラー映画を観た子供が映画の真似をして幼児の頭蓋骨を斧でまっぷたつに割ったり、とんねるずを観て食べ物を粗末にしたりしてるんだ。ああゆう番組はすぐに人を殺したり、スリッパで人の頭をたたいたり、女の子に抱きついたり、いじめのオンショーになっているんだ。

ぼくは家に小学校から帰ってくるとまず始めに二階に上がって宿題をする。そしてランドセルの中の教科書とノートを取り出すと今日の復習を1時間目から順番にやっていって、次に明日の授業予定を確認してランドセルの中の教科書とノートを詰め替えて1時間目から順番に予習をする。私立の付属小の授業というのは本当に有意義で中学入試に向けて実にいろんなことを教えてくれる。鳴くよウグイス平安京、イイクニ作ろう鎌倉幕府、いやーロッパ君もう明治だよ、水平りーべ僕の船、一夜一夜にひとみ頃、富士山麓オウム鳴く、人並みにおごれや、なんて数字の暗記は受験の常識だし、受験に関係ない所では「微妙に分かる微分、分かった積もりの積分」なんていう高校二年で習うような微積を使ったギャグに、とにかく色々、公立の小学校じゃ教えてくれないようなことを教えてもらえる。これがぼくたち付属小の特権かな。

あと学校では英語に力を入れてるので、友達はみんな英語の塾に通ったり英語の家庭教師についてたりしている。だから休み時間なんかは友達と

「Aから始めるよ、じゃあ、アップル」

「うーーんと、Eだから、イート。食べるだね」

「ティーチャー、先生」

「ティー、イー、エー、シー、エイチ、イー、アールだっけ?じゃあ、もう一度ティーで返すよ、リピート」

「ティーで攻めるつもりか。だったら僕も、ティー。お茶のティーだね」

「お茶ってティー、イー、エーだっけ?あってる?・・・Aで始まってTで終わる単語・・アートかなぁ」

なんて英語でしりとりをしている。こうやって普段から英語に触れていられるってのも、教育熱心な父母のそろった私立ならでわの強みなんだ。

あと、私立の場合、電車通学だから近所に同じ学校の友達がいない。近所は程度の低い学校に通っている子達しか居ないので一緒に遊ぶとトモちゃんの程度も落ちますよってママに言われてるから、程度の低い子とはあまり遊ばない。だから家では一人で、ゲームか勉強か、あと本を読んでる。ママが買ってきてくれた「子供百科事典」とか「人体のひみつ」とか「化学の不思議」とか「マンガことわざ辞典」とか学習マンガが多い。まんがは読んじゃダメだけど学習まんがなら読んでも良いんだ。こういうのを読んでると太陽の表面温度は三千度で、マジンガーZのブレストファイアーと同じ温度だってことや、太陽の黒点の温度は八百度で、黒点の位置は絶えず変化していることから太陽は固体ではなく、絶え間なくリュウドウする気体の集合体であることが分かる。そして三千度という温度の中ではどのような重金属も高温で溶けてしまうため固体では存在できないこと、三千度のブレストファイアーを出しても溶けないマジンガーZは嘘つきなアニメで、あーゆうアニメやマンガを見て育つと、本当に三千度でも溶けないマジンガーZが居るのだと信じて、大学受験に失敗したり、マジンガーZに乗ったつもりでバイクで走り回ったり、ビデオのいっぱいある部屋で女の子を殺したりするんだ。だから教育上良くないマンガはなるべく見ないで、学習マンガとか伝記とか科学の本とかを読んでちゃんとした正しい知識を身に付けないといけないんだ。

ぼくは将来の中学受験に向けて週に三回、地元の進学塾に行って勉強をしている。学習塾と違って、中学受験に向けての進学用の塾だから学校で習うことよりもずいぶん勉強は先に進んでいる。円周率は3.14で、円周の求め方は(直径)×(円周率)で、円の面積は(半径)×(半径)×(円周率)で、半径をr、円周率をπで表すと、円の面積はπrの二乗となり、柱の体積は(底面積)×(高さ)で、錐の体積は(底面積)×(高さ)÷3なので、円錐の体積は三分の一πrの二乗となる。こーゆーのって私立の学校でもまだ教えてくれなくて、進学塾ならでわのって感じじゃん。

でも、ぼくがそうやって勉強しているとおばあちゃんはときどきこう言うんだ。

「あんまり本ばっかり読んでると活字と現実の区別がつかなくなるよ。」

って。

 ケンちゃんはカエルに似ている

ケンちゃんは、かえるに似ている。どこを見ているのか分からない黒目。目と目の間が離れている。真ん丸で、キョトンとして、漠然と正面を見ている。口は真一文字で、ほとんどしゃべらない。ふくらんだほっぺたの右から左まで、一直線に走る切れ目は、財布のがま口のようだ。ケンちゃんは蛙に似ているのであだ名は「かえる」だ。

授業中、ケンちゃんがあてられることはほとんどない。座ったまま、いつも黙っている。休み時間も、座ったまま、誰ともしゃべらないので、ケンちゃんの友達はほとんどいない。

ケンちゃんはガニマタで、お腹が出ている。白くてデップリしたお腹は、中年のオッちゃんみたいだ。

ケンちゃんは転校生だ。どこの学校から来たのか僕は知らない。転校してきたとき、

「みなさんも早くケンちゃんとお友達になりましょうね。」

と、担任の大島先生が言ったので、みんなケンちゃんとお友達になろうとしたし、授業が終わると、ケンちゃんの周りにわっと押し寄せて、みんなでケンちゃんの取り合いをした。

でも、一週間もすると、みんな飽きてしまって、誰もケンちゃんと遊ばなくなった。教室にケンちゃんが居ることさえ、忘れていた。

ケンちゃんは、からだが小さく、無口で、カッコ悪かったので、いじめられやすかった。背中をつついたり、わき腹を差したりしても、担任の先生にチクルことはなかった。ときどき、小さくうずくまって、奇妙な声を出していた。いじめられているときは、まだ良かった。たいていは、忘れ去られていたのだから。

ケンちゃんの体はベトベトして気持ち悪い。ケンちゃんの体を素手で触ると、ベトベトが付くので、誰も触らない。プリントも回さないし、給食もあげない。ケンちゃんも欲しがらないので、これが普通だとみんな思っている。

ケンちゃんの唯一の友達が、飼育係の裕二君だ。ときどき、裕二くんはケンちゃんを水飲み場に連れていき、水道の水で遊ばせる。そんなとき、水の好きなケンちゃんは嬉しそうに「ケロケロ」と笑って跳びはねる。

でも本当は、裕二くんもケンちゃんの相手をするより、自分の友達と遊んでいるほうが楽しいのだ。大島先生に、

「ケンちゃんのことをよろしく。」

と言われなかったら、、ケンちゃんのことなど忘れて、外で遊んでいるに違いない。そのことをケンちゃんも分かっているので、裕二くんに対して、申し訳なく思っていたりもする。

ケンちゃんが外で遊べないのは、生まれつき体が小さくて弱いからだ。誰かが用心して見てないと、踏みつぶされて死んでしまうし、一度、運動場で迷子になったこともある。その時は、先生に言われて、クラス全員で、ケンちゃんを探しまわった。ケンちゃんは一人で教室に戻れないのだ。結局、ケンちゃんのおもり役が裕二くんになって、裕二くんが遊べなくなるので、ケンちゃんも外に出るのを遠慮してしまう。

ケンちゃんが外で遊べないのはもうひとつ理由がある。ケンちゃんと遊ぼうとしても、出来る遊びが限られてしまうのだ。ケンちゃんはボールを上手く握ることが出来ないし、ボールを蹴ることも出来ない。プロレスの技もかけられないし、走ることも苦手だ。鬼ごっこをしても、逃げるだけで追いかけてこない。追いかければ逃げるけど、タッチしても、捕まえても、鬼になっても、逃げるだけで追いかけてこない。ケンちゃんがいると、いつもの遊びとは違うものになってしまう。ひょっとしたら、遊びのルールも理解できないぐらいに、馬鹿なのかもしれない。そういえば、ケンちゃんの脳みそは生まれつき小さいって誰かが言ってた。

ケンちゃんは舌が長い。ときどき、長い舌を出して、ハエや蚊を食べている。給食をもらえないからなのか、ゲテモノ食いなのか、食いしんぼなのか、いまだに分からない。給食の残りを、あげることもあるが、少食なのでほとんど食べない。先生も、ケンちゃんだけは、給食を食べずに残しても、注意をしない。不公平だと思うが、もともと与えられているのが、みんなの給食の残り物なだけに、仕方がないとも思う。給食を残して、ハエや蚊を食べるケンちゃんは、好き嫌いの激しいゲテモノ食いで、少食なのに食いしんぼなのだ。そんなケンちゃんを女の子達は気味悪がっている。

ケンちゃんの家に行ったとき、ケンちゃんのお母さんに会った。ごく普通の人間に似たお母さんだった。

「うちの子は、蛙みたいに小さいでしょ?だからもう、心配で心配で。学校でいじめられたりしてませんか?早く身長が伸びるように、牛乳とか飲ませているんですけどね、生まれつきの少食で・・。」

と言っていた。

突然、ケンちゃんは死んだ。口とお腹から、小さくなった消しゴム一個と、チョークのかけらが三個出てきた。ケンちゃんの机には、一輪の花と花瓶が置いてあった。この事件は新聞やニュースでみんな知っていた。大島先生は、

「ケンちゃんのお葬式をしましょう。」

と言って、裕二くんに、ケンちゃんの死体が包まった新聞紙を持たせて、みんなを校庭に集めた。

ぼくはケンちゃんに砂を食べさせたことがある。ケンちゃんはすぐに顔をクチャクチャにして、「ゲボ」と吐き出してしまう。吐き出さないようにするには、かなり奥まで入れなくてはならないので苦労をする。石をお腹の奥まで入れて、やっと吐き出さないところまで入れられたとき、とても嬉しかった。

ケンちゃんがなぜ死んだのか、ぼくには分からなかった。大島先生は、

「このクラスの中に、こんなことをする人がいるなんて、悲しいことです。」

と言った。二・三人の女の子達が泣いていた。女の子はこんなとき、泣くもんなんだと知っていた。穴を掘ってケンちゃんを埋めた。お墓には、「かえるのお墓」と書いた。 かえるはケンちゃんのニックネームだ。

蟻 と 砂 場

わたくしは たいそうダメな人間でございます。おつむのほうが たいそう御不自由であられるのです。ほんじつも 御学友にいじめられたのでございます。わたくしのような人間は はやく死ぬのが礼儀なのだとおっしゃられるのでございます。わたくしはただ お部屋のはしのほうにいるのでございます。御学友方はただ それが邪魔だとおっしゃられるのでございます。御学友方はお休み時間になられると わたくしを御指でおつつきになられるのでございます。わたくしは御学友の御指につつかれると むずがゆいのでございます。むずむず体を動かしながら お部屋の壁の はしっこのほうに行って じぃーーとするのでございます。御学友の方が御指をお出しになるのでございます。

ある朝。御学友にたいそうご信望のお厚い級長殿がわたくしに おっしゃられるのでございます。「明日から来なくて良いよ」と。これはこれはとてもよろしいことでございます。わたくしは御自宅にもどられて御砂遊びに興ずるのでございます。わたくしのお部屋に御砂場ができるのでございます。20センチ四方のバームクーヘンの御箱に粘土のような御砂がたいそう入っておいでなのです。わたくしは明日から御砂殿とお友達になっていただくのでございます。

 わたくしのお部屋はわたくし一人なのでございます。わたくしよりもおつむのよろしい御方も わたくしよりも御足の御速い御方もいらっしゃらないのでございます。わたくしは わたくしだけの御世界を たいそう ごたんのうの御様子なのでございます。御砂殿はわたくしを御指でおつつきにならないのでございます。わたくしが御砂殿を御指でこねて差し上げると、御砂殿はたいそう ぐにゅ ぐにゅ なされて、体をおゆすりになるのでございます。ぐにゅぐにゅ なされる御砂殿はたいそう気持ちがよろしいのでございます。わたくしは何度も何度も御指で御つつきになるのでございます。そのたびに御砂は ぐにゅぐにゅと体をおゆすりになられ じっと何かを待っておいでになられるのでございます。わたくしはたいそう甘いお菓子を好まれる方であられるので氷菓子を片手に御砂遊びをなされるのがたいそうお好きな御様子なのです。氷菓子の赤いシロップが御砂の上に おこぼれになられると御砂はたいそう うつくしい赤色に染まっていかれるのでございます。御砂の真っ赤なところに御指をお入れになられるとたいそうひんやりしてお気持ちのおよろしいことと存じ申し上げるのでございます。わたくしは御砂の真っ赤なところに御指を入れて、御砂をおかき混ぜになられると、真っ赤なシロップは溶けてすこしづつお広がりになり、ひろがってうすくなった赤色は、いつしか御砂の中に吸い込まれて消えて無くなられるのでございます。あとにはただ、わたくしの指についたベトベトした御砂のみが御残りになられますので、あとで石鹸で丁寧に洗い流されるのでございます。

ある日のことでございます。御砂の中に黒い物が動いておられるのでございます。黒い物が御砂の穴の中にすぅーーと滑り込んでいくのでございます。まあるくて ちぃさくて さんかくの くぅろい方なのでございます。その黒い物は御砂の穴の中にお入りになられたり、穴からお出になられたりしておられるのでございます。御砂もまた その黒い物を中にお入れになられたり、穴の中からお出しになられたり、しておいでになられているのでございます。くうろいものは御名前を「ありさん」とおっしゃられるのでございます。

わたくしのお部屋はわたくし一人でございました。わたくしよりもおつむのよろしい御方も わたくしよりも御足の御速い御方もいらっしゃらなかったのでございます。けれども級長殿はわたくしに復学するようにおっしゃられたのです。わたくしは再び学校にいらっしゃり御学友の方々に御指でおつつかれになられるのです。本日は御学友の もとのり殿にいじめられたのでございます。お耳にお指を入れられたのでございます。わたくしは壁ぎわに お逃げになられ じっとしていたのでございます。わたくしは御自宅に御帰宅になられ御自身のお部屋におこもりになったのです。二十センチ四方の小さな御砂にむずむず動かれる黒い蟻さん。わたくしは一匹の蟻さんに「もとのり」と御名前をつけ申し上げたのでございます。もとのり殿は御砂場の上を歩いておられます。わたくしは もとのりの前に消しゴムを置かれました。もとのり殿はわたくしの思った通りにまっすぐ歩き消しゴムの上に来られました。もとのり殿は思ったよりもオバカなようです。わたくしは急いで消しゴムを持ち上げ、もとのり殿をほかの蟻さんから隔離しました。もとのり殿はオバカなようです。わたくしの気も知らずに宙に浮いた消しゴムの上を歩いております。わたくしは消しゴムと もとのり殿を机の上に置きました。もとのり殿は帰り道を探して うろうろされております。わたくしは本日もとのり殿にいじめられたのをお思い出しになられたので、しゃーぺんを おにぎりに なられます。わたくしは もとのり殿をおいじめ差し上げようとお思いになられるのです。もとのり殿は机の上を歩いておいで です。わたくしは もとのり殿を一気に御指でつぶすのはかわいそうだとお思いになられたのです。わたくしは もとのり殿の六本の足を順番につぶしていこうとお思いです。御指ではなく、しゃーぷぺんしるをお使いになられるのです。長くて つぶしやすい右後ろ足からおつぶしになられます。もとのり殿は御足が速くて つぶすのが むずかしいのでございます。上手くおやりにならないと、右後ろ足以外もつぶしておしまいになられます。わたくしは机の高さに視線を合わせ、机の面に目を近づけて しゃーぺんの先で もとのりの右後ろ足だけをつぶします。もとのりは右後ろ足がちぎれても走っていきます。次は左前足です。後ろ足よりも短くてつぶすのがむずかしいのです。しゃーぷぺんしるを刺したとき、左前足をねらったのに左中足も引っかかってしまったので、ついつい両方とも引きちぎってしまったのです。もとのりは六本あった足の半分を失って、歩くのが遅くなってます。左後ろ足と右前足、右中足しか残っておりません。わたくしは もとのり殿をお殺し差し上げようと もとのり殿の頭と胴体の間に定規をお入れになり、お首をちょんぎり申し上げようとした瞬間。足の半分を失った もとのり殿が、こけられたのです。こけた もとのりは定規の下に転がられたため、わたくしはもう少しで もとのりの体ごと定規でつぶしてしまいそうになられたのです。わたくしを指でつついたもとのりをひとおもいに殺してしまっては もったいのうございます。わたくしは念をお入れになられ、残った左後ろ足も、しゃーぺんの先でつぶそうと思われたのです。左足をすべて失われた もとのり殿がどの様にして歩くのかを観てみたいと思われたのです。わたくしはもとのりの左後ろ足もつぶし、右前足と右中足しかなくなった もとのり殿を眺めておられました。もとのりは体の左半分を引きづり、右前足と右中足だけで歩こうとジタバタ動いているのです。でももうほとんど体は移動いたしません。ジタバタ回っているだけです。わたくしは定規で もとのりの位置を整え、今度はゆっくりと余裕の表情で もとのりの頭と体の間に定規を降ろしたのです。わたくしは定規にへばりついた もとのり殿の頭と体を机の上に払い落とし、しばらく観察されることになったのです。もとのり殿の体はしばらく ひくひくと動かれておりましたが、やがて動かなくなられると硬いごま塩のようになられ、それでもしばらくは眺めていられたのですが、動かなくなった もとのり殿の体が、ただの黒い点になり、なんだかただのゴミのように思えてきたので、わたくしの指先をもとのり殿の体にくっつけ、ごみ箱の上で払い落とすと、もとのり殿の体は大きな黒いごみ袋の中に落ちていかれるのです。

わたくしは明日もまた学校に行って もとのり殿にお会いになられるのです。

教訓:

1)生きてるのが嫌になったときは蟻を飼えばよい。

眼 鏡

 僕は中学時代、眼鏡をかけることはなかった。特に目が悪いというわけではなく、必要がなかったのだ。

 高校に入り、五月頃になると、初々しい一年生も要領をかますようになり、英語の辞書など、重い荷物は学校に置いて帰ったりするようになる。

 その日は三時半に授業を終え、友達と一緒に帰宅していたのだが、途中で英語の宿題があったのを思い出し、一人、辞書を取りに教室へ戻った。

 四時。みんなが帰った後の教室は妙に静かでがらんとしている。誰もいないはずの教室のドアを開けると、机の上に眼鏡が置いてあった。夕焼けの中でたそがれる眼鏡のシルエット。丸みを帯びたボディーラインが滑らかな曲線をえがき、細長く伸びるフレームは耳元で緩やかに曲がる。

 僕はそれまで眼鏡をそれほど意識したことはなかったが、その日の眼鏡は僕を妙にドキドキさせた。

 「どうしたの?帰んないの?」

 沈黙の気まずさから、つい声をかけてしまった。眼鏡は何も言わず、ただじっとたたずんでいた。

 「ごめん、君は話せないんだったね。」

 僕はまだ、話してる眼鏡を見たことがなかった。いつも無言で誰とも話さないのが、彼女の常だった。

 教室の中に重い沈黙が流れた。体育館からクラブ活動の声までが聴こえてくる。

 「いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。しゃべれるなんて、たいしたことじゃないよ。しゃべれなくても偉い人はいっぱいいる、ヘレンケラーとか、・・・彼女は最終的に、しゃべったの・・・・かな?いや、その・・そんなつもりじゃなくて、・・・・あれ?」

 あわてて言い訳をするが、こんな時の言い訳は、かえって深みにはまってく。 「なあ、機嫌なおせよ。そんな目でにらまなくてもいいだろ。」

 眼鏡は何も言わず、無機質なガラスのような目で、じっと僕の方を見ている。無口な眼鏡と教室で二人っきりってのは、気まずい。この場のムードをどうにかしなきゃまずい。僕は話題を変えようとして、窓の外に身を乗り出して言った。

 「きれいな夕焼けだね。」

 眼鏡はガラスの縁を赤く染めて、コトンと眼鏡ケースからすべり落ちる。

 「大丈夫?」

 いまのショックで眼鏡が傷ついたんじゃないかと、近寄って眼鏡のレンズを下からのぞき込む。眼鏡は昔から体が丈夫じゃなく傷つきやすい性格のものなので、目が離せない。眼鏡はさっきから口をつぐんだままだが、「大丈夫?」という僕の言葉に軽くうなずいてくれている・・・あるいは僕がそう感じただけなのかも知れない。

 眼鏡はほっぺたを赤く染め、うつむいたままだが、妙に楽しそうにこっちを見ている。照れ笑い?・・・・なのかな。僕は眼鏡の気持ちが分からない。僕は眼鏡じゃないし、眼鏡も僕じゃない、そんなことは始めから分かり切ってるはずなのに・・・・なのに僕らは分かり合えたような気がした。学校のこと、友達のこと、将来のこと、話したいことはいくらでもあった。でも僕は何も言わなかった、言葉なんて必要なかった。

 だってそうだろう?眼鏡と話すなんて、変じゃないか!

魔 王 召 還 術

 いつの時代でも子供達は神秘的体験を求めていて、奇跡を信じる子供の前では、ときとして奇跡が起こる。

 マッツンは進学塾に通う中学三年生で、今年は某有名私立大学付属高校に入るための高校入試の年だ。成績を上げなくては付属高校に入れないのだが、中学三年にもなるとみんな進学塾にも通うようになるし、受験勉強にだって熱心だ。マッツンが進学塾に通い始めた中学一年時には、ひとクラスしかなかった塾の学級が、中学二年になるときにクラスが成績別にA・Bと二つに分かれ、マッツンは成績が悪い方のBクラスになってしまう。友達のシンジやカケルは、はじめAクラスにいたのだが、途中からマッツンと同じBクラスに落ちてきた。シンジもカケルもBの方が授業が分かり易いし、マッツンと一緒なのも嬉しいと言ってくれた。ところが今回中学三年になって、塾に通う人がさらに増え、クラスが成績別にA・B・Cと三つのクラスに分かれることになったのだが、今回もしマッツンがCクラスに格下げになるとまたシンジやカケルと別のクラスになっちゃうし、何よりお母さんから、

 「もし、次の試験でCクラスになったら、今年のクリスマスプレゼントは無いものと思って。」

 と言われてしまった。下のクラスに落ちるのはともかく、クリスマスプレゼント無しはまずい。いつもクリスマスはシンジやカケルと同じゲームソフトを買ってもらって、冬休みはみんなその話題で盛り上がるのに、もし買ってもらえなかったら、冬休みはマッツンだけみんなの話題についていけない。今年の冬を一緒に過ごすゲームを買ってもらえない上に、シンジやカケルとの話題まで無くなってしまう。マッツンとしては何がなんでもBクラスにとどまらなきゃいけないのだけれど、勉強だけはやる気がしない。実際、勉強したからってBクラス入りできるとは限んないし、勉強しなくてもBクラスに行けるかも知れないし、第一勉強たって何をして良いかわかんないし、どっから出るか、何が出るかなんて知ったこっちゃないし、でもこのまま行くとCクラス入りしそうな気がするのも事実なんだよなぁ。実際、シンジやカケルはAでは成績悪い方だったかもしんないけど、Bではかなり良い方だし、落ちることはまず無いだろうけど、マッツンはAとBの二つしかクラスがない今のBクラスでもかなり成績悪い方だし、このまま行くと、ABCの三クラス制だと確実にCだし、やばいかも知れない。でもどうして良いか分からない。

 その頃、学校や塾で流行っていたのが黒魔術やおまじないの本だった。十円玉を使ってするコックリさんやボールペンでのキューピッドさんなどから、恋の占いやおまじないなどだ。具体的には、自分の左手の甲に好きな人の名前を赤もしくは青の油性ペンで書いてその上にばんそうこうを貼る。そのまま、ばんそうこうをはがさずに一ヶ月過ごせたらその想いが相手に伝わるとか、願い事を唱えながら編んだミサンガを手首に巻いて、それが自然に切れるまで巻いたままでいると願い事が叶うとかだ。もっとも、中には呪いのわら人形を使ったものや夜中の2時に合わせ鏡をすると悪魔が生まれるといった危険なものまであるのだが、その中でもっとも危険なのが、魔法陣を描いて魔界の大魔王サタンを召還する魔王召還術だ。

 魔王召還術の何が危険だといっても、魔王召還後のサタンとの交渉ほど危険なものはない。魔王は人間の魂、それもなるべく若くてきれいな魂を欲しいものだから、マッツンのような子供は特に危険だ。魔王は召還した召還人を今すぐ魔法陣の外に出して魂を奪おうとする。暗雲を呼び寄せ、雷鳴をとどろかし、稲妻を魔法陣のすぐそばに落とし、辺り一面を炎上させる。火の手がすぐそこまで来て、風で舞い上がった火の粉と熱風で体が火傷しそうになり時には服にまで火がつくかも知れない。けれども、それでも召還者は魔法陣から出てはいけない。あくまでもサタンとの交渉は魔法陣の中なのだ。雷鳴も稲妻も炎も熱さも、すべては魔王の作り出した幻覚であり、召還者を魔法陣から出し、魂を奪おうとする魔王の策略なのだ。魔法陣の中にいる限りは魔王は人間に手を出せない。一歩でも魔法陣から出た瞬間、魔王は自分を召還した人間の魂を奪ってしまう。大事なのはたとえ何が起ころうとも、魔法陣の中にいて魔王と交渉することなのだ。

このままでは、来週のクラス分けテストでCクラス行きになってしまうマッツンは、魔王召還術を使い魔王の力でBクラス入りしようと考え、みんなに打ち明けた。おもしれーじゃん、やってみようよってなったとき、一つ問題が持ち上がった。魔王を召還するには広くて平らな土の上に、魔法陣を描かなきゃいけない。これは学校の運動場で良いだろう。問題は次だ、夜の十二時に六人の男女が交互に手をつないで呪文を唱えながら魔法陣の周りを回り魔王を呼び出す。つまり、男が三人と女が三人必要なわけで、男はマッツン、シンジ、カケルの三人だとして、残り三人の女子は、たぶん普段から仲の良い・・と言うかマッツン達と同じクラスで同じ塾といえば彼女達しかいないのだが、問題は彼女達がこの深刻な計画をまじめに聞いてくれるかどうかだ。

「えっ、マジ?魔王召還するの?失敗したらどうすんの!」

「いいジャン、かっこいいよ。いっぺんこういうのやってみたかったんだ。」

「うん、あたしもやってみたい。呪文唱えながら魔法陣描くのでしょ?」

「でも、失敗したら魂とられんでしょ?ヤバイよ。」

いろんな声はあったが、何とか作戦を実行することに決まり、実行は土曜日の夜に決まった。

「十二時の召還に間に合うように、夜十一時半に学校の門に集合。各自十一時前後には親の目を盗んで家を出るように!」

いつの間にか女子のサエコがノリノリで場を仕切っていた。

本番当日の夜、雲一つ無い星空で、魔王召還を始めると、この雲一つ無い星空が暗雲で一杯になるのかと思うと少し怖い気がした。マックンはコンビニでジュースを買ってくると言って、シンジはこっそりと家を出て、それぞれ学校の門に集まった。

「シンジ、早いジャン、いつも一番遅れてくる奴がよう、まだ十一時二十分だぜ!」

「だって、何か興奮してさ、そわそわしちゃって眠れねぇーんだよ。」

「あたしもぉー。なんかドキドキしちゃって、親の目盗んで早めに来ちゃった。」

サエコはシンジの頭こづきながら、

「坊や、寝ちゃ駄目なんだよ寝ちゃ、意味分かってる?」

ショウコがサエコのお腹触って、

「サエちゃんお腹あったかぁーーい!なんか入ってるーーぅ!」

サエコが腹から使い捨てカイロ出して

「良いでしょーーぉ。」

ショウコ、サエコのカイロにほおずりしながら

「いいな、いいな」

したらサエコが、背中に背負った小さなリュックを降ろして

「みんなの分もあるよ。」

とカイロやスナック菓子やクッキーを出し始める。

「おいおい、遠足かよ。」

つってると、当事者のくせに一番遅れてマッツンが

「待った?」

とか言いながら走ってくる。当事者のくせになに遅れてんだよと言われて

「みんな巻きこんじゃって悪いなぁと思ってさぁ、缶ジュース持ってこうとしたら何買うか選んでて遅くなっちゃって。」

とマッツン。

取り合えずみんな魔法陣を描き、時計を見ながら十二時になるのを待つ。十一時五十九分になるとマッツン達は輪になって男女交互に手をつなぎ、召還の儀式の準備に入る。

「五・四・三・二・一!」

六人の心が一つになり、呪文を唱えながら回り始める。星空はどこまでも澄み切っていて、いつまでたっても暗雲は立ちこめない。状況の変化に始めに気付いたのはマッツンだった。

「UFOだ!」

マッツンが観ていた方をみんなが振り向く。

「魔王が来る。」

ショウコが言うと、シンジが

「流れ星だよ。」

もう一度ショウコが

「でも、お空が。」

と言うと、空のキラキラした物体が上から下に流れて消えた。

「やっぱり流れ星だよ。」

と、もう一度シンジが言うと

「流れ星に願い事をするとかなうんだぜ!」

とマッツン。

「何お願いしたの?」

とサエコが聞くので、

「魔王が現れますように!」

とマッツンが言うと

「Bクラスに行けますようにって願かけた方が早くないか?」

と、カケル。それより

「付属高校に行けますように。」

って方が早いよと、ショウコ。

「付属校なんて本当に行きたいのか?」

ってカケルが言ったので

「入りたいに決まってんじゃん、エスカレーター式に大学に行けるんだぜ。」

「でも、私立は金が無茶苦茶かかるだろ?」

「心配しなくてもBクラスじゃ付属になんて受かんねぇーよ。」

「大学になんて行きたい?」

「でも、生涯賃金とか違ってくるんでしょ?」

「人より長く遊べるのは良いかも知れない。」

「長く遊ぶために今勉強するなんて絶対おかしいよ。今遊んだ方が絶対楽しい。」

「あたしずっとこのままが良い。」

って話になって。気がつけばマッツン達は夜空の下で受験のこと、進学のこと、将来のこととか、異性のことを話していた。夜を明かしてこんな話をするのは初めてだった。辺りが明るくなる頃にはみんな、誰よりも大事な仲間を五人も手に入れていた。明け方、親にみつからないように早めに家に帰って、何事もなかったかのように布団の中に入った。何で勉強しなきゃいけないんだろ?ずっとこのまま遊んでいたい。マッツンは考えた。ずっとこのままみんなと一緒にいたい。みんなといるにはみんなと同じ成績を取って、みんなと同じクラスに入って、みんなと同じ高校に行かなきゃいけない。別に付属高校に行くような成績じゃなくて精々、シンジやカケル達と同じ成績で良いんだ。

クラス分けテストの日、マッツンは何とかBクラスにとどまった。

少 女 小 説 講 座

はい、今週もやってまいりました。少女小説講座の時間です。まずテキストの三十九ページを開いて下さい。今週はキャラの立て方について、みなさんと一緒に学んでいきましょう。

まずは主人公です。名前は、陽子でもショウコでも、ナターシャでもキャサリンでも構いません。その国のその時代にあった名前がいいでしょう。フルネームとニックネームの二つを考えうまく使い分けるのがコツです。さて、問題は容姿です。主人公の女の子は読者が感情移入できるようなコンプレックスを持ってなくてはいけません。例えば、少し太ってるとか、胸がないだとか、そばかすが多いとか、そういったたぐいですね。これから書くのは恋愛小説なわけですから、当然、主人公の女性は様々な男性に言い寄られ、すてきな恋を繰り返します。そのとき、この女性が、読者とは違って、とても美人で頭が良くやさしく優秀であったりすれば、読者は主人公に感情移入できませんし、楽しくありません。ですから、主人公にはコンプレックスが必要です。そばかすや鼻ぺちゃなんてのは、いまさらって感じですから、なるべくならみんなが悩んでそうな、ポピュラーな悩み、太ってる、胸がない、背が高すぎる、背が低すぎる、やせすぎ、あと、性格が悪い、素直になれないなんてのも良いでしょう。

このコンプレックスの見せ方ですが、昔なら「そばかす、なんて、気にしないわ」でしたが、いまは、悩んで悩んで悩んで、ダイエットして、エステに通って、胸にパットだけじゃ足りなくて、タオル入れたりして、そのうち、彼氏が気づいて、「どうしたんだい?最近様子が変じゃないか。」とか言って、「実は・・・」と打ち明けると、「君はそんなことを気にしてたのかい?大丈夫だよ、いまのままの君が一番かわいいよ。」と彼氏が言って抱きしめてくれるパターンが流行りなわけです。

もう少し、玄人受けする小説にしようとすれば、少し不細工、少し太ってるを、もうどうしようもない程に不細工、もう救いようもないデブに、する必要があります。林真理子から、ダンプ松本。ダンプ松本から、ナンシー関への転換です。

この場合は、いろんな素敵な男性に言い寄られることも、多くの素敵な恋愛が短期間に通り過ぎていくこともありません。嘘っぽくならずに、そのようなシチュエーションを書く表現力を、普通の作者は持ってないからです。

パターンとしては、何度かの失恋を経験した後、本当に自分を分かってくれる男性が現れ、「でも、この男性も他の人と同じように、私のことをデブだのブタだのと言って、私の元を去っていくのね。」と不安になった主人公が、この恋だけは幸せなまま終わらせたいと考え、静かにその男性の前を去るのですが、すぐにその男性が追いかけてきて、「どうしたんだい?最近様子が変じゃないか。」とか言って、「実は・・・」と打ち明けると、「君はそんなことを気にしてたのかい?大丈夫だよ、僕はいまのままの君が一番好きだよ。」と彼氏が言ってくれるパターンです。このとき重要なのは「好きだよ」と「僕は」なのです。ここで、「僕にとって」というニュアンス、もっと露骨に言えば、「一般的には不細工な君だけど、僕にとってだけは、とても魅力的な女性に見えるよ」というニュアンスが大事なのです。

さて、次に大事なのは主人公の恋愛の相手役、次々に現れては通り過ぎて行く男性陣です。主人公は多くの男性と素敵なアバンチュールを繰り返すわけですから、その男性がそれぞれ異なった個性を持ってなくてはいけません。それぞれの個性が微妙に異なるというのは書く方の表現力も、読む方の読解力も要求されるので、ここでは単純に、ある点において正反対の対立点を持つ男性像が好ましいでしょう。例えば、優等生の美少年アンソニーと、不良っぽい魅力を持つかっこいいテディー(キャンディーキャンディー)。ワイルドで野性的で行動力のあるレッドバトラーと、知性と教養に満ちあふれる上品なアッシュ(風と共に去りぬ)。まじめでコツコツと何でも計画的に物を考える彼と、人生をゲームのように楽しく渡り歩き、先のことなど考えない彼。

ここでは取りあえず、自分の夢をひたすら追いかけてる姿が魅力的なR君と、これと言って魅力はないのだけれど、自分を何よりも大事にしてくれるS君にしましょう。ここでのテーマは、「愛することと愛されること、どちらが幸せですか?」です。

次はこの二人のルックスですが、二人のキャラクターを反映したルックスがよいでしょう。まず、R君ですが、恋愛よりも自分の夢を優先させることから、異性の目よりも機能性を重視したファッション。GパンにTシャツでスニーカーあたりが妥当でしょう。もう少し、泥臭さ、汗臭さを出そうとすれば、軍手と手ぬぐい、タオルあたりもアイテムとして使いましょう。このアイテムは劇団員やテレビのAD、映画の現場助手あたりの設定では、必要なアイテムとなります。

次に、S君のルックスです。S君はR君のカジュアルファッションに対抗して、フォーマル路線で攻めてみましょう。正反対で対比させた方が、表現しやすいからです。一昔前なら、先のとがったエナメルの靴にソフトスーツ・DCブランド系でしたが、今そのカッコをしてると、ほとんどホストクラブ状態なので、おでこ靴にジャケットとチノパンをタータンチェックでまとめ、中は淡いブルーのYシャツもしくはブラウスに、黒のベストと棒タイ。棒ネクタイの代わりに、スカーフを巻いて指輪で止めるのも良いでしょう。

さて、もう一度あらすじを復習してみましょう。先週やった二十三ページを開けて下さい。

始めに、何かに一途なR君に一目惚れ。この何かというのは、何でも良いのですが、ここでは取りあえず・・・・そうですね。プロの写真家になることを目指して、野鳥の写真をとり続ける彼を、偶然主人公が見つける。偶然というのは、恋愛小説の出会いの場面では、ひっすうアイテムです。ここでは、女の子どうしで山に旅行に行ってたときとしておきましょう。一目惚れした主人公はR君とつきあい始めます。ところが彼は自分よりもカメラが大事で、写真を撮りに旅に出たら、二週間ほど行方不明で、居場所も分からず、電話もくれません。現像室にこもると、半日は出てきません。ここが第一の困難です。

ここで偶然、S君が登場し、ドライブに誘われます。始めは乗り気でなかったのですが、R君に会えない寂しさも手伝って、ドライブに行き、楽しい一時を過ごします。R君との出会いの前に、主人公がS君を振るシーンから始めて、一度別れたS君が再び戻ってくるというのも良いですね。どっちつかずの状態がしばらく続いて、いつかR君にばれます。この、R君にばれるまでを、ハラハラドキドキで読ましていくのが作者の力量ですね。そして、R君を取るか、S君を取るか、迷いに迷う中、いつもそばにいて相談に乗ってくれるY君なんてのも登場させましょう。

このY君は同性のYさんにしても構いませんし、あこがれのお兄さん的先輩・・・・歳が離れてるし、異性としてみたことはないし、第一もう三年もつきあってる彼女がいるって言うし、一度だけその彼女に会ったんだけど、もうあたしなんかより全然大人で美人でかなわないと思ったし、でも、最後の最後でこのY先輩とハッピーエンドが恋愛小説のパターンだし(もうアルバートさん状態)・・・・・でも構いませんし、よく行く喫茶店のマスターでも構いません。異性としての魅力はないけど、人間としての魅力に満ちあふれた人が良いでしょう。最後にこの人とハッピーエンドになる可能性も頭の片隅にでも入れておきましょう。

さて、最後の結末ですが。意外な結末、大どんでん返しというのが、ベストではあるのですが、思いつかない場合は、無難にいきましょう。R君には写真があり、私には**がある。お互いに夢があって、今は共同生活のためにお互いの夢を犠牲にするときではない。お互いに両思いのままきれいに別れる。これ以上一緒にいてもお互いを傷つけ合うだけだから。そして主人公はS君との新しい生活を始める。こんなところでしょう。

この番外編として、十年後、S君との何不自由ない平凡な生活から抜け出し、ちょっとした刺激(パッション)を求めて、十年ぶりに再会したR君と冒険(アバンチュール)するというパターンもあるのですが(マディソン郡の橋)ここでは取りあえず、横においておきます。

さて、もう一度、キャラクターの話に戻ります。最後に立てるキャラクターは、スパイシーな脇役。そう、主人公のライバル役です。古いタイプの恋愛物では、金持ちで頭が良く、一応顔は美人だけれども、性格ブスで、根回しは上手いが、友達は少ない(キャンディーキャンディーでいうとイライザですね)というのが、一般的でしたが、最近の流行は、美人で頭が良く性格も良くて、同性の友達も多くて、異性にももてる、もうほとんど完璧じゃないかというのが、このキャラなわけです。このキャラの特徴は主人公のコンプレックスを刺激するということです。例えば、主人公が女の子っぽくないというコンプレックスを持っていれば、敵役は女の子らしく振る舞い、異性の前では緊張して話せないというコンプレックスがあれば、敵役は異性とも自然に話したりします。主人公は常にこの敵キャラにコンプレックスを抱きます。つまりこのキャラは主人公の、もっと言えば読者のコンプレックスの裏返しなのです。そして、主人公の大好きな男性B君が、ライバルであり、完璧な女性に見えるMさんのことを好きなようでいて、最後の最後で、「実は君のことが・・・」と、振り向いてくれることで、主人公の、そして読者の、コンプレックスは解消されるのです。しかも、最近の敵役である顔も性格も美人で、異性にも同性にも人気のあるMさんは「実はあたし、あなたのことがずっとうらやましかったの・・・」などと言ってくれて、「いつも背伸びして大人ぶって完璧を装っていたけど、実はその裏でそんな自分にいつも無理を感じてたわ。なのにあなたはいつも無邪気に飛び回って、自分の失敗さえも、笑いに変えてたの。わたし、最後まであなたには勝てなかった。結局B君にも振られちゃったしね。」と、あらすじ説明気味にMさんが言うと、主人公は両手を口元に持っていき、目をウルウルさせながら、「そんなこと無いわ。あたしだって・・・・・」とお互いがお互いをほめまくったあと、「これからも仲の良いお友達でいましょうね。」となります。この仲の良いお友達とか親友とかいうのも、異性相手だとかなり妙なニュアンスになるのに、同性だと、すっきりするのは何故なのでしょう。

このシーンは何故必要なのでしょう?コンプレックスの解消を確認するのと同時に、「私は誰も傷つけてない」ということを確認するためでしょう。主人公はB君の愛を勝ち取るのですが、主人公が競争に勝ったということはその横で、誰かが競争に負け、傷ついているということです。受験でもスポーツでも、勝者がいれば、それと同じか、それ以上の敗者がいます。勝者は敗者を蹴落とし、勝負に勝ったわけですが、隣に傷ついた敗者がいれば、「私があの人を傷つけたのではないか?」という罪悪感に駆られます。その罪悪感をやわらげるためには、敗者の側から「これからも仲の良いお友達でいましょうね」と手を差しのべるエピソードが必要なのです。

ですから、主人公の最後のセリフも、「その通りよ。わたしとあなたとじゃ、人間としての格が違うの。」と、ひとこと言ってやれば、今までの話を全部ぶちこわして、実は主人公はとてつもなく嫌なヤツだったという、とんでもないオチがつくのですが、そのようなパターンは書かない方が無難でしょう。それをすると、前衛小説になってしまいますから。(ジェームス=ジョイスの「ダブリン市民」にこのようなパターンがある)。

真 夏 の 太 陽

太陽がギラギラと照りつける暑い季節だった。

油まみれの授業は延々として進まず、脂汗でベトついたYシャツは、ネトネトして気持ち悪く、窓の外の風景は陽炎でゆらゆら揺れる校庭を写していた。コンクリからは煙が立ち昇り、思考は停止したまま延々として進まず、授業は何度も何度も同じ所を行ったり来たりし、復習と予習と学習とがごちゃごちゃしたまま、教科書のページを行ったり来たり、生徒の思考が止まってるからと一時間捨てて復習に当ててみたところの先生の思考も累々として進まず同じ所をぐるぐると悪夢のような熱帯がベトベトまとわりついて、コンクリのボックスに溜まった炎々とした空気を吐き出すようにと先生が指示した「窓を開けるように」との指令も「すでに空いてます」という言葉の前では無力であり、光化学スモッグ警報という乾いた空気の前では、外界に向かって解き放たれた窓さえ無風状態を再確認するに留まり、結局の所、教室の窓は開いているけれども風は流れておらず無風状態のまま、熱い空気が留まったままだった。先生は下敷きで顔を扇いで良いですと言いながら、みずからもバタバタと出席簿で顔を扇ぎ、扇ぎながらで良いですから授業を聴いて下さいと言い、授業を続けた。

炎天下での体育は生き地獄だった。息が苦しくて空気が止まってる感覚に侵されて、肩を開いて胸を膨らまし、思いっきり深く深呼吸すると、乾いた熱い空気が肺の奥まで入ってくるのだが、それでも酸素が足りなくて、もっともっと深呼吸しなくてはならなかったし、そうすると肺の中のネトネトした細胞膜まで渇き切ってしまいそうで、そうなると乾いた肺からは酸素が吸収されなくなるので、このまま息が出来なくなって死んでしまうのではないかという感覚が少しでも沸いてくる前に、全力で運動場に向かって駆け出し心の中のもやもやを振り切ってしまう必要があった。走っている間だけはすべてを忘れて汗だくになることが出来た。

ピィーーッという先生の笛のねとかけ声によって作られた休憩時間には運動場の隅にある水飲み場に向かって駆け出さなければならない。すべての生徒たちは音に反応するセンサーをつけた機械玩具のように笛のねと同時に走り出す。陽子は走り出す周囲の体操服をじっくり観察した後、自分もまた走り出すべき立場にいることを確認し、そして水飲み場に人があふれ順番を待つ列が四列、一列に約五人ほどいるのを確認すると今さら走り出しても列の最後尾に着くだけで順番は前にならないのだけれども、ここで一人だけ遅れてゆっくりと歩いていくのも何だかふてぶてしく感じられるので少しだけ小走りに駆け出すと、全力で走る衝動と快感におそわれてしまったので、思わず衝動と快感に体をまかせ全力で駆け出してしまっていたのだが、何だか分からない物に操られる快感はそれほど長くは続かずすぐに水飲み場が近づいてくる、取るべき行動と操られてしまう行動との幸福な一致は長くは続かずこのまま走り続けるには水飲み場をもっと遠くへやらなければならない、それが無理なら陽子は水飲み場を全力で駆け抜けその向こう側にある校庭、さらには校門の前を通り校舎の裏を通って水飲み場まで戻らなければならない、けれども全力で走って校門まで行くことは、決してそこをくぐり抜ける意思がないとしても、周囲に・・とりわけ体育教官にある種の疑念を抱かせないだろうか、よしんば体育教官に疑念を抱かせないとして、本当に自分は校門の向こう側に向かって走り出さないだろうか、そしてこの種の疑念は体育教官によって陽子の疾走が未然に防がれ未遂に終わったとき、それが誤解でしかなくまた元の位置に戻ってくる類の物であることを証明するすべを持たないのである、そして水飲み場の前で衝動を振り切り、操られることと求められることとの幸福な一致を失い、体を自分で制御し始めた陽子は自分の体が思いの外涼しいと感じるや否や四階建ての校舎によって作られた日影に自分の体があることを知りほっと一安心したのもつかの間、もっと汗だくになるまで走れば良かったとの後悔が沸いてくる。

水を飲む順番はすぐに回ってくる。蛇口に口を付けると胃壁から体に水が染み込んでいくのが感じられ、煮干しのように渇ききっている体に水分と潤いが循環して刺身になる。一通り水が行き渡ると腹に水が溜まり出すので、ちょっと気持ち悪くなりパサついた髪に直接水を浴びせる。さっきまで熱かった体温が急激に落ちてちょっと冷静な態度に戻る。休憩時間終了まで二・三分時間が余ったので、汗でぐしょぐしょにぬれた体操着の端を少しにぎって両手でしぼってみるが二・三滴落ちただけであまり水は出ない、あたりまえか。

体育の授業が終わるとまたブレザーに着替えて教室の授業、汗を含んだ白いブラウスがベトベトと体にまとわりつく。授業が終わるとクラブ活動。また炎天下での体操が始まる。グランド整備にランニング、柔軟体操に球拾い。五時にクラブボックスで服を着替えてクラブを終え、重たいカバンを背負ってそのまま下校。太陽はまだ高く、周囲はまだ熱い。気温はまだ三十度を越えており、体育とクラブ活動で疲れた体では三十分もかけて歩いて帰るのは至難のわざに思えた。実際、下校中の通学路はいつもと違ってゆらゆらゆらめいていてそれが陽炎のせいか、体の疲れかよくわからないし、わかりたくもない。ふと通学のわき道を見るとクーラーのきいたガラス箱、涼しそうなコンビニが建っている。コンビニの駐車場には同じ学校の制服を着たのが、だらだら汗を流しながら、けれども涼しそうに棒状のアイスをかじっている。だるい、暑い、苦しい、息が詰まる、早くコンビニで休憩しなければ。

ドアの向こう側は涼しさの楽園だった。コンビニのドアを通り抜けるまでが暑さと湿気とで不快指数百二十パーセントの中央湿地帯の熱帯雨林ジャングルパークだとすれば、ドアのこちら側は熱帯魚の泳ぐ涼しげな水槽、どこまでも透き通る真っ青なマリンブルーがいままで敵でしかなかった太陽さえも友達に変えてくれる。英和辞典と教科書と体操着の入った重い学校指定のボストンバッグを床に降ろし、重さから解放された肩を軽く回して伸びをする、そして大きく息を吐き、クーラーの利いた涼しい風を思いっきり吸い込むと体の芯から疲れが抜ける。床に置いたボストンバッグを足で蹴って入り口付近のコピー機のそばに寄せそのままカバンを置いてお店の中をクルージング。誰がカバンを盗るわけでなし、盗られりゃ盗られたで学校に行けなくてラッキーだし、何より体が軽くなる。首を左右に振ってポキポキならし、ふと腰をかがめると色とりどりの消しゴムにヘアバンド、マニュキアに口紅リップスティック。薄い透明のビニールに身を包み、光をキラキラ乱反射させている。きらめく彩りを眺めつつ後ろの壁にもたれ掛かると手元にひんやりとした妙な感触。氷菓子の入った冷凍箱。ガラス越しにでも伝わってくる冷えた空気、ガラス越しに見える凍りついた世界、真っ白な霜に囲まれて白いトゲトゲがあちこちにからみつきアイスを包む水色のビニールパッケージさえも凍りついてしまって握りしめるとパリパリ音を立てて割れてしまいそうな程、冷たく甘いアイスボックス。ガラス越しの誘惑にそっと頬を擦り寄せてみる。冷たくて気持ち良い。少しだけ扉を開けて中を覗き見る。ひんやりした空気がこちら側に流れてくる。一つだけ手に取りこれだと決め、財布の中からワンコインだけ取り出して、プラス消費税分の五円玉か十円玉を探すが、財布の中は二円と千円。もう一度スカートのポッケに手を突っ込んで探してみたらあった十円玉、これで買える氷菓子。ふとレジを見ると一つのレジに大勢の人が並んでいて、あわてて奥からもう一人店員が出てきてもう一つレジを開くがすぐにそこも満杯になり、店のレジは二つしかなく店員も二人だけで、客の列は縮まりそうにない。最後尾に並んで待っていたら、店を出る頃にはアイスが溶けてしまう。そうでなくても店の外は暑い。先程の陽炎でゆらめくアスファルトの照り返しを思い出すとこの店を出てから家に帰るまで本当に体が持つのか心配になった。気がつくと陽子はアイスとカバンを持って店の外に出ようとしていて、左腕を「ぐい」と捕まれていた。二つのレジは忙しく動いており、見ると腕をつかんでるのは他の店員より少し老けた、そして店長もしくはこの時間帯の責任者だと思われる第三の店員だった。こいつはバイトにレジを打たせて自分はクーラーの利いた店の奥でのんびりとアイスコーヒーでも飲みながら防犯カメラを眺めていたに違いない。控え室に引っ張られてるあいだ頭に浮かんだのはただそんな感じのどうでも良い憶測だった。

陽子は店長に

「なぜアイスを盗んだんだ?」

と、怒鳴られると、ふと天井の隅を見上げ、こう答えた。

「太陽が・・・まぶしかったから。」

もちろんカミュの「異邦人」をもじった冗談でしかないのだが。

天 空 の 花 嫁

カーテンが誘ってる そよ風の中で身をくねらせながら 白いレースが窓辺に誘う  陽射しの中を踊るカーテン 光はカーテンを通り抜け こもれびのように小さく散って 妖精になって翔び回る 妖精達は優しい声で 

「こっちに おいで」 と、

ささやきかける 向こう側の楽園に 僕はまだ行ったことがない

友達の部屋で吸ってたシンナー

ヒロトも尚子も、誠二もミナヨもみんな吸っていた 

鉛の曇り空がゆっくりと流れ

気怠い生活の垢が愚痴となって流れ出す

・・ったくよ、奴等はいつも・・・・「ね、きいてよ。わらっちゃうんだからぁー。」・・、うちの親なんてさ・・・、冗談じゃねぇーよ・・・「私のばあい、・・ってかんじかな?」・ってんだぜ・・・なんてね・・・かもしれないな・・・、わかんないけど。ふかしだろ、それ?・「ね、ヒロト、どう思う?ねぇ、きいてるの?」・いっってんなよ・・・なわけねぇーよ・・・っっとかさーっ・まっ・た・っっくよ。

ミナヨはヒロトの耳元でつぶやくようにこう言った。

「ね、私のことどう思う?」

「奴等って、・・じゃん?ざけてると思うよな?」

「うるせー、疲れてんだよ、ちくしょぉー」

「これでも結構、クラスの男子には・・・のよ」

会話がかみ合ってなかった みんな自分のことをしゃべるだけで、誰の話も聴かない ただ一緒にいるだけで なぜだか友達のような気には、なれていた

誠二も ヒロトも いつでも こんな奴等とは縁を切れるつもりでいた いまはただ この状態が心地いいだけだった

尚子は ミナヨの強引な性格が うらやましかった なのに いつも黙って 膝を抱いて 壁にもたれてるだけだった

一緒にいて わがまま言って無視しあって・・誰も相手にしないし 誰も相手してくれない 何も求めないし 何も与えない ただ手に入らないはずの何かが欲しいだけ

尚子は突然立ち上がって言った。「みんな私を必要としていない!親も学校も友達もみんな私のことじゃまだって・・。」

ぼんやりとした瞳はピントがあっていない

ヒロトと誠二は いつも一緒にしゃべっていた

おまえちょっとパーじゃん?・・かもしんない・・・いっちゃてるしさ・・HAHAHA・・・・おまえじゃなくてその・・なんて言ったかな・・尚子?・・そうそう・・存在感ないから、忘れちったよ・・らりってる証拠じゃん・・・ってんじゃねぇーよ

ミナヨはヒロトの顔を両手でつかんで自分の方に向けさせる。

「私を観て、私を観てよ。これでも結構ねぇ、・・・」

ヒロト熱いじゃん・・そんなんじゃねーよ・・誰なのそれ・・・しらねぇー・・・HAHAHA・・ひでぇーよそれ・・わかんねぇー・・かもしんない・・・ってるだろ

共働きで親が留守のヒロトの家で味わう妖精は格別だった

特に午前中 学校をさぼって戯れる妖精達は

「でもね、天国は違うの。神様は私を必要としてるの。神様が天国に、おいでって、天使になってって言ってるの」

尚子はベランダに出て手すりに上る

十二時 重なりそうで重ならない 長い針と短い針  短い針は真っ直ぐに空を見上げるのに 長い針は重なり合えずに通りすぎる

「待て!俺はオマエヲ必要と・シ・テ・イ・ル」

誠二は突然尚子に向かって叫び ベランダに手を伸ばすが

手は届かないまま している

昼下がりの市営住宅 土曜日の公園 下校中のランドセル 五階のベランダにはどんよりと濁った風だけが流れてる

尚子はベランダの手すりに立ち 空を見上げる

「私ね、天使になるの、天国に行って、神様のそばに お えして・・・」

妖精に包まれた尚子は 妙にまぶしかった

「尚子 跳ぶな いいからそこでじっとしてろ!」

誠二の叫び声は尚子には届かない

「神様、あのね、わたし天使になったら、ずっとずっとこのままでいるの、」

ベランダの手すりに立ち、曇り空を見上げて、神様とおしゃべりする尚子の意識は、すでに地上にはない

誠二は立ち上がろうとするが 妖精と遊び回って ひざが立たない 壁にへばりついて膝を立てるが 足首が逆さまにねじれ ひざから崩れ落ちる

・・・なに・あれ・・誠二馬鹿じゃん・・・キャハ☆観た?さっきの?・・・マジになってやんの・・・かっわいいー・・・誠二ちゃんたら・・なに惚れてんの?・・じゃないけどサ・・・あ・やいてんだ・・・ざけんじゃねぇーよ・・

「うるせー!」

誠二は叫ぶが いまは馬鹿の相手をしてる場合じゃない 両手をついて這おうとするが 左手の手首が空を切り 肩からフローリングの床に崩れ落ち 頭が床にたたきつけられる 情けないことに自分までがヒロトと同じトルエンの とりこになってたことに気付く誠二  ひじから先は感覚が麻痺して動かない 妖精を なでる指先は魅力的な感触から逃れられない 両腕のひじは下らない床の感触を感じながら 叩きつけるようにして現実の床に楔を打ち込み 痛みを感じながら ベランダまで這おうとする

「神様は子供が好きだよね。だから天使は子供のままなんでしょ?純真で、無垢で、無邪気で・・。私も子供のままでいたいから、天使になって、神様にお仕えするから・・・」

薄暗い曇り空の隙間から太陽が顔を出し始め 地上に幾筋かの光の矢を放つとき

尚子は光に向かって翔んだ

「私は天使 神様が呼んでるの」

尚子は羽の生えた天使になり

妖精に守られながら天国に向かって翔び立った

地上にはただ 尚子の真っ赤な抜け殻だけが残り 大人達は口やかましく騒ぎ立てたけど そんなことは一匹の蚊を新聞紙で 叩き潰したほどの意味 しか持たなっかった 肉体の有限性より 魂の無限性の方が偉大だってことは 光の中で妖精達が教えてくれていた

あれから八年の年月が流れ

 みんな大人になったけど

写真の中の尚子は今もあの頃のまま

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BGM:「憧れ」作曲:森田博美