最悪な気分のとき落ち込むためにでも

第一章 豊かな家庭

 「青春が美しいなんて誰にも言わせない」

 って、どっかの誰かが言っていた。この物語の主人公ニールは南米はネイチャーランド生まれだ。

 「おまえ達は豊かな家庭に生まれて幸せだ」

 夕食どき、家族で食事をしていると、ニールのお父さんは酒を飲みながらいつもそう言ってた。酒が回ってくると、特にしつこく

 「おまえ達は幸せだ」

 とか

 「こんな豊かな家庭に生まれて良かった」

 と言い続けた。

 ニールが四歳の頃、

 「シドニーが何か面白いものを見せてくれるらしいゼ。」

 と、ユカやミッシェル、レミング等に誘われて、シドニーの家に遊びに行った。シドニーはみんなの前で、その靴を披露した。シドニーは新しい靴を買ってもらって、上機嫌だった。

 「どーだいいだろこの靴、高かったんだゼ。」

 その靴には、丸くキラキラ光る輪っかが付いていたので、歩かなくても自分で勝手に転がっていく不思議な靴だった。その靴を操れるようになるにはそれなりの訓練が必要らしい。らしいというのは、はいたことがないから分からないのだ。シドニーはその靴をはいて僕らの前で、くるっと一回転した。

 「見ろよ、この靴の下にローラーがあるだろ?ここが地面と僕の体との間の摩擦を減らして、動きやすくするのサ。もちろん、はき慣れない奴がはいてもダメで、真っ直ぐ立てずにころんじまう。ま、俺ぐらいになると、このように(片足をあげて、もう片方の足だけで、動きながら)自由に動けるけどね。」

 ミッシェルが、目を丸くして、

 「すげーや!」

 と言うと、ユカが、

 「私にも貸して」

 と言い出す。レミングは、

 「俺が一番」

 と言うと、

 「ずるいぞ」

 とニール。

 「次は私ね」

 とユカが言うと、

 「その次は僕だよ」

 とミッシェル。

 「おいおい、これは俺のだよ、勝手に決めんなよな。」

 とシドニー。

 「ニールは?」

 とミッシェルが言うと、

 「くだらねぇー、こんなの欲しくねぇーよ。」

 とニール。レミングが、シドニーから借りた靴をはいて立とうとすると、足がふるえて、上手く立てない、シド(シドニーの愛称)の肩につかまってる。シドが

 「おいおい、自分で立てよ」

 と言って、レミングの手をシドの肩から振り払うと、レミングは手をバタバタやって、しりもちをついた。ユカもミッシェルもニールも笑った。

 「なっ?素人はこんなモンなんだよ。ドジだな、レミング。」

 と、シド。

 「こんな不便なモン、何に使うんだよ。」

 とニール。

 「自分は穴の空いた靴しか買ってもらえないから、こんなこと言ってんだぜ。」

 とシドニー。ユカもミッシェルもレミングも笑った。実際ニールは穴の空いた靴を履いてたし、その事実に対して反論することは出来なかった。でも、ここで怒って帰ると負け犬になってしまう、最悪な気分だったがニールは黙ったままみんなと一緒にいた。しばらくして、ニールは家に帰ると

 「靴に穴があいてたので、新品の靴を買って欲しい。」

 と駄々をこねた。底に輪っかのついたシドのような靴を買ってもらえるかもしれないと思ったからだ。なのに、母さんは

 「うちはシドニーの家庭とは違うの。」

 と言って、相手にしてくれない。ニールは、底に丸い輪っかのついた靴欲しさに、しつこく駄々をこねると、お母さんにこっぴどく殴られた。

第二章 ドメスおじさん

 クリスマスの日、この日はニールのもっとも好きな日だ。ドメスおじさんからのプレゼント、お菓子やケーキがもらえる日だ。朝起きると、真っ先に近所の友達、ミッシェルやシドやユカと一緒に、ドメス広場に行き、ネオンに電飾、ショッピングモールで飾られたドメスおじさんの像を見に行った。広場の真ん中に、大きく、そして力強くそびえ立つドメスおじさんは、街の英雄だった。朝九時頃になると、ドメス像の周りには、子供達の行列ができてきた。ニール達もその列に並び、ドメスおじさんからの贈り物を待った。朝の十時を少し過ぎた頃、ようやくおじさんからの贈り物が届き、配られ始めた。長い列が少しづつ前に進み、ニールは少しどきどきしてきた。ニール達が、おじさんからの贈り物、甘いスポンジケーキと、きれいな色のついたアメ、メモ帳とボールペンをもらったのは、十二時前のことだった。長い行列を待ってる間、ニール達は、いろんなことを話した。

 「去年は緑色のアメだったけど、今年は赤いアメがいいな。」

 とレミング。

 「もし僕が赤いアメになって、レミングが緑だったら、かえっこしてやるよ。」

 とミッシェル。

 「白いアメだけはやだな、味が変だしすーすーする。」

 とシド。

 「俺、大きくなったら、この国を豊かにするために一生懸命働いて、ドメスおじさんみたく、かっこよくなるんだ。」

 とニール。

 「私のお父さん、ドメスおじさんの工場で働いてるのよ。」

 とユカ。

 「僕のおとうさんだって、ドメス工場で働いてるんだゼ」

 とレミング。

 「僕のお父さんは、山を二つも持ってて、炭焼きをしてるんだゼ」

 とニール。

 「俺のお父さんなんか、ドメスファミリーのリーダーで、ドメスおじさんに会ったこともあるんだゼ。」

 とシド。

 「ドメスファミリーって何だよ」

 とミッシェルが言うと、

 「わかんないけど、国のために働く、大事なグループなんだ。」

 とシド。ドメスおじさんからの贈り物をもらうとき、係の女の人は

 「クリスマスおめでとう。これで字を覚えてね。」

 と言ってた。ミッシェルはその言葉を真に受けて、ドメスおじさんの像の台座に書かれた字を、おじさんにもらったボールペンで、もらいたてのメモ帳に写し出した。ニールも、始めは写していたが、意味のない形をごちゃごちゃ書くのが嫌になって、ドメスおじさんの顔を描くことにした。ドメス広場で遊び疲れて家に帰ると、お母さんにひどく怒られた。

 「どこに行ってたの?」

 と怒られたので

 「ミッシェルやレミングとドメス広場に行って、アメとスポンジケーキをもらった」

 と、言うと、

 「ドメスおじさんにもらったものを全部だしなさい。」

 と言われ、

 「どうして?」

と尋ねると、

 「いいから出しなさい!」

 と怒鳴られた。ドメスおじさんの顔があちこちに描かれ、真っ黒になったメモ帳と、インクがあと少ししか残っていないボールペンを出して、

 「アメとケーキは食べちゃった。」

 と言うと、

 「どおしてこんなことをするの」

 と怒られ、殴られた。ニールは何故、お母さんがこんなに怒るのか分からなかった。ただ、お母さんがドメスおじさんのことを嫌いだってことは分かった。夕食の時、お母さんは

 「今日、十二月二十五日はイエスキリストの誕生日です。キリストはとても立派な人で、お父さんお母さんを敬うように言いました。あなた達も、お父さんお母さんを大事にして、・・・・。」

 その日の夕食もいつもどおりで、シドの家みたいに、ケーキや七面鳥が出るわけではなかった。ニールの父さんは、

 「おまえ達は、こんな裕福な家庭に生まれて幸せだ。父さんが先祖代々受け継いだ山を二つも持ってるおかげで、おまえ達と一緒に炭焼きをしながら、ドメス工場で使われることもなくこうして一人前に生活できる。」

 と言っていた。ニールは父さんもドメス工場で働いてドメスおじさんと仲良くなった方がかっこいいのにと思った。

第三章 理想の父親

 ニールが九つの時、その頃やっと、炭焼きでは食えないことが分かり始めてきた。ニールの父が炭焼きで一日に稼ぐ金は、自分の食費と酒に消えていて、本当にニール達子供を養っているのは、お母さんの内職、炭焼きの二倍半のお金が稼げるドメス工場の下請けで、ドメス工場で使う雑巾を縫う仕事だったのだ。父さんが山を二つも持ってると言っても、石油か金かダイヤでも出ない限り、何の価値もない山で、農耕にも林業にも放牧にも適さない山だった。ただ、仕事も住みかもなく、他人の山に入り(その山のほとんどは、国有林なのだが)山に火をつけ、燃えた木々を肥料に焼き畑農業をして、二・三年単位で住む場所を転々と換えていかざるをえないような人達よりもは、同じ場所に住めるだけ、豊かな暮らしをしているのだが、夜遅くまで雑巾を縫い続ける母親と、真っ黒になって作った炭を、山のように積み上げたままいつまでも売れず、半年も前に作った古い湿った炭で、自分の家の風呂をたく父を見てると情けなくなった。母は何故こんな甲斐性のない男と結婚したのだろうと思う。もっとましな男もいただろうに。いつかニールは母にたずねたことがある。「かあさんは、どうしてこんなに貧しいお父さんと結婚したの?二つの山にだまされたの?」そうしたら、

 「お父さんはいい人よ、まじめだし、正義感も強いしね。」

 と言ってた。ニールは、そんな家庭に耐えられなかった。石油とガスが普及している時代に、流行りもしない炭焼きなんて仕事をいつまでもし続け、新しい仕事を探す気の無い父親と、それを容認する母親。特に最近父はニールに炭焼きの仕事を手伝わしてる。

 「いいか、炭焼きの仕事ってのはな、こうやって、火の加減を見ながら、・・・ほら煙が出てる、そうじゃなくて、ダメだな。父さんのと比べて見ろ、な?全然違うだろ、炭ってのは煙が出なくて火力のある奴を作る商売なんだ。分かるか?」

 ニールは炭焼きになりたくなかったし、炭焼きである父を嫌っていた。炭焼きじゃ金にならないし欲しいものも買えない。ニールはドメスおじさんのように、工場を持ち、銅像を建て、国中の人に尊敬される人間になりたかった。ニールが本格的にドメスおじさんに憧れたのは、ドメスおじさんの誕生祭に、おじさんの誕生パレードを見てからだった。街一番の大通り、ドメス通りに、国中の人が集まり、ネイチャーランドの国旗を持って、ドメスおじさんが来るのを今か今かと待っている。警備員のすき間を、先導のバイクが来てその後から、パレードのテーマソングを演奏する楽隊を乗せたトラックがゆっくりと通り過ぎ、その後、ドメスおじさんの乗った車、防弾ガラスによる加工をほどこした大型のキャデラックが、人々の熱狂的な拍手と歓声の中からあらわれた。僕らは通りに面した建物の窓から、おじさんに向かって歓声を上げ、

 「ブラボー、ドメス万歳!」

 と叫び、ドメスおじさんに向かって花束と紙テープ、リボンや紙吹雪を投げ、僕達の投げた花束は、宙に舞い、一輪一輪が空中に広がって、舞い散り、錯乱する花びらの一枚一枚が路上を埋め尽くした。みんな、おじさんが通り過ぎたあとも、ネイチャーランド国旗を振り続けた。ドメス広場に着いたおじさんは、高い演説台に立ち、豊かなネイチャーランドの将来について演説をした。その中でおじさんは、やがて時期が来れば、ネイチャーランドの国民も、合衆国並の生活水準になり、国民の一人一人が車に乗る日が来ることを約束してくれた。おじさんはビシッと決まったイタリアのアルマーニ製のスーツを上下に着て、オシャレなフランス製のネクタイをしていた。先のとがった革靴もビシッと決まってかっこよかった。ドメスおじさんを見た日は、感動して夜も眠れなかった。ニールもドメスおじさんのようなかっこいい高価な服を着たかったが、それには外貨が必要だった。ネイチャーランド製のダサイ布きれでなく、舶来のかっこいい服を着ようと思えば、自国の金が使えない外国資本の輸入品店で、物を買うしかない。ネイチャーランド政府は、自国の通貨が外国に流出し、レートが下がるのを懸念して、個人に対しては自国の金を外貨に替えてくれなかった。外貨を手に入れようとすれば、闇ドル(正規のルートでなく、裏で流れるドル紙幣)を買うか、ドルで給料を払ってくれる店で働くかしかなかった。闇ドルを買うのは違法だし、第一まともなルートの五倍もの値段で取引され、とてもニールの手に負える物ではなかった。となれば、アメリカにガンガン輸出して外貨を稼いでるドメスファミリー系列の会社、早い話が、ドメス工場で働いて、給料をドル払いでいただくのが、ニールにとって、ドルを手に入れる一番手っ取り早い手だった。ニールは年をごまかして、ドメス工場で働くための手続きをした。もちろんその工場で働く人間もニールと同じ街の人なので、ニールの本当の年齢を知っていたが、みんな黙っていてくれたし、この街ではこんなことは当然だった。ニールはこのことを親には言わなかったが、この小さな街のことだ、学校にも行かず、ニールが工場に行ってたことはその日の内に親の耳に入った。ニールが夕方家に帰ると、家では母さんが妙にカリカリきていて、ニールに甲高い声でわけの分からない小言をカリカリと言い出した。ニールは少しも耳を貸そうとしなかったが、父さんの寂しそうな姿が妙に印象的だった。ニールはその後も工場に通い、月末には給料を五ドルももらった。もちろん、給料明細では六ドル四十セントほどもらってるはずなのだが、所得税を引くとこのぐらいになるのだ。五ドルの入った茶封筒を手にしたニールの頭には、色々な欲望が渦巻いていた。外貨だ、ついに外貨を手に入れたぞ、ドルだぜドル、これさえあれば、あのいけ好かない白人ども・・・外国資本の輸入品店で、ドルを持って無いという理由だけで商品を売らない白い悪魔&ユダヤ人&ジャップと同じ権利で物が買えるんだ、奴等が威張ってられんのも、このドル紙幣、グリーンバックを持ってるからなんだ、ドル紙幣さえちらつかせりゃ、あのいけ好かない店員共もヘーコラ頭を下げるのサ、ドルを持たないワスプ野郎なんざ、ウサギのエサだゼ。ドル、いま俺が手にしたドルなら、そう、このドルさえあれば、チョコレートに、スポンジケーキ、七面鳥だって喰える、まずい食事よ!さよならだ。いや待て、無駄使いは良くない、よく考えろ、俺はドメスおじさんのようになりたいんだ。ドメスおじさんのような先のとがったかっこいい革靴、二十九ドル八セントを買うために、半年間貯金をすべきじゃないのか?半年ありゃ、月給が五ドルで掛けることの六カ月で、五足す、五足す、五足す、・・・三十ドル・・・ドメスおじさんの革靴がやっと買える。半年かぁー、半年は長いよなぁー、それに、靴だけバチィッと決めても、服がこのぼろぎれじゃカッコつかねぇーよなぁー、スーツの上下に、・・・そういやスーツっていくらすんだ?安いスーツの上着だけで五十ドル、十ヶ月分かぁ、それに、ズボンとベストもそろえにゃなんめい、ズボンにベストにベルトもつけると、二年かかるかなぁ、色々出費もあるだろうし、できればデートもしたいし、それにしても、五十ドルのスーツってのもなぁ、夢がちいせーよ、やっぱドメスおじさんのような、オートクチュールのよ、仕立屋が自分のためだけに作ってくれるような・・・、何ドルすんだろ、オートクチュールってよ、一万ドルぐらいかなぁー、一万ドルって何カ月だ?月五ドルだから、・・・ハハけーさん出来ねぇーや、がっこー行ってねぇーもんな、そういやスーツだけで足りんのかよ、ネクタイ、ワイシャツ、ついでに帽子とスカーフ、マフラーにグラサンも欲しいよなぁ、そう、俺はいつかドメスおじさんのように、ドルで買った防弾加工のキャデラックに乗っちゃってよ、でも、どうせなら、オープンカーがいいな、そっちの方が派手だし、パレードん時とか、最適じゃん。パレード・・・・・パレードかぁ・・・パレードして、手なんか振っちゃってよ、民衆を沸かすんだよ、そんときゃよ、隣の助手席にユカなんか乗せちゃってサ、最高じゃんそんなの、それには金だよ金、ドルを稼ぐんだよ。

第四章 恋愛

 ニールがユカを意識し出していた頃、レミングもまた、ユカを異性として見ていた。日曜日の礼拝のとき、みんなが教会に集まると、ミッシェルはみんなよりも一時間も早くから教会に来て、神父様の手伝いをしていたが、レミングとニールはいつも、ユカの隣の席を取り合っていた。礼拝が終わると、礼拝の後片づけがあり、そのあと聖書の勉強会があるのだが、それらをまじめにやるのはミッシェルぐらいのもので、レミングとニールは、ユカを教会の外に連れ出して、一緒に散歩したり遊んだりしようとした。ユカはどうしていいか分からずふたりに振り回されていたが、何らかの形で答えを出さなければならないという気持ちと、どちらも同じぐらい好きで、どちらも傷つけたくないという気持ちで混乱していた。誘いにのるときは三人一緒、断るときもふたり同時、これがユカのふたりに対する最低限の優しさだった。礼拝の後、三人で丘の上に上り、友達のこと、学校のこと、大人達のこと、幼い日の思い出、将来のこと、とにかくいろんなことを話すのが、彼らの日課になっていた。三人で過ごす時間は緊張に満ちたものだったが、レミングとニールのふたりにとって、それなりに楽しいものだった。ある日、ユカは日曜日の午後、いつもの丘の上に友達のメグを連れてきた、メグはユカによってレミングとニールに紹介された。紹介されたレミングとニールにとって、自分たちだけの大事な時間を邪魔されたようで面白くなかったが、ユカにとっては、男女の数を合わせることが、ふたりに対する優しさだった。メグは不細工ではなくむしろかわいい少女であったが、無口で大人しく、何より三人にとって幼なじみでなかった。レミングとニールはメグを知らなかったし、メグもまたふたりを知らなかった。ふたりが幼い日々を語り出すと、メグにはついていけない、よく分からない世界があったし、ふたりにとっても、一番始めから話さなければいけないというめんどくささがともなった。三人が思い出話に盛り上がれば盛り上がるほど、メグは孤独を感じ、黙りこくるしかなかった、ただ、そのとき、ときおりみせるレミングの優しさ、話に参加できないでいるメグに対するレミングの説明やフォローが、メグの心を引きつけた。メグは親友のユカに自分の気持ちを打ち明けた。ユカは

 「メグがレミングを好きなのなら、自分はニールを好きになろう」

 と思った。ユカはメグを応援しつつ、自分はニールとつき合いながら、四人の楽しい時間はいつまでも続けて行こうと考えた。メグは直接レミングに打ち明ける自信がなかったので、レミングの親友であるニールに、このことを打ち明けた。ニールはメグの気持ちを知って、チャンスだと考えた。メグがレミングとつき合えば、ユカと付き合うのは自分しかない、最高のチャンスが回ってきた。ニールはメグに

 「大丈夫、レミングも君のことを思っていてくれるよ」

 と言い、そう言ったその足で、直接ユカの家に行き、自分の気持ちを打ち明けた。ユカは、いずれニールとつき合うことになると思ってはいたが、まさかメグがレミングとつき合い出す前だとは思わなかった。ユカは

 「少し時間が欲しい」

 とだけ言って、即答を避けた。ニールに、はげまされたメグは、その夜ふたりだけで話したいことがあるとレミングに言った。レミングはなんのことだか分からなかったが、とりあえず、言われたまま指定された時間に、丘の上に行った。

 「つき合って欲しい」

 メグの言葉はストレートだった。それはレミングにとって理解を超えたものであったし、説明を必要とした。メグは照れながら、さらに続けた

 「ニールとユカも上手くいってるようだし、私達も仲良く、・・・・。」

 レミングは一瞬いやな予感がした。

 「上手くいってるって、・・・ちゃんと説明してくれよ。」

 メグは自分のレミングを思う気持ち、ユカやニールに相談したこと、ユカやニールが応援してくれたこと、ニールがユカに告白したこと、何一つ隠しだてせずに、すべてを話した。話を聞いてレミングは激怒した。あの野郎、メグをだしに抜け駆けしやがって。

 「悪いけど今日のところは帰ってくれ。」

 これがレミングの返事だった。レミングは疲れと落ち込みと怒りと焦燥でその夜は眠れなかった。メグは上手く初恋の人に告白できたことと、初めてレミングとふたりっきりで話せたこと、さらにレミングの反応が思ったほどメグの目には悪く映らず、次の朝にはいい結果がきけそうに見えたことで、舞い上がっていた。次の日の朝一番で、レミングはニールの家に行き、

 「どういうつもりだ」

 と詰め寄った。

 「別に、よくは知らないけど、そういうことじゃないかな。」

 ニールは悪びれもせずに言った。

 「僕がユカのことを好きなのは知ってるだろ」

 レミングは言ったが、

 「だけど、メグは君のことが好きなんだ。女の子に好かれるなんて光栄じゃないか。」

 とニールは言う。レミングはニールと話すのをあきらめて、ユカの家に行き、ユカに

 「僕もニールに負けないぐらいユカのことが好きだ」

 という。ユカは男の子の間に何の取り決めもなく、ニールが自分に言い寄ってきたことに驚き、ニールの強引さに悪い印象を持った。選ぶなら、レミングしかない。そう思って、ユカは思わず、

 「私もレミングとならやっていけそうよ」

 と答えた。それからは教会に行っても、ユカはレミングと話すようになり、ニールとメグは一人になった。

第五章 国際情勢

 第二次世界戦後、先進諸国が復興を遂げると、資金と商品の行き場が無くなり、より高い利益率を求めて、先進国の銀行は発展途上国政府に金を貸し始める。先進国の企業にとっても、発展途上国の広大な市場は魅力的であった。南米一の人口を抱えるネイチャーランドは、特に魅力的な未開発の市場である。先進諸国は国連を通じてネイチャーランドの開発を要求した。国連は低利でネイチャーランドに祖国の開発資金を提供することを約束した。ネイチャーランド政府は一部の先進国によって運営される国連の口車に乗り、綿密な計画もないまま「脱発展途上国プラン」を発表。各銀行の言うままに金を借り、各建築業者の言うままに道路と橋と水道と電線を、無秩序に走らせた。国内の田畑を掘り返し、国内を乱開発するのは、先進諸国の土木建築業者のふところと、ネイチャーランドの汚職政治家のふところを潤したが、田畑を追い出された住民にとっては不幸であった。田畑を失った住民達に残されていた道は、都市の路上で物乞いをするか、国有林の中で焼き畑農業をするかであった。開発事業に慣れていないネイチャーランド政府は、国内産業の開発に失敗し、国内の基幹産業を育てるためにアメリカを中心とした先進国から借りた借入金の利子が、膨大にふくれあがり、国家予算を圧迫していた。国家予算の三分の一を借金の返済に充てても、借金は年々増加し、借金を払うどころか、利子さえも払えない借金地獄にはまっていった。国内の通貨で借金を払うには、紙幣を増刷せねばならずそれはインフレをまねき、国民生活を圧迫しかねない。国家はアメリカに対する借金の利子を、なるべくドルで払う方針をとったが、それには多くのドルを税金から吸い上げねばならず、いきおい、外貨を稼ぐ国内産業には、優遇措置をとることとなる。ネイチャーランドにとって、外貨を稼ぐ主な産業は、麻薬と売春であった。もちろんどちらも非合法である。国内で採れたコカの葉をアメリカに持っていき、それで稼いだ金を利子としてアメリカに払う。アメリカに対する借金の利子はすべてコカの葉で支払われていると言ってもよい。消息筋によると、ネイチャーランド政府の国家予算の三倍の額が、麻薬の取引によってアメリカからネイチャーランドにもたらされ、麻薬産業が無くなれば国民の三分の一が餓死し、都市の人口は半分になるだろうと言われている。当然、ネイチャーランドの大統領がアメリカとの間に麻薬産業の撲滅だの、マフィアの撲滅だのをいくら約束しようと、それはアメリカからの援助資金を獲るための口実でしか無く、麻薬産業の撲滅を本気で考えるほどバカじゃない。アメリカ及び先進諸国は、貧しい国に金を貸し、借金地獄におちいらせることで、半永久的に、彼らから利子を巻き上げるシステムを作り上げたのだが、その利子は、発展途上国にとって、対外競争力のない国内産業の商品を外国に輸出する形で払われるのでなく、先進諸国では許されない麻薬と売春とエイズを輸出することで支払われることとなる。

 ニールの住むこの街も例外ではなかった。観光客で賑わっている街の大通りから、一歩わき道にそれれば、まだ年端のいかないガキ、まだ十になるかならないかのルーラもまた、きついアイシャドウと紫の不健康そうな口紅をして、白人どもに色目を使っていた。ルーラは、一目でこの街の住民じゃないと分かる白人男性、旅行者だと一目でわかる大きなアタッシュケースを抱え、この街じゃとても手に入らないと思われる上品な背広のポケットから、ときどきポケットサイズの観光マップを出してはきょろきょろしているロマンスグレーの、しかし頭のてっぺんは毛が薄く、頭の周りにしか髪のない、年の頃は四十後半から六十あたりと思われるふとっちょの白人男性を見かけ、

 「あーなんて、今日はハッピーなの、カモがネギしょって歩いてくるなんて」

 と思った。いかにも外貨を持ってそうな白人男性・・それもまだどれを買うか決めていない・・を見つけられるなんて、今日はすてきな一日になりそうだった。が、それはあまり表には出さず、あえて物憂げにこう声をかけた。

 「朝から何も食べて無くて、おなかが空いてるの、たっぷり楽しませてあげるけど、どうかしら?」

 実際、彼女は菓子パン二つで体を売ることもある。ストリートチルドレンが一人で生きていくとき売春の理由は、

 「おなかが空いた」

 の一言で十分だ。そんな育ち盛りの、娼婦としては未熟な子の存在が、本来の娼婦の値段を下げているという現実もある。事実、ルーラ達のグループは、はたちを超える娼婦達のグループと対立しており、そのため、街の大通りでは客を取れない。だが、安く女が買えるとなれば、売春目的でこの国に来るやからも好んで裏通りに出没することとなる。単に値段が安いだけでなく、一般には禁止されている十代の売春が行われているとなればなおさらだ。ロリコンマニアの、このオヤジ、いまルーラから声をかけられたジョセフ=シュトラウス四十八歳外科医、妻との間に一人の子供あり、もまた、例外ではない。日本人の感覚では、アメリカやスウェーデン、ヨーロッパ諸国などは、ポルノに関して日本より寛大に見える。しかしこれらの国でも、チャイルドポルノや少女売春は禁止されていて、ジョセフのようなロリコンマニアが楽しめるような性風俗は無い。しかし、ネイチャーランドのような南米の発展途上国に来れば、十になるか、ならないかの、下の毛が生えるか、生えないかの割れ目に入れることも、可能なのだ。ジョセフは開業医として稼いだ金で、ルーラを買いたいと思った。いや、もう少し正確に言うと、ルーラそのものには何の興味もなかった。むしろ、少女を買いたいと思ったのだ。

第六章 なぜジョセフ=シュトラウスは!

 ジョセフはパリのはずれで開業医を営んでいた。彼は厳格なカトリック教徒の家庭に生まれた。十代の頃からオナニーをおぼえ、セックスにも興味を持っていたのだが、幼い頃から、両親や神父様に、ファック(愛のないセックス。具体的には売春やレイプ)はいけない、唯一許されるのはメイク・ラブ(愛のあるセックス)だと教育されてきたので、ファックには興味のないふりをしてきた。彼はとても優等生であり、良い子だったので、大人達の教えを守り、勉学に励んだ。彼は意欲的に勉強し、優秀な成績を残したため、彼自身は職人階級の出であり、肉屋の息子であるにも関わらず、医者になるため上の学校に進んだ。彼の友達の多くは、進学せず、就職の道を選んだ。彼の幼なじみであり、当時彼女であったメアリーも、そのうちの一人であった。

 ジョセフが医師をこころざし、進学する決心を固めたとき、メアリーはカフェの店員になるため、履歴書を書き、勤め先のカフェの店長の面接を受けていた。メアリーの勤め先が決まり、カフェの店員になってすぐ、メアリーは勤め先の店長と結婚した。その方が、生活をしやすかったからだ。店長はメアリーやジョセフより五歳年上で、収入もメアリーより高く、大人びていて、少しかっこいい上司であった。上司を射止めたことはメアリーにとって少し自慢であったし、家に帰りたくないときなどはよく、カフェの二階にある店長の部屋に泊まらせてもらっていた。カフェの売り子のほとんどは女性であり、いつもそばにいる男性は店長ぐらいのものであった。売り子の間でも店長の人気は高く、その店長を自分のものにして独り占めすることは、メアリーにとって快感であった。事実、カフェで働く女の子は皆一様にメアリーをうらやんだものだった。メアリーと店長の結婚は、ジョセフにとってショックであった。当時のジョセフにとって、女性とはメアリーのことであったし、メアリー以外の女なんて考えられなかった。メアリーから店長との結婚のはなしが出たとき、ジョセフの頭には、メアリーとの楽しい時間が思い出された。

 カーニバルの日の夜、教会の石段にすわって、街のネオンと通り過ぎる人々を眺めつつ、肩を寄せ合って語り明かした日、

 「わたし、早く大人になりたいの」

 とメアリーが言うと、

 「どうして?」

 とジョセフが尋ねる。

 「家を出たいから。親との窮屈な生活から抜け出して、自分で生活を作りたいの。」

 「独立心が強いんだね。」

 とジョセフが言うと、彼女は首を横に振って、

 「親との生活に耐えられないだけ。それだけなの。」

 と言った。あの日のことを思い出すともうどうにもならないという思いがジョセフの中でより鮮明になった。カフェを持ち、その二階を持ち家とする店長は、メアリーにとって、自分を家から連れ出し、親から解放してくれる白馬の王子に見えるだろう。当時、いち貧乏学生だったジョセフがメアリーに出来ることなど、してあげれることなど、何も無いように感じられた。ジョセフはふたりの結婚を中止させたいと思ったが、メアリーのことを考えれば、

 「あと十年待ってくれ」

 とは言えるはずもなく、

 「幸せになれよ」

 とでも言って、笑顔で送り出してやるのがベストのようにさえ思えた。結局、ジョセフはメアリーに何も告げず、結婚式にも行かなかった。笑顔で送り出す自信もなく、せめて自分がメアリーの重石にならないように、遠く離れるだけだった。このときほどジョセフは自分の無力さを悔やんだことはなかった。

 それからジョセフは勉学に専念し、医師になった。実習で初めて女性の患者を扱ったのは、火の事故で皮膚が焼けただれた三十代の女性であった。料理中誤って、フライパンをひっくり返し、天ぷら油をかぶり、胸から下腹部にかけての皮膚が、ケロイド状に溶け、ナイロン繊維の衣服が皮膚にこびりついていた。ジョセフはその女性の皮膚を見て、正直「醜い」と思った。ジョセフは彼女のドロドロに溶けたケロイド状の皮膚にメスを入れ、切り取り、健康な皮膚を移植した。それが、ジョセフにとって初めて見る女性の体であり、初めてさわった女性の体であった。これ以後ジョセフは女性の裸体に対して汚れたイメージを抱くことになる。

 ジョセフが医師として出発し始める頃、フランス医師会の会合で、ある老医師の娘と出会う。彼女の父も前の旦那も、この世界では、ちょっと知られた医者であった。周りのすすめや、老医師の説得もあり、ジョセフはなんとなくこの女性と結婚することとなる。彼女は再婚で、年も十二・三うえだし、子供もいたが、彼女の父である老医師のコネクションは大きく、金も人脈もないジョセフにとって、その老医師の病院で働かせてもらうのは、大きな収入になり、その金は自分で病院を持つときの資金にもなるし、将来的にはその老医師の病院の経営を、自分にまかさせてくれるとまで言うのだ。それは彼にとって大きな魅力であった。彼はその老医師の娘と結婚するのだが、それまで女性の体といえば、職務でしか見たり触ったりしたことの無いジョセフにとって、彼女とのセックスもまた、ケロイドの皮膚や、いつも取り出す病んだ十二指腸や盲腸の、色や形やにおいを連想させる嫌なものでしかなかった。彼女の体を触りつつ、この位置に十二指腸があり、その下の小腸とのつながりが・・・・などと彼女の臓器を探り当て、臓器そのものを感じとってしまう外科医としての指先があり、とてもセックスを楽しむような気にはなれなかった。彼女の方は手慣れたもので、セックスを楽しむだけの余裕が常にあった。このことをフランス医師会の同僚に話すと、それは女を知らないジョセフが悪いという結論になり、売春宿に連れて行かれた。そこの女も手慣れたもので、上手くジョセフを扱い、セックスをリードしたが、ファック(愛のないセックス。具体的には売春やレイプ)はいけないと教えられ、その教えが身に染み着いてるジョセフにとって、臓器の塊に抱かれるのは、あまりいい気がしなかった。それでも、自分のためにも妻のためにも、ある程度の場数を踏んで、勉強するのは必要なことのように感じた。嫌々ながらのファックやセックスはジョセフの気分を最悪にした。ある日、ジョセフの同僚は、少女売春を行うことを進めてくれた。

 「男性経験の豊富な奥さんや、客の相手になれた売春婦など、ジョセフよりなれた女の相手をして、向こうにリードしてもらい、主導権を取られてしまうから、最悪な気分になるんだ、まだセックスを知らない少女を買ってみろよ、真っ白なキャンバスには癖がない、こちらの思い通りに開発して、自分の好きなタイプのやり方を教え込ませろよ、作り上げるのサ、ジョセフにあった女に。」

 同僚はそう言った。ジョセフはその助言に従い、あるルートから少女を仕入れた。その少女は親に捨てられ、孤児院に連れてこられ、その後、様々なルートを経て、ジョセフのところにレンタルされたのだ。その経歴が物語るようにこの少女は心を閉ざし、何もしゃべらない。とても哀しく澄んだ瞳には、意志の強さが感じられた。ジョセフはその子を自分の診察室に呼び、文字どおりそこで、お医者さんごっこをした。真っ直ぐ、遠くの方をみつめる目は終始、変わらなかった、ジョセフが彼女に何をしてもだ。何をしても、彼女は静かに遠くをみつめたまま、表情一つ変えなかった。それからジョセフはロリコンにはまり、非合法のロリータクラブに入り、会費と個別料金を振り込んで、ときどき行為を楽しんでいた。ただ、非合法の行為というのは医者という社会的地位のある人間がするには、あまりにリスクの多い行為だった。このことが妻や妻の父である大手病院の医院長に知られると、病院の経営はおろか、結婚生活さえも危うくなってしまう。より安全に楽しむには、地元の人間のいない異国の地で楽しむべきであった。そんな彼が、ネイチャーランドに降り立ち、十に満たない少女、ルーラに声をかけられた。

第七章 トラブル

 bad.JPG (3374 バイト)「朝から何も食べて無くて、おなかが空いてるの、たっぷり楽しませてあげるけど、どうかしら?」

 ルーラはこの地点では、ただの腹を空かした女の子だった。ドルを持った白人に何かおごってもらい、外貨であるドルをもらい、一番いいのは彼のふところの財布をスルことであった。そのためには彼と一緒にホテルに行き、彼にシャワーを浴びさせて、その間に財布とズボンを持って逃げることがベストだった。男の人は大抵、ズボンが無いと追いかけてこれないものだ。ところが、このときの彼女は正しい判断をしなかった。何よりお腹が空いてたので、いますぐ何かを食べたいと思ったのだ。

 「お腹がぺこぺこで動けないの、まずは何か、おいしいもの、そうね、南フランスのプロバンス料理でも食べに行こうかしら。」

 ルーラは言ったが、今のルーラの格好。汗臭いマタニティードレスでは、プロバンス料理など食べにいけないのは明らかだった。

 「ネイチャーランドには乞食でも入れるフランス料理店でもあるのかい?」

 とジョセフは言った。

 「そうね、じゃ、まずフランス料理を食べにいけるカッコにしてもらえるかしら。」

 ルーラは言ったが、

 「洋服を買いにいく暇がない、いますぐやらせてくれ、今すぐやりたいんだ。」

 とジョセフはこたえた。

 「しょうがないわね、料金は先払いよ。」

 体を先払いにして、食い逃げされたことのあるルーラにとって、当然の契約であった。

 「昼飯代の五ドルを頂戴。」

 ルーラは言った。

 「これでいいだろ。」

 とジョセフは自分のアタッシュケースから菓子パンを投げだし、ルーラに与えた。ルーラは菓子パンの袋を破り、むさぼり食いながら、

 「ケーキと飲み物も頂戴。」

 と言った。ジョセフはアタッシュケースから取り出した黒光りするバイブレーター(商品名:ブラック☆インディアン)を、何も言わずにルーラのスカートの中に入れた。

 「ちょっと待ってよ、ここでやるの?」

 ルーラは言った。ジョセフは何も言わず、ルーラを石畳の路上に寝かせ、バイブを突きつける。

 「中に入りましょ。」

 ルーラは親指を立て、自分たちのたまり場である薄汚いゲットーを指した。三階建ての打ちっぱなしのコンクリート。地下室も、あるかもしれない。ビルと言うよりは核シェルターに近い無機質さを保っている。外装ははがれ落ちて、中からタイルだの鉄骨だのがむき出しになってる。窓ガラスはなく、窓のサンさえボコボコにたたき壊されている。見るからに危なそうなガキがふたり、さびた水道管・・・鉄パイプと言った方が正確かも知れない・・・を持っている・・と一緒に見張りに立ち、けばけばしい少女が出入りしている。あんな場所に連れ込まれたら、銃でも突きつけられて、ひどい目に遭いそうな気がした。ジョセフは

 「嫌なら他の女でもいいんだぜ。そのパンを返してくれよ。」

 と言った。昨日の昼から何も食べておらず、腹の減ってたルーラは、

 「しょうがないわね。」

 と言った。もう少し高級なモーテルを指せば、スレたかも知れないのにと、ルーラは思った。ルーラとジョセフの利害関係は一致した。ルーラは菓子パンとケーキ、そして少しばかりのドルをもらい、ジョセフはルーラをファックする。発展途上国、ネイチャーランドの裏通り、首都の大通りから十メートルも離れてない売春街の路上で、菓子パンをむさぼり食う十代の少女ルーラと、そのルーラにバイブを突っ込む四十八歳の中年医師。人間の生命にとって原点とも言える食欲と性欲の衝動がベールに覆われることなく渦巻いている。この街の路上ではこんなことは日常茶飯事だ。ジョセフはルーラを冷たい石畳の上に寝かせ、まだ発達していないその体に無理矢理バイブをねじ込もうとする。ルーラにとって、今回の客はいつもと違っていた。いつもなら、自分からズボンとパンツを降ろす客の股間を口や手でしごいてやるなり、一緒に寝てセックスするなりすれば、満足するのだが、今回の客は脱ごうともしないで、変な機械を押しつけてくる。

 「い、痛い!いたいよ、それ、何、やめてよ。」

スポンジケーキの生クリームにまみれた口で、ルーラは抗議するが、ジョセフにそんなことは関係ない。代金は払ってるんだ。腰を振って抵抗し、逃げようとするルーラを押さえつけ、無理矢理入らないバイブをぶち込み、破れたルーラの体から、石畳の路上に新鮮な血痕が生まれる。ジョセフは直接ルーラの体を触らない。すべて茶色い革の手袋ごしだ。まして自分の服を脱ごうなんて思わない。やはり女性の体は、ケロイドであり、臓器の塊にしか感じられない。ただ、泣き叫ぶルーラに、やりたくもないセックスを強いるのは、かつて自分が家庭や売春宿で受けた屈辱の裏返しとして、ジョセフのコンプレックスを満たしてくれる。

 ドメス工場からの帰り道、ニールが売春街を歩いてるときに、目に入った光景がそれだった。仰向けになり、石畳に頭を打ちつけながら泣き叫ぶ少女、少女の両膝は中年男性の脇の下で硬くロックされ、少女の股と、バイブには、立てひざのワスプ野郎の全体重がかかっている。この通りでは、見慣れた光景だとはいえ、いつもに比べ、あまりにひどいものだった。十三歳の、血気盛んなニールは、はげたシロブタのえりもとをつかみ、こう叫んだ。

 「おっさん、なにさらしとんねん。」

 イカレたワスプ野郎は少女に視線を集中したままこう言った。

 「俺を殴ったら、どうなるかわかってんだろうな?」

 次の瞬間、ニールのこぶしがシロブタの後頭部に入った。シロブタ野郎は後頭部を押さえそのまま前に倒れ込んだ。ニールが二発目のパンチを入れようとしたとき、太ったシロブタの腕がニールの顔面に入り、年の割に小柄なニールは、後ろにとばされてしまう。異様な興奮状態のシロブタはハアハア言いながら呼吸も荒く、ニールには目もくれず、バイブと少女の股に全体重をかけ続ける。百五十一センチ、四十二キロのニールにとって、ワスプは許せなかったが、シロブタはデカかった。いつも護身用にと、持ち歩いてる果物ナイフを、シロブタの脇腹に刺した。肋骨のすき間に入れて、グジョグジョにかき回してやった。

 「&*%$#”!」

 シロブタ野郎は訳の分からないワスプ語を叫んでとびのき、血のにじむ脇腹を押さえて、どこかに消えちまいやがった。

 「大丈夫かい?客を取るときは相手みて取れよ。」

 ニールはルーラに声をかけた。が、ルーラには、ニールの声は聞こえてなかった。突然、自分の目の前で、人が刺されたのだ。これといった理由もなしに。殺人鬼?刺される!逃げなきゃまずいと思いつつ、突然走り出すと、追いかけてきそうな気がした。気が動転して、声が出ない。怖くてひざが震えてる。何が起こったのか分からない。

 「なんとか言えよ。」

 ニールは軽くルーラを蹴った。ルーラはニールの方を向いたまま、ゆっくりと後ずさりをしている。ニールとの距離が三メートルほど離れたとき、ルーラは振り向き、ダッシュで逃げた。人通りの多い方向、街の大通りに向かって走る。通りに出て、人混みをかき分け、気の済むまで走った、人混みの中にとりまぎれ、殺人鬼の追いかけてくる足音がルーラの心から消えてなくなるまで、走れる所まで走っていった、そしてやっと後ろを振り返った。それまで、怖くて振り返ることも出来なかったのだ。振り返った先には、もう殺人鬼の影はなかった。安心して、我に返ると、泥だらけの体は疲れ切っており、薄汚いマタニティドレスは、血だらけだった。

 「もうイヤ!なんて最悪な日なの!」

 街なかの人混みで叫ぶルーラをすれ違う人はふと振り返った。

 その頃ニールは、少女と中年の血が錯乱した道端に一人取り残されていた。

 「なんだよ、助けてやったのに冷てぇな。」

 とつぶやき、その場を去ろうとすると、さっきのシロブタ野郎が、おまわり連れてやって来やがった。特にこれと言って悪いことをしてないニールは、逃げ隠れせず、おまわりの前できっちり白黒つけてやろうと思った。ニールに刺された脇腹を押さえ、汗だくになって走ってくるシロブタをナイフで指してこう言った。

 「こいつは、ワスプのくせに、この国の少女をレイプしようとしてたんだぜ。そいつを救ったのがこの俺だ。正義の味方ってのは俺みたいなのをいうのさ。」

 ニールはめいいっぱいカッコをつけて言った。警官に取り囲まれ、少しビビッてる十三歳の少年がそこにいた。警官は銃を構えるなり、いきなりニールに手錠をかけ、乱暴につかみかかり、署に連行しようとした。

 「いてぇな、何だよ。俺はなにもしてねぇーって。」

 ニールはあばれ、抵抗したが、警官はニールの話には耳も貸さず、

 「言い訳は署で聞こう」

 としか言わなかった。

 「俺は善良なネイチャーランド人だ。あんた等が捕まえるべきなのは、このワスプ野郎で、俺じゃない。今のうちにこいつをしっかり捕まえとかないと、犯人を取り逃がすことになるぜ。俺の両手に手錠をかけて、両サイドから二人の警官で羽交い締めにするぐらいなら、あの白ブタを捕まえろ。どうしてあいつには手錠も警官もつかないんだ。あんただよ、あんた。手ぇーあいてんだろ。俺はあんたに言ってんだよ。」

 と、ニールは自分の前や後ろにいる手の空いた警官に対して思ったが、あえて口に出しては言わなかった。公衆の面前、こんな路上で、醜態をさらすような真似はしたくなかったし、第一、言っても無駄だと、さとっていたからだ。それどころか奴等はネイチャーランド人であるにも関わらず、白人野郎に尻尾を振って、

 「まことに申し訳ございません。本来ならこの国はもう少し治安がよろしく、観光客の皆様方にご迷惑になるようなことはめったに起こらないのでございますが、今回はどういう訳か若干この国にはふさわしくない頭のイカれたやからがございまして・・・」

 などと謝っている。しゃれにならないシチュエーションに追い込まれると、余裕ぶった態度をとるのがニールの癖だった。

 「白豚のおっさん。あんた、あまり日なたを歩かない方がいいぜ。陽に焼けると、焼き豚になっちまうからな。」

 ニールのとっておきのジョークも、マジな警官達には通じなかった。

 交番に着くと、ニールは奥にある窓のない留置所がわりの取調室に連れ込まれ、いきなり事情徴収された。そのニールに対する扱いとは裏腹に、白人男性ジョセフに対しては、

 「すみません。ご迷惑をおかけしました。もう、結構ですんで。」

 と、言った。交番に着くなりジョセフは釈放され、ニールは留置所だ。ジョセフは、  

 「当たり前だ。俺がどうしてこんなヤツに交番までつきあわされるんだ。俺は腹から血を出してるんだ、さっさと救急車か医者を呼んでくれよ。」

 と怒鳴り散らし、警官はあわてて病院に電話をかけ、医師の手配をした。ニールは手錠をはめられたままだったが、自分とジョセフとの対応の違いに腹を立て、表に出ようとしたところを、若い警官にスタンガンをくらわされた。ニールのヒジにはバットで殴られたかのような衝撃が走り、一瞬ニールは引いたが、ここで引いたらなめられるとばかりに、両手首の手錠の金属の部分でそのスタンガンを持った若い警官の頭を思いっきりブン殴った。(実際、手首が骨折するかと思うぐらいに痛かったが、そのときのニールはそれどころではない)すると数人の別の警官につかみかかられ、手の不自由なニールはボコボコに殴られた。ニールは石畳の床の上に倒れ、頭を強く床にぶつけられながら、床の上に這いつくばった。顔がボコボコに腫れ上がり、床に転がったニールを助けたのは初老の警官だった。

 「もう良い。後は私が何とかする。」

 そう言われた若い警官達は、ニールを殴りつけるのをやめて、

 「そうは言ってもですねぇ」

 と初老の警官に言い出す。初老の警官は、ちらっと外に目をやり、ジョセフがどこかに行ったのを確認すると、

 「後は自分にまかせてくれ。」

 と言って、若い警官達を外に出し、ニールとマンツーマンになった。初老の警官は留置所の内側から鍵をかけると、ニールの方を向いて、こう言った。

 「若いの、気持ちは分かるが、この街は観光で成り立っておる。観光で成り立つ街で観光客に迷惑をかけてはいかんじゃろ。」

 怒り狂ってたニールは、両手を留置所の壁にぶつけ、蹴りを入れまくりながら叫んだ。

 「何だよ、チクショーー、この街じゃ、何だよ、あの、なんっっっつたかな、その、馬鹿やろ、あれだよ、あれ、あの、買春すんのが観光客かよ。」

 ニールの行動を見て、初老の警官は

 「まあそうカッカせんと、落ち着きなさいって。」

 と言いながら、留置所の床に座った。椅子も机も何もない床だ。初老の警官は胸のポケットからタバコを出し、ふかしながらこう言った。

 「あんたは人を刺したんだ。まあ、順当にいって、二・三ヶ月というところかの。」

 ニールの頭の中はこの状況をどうすべきかで高速に回転していた。いま、仮にこの老人の頭を殴って外に出たところで、ドアの外にはまだ若いのが四・五人いる。ここから逃げ出すのは無理だ。仮に逃げ切ったとして、この手錠はどうする。この手錠の鍵は外の若い奴のうちの誰か一人が持ってる。正面から、力ずくで行けば負ける。どうする?どうすればいい。第一なんでこんなことになったんだ?もとはと言えば、女の子の泣き叫ぶ声がして、嫌がる女を無理矢理レイプする男がいて、女の子を助けようとしてタンカ切ったら殴ってきたから、軽く腹を刺しただけじゃねぇーか。オレ何も悪いことしてねぇーじゃん。あの女も何か分けわかんねぇー奴で、勝手にどっかえ消えちまいやがって、そうだよ、あの女がいけないんだよ、勝手に礼も言わずにどこかへ消えやがって、白ブタ野郎と組んで俺をはめようとしたんじゃねぇーのか、畜生、あのアマ、何様のつもりだチキショウ、だいたいあの女さえいなければ俺だってこんなわけわかんないのに巻き込まれずに済んだんだ・・・・・・・そうだよ、女だよ、あの女がここへ来て俺が無実だってことを証明すべきなんだよ。でもどうやって?どうやってあの女を呼ぶんだよ、ここへ。俺はあいつの住所どころか名前も知らねぇんだぞ、それにいまはここから出られねぇ、かといって警察も当てになんないし、だいたい警察に事情を説明して、さっきの娘を連れてこいなんて言っても、信用されねぇーだろうし、さっきの女の特徴だって、自分より二・三歳年下のくそ生意気なガキだってぐらいしか覚えてねぇーし、いや、パッと見の印象が、俺より下に見えただけかもしんねぇーし、確かなのは、汚いカッコして、泣き叫んでたぐらいで、・・・・ああ、こんなんじゃ特徴になんねぇーじゃんよ。だいたい特徴があったとこでよ、誰に探させんだよ。警察か?警察しかいねぇーか?ほら、ほんとはよぉー、俺が自分で探し回れれば一番なんだけどさ、なんつーか、こいつらこっから出してくれそうぉーにねぇーしよ、んんんんだかなぁ、ちくしょ、一体何でこんなことになったんだかなぁ。ニールの頭の中が堂々めぐりをしていたとき、初老の警官は優しい声でこう言った。

 「確かにあいつは買春の客だ。ワシだって若い頃は頭に来たし、若いのが頭に来るのも分かる。じゃがな、きゃつらは外貨を持っちょる。若いのだって、欲しいじゃろ。外貨を持った観光客はこの街のお客様じゃで、分かるじゃろ?」

 「わかんねぇーよ、ドル持ってりゃなにしても良いのかよ!」

 ニールは叫んだが、叫んでもどうにもならないことを知ってはいた。

 「何しても良いってわけじゃない。じゃが、買春は暗黙の了解じゃ。まして買ったのは売春街の不良少女じゃで、お互い様じゃろ。」

 トシ食った警官がいっちょまえに、さとそうとしてやがる。頭にきたニールは

 「売ったのが誰だろうが、嫌がってたから、やめろと言った。殴ってきたから刺した。刺したから・・・」

 大声を上げたが、事情を知らない奴に説明すんのがヤになってやめた。

 「うっざってぇー。三ヶ月入ってりゃいいんだろ。」

 ニールは警官とは分かり合えないことが分かったので、しゃべるのをやめた。初老の警官は

 「外貨を落としてくれる客がいて、この国は成り立ってる。」

 ってな小言を延々話した。

 「小言はいいから、出てってくれよ」

 とニールが言うと、変な書類にサインさせられた。改めて落ち着いてみると、後頭部を含め顔中痛かったし、手錠をはめたまま警官の頭を思いっきり殴った手首の骨がまだおかしかった。シャワーを浴びて、囚人服を着せられ、暗い湿った部屋に入れられた。父と母が会いに来たが、ニールは会わなかった。どうせ父さんは寂しそうに背中を丸めて

 「そうか、おまえも大人になったんだな」

 とか、わけわかんないこと言って、母さんはまたグチグチと小言を言うに決まってるからだ。どっちにも会いたい気分じゃなかった。

 「裁判はいらない、三ヶ月でいいんだろ?」

 とニールは言ったが、一応形だけでもやるものらしい。行きたくはなかったが、裁判所に護送された。手錠をかけられ、両脇から警官に腕を組まれてる姿を街の人に見られるのはいい気がしなかった。街の人って言っても、小さな街だ、知ってる人が結構いて、近所のおばさんや学校の先生や、シドニーやミッシェル・・もいた。裁判はまだ子供だということや初犯だということもあり、一ヶ月で出れるらしかった。国選弁護士は、

 「通常の三分の一の刑期だ。よかったな。」

 となどと励まし、肩をたたいてくれたが、一ヶ月でも三ヶ月でもたいして変わらなかった。このちっぽけな街の中で、犯罪者というレッテルを貼られてしまった。これで、ドメス工場のバイトも、ユカとの仲もパーになる。いや、ユカとの仲は前から・・・・、いや、いまのままよりより悪く、決定的に悪く、最悪に、もう、幼なじみとしても・・・友達としてもみてもらえない、口さえきいてもらえないかも、・・・やめよう、考えるだけ無駄だ。

八章 出所後

 出所したニールが家に帰ったとき、家族は夕食の準備をしていた。父さんは末っ子のジョーイに火の起こし方を教えていた。母さんはスープをグツグツ煮込みながら、編み物をしていた。ねーさんはスープのあくを取りながら、

 「ジョーイ、洗濯物は取り込んだの?」

 と言っていた。なんだか、とても幸せそうな家族だった。自分の家族をこうして客観的に離れて見るのは初めてだったし、つい最近まで自分もこの中にいたのだということがとても不思議に思えた。夕食時、ニールは何も話さなかった。一ヶ月ぶりで何を話して良いか分からなかったし、何より、幸せそうな家族の中に入っていくことが不自然に思われたからだ。一日おいた次の日からニールはドメス工場に顔を出した。

 「ニールやるじゃん!」

 「どこいってたんだよニール!」

 「今日も持ってんのか、ナイフ」

 先輩や仲間達は、口々にかるぐちをたたき、ニールの肩や頭をたたいてってくれたが、パートのおばちゃん連中は、遠巻きにひそひそ話し、ニールと目を合わさないようにしていた。その日はバイトが終わると、仲間内で夕飯を食べに行き、ニールの復帰祝いをした。周りはニールの武勇伝を聞きたがったし、ニールもまた得意になって話した。

 「で、そんとき白ブタ野郎はどう言いやがったんだよ?」

 「なんか、完全にビビッちまいやがってよ、ガタガタ震えながら、

 『すいません。もう二度といたしません』

 だってよ。で、

 『そうか、分かりゃあ、良いんだよ』

 って、許してやろうかと思ったら、五分後にポリ連れて来やがんの(笑)」

 「なんだよ、それよぉーぅ。ビシッと言ってやれよぉ」

 「そ。だからさ、おれも、こうゆう風にナイフ構えてな・・」

 「なに、それ、果物ナイフじゃん(笑)!」

 「だから、俺は犯罪者じゃねぇーって、言ってんだろ!」

 「犯罪者じゃねぇーヤツがなんで一ヶ月も入ってんだよ(笑)」

 「それは・・・・・社会勉強っつーーか・・ほら、大人になるとき、誰もが通る道つぅかさぁ」

 「通んねぇ、通んねぇ(笑)」

 ってな感じで、その日の晩は盛り上がって、思ったほど、周りの自分に対する扱いが悪くなってねぇーなって気分で浮かれて寝た。次の日もドメス工場に出勤すると、今まで余り仲良く無かったような先輩達が、

 「おっす!社会勉強!」

 とか言って、あいさつしてくる。

 「あ、ども」

 とか言って頭下げといたけど何か変だ。周りのおばちゃん連中のひそひそ話は昨日よりひどくなって、・・人を刺しといて社会勉強だって・・・・自分のこと・正義のヒーローと言ってるらしいよ・・・・なんでも・普段からアレ持ち歩いてるって話だよ・・・・女がらみの犯罪なんでしょう?・・あーゆーのに限って嫉妬深いんだよ・・・あたし達も気をつけないと・いつナイフで犯されるか・・・事故は起きてからじゃ遅いからねぇ・早く手を打っとかないと・・・・安心して働けもしない・・・・不特定多数の中年女、ユカやレミングのお母さんの声に混じって、聴こえてくる。

 「おう、ニール!昨日のあれやってくれよ。あの、『日に焼けると焼き豚になっちまうぜ』ってやつ。ケケケケケ」

 なんか、今まで親しく無かったガラの悪い先輩達に面白がられてるよ。なんか、良い見世もンだよなぁ。今まで、仲良くやってた同世代の奴から、避けられてるよ・・・なんか。工場で働きながらも、居心地の悪さを感じたニールは、黙ったままほとんど誰とも話さなかった。なんかマズイ事になっちまったな、とニールは思った。休憩入って、昼メシ食うときも、・・・ほら、あの子・・一人で食べてるでしょ・・・友達居ないのよ・・問題多いんでしょ・・工場はみんなの物だし・・・ちゃんとルールは守ってもらわないと・・・誰もが安心して働ける環境を求める権利はあるんだから・あんなののせいで私達まで怯える必要ないって・・・遠巻きになんか話してるよ。工場長にでも言って、俺を首にしたいんだろうな・・・働く権利か・・誰の?俺の?あいつらの?仕事を終えて帰るとき、シドニーに出会った。シドはニールを見つけると

 「よお!」

 と言って駆け寄ってきて、「おいしい話があるからつきあわねぇーか」と言ってきた。シドがパパに買ってもらったゴォ自慢のベンツ(三十五年も前の中古車だゼ!)にも乗らずこんな所を歩いているわけがない。俺の帰る時刻を見計らってわざと家の前をうろついてたな、と思ったが、あえて何も言わなかった。今は話せる相手が欲しいのだ。

 「良い店があるんだ」

 とシドはやたら馴れ馴れしく肩を組んできた。

 「ちょっと、良い店があるんだ、そこに飲みに行こう」

 そう言ってシドはドメスストリートの裏通りに引っ張って行く。シドの様にこすズルい奴の良い話はいつもロクな事がない。裏に何かあるなと思ったが、成るようになっても構わない気分だった。その店は西部劇のセットみたいな造りの、観光客向けの飲み屋だった。タキシードや背広を着た大人達の中に、シドニーはニールを引っ張っていった。シドニーは一応スーツだったが、ニールはスタジャンだったので、妙に浮いていた。シドは一番奥のボックス席を陣取って、一番安い水割りを持ってこさせた。シドは席に着くと愛想良く話し始めた。

 「どうだい?この店。なかなか良いだろう?」

 一瞬の沈黙。

 「この店は開業三十年も続いていて、規模もそこそこだし、結構有名なんだ。特に旅行客にはね。」

 一瞬の沈黙。

 「実はこの店、僕の親父が経営しててさ、そろそろ僕も大人だからってんで、先週から、親父の後を継いで僕が経営することになったんだ。もちろん、親父は、ここ以外にも色々やってる。なにしろドメスおじさんと仲が良いからね。」

 グラスとボトルがテーブルに運ばれ、ロックをグラスに入れて、水で割って飲む。シドニーはさすがに手つきが慣れている。

 「で。僕が経営するにあたって、経営陣は、なるべく気心の知れた仲間で固めたいんだ。もちろん、きみも知ってるように、水商売の経営ってのは、ハンパじゃない。なにしろ相手が酔っぱらいだから、トラブルはしょっちゅうだ。そういうとき、もめ事を解決してくれる腕のいい経営者が必要なんだ。」

 ニールは軽くグラスを持って、シドと乾杯。少し口に含んでみる。

 「僕の知人で、トラブルに身を投じる勇敢で優秀な人材。そう考えたとき、真っ先に浮かんだのが、ニールきみなんだ。」

 まずい。胸元がメラメラする。よくこんなまずい水を飲めたもんだ。そう思って、周りを見ると、周りはもう少しましな酒を飲んでいるようだ。

 「きみならきっと、ここのチーフがつとまるよ。チーフといっても、それほど難しいわけじゃない。もめ事が起きたときだけ、飛び出していってくれれば良いんだ。」

 早い話が、用心棒じゃないか!とニールは思った。経営者だ、チーフだといった甘い話ほど危険な物はない、特にシドの場合は。

 「今、ドメス工場でいくらもらってる?うちはそれの一・五倍出そう。チーフの条件はたったの二つしかない。仕事中は商品に手を出さないことと、他の客の前で客ともめないこと。この二点だけだ、どうだ、引き受けてくれるだろ?」

 ニールは、あまり先のことは考えたくなかった。ドメス工場も、上手く行ってないし、こちらも、どうなるか分からない。

 「支払いはドル払いで頼むぜ」

 そう言ってニールはシドの手をはたいた。取り合えず、今日一日、客席からこの店の雰囲気をみてから考えようと思った。

 次の日ニールは工場に行き、昼まで働いて、工場を辞めた。周りの目が気になったからだ。工場は出所して二日半しか持たなかった。気が付けばニールはシドの店にいて、シドはニールの使用人になっていた。この店において、注文をとったり、お客さんのところに物を運んだり、レジを打ったり、ドアのところでお客さんにあいさつしたりといった接客は、もっぱら背が高くてグラマーなホステスの役目だった。ニールは客の目に付かない裏口でひたすら皿洗いだった。最もそれほど忙しいわけでなく、結構サボりながら、ぼぉーーっと客席を覗いていた。裏通りだが、結構大きめの店内、薄暗い間接照明、煙の充満した部屋、カラカラ回るルーレット、ガタガタ揺れる木のテーブルの上でも、賭事は成立するもんだとニールは初めて知った。自分が皿洗いしてるとき、店内から聴こえてくる白人どもの幸せそうな笑い声や、地元ネイチャーランドのホステスとの話し声がたまらなく嫌だった。いい年したオヤジ、それも白人が俺等の国の女に手を出して、VIPルーム(個室)に消えやがる。VIPで何かイイコトしてやがる。奴等白人だけが、俺達に隠れて。自分より幸せな奴が居ると、いつもそいつを不幸のどん底に落としたくなる。ドルを持った観光客が、幸せそうにしていると、早くトラブってくれって事だけが、何度も何度も心の中で繰り返された。もめればいますぐにでも飛び出してって、奴等を殴ることが出来る。トラブった時の用心棒、それがニールのポジションだった。

 ルーレットでかなり負けの込んでる客が居る。酒もかなり入っている。あと少し、あと少しでドツボにハマル。ニールは他人の不幸を観るのが大好きだった。特にドルを持った白人の不幸を観るのは、この上なく幸せだった。ほら、イライラしてる、負けがこむ、テーブルたたく、指がガタガタテーブル揺らす、テーブルの上のカクテル揺れる、ほら、こぼすぞ、こぼれろ、カクテルこぼれろ、ほら、揺れた、カクテル落ちる、テーブルから

 「ガッシャーーン」

 いった、ほら、キレろ、暴れろ、思うつぼだ、

 「オイ!」

 酔っぱらいが店員のねぇーちゃん呼び止める、

 「お前、いま、テーブルにぶつかって、カクテル落としたよな!」

 ほら、いった、やつ当たりだ、今日半日で、チップの山が全部ドボンだ、行け、こら、酔っぱらい、もめろ、叫べ、俺の出番だ!

 「えっ?」

 カウンター拭いてたネェーチャン、振り返っても、何のことか分かっちゃいねぇー、やった、サイコー、とぼけろ、もめろ、話し合わすな、

 「あ、あのー、何のことだか」

 良いぞ、良いぞ、そのまま、そのまま、

 「ふざけるな!この店じゃ、客のグラス、割っても気が付かねぇーってのか!」

 客の大声で、店がシーーンとなった、ねぇーちゃんオロオロ、

 「すいません、いますぐチーフ呼んできます」

 ねぇーちゃんあわてて、シドの居る奥の店長室にすっ飛んでいく。いいね、いいね。シドも、口では、俺がチーフだって言いながら、結局自分がチーフで店長で主任で経営者で支配人なんじゃねーか。ニールは真っ先に飛んでって

 「すいません」

 と軽く他の客に頭を下げ、もめてる客以外を安心させる。周りはまた元通り騒がしくなる。ルーレットも再び再開。

 「お客さん、すいません、ちょっとこちらへ来てもらえますか?」

 ニールは、他の客とは、違う意味でのVIPルームに客を運ぶ。シドニーもあわてて飛んでくる。

 「うちの若いのがとんだことをしでかしたようで」

 って頭下げてるシドニーも若い。

 「この店はなにかい?インチキルーレットで客から金を巻き上げて、・・・」

 VIPに入れて、ドアを閉めるなり、客の腕を締め上げて、

 「俺、厨房の窓からずっと観てたんだけどよ、あの子、一歩もテーブルに近づかなかったよな」

 言うなり、ひざを奴のみぞおちに入れる、あとはチンケな酔っぱらいだ、呼きゅー出来ねぇーで、苦しくて倒れる、転がる奴の腹を蹴る蹴る、体丸めて壁ぎわによる、えりもとつかんで顔面一発決めたらぁーーってときに、後ろからシドが俺の腕につかみ掛かって止めやがる。

 「やり過ぎだ」

 「なんだよ、これから面白い所なのに」

 「遊びじゃないんだ、仕事に戻れ」

 そしてまた、厨房でのクソつまんねぇー皿洗いが始まる。白人男と可愛いあの娘の笑い声、楽しそうにいちゃついてやがる、ちきしょ、商談成立かよ、VIP行くってよ「はい、別料金!」、んんんだよ、スゥージーの野郎、あんな男にケツ振りやがって。ちきしょ、ムカつく!早くアイツをブチのめしてぇーよ!

第九章 教会

 街の大通りを、これといってすることもなくプラプラしていた。ドメス工場を首になって、これといってやることもない。シドニーのバイトもなんかツマンネェーし、学校に戻る気もしなかったし、家にいても居場所がない、

 「勉強しろ」

 っって小言の多い母親に、炭焼きの仕事を教えたがる父親、だいたいウチの親はバイトに不寛容で、ドメス工場の時も反対してたが、シドニーのバイトも嫌がってる。

 「休みの日は一緒に山にでも登ろう。人間関係も勉強も嫌になったときは山に登って、自然に語りかけるんだ。すべてが忘れられるし、大地が包んでくれる。夜はでっかい部屋の中で寝るんだ。シドのうちよりでかい天井、ドメスおじさんの像より高い屋根、ファッションモールより輝く星空、この大自然に比べれば、人間なんてちっぽけなもんさ。父さんも。ニールも。ドメスおじさんもだ。わかるだろ?」

 父親の口車に乗ったら最後、山に連れてかれて、炭焼きの手伝いだ。マキをひろって、川に入って、魚を手づかみで、焼いて食う。で、野宿だ。野宿なんて、ドメスストリートの浮浪者しかやらない。汚くて臭う奴等だ。やたら臭うと思ったら、ときどき冷たくなってやがる。これだから貧乏人は嫌だ。俺は炭焼きになるなんてまっぴらだし、ドメスおじさんのようにビッグになって、パレードをしたい。そうは思いながらも、どうすれば、金持ちになれるのかわかんないし、いまは取りあえずドメス通りをプラプラして、時々シドの酒場で用心棒。早く何かを始めなければと焦るだけで何も始まらないし、何を始めて良いのかも分からない。

 突然、ニールの肩を叩く奴がいた。

 「よお、ずいぶんひどい目にあってたみたいだな。」

 振り返るとそこにはミッシェルがいた。一ヶ月前と変わらない笑顔、一ヶ月前と変わらない調子で声をかけてくれた。

 「なんだ、さしぶりじゃねぇーか、誰かと思ったぜ」

 あれ以降、自分に話しかけてくれる奴なんて、まともな奴なんて、どこにもいないんじゃないかと思ってたニールにとって、かなり嬉しいことだった。まともじゃない奴ら・・シドニーとかドメス工場のガラの悪い先輩とかならウジャウジャいたが、品の良いのはミッシェルだけだ。

 「こんな所で立ち話もなんだからさ、教会行って話そうぜ。」

 ミッシェルは言った。

 「それは良いんだけどよ、ほら、おまえ、学校はどうしたんだよ、真面目な優等生が歩いてる時間じゃねーだろ?」

 「(腕時計を見せて)ちょうど終わったとこだよ、いま、教会の方が忙しくてさ、早めに抜けてきたのさ。」

 ミッシェルはニールを教会に連れていった。思えば、ニールが礼拝の日以外に教会に行くのは初めてだった。教会といえばハロウィンやクリスマスをして、お祭りの日以外はいつも日曜日に神父さんが長々とお説教して、眠くてたまらなくて、ユカの隣に座って、ユカの膝の上に手を置いたりユカの髪を引っ張ったり、いたずらをして、遊んでいた記憶しか、ニールにはなかった。

 ドアをひらくと、平日の教会はがらんとしていて、空っぽだった。いつも並べてあるはずのイスもテーブルも祭壇も片付けられていて、妙に広く、さびしい感じがした。

 「神父様、ただいま帰りました。」

 ミッシェルの声は、がらんどうの教会に鳴り響いた。すると、奥の方から、かすれた年寄りの声がした。

 「おかえり、ミッシェル、早速だけど、ベーコンとタマネギとジャガイモを買ってきておくれ。」

 奥から出てきたのは神父様だった。ミッシェルは、

 「神父様、今日は一ヶ月ぶりにニールに会ったんですよ。」 

 とニールを紹介した。ニールは礼拝をする大きな部屋の向こうにある、小さな部屋に連れて行かれた。ニールがまだ幼かった頃、一度だけ母親に連れてこられたことのある小さな部屋だった。ドアを開けると四・五歳の小さな子供達がうじゃうじゃいて、ぬいぐるみやおもちゃや落書き帳や絵本やなんかが、あちこちに散らかっていた。その中に二人、十四・五歳の人が混じっていた。

 「ども」

 と軽くあいさつすると、

 「はじめまして、キリスト教会青年団のクリスです。よろしく」

 「ユリアです。よろしく」

 と手を差し出してきたので、ニールも

 「よろしく」

 と言って手を差し出して握手した。教会の人間はどうも礼儀正しい。

 「私達は週に二回、当番制で教会に来て、子供達と遊んだり、子供達に文字や算数や歴史を教えてあげたり、子供達に絵本の読み聞かせをしたりしています」

 「何もないところですがゆっくりしていって下さい」

 「それと、もし、よろしければ、毎週教会に来て一緒に子供達と遊びませんか」

 とデパートの受け付け嬢のような声と笑顔で言われてしまった。教会の人間は課外活動に熱心で、その上、外部の人間にやたら愛想良く、勧誘に熱心だ。

 「まぁ」

 と無愛想に返事して、黙って端の方に座り込んでみた。何の屈託もない笑顔で話されるのはどうも苦手だ。ミッシェルもそうだが、教会の人間はどうしてあんな陰影のない笑顔になれるのだろう。今まで一度もひどい目にあったことがないと言わんばかりの素直さを見せつけられると、一度ひどい目に遭わせてみたくなる。

 「ニールさんは、ミッシェルのお知り合いですか?」

 「最近日曜礼拝にもいらしてないようですけど、また来て下さいよ」

 愛想良く話しかけてくるクリスを試しに無視し続けてみた。これでも善人でいられるのか?無愛想に無視していると、クリスは向こうに行って、子供達に絵本の読み聞かせをはじめた。子供達がわーーっとクリスの周りに集まっていく。ユリアはさっきから、おさげの女の子に文字を教えている。たぶん学校の宿題の手伝いか何かだろう。まだ乳児に近い赤ん坊がユリアの背中にハイハイしていって、ユリアの服を引っ張る。ユリアは振り返って乳児をひざの上に抱き、文字の続きを指導する。赤ん坊はユリアの髪を引っ張ってよろこぶ。ユリアはそれに優しく対応する。クリスの周りの子供達が一斉にどっと笑う。暗い森の奥に住む魔女の真似が上手い。「神父様、買ってまいりました」入り口の方で声がする。ミッシェルだ。

 「ありがと、ミッシェル。今晩はシチューだ」

 と、神父様が迎える。神父様とミッシェルが厨房に入ると、絵本を読み終わったクリスも厨房に行く。

 「ニールも手伝ってくれよ」

 とミッシェル。ミッシェルが大きなザルに土まみれのジャガイモやニンジンを入れると水洗いをしてニールに渡す。ニールはご自慢の果物ナイフでニンジンの皮をむく。クリスもタマネギの皮をむきはじめ、神父様は部屋へ行って、ユリアを呼ぶ。

 「子供達の相手は私がやるから、ユリアもみんなと料理を作ってきなさい」

 でかいナベに水を入れ、お湯を沸かして、具を放り込む。皮をむいて、適当な大きさに切って、ザルに入れて、一通り切り終わったら、ザルにたまった分をナベに持ってく。火の通りやすさやなんかで、ナベに入れる順番が、一応はあるらしいが、それはそれ、ザルに限界があるから、片っ端だ。

 「ニール、ニンジンはもう、そんなもんで良いよ」

 言われてナベの方を見ると、もうグツグツ煮えていて、お玉でアクをすくってる。ミッシェルがルーを砕いて中に入れている。もうそろそろだ。シチューが出来ると、お椀に盛って、机を並べ、天の神様にお祈り捧げて、いただきます。食事の後は勉強会。教会ではとにかく色々教えてくれる。文字の読み書き・・これは聖書を読むのに必要だ、数字の計算・・これは学このお勉きょ、倫理&道徳・・これを知らないと神に仕え正しい行いをすることが出来ない。などなど。神父様の話によると、ニールがシドニーの店で働くのは良くないことなんだそうだ。あの店はただの飲食店ではなく、ギャンブル場であり、売春宿であり、さらに個室では麻薬の持ち込みが頻繁で、阿片窟なんだそうだ。生活のために働くのは仕方がないが、もっと健全な仕事場を見つけてそちらに移りなさいときたもんだ。んんんんん、模範的な御意見。ニールとしても、シドに使われるのはいい気はしないし、麻薬をやってるなんて知らなかった。ただ、

 「あそこは偉大なるドメスおじさん直営のお店なんだ」

 って言ったら。

 「ドメスはこの国の恥だ」

 ときたもんだ。

 「ニールの両親にしろ、神父さんにしろ、何でそんなにドメスおじさんを嫌うのでしょう?」

 って聞いたら、

 「彼はマフィアだからだ」

 ってなわけだ。ドメスおじさんの悪口を言われてかちんときたニールは、

 「マフィア?最こーじゃん?ワスプ文化に対するこの国唯一の自衛組織でしょ、何でいけないの?」

 ってな具合。何でも神父様に言わせると、

 「ドメスのようなマフィアがいるから、この国の国際的な信用が低く、いつまでたっても発展途上国のままで、その貧しさを逆手にとって、マフィアがさらに増長していくという悪循環があるわけで、ニールのようにまだ善悪の区別のつかない若者に何が正義で何が悪かを教える教育が、まず何よりも必要」

 なのだそうだ。ニールはドメスおじさんのことでは神父様と話が合わなかったが、それでも神父様はシドニーのバイトを認めてくれたし(ニールの両親はシドのバイトを認めていない)、何より家に帰りたくなかったので、教会に住むことに決めた。夜は教会で寝泊まりし、昼はシドのバイトに出た。酒場の用心棒はニールの愛国心を満たしたし、教会での生活は穏やかな安心感を与えてくれた。

 そんなある日、店長のシドニーの方からニールに、新しいバイトの話があった。閉店間際にシドが、

 「ニール、片づけ終わったら、ちょっとVIPに寄ってくれよ」

 と言うので、

 「何だよ、片づけ終わったらVIPかよ、片づけ中、悪いけど、後はみんなにまかせてVIPだろ普通」

 と言うと、

 「いや、片づけ終わったらだ」

 と来る。ホントにアイツ、同級生かよ。使用人ぶりやがって。片づけ終わってVIPに寄ると、

 「おい、ニール。俺のおやじがドメスおじさんと仲良いの知ってるよな?」

 と、くる。なんだよ、また、

 「俺のおやじはファミリーの一員だ」

 とか、

 「ドメスおじさんに一目置かれてるんだ」

 とか、

 「ファミリーの中堅幹部なんだ」

 とか自慢し始める気だ。俺に言わせりゃシドのおやじなんて、半分堅気の下級幹部だよ。って気分で聞いてると、

 「実はドメスおじさんの方から、耳寄りな話が入ってな、ひょっとすると、ニールもファミリーに入れるかも知れないっていうんだ」

 ときた。

 「えっ?」

 ニールは嬉しい気持ちを思いっきり抑えて聞き返した。シドの上手い話はいつも怪しい、だが、今回だけは信じたい。

 「今ファミリーは勇気ある若者を必要としているんだ。ファミリーのために命を捨てれる。そんな愛国心豊かな青年を連れてこいという話なんだ」

 愛国心はある。が、死ぬのは嫌だ。シドの話はいつも危ない。

 「ニールは、白人を刺したことがあるだろ?」

 「悪い、シドニー。何のことだか話が見えないんだけど」

 「ドメスファミリーはこの国で利益を出してる数少ない、そして最大の経済組織だ。それは分かるだろ、ニール?」

 話がデカくて長くて複雑に成りすぎてる。ここは適当に返事しとこう。

 「まあ」

 「特にご近所の対米黒字はここ数年特に大きくなっていて、その内のほとんどが非合法の麻薬売買だ。その利益に目を付けて、ピサロって白人マフィアが俺達の国に進出してきている」

 「ピサロなら知ってる。最近テレビや新聞によく出てくる白髪のじじいだ」

 やっと話が見えてきた。どうやら本当にドメスファミリーに入るための話らしい。

 「で、ファミリーとしては早い内にピサロをたたいておきたい。もし、ニールがピサロを殺れば、おじさんはニールをファミリーに入れても良いって言うんだ」

 「ラッキーーー!」

 ニールは両手握り拳もんで喜んだ。いけ好かねぇーワスプ野郎殺して、ファミリーに入れるなら、お安いこった。

「分かった、サンキュー、俺やるよ」

 そう言ってニールは喜び勇んで教会に帰った。

 教会に帰って、

 「ラッキーーー、俺ってすっげぇーーツイてるよ、いますっげー良いニュースがあってさ、ピサロの頭ぶち抜いただけで、ドメスファミリーに晴れて入会できるんだぜ。バヒュンバヒュン!!俺のサクセスストーリーはここから始まんだよ、国民の英雄、愛国のテロリスト、パパパパパパパパパパ、消音装置付きの小型機関銃で白人野郎がハチの巣だ」

 って喜んでたら、ユリアが子供に文字を教えながら目も上げずに

 「向こうにはプロの殺し屋さんがたくさんいるのよ。運良くニールの弾が当たったとして、三日後にはニールも、この世に居ないわ」

 と言った。

 このとき初めて、一瞬自分の死を自覚した。でも、これはユリアの悪いジョークだと思うべきだし、そう信じる努力をする。そしたらミッシェルまでが、

 「ニール。聖書では殺人は最も罪深き行為として禁じられている」

 なんて言い出す始末。聖書とミッシェルは真面目で良い奴だが俺はニールだ、奴等よりも融通が利く。以外と冷静だったのが神父様で、

 「ニール、そこにひざまずきなさい」

 と軽くお祈りさせられた後、

 「私もピサロは好きじゃない」

 と言ってその後

 「でも、ピサロもまたいずれ滅びる」

 と言った。

 「ドメスの収入は、工場でも酒場でもなくアメリカへの麻薬密輸だ。ドメスの輸入した薬のせいで、アメリカには多くの中毒患者が生まれてしまった。アメリカ政府は中毒患者のリハビリ施設を作り、売人を取り締まったが、それだけでは中毒者が減らないことに気付き、今度のドメスファミリーつぶしに踏み切った。ドメスをつぶす第一歩として、ドメスをよく知る白人マフィア、ピサロと手を組み、まずはドメスの幹部達を逮捕して、ファミリーの自然消滅を待った後、ピサロもつぶすつもりだ。今ニールがピサロを撃たなくてもピサロはアメリカ政府によって捕らえられる。悪はいずれ滅びるように出来ているのだ」

 神父様はニールにこう語ったが、ニールは

 「ドメスファミリーの収入が、工場でも酒場でもなく、麻薬密輸だけだってのは、工場で働くユカやミッシェルのお母さん達に失礼だろ」

 と言った。気がつけば、神父様にタメ口をきいていた。

 「すまない、でも事実なんだ。麻薬のお金で工場を建て、ドメスはこの地に地場産業を育てようとしている。でも、その地場産業を育てるために使うお金は、麻薬で儲けた汚いお金なんだ。そんなお金で産業が育つわけがない」

 神父様の言葉とは思えない、まるでミッシェル並のきれい事だ。神父様はさらにこうも言った。

 「ニールがピサロを殺すのは勝手だ。ただ、ニールがピサロを殺すように、ピサロもニールを殺すだろう」

 ニールには、その一言が一番怖かった。

十章 再会

 奴等のアジトと移動スケージュールは調べてある。銃もロケーションも逃走経路もこちらで準備する。ニールは引き金を引くだけで良い。もし、白人マフィアのボスを殺せたら、5万ドルやろう。

 これがニールに与えられたドメスファミリーの入会条件だった。殺人。それはおそらく・・・・地上で裁かれる最も重い罪だろう。そして、殺人のみがマフィア、具体的にはドメスファミリーに入る最大の条件なのだ。

 ドメスストリートを、上がったり下ったり。ニールは正直決めかねていた。あこがれのドメスファミリー。入るには殺人。ピサロを殺すことにためらいはない。ドメスおじさんをアメリカに売った悪いヤツだ。ただ、いくらワスプとはいえ、人を殺すのは、初めてだった。

「一度撃っちまえば後は同じさ」

 シドニーの店に来てたブラザー(兄弟)はそう言った。

 「誰だって始めは素人なんだ。医者だって初めて患者の皮膚を切ってハラワタほじくり出すときはビビる。だが、二回目からはもうプロだ。粘土細工と変わらねぇ。」

 一度撃つと、次からは平気で人を撃てるようになるのだろうか。それとも、一度目の前で自分が撃った奴の死んでいく姿を見ると、次から殺してしまったヤツのファミリーに狙われるのが怖くて次々に撃ち殺し続けなくちゃいけなくなるのだろうか。ピサロのバックにはアメリカ連邦警察がついている。ってことは、ピサロを殺ったらアメリカに行けなくなる。憧れのマンハッタン。自由の女神。世界一の先進国。ラスベガスのカジノ。セスナにネイチャーランドで精製したヤクを積めるだけ積んで、ロスのハイウェイに向けてテイク・オフ。無事到着したあかつきには、積み荷を丸ごとロス支部にあずけて、打ち上げパーティー。高層ビルの夜景をバックに、ファミリーのヘリでアメリカを一望。両脇には金髪女。カクテル片手に最高級ホテルにチェック・イン。地上四十七階のガラス張りの温水プール。青や紫のライトに照らされ、七色に輝くジャグジープールを美女と一緒にダイビング。そして最後は地上四十七階の夜景を見ながらふかふかのダブルのベッドにベッドイン。そんなドメスファミリーのサクセスストーリーを歩めなくなる。殺して五万ドルもらって、その金でアメリカに行くんだろうか。FBIに指名手配されても、アメリカにヤクを運ぶのだろうか、亡命者を運ぶのだろうか。アメリカ以外でファミリーの仕事はあるのだろうか。五万ドルはファミリーからの手切れ金にならないだろうか。殺しの後も仕事をくれるのだろうか。

 ストリートを二往復半ぐらいしただろうか。ショウウィンドーを見ると、外国製のバリバリのスーツ。五万ドルもあれば、十着や二十着ラクに買える。・・・いや、二十着買うと、靴とネクタイと帽子とスカーフと指輪を買う金が無くなる。いや、それよりも何よりも、まず家を出たい。一人暮らしのアパートを借りて、まて、それもめんどくさい、郊外に一軒買っちゃって、そこに女の子連れ込んで暮らすというのはどうだろう。一人の女と三人の子供、庭には二匹の山羊がいて、朝にそいつの乳を搾って、朝食には絞り立ての山羊のミルク。余った分は冷凍室に入れてチーズを作る。山羊のチーズなんてチョットしたもんだろう。バターもアイスクリームもみんな山羊の乳から作る自家製だ。山羊達にクワを引かせて、畑を耕す。俺はトウモロコシやかぼちゃの種をまく。週末には家族で小麦粉をこねパンを焼く。妻は小麦をひいて小麦粉を作り、俺は井戸から汲んできた水でそいつをこね、叩いては伸ばしそいつをいつでも焼ける状態にして、形は子供達に作らせる。子供達はクマやキツネなどの顔を作って目の部分にチェリーやレーズンをのせることを好む。そしてみんなでマキを割り、火を起こしてマキのオーブンでじっくり焼く。穏やかだが、幸せな生活。そういうのも良い。もし、ピサロを撃ったら、向こうのファミリーから命を狙われる。自分だけじゃなく、妻も子供も巻き込まれる。静かで幸せな生活なんて望めないだろう。

 ただ、一つだけ確かなのは、ドメスおじさんは正義であり、ピサロは悪だということだ。ニール個人の幸せでなく、国全体のことを考えればピサロは確実に殺るべきだ。

 ニールが悩みながらドメスストリートを歩いていると、ユカと白人男性、白豚野郎が手ぇつないで裏通りに曲がるのが見えた。

 一瞬何が起こったのか分からなかったし、ユカに限ってそんなことはあり得ないし、ユカに似た人かも知れないし、単なる見間違いかも知れないし、白人に似たユカのお父さんとかお兄さんとかいとこのおじさんとか、遠い親戚の誰かかも知れないし、第一、見たと言うより、なんか、そんな気がしたというか、一瞬、そういう願望が自分の中にたまたまあって、それが何かそういう気にさせたのかも。

 とにかく、ニールは彼らを追って走り出していた。ニールが追いついて男の肩を引っ張ったとき、二人は裏通りのモーテルに入ろうとしていて、驚いて振り返った女はニールと一瞬、目が合って静止したが、すぐに何事もなかったかのように目を伏せ男の手を取って中に入ろうとして、その中に入ろうとする女の腕をつかんで

「こっち向けよ」

 と叫んだニールの見た女性はやっぱりユカだった。

 「ユカ、お前何でこんな所にいるんだ!」

 って叫んだら、ユカは俺の目をまっすぐに見上げて

 「あたしの勝手でしょ」

 って叫ぶ、ニールは思わず目をそらして

 「でも、まあ、その・・」

 と口ごもる。確かに俺は、ユカのことが好きだったし、今も好きなんだけど、それはユカにとっては何の関係もない話で、向こうにとって俺はムショに入っていた犯罪者なわけで、当然のようにユカの両親からは付き合ってはいけない友人ベストスリーぐらいには入れられていて、その上ユカ自身にも嫌われている。もし俺がレミングだったら今すぐユカの手を引いて、無理矢理にでもうちに連れて帰ってやれるのに・・・何で俺はレミングでなくて・・ニールなんだ・・・って、そうだ、レミングだ、レミングの名前を出せばいい。

 「レミングはこのこと知ってんのかよ」

 ユカは一瞬驚いたような目をして

 「関係ないでしょ、向こう行ってよ」

 と、怒って突き倒した。いつの間にか男性旅行者はいなくなっていた。

 「レミングに会ってくる」

 と。

 だけ言って走り去ろうとするニールの腕にユカはしがみつき、か細い涙声で

 「待って」

 と言ったユカを振り払って走り去るニールは、ユカに自分の顔を見られたくなかった。そのぐらいひどいぐしゃぐしゃの顔をしてニールはその場から逃げた。夕方、レミングの家の前で帰りを待っていると、帰ってきたレミングは石段の上に座ってるニールを見て、珍しいモノを見たときのようにマユを上げ

「何かあったのか」

 と言った。ニールは何か言おうとしているけれど、何を言って良いのか分からないような様子でもごもごと、つぶやいていた。

 「もしも・・かりに・・なにか・あったとして・・・・たとえば・・・・りょこうしゃを・・どうおもう?」

 「りょこうしゃって?」

 レミングの見た限り、何か重要な話らしかった。でも要領が得ない。第一、ニールとはあれ以来話してない。

 「いや・・べつに・もしもの話でいいんだ。かわいい女の子が旅行者と歩いてる・・・腕を組んでだ。彼女はとても魅力的で、旅行者はとても優しい・・・少なくともうわべはそう取りつくろってるし、実際優しいかも知れない、なにしろ二・三日しかいないのだから今優しく振るまわなきゃ、それしかチャンスがない。二・三日しかいないというのは、彼女にとっても変なうわさが立たなくてすむし、何より旅行者はドルを持った白人だ。」

 「何を言いたいんだ?」

 「ちょっと、整理しよう」

 何を言いたいんだ?と聞かれたニールは思わず「整理」とか口走ったけど、何を整理すれば良いんだ?って状態だ。ユカは俺には知られても良いけど、レミングには知られたくなくて、それは結局、振られたってこと?こいつ等まだ続いて・・・でも、だったら俺が見たノッポのトラベラーは何なんだ?人違いか?あれは、ユカじゃなかった?ユカじゃなかったら何でレミングを知ってる?それも人違い?聞き違い?偶然が重なって会話らしきものが成立しただけ?赤の他人と。何で俺がユカをみ間違う?それともトラベラーが実は旅行者じゃなくてタダの・・・誰だよ!・・・ユカの親戚で、たまたまユカが一緒に手をつないでモーテルに入ろうとしただけで、別に知らない仲じゃないんだし、たまたま親戚とホテル行ってやっただけで・・・近親相姦!まさか・・ワスプの親類って誰なんだよ!

 ニールは一人でパニクるだけパニクると、心の整理が着き

 「悪い。何でもないんだ」

 とだけレミングに言った。レミングも余り関わりたくなかったので、何も言わずにさっさと家の中に入ってドアを閉めた。ニールは心の整理が着き、白人マフィアのボス、ピサロを撃つため、命を捨てる覚悟が出来た。

十一章 エンディング

 その後、ニールはピサロを撃ち、ドメスファミリーに入った。ピサロは死んだが、ドメスおじさんはアメリカ連邦警察局(FBI)にとらえられ、裁判に掛けられた。ファミリーのボスはおじさんの弟が引き継ぎ、ニールは東欧に飛んだ。ちょうどその頃、ソビエト連邦が崩壊し、旧社会主義国・・・東欧のポーランドやルーマニアやなんかはソビエトからの支援が途切れ、経済的に苦しくなっていた。食料不足は多くの孤児を生み、ストリートには、みなしごがあふれていた。ニールの仕事は東欧諸国の孤児院や路上から若くてきれいな孤児を拾い集め、西ドイツのフランクフルト空港に運ぶことだった。孤児達はそこから飛行機に乗せられ、国際便で、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、オースラトリア、日本、とにかく金持ちの先進国に運ばれていく。

 それまでの孤児売買の主流は、発展途上国の有色人種を、白人達の先進国へ運ぶ仕事だったわけで、ある意味人種が違うし、ちょっと変わった家畜を飼うような値段だったし意識だったが、今回は違った。ソビエトの崩壊は、白人を白人に売ることを可能にした。ペットでなく人身売買だ。一人当たりの値段も上がったし、白人社会内の問題意識も高まり、取り締まりも厳しくなった。どうも、白人が白人を売り買いすることはモラルに反するらしい。そして、モラルに反するところには、リスクと利益が存在する。ニールはドメスファミリーの東ヨーロッパ支部長を務め、今では運転手付きのキャデラック、もちろん防弾加工を施した奴を乗り回す毎日だ。ガキの頃憧れた生活をそのまんま実現した。防弾加工済のキャデラック、オートクチュールの服、外国製のカバンやネクタイ、ドメスファミリーの中堅幹部で、そこらの企業の重役クラスなら、名前を出しただけでビビってくれる。ドメスおじさんと違って地元の人間には嫌われてるし、パレードもしたことがない。キャデラックがオープンカーでないのは、ガキの頃の予定と違うが、こっちの方が撃たれる心配もない。買春する白人野郎をあれほど嫌がってたのに、今では良いお得意さんだ。ユカの売春に傷ついてファミリーに入ったのに、今ではそれを手伝う仕事だ。因果なもんだと思うし、これが正しいとも思わない。ただ、今はこれで生計を立てている。どんな仕事でも、金を稼いでいる以上職業であるし、金を払う人間がいる以上、必要とされている。死刑執行官や豚肉の解体屋、税金の取り立て人は恥じなくて良い。誰かが必要としている仕事を頼まれて引き受けているだけなのだ。恥じるべきなのは、金を貢ぎに来る奴等だ。

 「ニールさん!舎弟にして下さい!」

 突然、ニールのキャデラックの前に立ちはだかる現地の少年が現れた。年は十二・三。泥だらけの汚い靴をはいていた。きっと農作業の帰りなんだろう。ズボンのスソまで泥が跳ね上がり、服のヒジやスソはボロボロだった。靴や服の汚れ具合でその暮らしぶりは分かる。それほど豊かなわけではないが、一生懸命生きている。そんな感じだ。

 「とめろ」

 ニールは運転をしているファミリーの一人にキャデラックを止めさせた。

 「ガチャ」

 ボディーガードはニールを止めたが、ニールはドアを開け、外に出て、その子を見た。この子はとても純真な目をしているし、意志の強い子だと思う、自分が

 「ファミリーに入るな」

 と言っても、いずれは夢を実現するだろう。どこか昔の自分に似ている。ドメスおじさんやシドの父さんに憧れていた頃の。ニールは黙ってその子に近づき、軽くほほえんで、いきなりそのこの腹を蹴りあげた。憧れと羨望のまなざしでニールを見上げたまま、その子は何が起こったか分からず、腹を抱えて息が出来ずうずくまってるので、そのまま胸ぐらをつかみあげ、二・三発ビンタを加えた後、地面に放り投げ、倒れたその子の後頭部をブーツのかがとで踏みにじった。倒れて動かなくなったのを確認し、ニールはゆっくりとキャデラックに乗り、その場を走り去った。それがニールに可能な唯一の優しさだった。
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BGM「不安な気持ち」作曲:森田博美