論文風味桃太郎

   過去。過去と呼ぶことさえ仰々しく感じられるほどの過去でしかないのだが、はてさてこれは筆者の記憶力不足のためだろうかそれとも、編者の資料整理上の問題とでもなるのだろうか、もしここでどれほどの過去なのか、はたまた過去におけるどの地点であるのかと尋ねられるならば、力不足のもしくは努力不足のと言った方が正確かもしれないいわゆる筆者の文献学上の問題から、苦渋に満ちた表情で、過去のどの地点か定かであるかもしれないし,おそらく定かであるはずなのだが私にとってはいかんともしがたくその正確な地点を記憶にはとどめていないほどの過去であるとしか言いようがない、さりとてここでこの過去が過去におけるところのどの地点であったかを論じているわけではなく、仮にここでそれが過去におけるところのどの地点であったか分かったところで、事態は一向に進まない、すなわちここにおけるところの過去などと言うものは仮にはっきりしてた年号や時期が出てきたところで、それが過去におけるどの地点にあたりその時代の日本における時代の潮流がどうあり、同時期のフランスの上流階級における風俗の興隆が民衆の一般経済にどのような雇用をもたらしたかなどを思い返しこの物語の背後から感じとるなどと言ったことはどうでもいいのであって、記憶の奥底にでもとどめておくにも値しないほどの過去としておいてもかまわないほどの過去におけるある地点のある場所に、この場合のある場所というのもある特定の一地点、ある固有の場を指しているにも関わらずその場所を特定することなく一般化しているというきわめてアンビバレントな状態にあるのだが、概して記憶に残らないような情報、先ほどの過去におけるある地点や、今回のように空間におけるある地点と言った情報のように、一度はどこかで記憶をしていたはずであるにも関わらず、記憶から抜け落ちてしまうような情報は、一度はどこかで記憶していたにはずであるにも関わらず、記憶から抜け落ちてしまう程度の情報でしかなく、それこそがまさに情報にとっての分相応の処置であり、仮にこの物語が過去のどの場所において起きたのかが問題となりうるような可能性をはらんでいたとすれば、それは私のつたない記憶力であったとしても、私の記憶に残っているはずであり、ましてや皆様方諸氏の記憶のどこかにでも残っているようなたぐいの物に違いありません。すなわち今この地点においてこれから始まる物語は(以下略)

トップへ