■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第95号 2004/4/27発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1歴史性 で、私は第三回引かせ王に向けて、ネタを仕込んでいた訳です。 ドンキーホーテで女性の裸体の形をしたマネキン風のハンガーが 880円で売っていたので、それを買い、 同時に売られていた女性用下着をマネキンにつけて、 私が小出監督、マネキンがQちゃんで漫才をやるというネタでした。 酸素の少ない高原でのトレーニング。 周囲には自分とQちゃんの二人っきり。 ドサクサにまぎれてQちゃん(マネキン)の体を触りまくるネタで、 鏡の前でマネキンの下着をどう脱がした方がやらしく見えるか?等を 考えながら練習する訳です。 手が二本しかない以上、マイクと原稿を持ったら両手がふさがってしまう。 Qちゃん役のハンガーは、マネキンタイプとは言え、 脚がないので手で持たなくてはならない。 マイクはマイクスタンドを使うとして、 本番に原稿用の譜面台があるかどうかは 行ってみなければ分からない。 原稿を持つ、ハンガーを持つ、下着を脱がす。 これをどう不自然ではないように両立させるのか? 鏡の前で練習している間にも、年末が来て、 親から電話がかかってきて 「今年は実家に帰って来ないのか?」 「もう後数日で30になるけど、 就職しないのか?結婚しないのか?好きな人はいるのか?」 みたいな電話がかかってくるわけです。 で、まあ、親を心配させないように上手く言いくるめて 電話を切ったらまた、鏡の前で女性用下着を着けた マネキンハンガー相手に「Qちゃん」とか言って胸揉んで、 下半身触ってしているわけです。 ハンガーのQちゃんとHしている間に、 親から電話がかかってきてという ノンフィクション楽屋落ちも入れるか入れないか迷った訳です。 ドリフのような虚構の笑いを見せるのか、 電波少年のようなドキュメントの笑いを見せるのかの迷いです。 私の中では芝居の中で笑いを取る方が、 ドキュメントの笑いより高度だという意識があります。 また同時に、 ドキュメントの方が笑いの量は取れるという読みもあります。 で、ドキュメントが諸刃の剣なのが、 芝居からドキュメントの笑いにいった後に 時間が余ってもう一度芝居に戻ろうとすると、 一度楽屋を見てしまった客席はもう芝居に戻れない訳です。 五分の持ち時間で、楽屋落ちの後、中途半端に時間が余って、 芝居に戻ろうとして白けるというのが一番怖いパターンなわけです。 この辺は2タイプ練習しておいて、 本番で客席の空気をみながら笑いの量がどうしても必要だったら、 楽屋落ちに、そうでなければ、虚構で通すと 決めて本番に挑みました。 この引かせ王の前に、神田神保町で漫才の歴史について書かれた本を 軽く立ち読みして、そのときは買うほどの本でもないと思ったのですが 何日してもその内容が頭から外れず、 けれどもその本のタイトルすら分からないため 探すこともままならない状態になった本があって、その本が 富岡多恵子著「漫才作者 秋田實」 アマゾン http://tinyurl.com/2oy35 bk−1 http://tinyurl.com/2vaqu book web http://tinyurl.com/yvgjx だったのです。ちなみに、この本の中心人物秋田實という人は、 エンタツアチャコという第二次大戦前後に活躍した漫才コンビの 漫才台本作家です。 漫才という言葉は、 万歳という祝いごとから来ていて、祝いごとのときに、 主人の家に万歳をしに来て、主人をほめたたえ、 その見返りとして食べ物や小銭をもらう 河原乞食の仕事というか、乞食がお金を恵んでもらうための 手段としての万歳があって、そこから、 義太夫などの音楽や笑いを入れた芸を見せるスターが出て来る。 それまで、ふんどし一丁で漫才をやっていた世間でいうところの乞食から、 羽織はかまを着て、純邦楽と言われる小唄や舞を見せ笑いも取る スターが出て来て、その後の世代として、 当時としてはモダンであった洋服を着て 万歳をするエンタツアチャコが出てくる。 エンタツアチャコに到っては、 小唄を歌うことも和太鼓や三味線を持つこともなく しゃべりだけで笑いを取るスタイルが確立し、 万歳から漫才へ表記の変更があったのもこの頃になる。 かしまし娘や横山ホットブラザーズのような 純邦楽の楽器を使った演芸から、 しゃべくりのみの漫才への変更は、 当時としては大変革だったように思う。 私はこの辺りの漫才の歴史に意識が行っていたわけです。 何故、こんなところへ意識が行くのかというと Ben’sで青木研治さんが「この詩で営業出来ないかなと思ってます」 と言って「おめでとう」という詩を詠んでいるのを 見ていたりするわけです。 俺は青木さん好きやし、カッコイイと思うけど、 「おめでとう」という詩で営業するというのは 漫才の歴史の中で見ると、乞食商売と言われた頃の 万歳にあたる訳です。営業出来るかもしれないけど お客さんからは軽蔑されるよ、それ。乞食扱いされるよ。 と思ったり、必ずしもこの本からの情報だけじゃないのですが、 第二次大戦で敗戦した直後の日本でお笑いをやるということは ストリップ劇場で司会をやるということと ほぼ同義だったらしいという話があって。 コント55号にしろ、ツービートにしろ、最初はストリップ劇場から 出て来てたりするわけです。 当然、お客さんはストリップを観に来ているわけで お笑いは踊り子さんが衣装替えをする幕間の時間稼ぎでしかない。 そういう場ではシモネタをいっぱい言って笑いを取る訳ですが そういうのではなく、親子で観に来ても恥ずかしくないような お笑いをやりたいとこの本の中の 秋田實さんやエンタツさんは考える訳です。 別の本でいうと桂枝雀さんの「らくごDE枝雀」 アマゾン http://tinyurl.com/3b32g の後書きで上岡龍太郎さんが書いているのですが 当時、100人規模の小屋(学校の教室サイズ)がなくって、 千人・二千人規模(学校の体育館サイズ)の寄席しかなかった時代で、 五〜六人の人達が出て来て、ハリセンで頭を叩きあうような コントが全盛で、何十メートルもあるステージの真中に 座布団を持った老人がちょこんと座って 一人でボソボソしゃべり出すような落語は受けなかった。 ステージや小屋が大きいと、どうしても いっぱい人が出て来て激しく動き回って 頭たたいたりしているようなものの方が受ける。 家族で観れる知的で上品なお笑いをどうやって作っていくかが当時の 課題だったという話が出てきます。 で、奇聞屋で第三回の引かせ王選手権が始まって、 徐々に、マズイなぁという気分に私はなっていきました。 客席の照明が暗くて、ステージの照明が明るい。 それも客席サイドの天井からステージへの照明が ピンスポットで当たるので、ステージからは客席が逆光で見えない。 客席の最前列でヤリタミサコさんが、 場を盛り上げようとして爆笑されているのですが http://tinyurl.com/3bgdj で、ヤリタさん自身が引かせ王に関して 厳しい意見を書かれていることからも分かるように 本当に面白いと思って爆笑しているのではなく、 場を盛り上げるための笑い屋さんをされているというのが こちらサイドからも分かるわけです。 私は出入り口に近いステージから遠い席に座っていたのですが 最前列のステージ正面にいるヤリタさんの後ろで 受けているのか受けてないのか ステージからは視覚的にも聴覚的にも判断がつかないわけです。 つまり、ステージ上で空気を読んでネタを変えるということが 非常に難しい。 さらに、シモネタという部分で私を含め多くの人のネタが かぶってしまっていて、あおばさんからは、 「私ぐらいの歳になると、 性欲というのがなくなってしまっているから シモネタにはいまいちリアリティーを感じなくて面白くないんですよ。」 と言われる始末。 私は高円寺残留孤児のテキサス万歳さん http://www.rak2.jp/town/user/zankodub/ に「今回の自分は失敗した」という愚痴をひたすら入れてました。 引かせ王と言ったときに、もっと場を嫌な気分にさせたり、 客を突き放したり、罵倒したりするような人が多いと思ったら、 シモネタで受け狙いの人が多くて、芸がかぶってしまった。 いかにして場の中で少数者になるかを競う競技で、 多数派になってしまった。しかも今回、自分がやったのは、 去年引かせ王になった花本さんのネタ、 人形二体を使ってのセックスネタの拡大再生産で完全なパクリだと。 偉い人も来るから、失礼が無いようにと言われている中で、 「シモネタも辞せず!」という攻めの姿勢のつもりでやっている。 どうせアンダーグラウンドのイベント小屋だと、 テレビじゃないから放送コードもない、好き勝手やってやるぜ! サザエさんライクなお茶の間のほのぼのした笑いなんかぶち壊せ!と 攻めてるつもりなんだけど、 でもそれは、お笑いの歴史の中で言えば、 サザエさん的なお茶の間の笑いよりも古い笑いで、 ただの先祖がえりなんだよな。 ちゃぶ台があって、テレビがあって、 家族がそろって夕食を食べてて、 というお茶の間を舞台にしたお笑いの歴史は ストリップ小屋を舞台にしたお笑いの歴史より新しいわけ。 お茶の間の笑いなんてダサいぜ!と思って もっと新しくてアンダーグラウンドな物を立ち上げたつもりが 全然古いんだよ。単に歴史を学んでないだけなんだよ。 例えば、ちゃぶ台一つとっても、 敗戦から高度成長期にかけて生まれてきた物で、 それ以前は、旅館みたいにお膳でメシ食っていたんだよね。 いまでも、相撲部屋とか大工の棟梁とか、 そうなんだけど、敗戦以前は親方の家に住み込みで丁稚として働いて 一人前になって自分の店を持つ、 自分のノレンを持つようになって初めて独立するんだけど、 そうなると、親方の奥さんは住み込みの若い衆のメシを 何十人分も作って並べてとかするわけで、 ちゃぶ台じゃ5〜6人ぐらいが限度じゃん? お膳だと何十人いても一人一膳だから並べられるじゃん? 家内制手工業みたいな時代だと親方の家=工場兼社員寮 みたいなもんだから、 いまでいう社員食堂みたいにお膳がずらっと並ぶわけよ。 敗戦して財閥解体で公務員を除くすべての人が自営業みたいになって 初めてちゃぶ台だのお茶の間だのが出てくる。 それまでは、あってもいろりと土間だから。 ストリップ小屋のシモネタってのはそれより歴史的に古い。 お茶の間の笑いはテレビやラジオの普及があって初めて成立したわけで 芸人がお茶の間に出向いてお笑いをやったわけじゃないから。 歴史的に古いものをやっても、歴史や伝統が好きだというのであれば やっても良いんだけど、ストリップ小屋の笑いに対して、 何故、お茶の間の笑いを生み出そうとした人がいたのかや、 何故、歴史的に古い物が新しい物に淘汰されていったのかを 学んだ上でちゃんとやるべきで、今回の俺は無自覚過ぎた。 「漫才作者 秋田實」に感銘を受けていながら、 なんでこんな無自覚なことをやってしまったのだと。 ひたすら愚痴を言っていたらテキサスさんが 「いや、ストリップ小屋の笑いを 僕なんかはリアルタイムで観ていたけど、 それを観てない世代の人達が、 同じようなことを一生懸命やっているをの観て、 なんか懐かしかったよ。これはこれで面白い。」 とかなぐさめてもらいつつ。 死紺亭さんに同じ話をすると、 妙に死紺亭さんの機嫌が悪くなったりしてね。 「漫才作者 秋田實」を読んで感銘受けたと言うと 死紺亭さんが変に攻撃的になるんですよ。 これね、詳しくは知らんけど、 エンタツアチャコは吉本興行の芸人さんなんだけど、 この頃、吉本の社長が会長に退いて、新社長が誕生して 吉本の路線が落語から漫才に移るんよな。 落語は一人二役で、漫才は二人二役。 観てる側は二人二役の方が分かりやすいし、 漫才の方が観る側に知識や技量が要求されない。 二人二役の方が単純に分かりやすいから受けるし金に成る。 落語なんかやってても金にならんから漫才やれよと、 当時、有望な若手落語家を吉本=秋田實が漫才に引き抜いて、 上方落語をやる人間が三人にまで減少して、 上方落語絶滅の危機におちいったことがある。 その三人のうちの一人が桂米朝師匠で、 米朝師匠が上方最後の落語家に成るかも知れなかった。 ここで上方落語の火を消してはならないと、 落語やりたい人は適性問わず、 片っ端から弟子に取った時期があって、 若い頃の明石屋さんまさんとか、落語家ぽくない落語家が 大量発生したりする時期はあって、最終的に米朝師匠の門下で 枝雀さんが頭角をあらわしてきて、彼が米朝師匠の後、 上方落語を支えて行く人間だと言われるように成る訳です。 (死紺亭さんからの受け売り) この枝雀さんを最も好きなお笑い芸人だと言うのが死紺亭さんで その文脈でみると秋田實って 上方落語をつぶしにかかった人やからね。 そういう事情を知らずに語ると軽く揉めたりしつつ。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□