アイドル経済学

アメリカのアイドル。マリリン=モンローとオードリ=ヘップバーン。この二人は孤児院出身者だ。日本のアイドル美空ひばりと山口百恵と宮沢りえは母子家庭出身者だ。80年代初頭、成功するアイドルの条件の一つに、九州・四国出身者があげられた。

何を言いたいのか?アイドルは幸福な家庭からは生まれないということ。アイドルの平均デビュー年齢がだいたい16歳。義務教育が終わる高校1年生でデビューだ。九州出身のアイドルに松田聖子(彼女は高校を卒業後18でデビュー)がいたが、16でデビューしようとすれば16で東京に一人暮らしをしなくてはならない。大学を出て、23・23でデビューでは遅すぎる。中学を卒業し単身東京に上京してくる。限りなくヤクザに近いプロダクションの社長を頼り、裏通りの貸しビルの細くて暗い階段を上がり、2階の裏ビデオ専門店、3階のテレクラ、4階の空き事務所を通り過ぎ、5階の小さな事務所に入る。電話と机と電話番が一人、ソファーが一つの6畳間。いまここでレイプされても誰も助けてくれない。プロダクションは金の工面をする社長、いつ仕事の依頼が来ても良いよう電話番が一人と、スピーカーを積んだ白のバンにアイドルを乗せて全国を一緒に巡業するマネージャーが一人の3人だけ。全社員が3人で、資本金が一千万、この額はXがメジャーデビューするときにレコード会社からおりた広告費と同じ額で、かつ「ぴあ」に一ページのカラー広告を出すときに払う金額(80年代後半バブル全盛期のデーターなので現在はもう少し安くなってるかも)と同じ額だ。これがアイドルへの第一歩である。

レイプの心配は何も女性アイドルに限ったものではない。元フォーリーブス(元祖ジャニーズ)の北公次氏のジャニーズ暴露本でも見れば、男もレイプされるんだぁーってのが実感できる。

女性アイドルのデビューはたいてい6月ごろの雑誌のグラビアで砂浜での水着写真だ。夏先取りの6月号の写真は、3月ごろ撮られる。プロの仕事は準備に手間と時間がかかるのだ。早めに撮って完成品を雑誌社に送り、掲載の内定をもらわなくてはならない。三月。中学を卒業してすぐ、いきなり水着で早春、もしくは冬の海に立ち、「じゃあ、足首までつかろうかぁ?ハーーーイ!笑ってぇー。じゃあ、そこで横になってぇ、そのまま泳いでみるのもいいなぁ。じゃあ、次、濡れたTシャツ行くねぇーっ。」その横でポンポン漁船がポンポンいいながら通り過ぎる。彼女は一言「いつかグワムかサイパンで撮ってやる!」でも、その場合ギャラは発生しません。グワムで5日間の場合、撮影で3日、2日がオフ、グワムで2日遊べるのがギャラです。もちろんこの2日は、行く1日と帰る1日ですから、実質半日づつしか遊べません。ギャラが出ないことの言い訳です。でもアイドルは水着になりたがります。何故でしょう?他に仕事がない。それもあります。

でも、深夜ラジオでしゃべっていた裕木奈江の場合(俺は昔聴いていたんだよ、悪いかコラ!)、
「最近東京から出てないよぉー(いかにもアイドル風に伸ばす)。」ずっと仕事が入ってるんだけど、どうして東京ばっかなんだぁーーって考えたら、水着にならないからなんだよね。あたし、スタイル良くないから、水着にならないって決めてて、そうすると、海に行けないんだよねぇ。」
彼女はその後フランスで写真集の撮影に入ったのだが、「ポケベルが鳴らなくて」でスタッフサイドを敵に回してでも、指定されたミニキュロットやミニスカートをはかなかった彼女で、どんな写真を撮ったのかというと、広角レンズで広々とした砂漠の地平線を歩く裕木奈江を撮ってる。地平線に沈む夕日をバックに薄手のワンピースを着た裕木奈江がいて、夕日に対して逆光ですから、当然ワンピースが透けて裕木奈江のボディーラインがシルエットとして浮かび上がるというアイデア物。カメラマン良くやった!ってのと同時に、裕木奈江、ポリシー貫けよ!セルフイメージをセルフコントロールする自己演出型アイドルにでも、海外旅行というエサは効くのだなという・・話を元に戻すと、中学卒業直後、ヤクザ同然の人を頼って一人暮らしをしなきゃいけないアイドルてのは、中学卒業以前から幸せな家庭を持たない人間に限られるってことです。ところが、社会が豊かになって、いわゆる捨て子ってのがなくなると、アイドル自体も衰退していくわけで、おにゃんこクラブってのがその典型で、タレント活動を高校と両立できるクラブ活動にしてしまったため、嫌な仕事/地味でテレビに出ない地方営業やドサ回りもがんばりますってヤツが居なくなってしまったわけだ。

世の中が豊かになれば、アイドルは消滅する。これがアイドルと経済の反比例法則だ。

ビートルズの商品学

ロックの中で一番偉いのはビートルズだと一般には言われている(この文章を書いた当時、この点が一番突っ込まれた。渋谷陽一系の音楽評論で育った自分としてはビートルズが一番偉いというのが一般論だと思っていたのですが、バーンや炎読んでる人ですと、メタリカだったり、ポップス寄りの評論(Ex萩原健太)読んでる人だとビーチボーイズをあげる人もいて。一人「やっぱベートーベンでしょう」という人もいたのですが、「それはロックに入れないでくれ」と反論しましたが)。では、ビートルズは何故偉いのかって辺りを考えたい。

まずビートルズはメジャーデビューするまで、3年ほどインディーズで活躍していた。その頃はリーゼントで黒のレザーパンツや革ジャンを身に付けていた。酒場で演奏するのだが、演奏が下手で酔っ払いの客がステージにイスや酒瓶を投げつけ、それをジョンが投げ返し、乱闘になってステージに上がろうとする客をジョンがブーツのかがとで蹴りを入れたり、飛んでくるイスや酒瓶から楽器を守るため、ピアノの影に隠れて演奏したりしていた。客の人気を取るため、飛んだり跳ねたり、ステージを走り回ったりしながら演奏するという曲芸を入れて、やっと人気が出た。たった五曲しかないレパートリーを酒場の営業時間中、12時間ぶっ通しで演奏し続けるテンションを維持するため覚醒剤を使用した。

ビートルズが売れるのはブライアン・エプスタインがマネージャーに付き、ステージ上での飲食をメンバーに禁じ、髪型と服装をエプスタイン好みに変えてからだ。デビューして三ヶ月でイギリスアイドル界の頂点に立ち、女王陛下の前で演奏する。このとき演奏直前まで楽屋でエプスタインとジョンがケンカをする。

「この曲は皆さんにも参加して欲しいのです。安い席の方は手拍子を、高い席の方は宝石を鳴らして参加してください。」

女王陛下の前での有名なMC(曲間のトーク)だ。ジョンの予定では始め「宝石」ではなく「ファッキン・ジュエル」と言う予定だったらしい。チケケットが高騰し、普通のティーンエジャーには買えない値段にまで上がっていた頃の話だ。デビュー後一年でアメリカに渡る。渡米前にアメリカのレコード会社社長がビートルズカットのかつらをつけて記者会見し話題を呼ぶ。この会見に社長自身は反対したが、エプスタインが強く要求した。ビートルズを乗せた飛行機が空港に着くと、アメリカの記者がいっせいに彼らを取り囲み、

「散髪には行かないのですか?」
「実は昨日行って来たよ」
「ベートーベンをどう思います?」
「良いね、特に詞が好きだよ。」

という会話が交わされる。エド・サリバンショウ(TV)に出演し史上最高の視聴率を取るが、二千人規模でのホールで一ヶ月半のロングラン公演には成功していない。カーネギーホールで三日間のライブといった、一万人以上入るところで短期に稼ぐのが彼らのやり方だった。

ここまでで分かるのは、目新しいルックスをしたアイドルグループは、飽きられるよりも先に別天地に行ったほうが良いこと、少し時間をおくとすぐに飽きられること、マスコミを最大限利用し、デビュー前に話題を振りまいておかなければならないこと。さらに有名な話だが、ビートルズ、ストーンズ、セックス・ピストルズといった世界に認められたバンドはすべてがイギリス出身なのだが、その理由は、アメリカで成功すれば世界で認められたことになるのが世の常で、アメリカで認められるには英語が必要なこと、イギリスは英語圏であること、アメリカ出身でアメリカに認められても、「世界に認められた」と言ってもらえないことがあげられる。

ビートルズは日本にも来た。ものすごい盛り上がりを見せたらしいのだが、彼らが居たのはたった5日間であり、ライブをしたのは3日、一度のライブが2・30分だから、実質一時間ちょっとしか演奏していない。一時間ちょっとの演奏で熱狂を作り出せるわけがなく、ビートルズ来日の盛り上がりは、来日前にエプスタインによって準備されている。
(以下WAVE出版、竹中労編集、ビートルズレポートより)
大分県教育委員会では、県下の公立高校に対して、「ビートルズの公演に生徒をいかせぬように指導してもらいたい」という通達を行った。(中略)高田高のように「バスを借り切っていくという話もあったので早速禁止した」P18

東芝は新宿の京王デパートで十七日から一週間「ビートルズ写真展」を催した。(中略)若い男にカツラをかぶせて、ビートルズカット出現と日刊紙やテレビニュースに取り上げさせたし、洋服問屋をおだててビートルズルックと称して、ハイカラーのスーツを大量に作らせた。(中略)「ビートルズ大会」というソックリショーを企画したこともある。P93

日本公演について、エプスタインは綿密な計画を立てた。まず、日本のジャーナリストの名簿を取り寄せ、マスコミをどういう方法で動かすか研究した。P71

午後六時二十五分、十階プレジデントスイーツの扉が開く。ビーツルズは従業員エレベーターで地下三階まで直行する。待機していたキャデラックに乗る。
以上所要時間五分。警視庁警備課が、何回も実地演習して練り上げた、脱出作戦は実地された。P12

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ビートルズのコンサートに行くなという通達をするように、教育委員会から各県の教育委員会、さらに全国の高校に行っており、全国の高校でホームルームや朝礼を使って通達をしているのだが、それ自体が高校生に対する広告になっている。ビートルズのコンサートに行くなといわれれば行きたくなるという意味での広告だ。

さらに、ホテルから武道館までビートルズを安全に運ぶための予行練習。この予行練習が新聞記事になるだけでも、ビートルズはすごいのだとゆう広告になっている。さらに

警戒対策本部の山田警視正は「二分間の遅刻は極めて遺憾であった」と訓示し、(同書P14)

警察の偉いさんが、ビートルズを武道館まで運ぶのにかかる時間が予定より二分多かったことに対しワビを入れるという念の入れよう。「ビートルズはすごい」という演出を効果的に行っている。この演出を指示してるのがエプスタインであり、実はビートルズよりもエプスタインの方がすごいのではないかというのが、僕なりの結論だ。では、エプスタインの死後、ビートルズはどうしたのだろうか。

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ワールドツアーを終えたビートルズはその成果を持って、本国イギリスに帰ってくる。アイドルだったビートルズはマハシリと名乗るインドの変な宗教家の影響を受け、インド人の格好をして戻ってくる。デビュー当時マッシュ頭という奇抜な髪型で話題を集め、エリマキトカゲや人面魚的な人気を集めたビートルズが、インド人の姿になり、インド哲学を語り、インドのライフスタイル(香をたき、マリファナを吸う)の紹介者として戻ってきたのだ。これがちょうど「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」の頃である。で、エプスタインの死もこの辺りだ。

この次のホワイトアルバムでは、当時世界最大だった馬鹿でかいジャケットを特注で作っている。特注のレコードジャケット(容器)では、レコード屋のレコード棚に入らないので、店頭のショーウインドーに飾るしかない。ショーウインドーに飾られたでかくて白いジャケットはそれだけで広告になる。(その後日本のあまり有名でないフォーク歌手がホワイトアルバムよりでかいジャケットでレコードを出したが、そのレコードはレコード店の棚の上でほこりをかぶってる)

次のアビーロードのジャケットは、神父と死体と葬儀屋と死体運び人の格好をしたビートルズの四人が横断歩道を渡っている写真だ。死体役のポールはマスコミや人の集まる場所に出なくなることで、死んだという噂になり、さらにアビーロードの曲の中でジョンが「ポールは俺が殺した」と歌ってる(ジョンは否定)声が入っていたり、レコードをテープにとって逆回転で聴くとポールの叫び声や「助けてくれ」という声が入っているという噂まで流れた(流した?)。

エプスタインの死後の演出はどれも非常にわかりやすく出来ている。さらにどの演出もビートルズが有名であることを利用しており、無名の新人がやっても成功しない演出ばかりだ。

ビートルズ人気を考える上で、映画というのも大きなキーワードだ。前出のビートルズレポートを見る限り、当時の日本の女の子の一番人気はリンゴであり、ポールでもジョンでもない。リンゴは演奏では目立たないドラムスだが、映画では主役を張っていた。ビートルズの初主演映画「ビートルズがやってくる、ヤァヤァヤァ」を観ると、私の目にはジョンが主役のようにみえた。映画の内容は、ドリフやチャップリンと変わらない軽いコメディーでけっこう笑えたのだが、面白いギャグのほとんどはジョンとポールで持って行ってる。リンゴはギャグらしいギャグを一つもやっていない。リンゴは自分の世界に閉じこもる内気な男の子で、それが老人に「人生を楽しめ」とけしかけられて、ほんの少しだけ冒険をしてみるというだけだ。次から次にいたずらをする自由なジョンより、臆病で自閉的な子の「はじめてのおつかい」の方が女の子には受けるのだろう。

八時だよ全員集合でもアイドルがコメディーに参加することで、番組内で歌うことを許可されていた。歌が始まると視聴率が下がるのは「HeyHeyHey」でも全員集合でも同じだ。視聴率だけ考えれば全部トークかコメディーが良いのだが、番組の目的は視聴率よりもレコードを売ることである。コメディーで人を集め、音楽を聴かせてレコードを売るというビートルズ商法は、アメリカのテレビにおいて、モンキーズやフーを使ってなされている。日本だと加山雄三の若大将シリーズはクレージーキャッツのコメディー映画と常に二本立てであった。コメディー&トークはアイドルの必要条件だ。

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