■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第76号 2004/1/6発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ これからつたえる すばらしいことば いますぐはじめる できることから おれのかかわる すべてのことがら かがやかせてゆく ししゃのことだま あけましておめでとうございます。 木棚環樹です。 私のHPにある。「コーヒーはもう十分だよ」と書かれた 「Tシャツ&チューリップハットの おじさんを木棚さんだと思っていた」 と楠木菊花さんに言われました。 るりさんと大下さなえさんのイベントを観に行ったら 死紺亭さん&松本和彦さん&あおばさんがいて また、死紺亭かよ!と思った木棚です。 おおみそかに、花本さんと一緒にさいとういんこさんの 豪邸(田園調布!)に行き、 ポッキーを使ったゲームをやりたいという 花本さんの要望にこたえて ポッキーを買って行ったが、 正月の午前2時〜仕事のため ポッキー使うより先に帰ってしまった木棚です。 その後、花本さんといんこさんでポッキーしていたそうです (情報提供:花本さん)。 2スポークンワードの分類 去年一年間色んなオープンマイクイベントを見て 色んな感想を持ったのですが、 オープンマイクのパフォーマンスを私なりに分類すると A)音楽・ライブハウス寄り パフォーマー: 青木研治さん・みひろさん・幹さん・ジュテーム北村さん・ ハギー=イルファーンさん・武力也さん イベント: SSWS・ハッピーターンナイト B)お笑い・演芸場寄り パフォーマー: 死紺亭さん・タナソーさん・花本武さん・ どぶねずみおとこさん・近藤洋一さん イベント: 芸術キャバレー・Prize, Price the Words・Voice the Soul Sparkling・引かせ王選手権 C)文学・書籍のイベント会場寄り パフォーマー: カワグチタケシさん・服部剛さん・ 川村龍俊さん・大村浩一(ポエム王子)さん イベント: 奇聞屋「森の日」・詩のボクシング・あかね詩の朗読会 と、大雑把に分けて三つぐらいパターンがあって もともと、私は青木さんがTVでやっていたのを観て 興味を持ったわけですから SLAMとかスポークンワードとか言われたとき Aの音楽的スポークンワードのイメージが強いんです。 では、歌とスポークンワードは何が違うかとなった時に スポークンワードにも歌にもある一定の節回し、 メロディーだのリズムだのはあるけれども スポークンワードの方は、日常会話の イントネーション=節回し=メロディーの枠から はみ出さない範囲でやっている。 てのが私なりの解釈で、ラップと歌は何が違うんだとなった時に ラップは英語の日常会話のイントネーションやリズムの枠内で リズムやメロを作っている。 母国語の抑揚の範囲でやるのがスポークンワードだという ぐらいの認識で、それを徹底させると、 明治時代に人工的に作られた日本語の標準語というのは 抑揚や強弱の少ない非常に平坦な言葉なので 音楽的ではないのですが、方言や若者言葉から 抑揚やメロディーをみつける作業が、 スポークンワードだという感じがします。 標準語でいう、「か」にアクセントのある 「彼氏」でなく、「れ」にアクセントのある 若者言葉の「カレシ」や ビバリーヒルズ青春白書というドラマであった 「バイ・イーーィ」後ろの「イ」にアクセントのある 「BYE!」の言い方、 (ドラマの中ではビバリーヒルズの若者言葉であるらしかった) などは、ジェイソン・マテオさんのスポークンワードなんかで 多用される若者言葉アクセントの抑揚ですね。 方言のイントネーションの面白さで言うと 死紺亭兄さんの妹連合 http://www.e-mile.com/cgi-bin/disp_right.cgi?c_id=0401 の三木昌子さんの上品な山の手の関西弁などは、 すごくきれいです。 京都でいうと、三条・四条辺りの言葉ですね。 これが九条辺りになるとバリバリの下町で、 じゃりんこチエみたいな言葉になります。 この手のものは本人が無自覚であったりするので指摘すると 怒られたりするんですね。 特に、三木昌子さんの場合、朗読は標準語の文学的で硬筆な詩で 日常会話が上品な浮遊感のある関西弁だったりするので 指摘すると余計怒られます。 ご本人から聞いた話ですと、 「就職活動で真面目にしゃべっているのに、 関西弁だというだけでふざけていると思われる」 「関西弁で『言う』の敬語体で『言いはる』と いうのがあるのですが、自分より偉い人が何か言った時に 『**さんがこう言いはったんですよ』と言ったら 『強弁した』という意味の『言い張る』に取られて 『私は言い張ってない』と言われるんです」 などと言われてました。 この人のしゃべりはテープに録って 文化財として保存したいぐらいなのですが 本人は本人で苦労をされているようです。 青木さん・幹さん・ハギーさんのように 定期的にライブハウスで 楽器を使ったライブをされているような方ですと ライブハウスのお客さんは音楽を聴きに来ているのであって 詩がどうの文学がどうのはどうでも良かったりするわけです。 ある一定の節回し=メロディーがあって、 バックトラックがあってというのが要求される中で やられているので、すごく音楽的ですし、 ライブハウスでの圧倒的強さは感じます。 イベント名でいうと、SSWSが典型ですね。 Bの演芸場ノリのお笑い系スポークンワードは 音楽的なものとはまたずいぶん違って、 ふかわりょう・長井秀和の一言ネタみたいなのが一番多いです。 純粋なお笑いでなく、文学の中で笑いを指向している人が多いのも このグループの特徴で、 花本さんなんかは自宅に現代詩関係の本をいっぱい持ってますし、 花本さんの弟子を自ら名乗られている陸さんも、 短歌で笑いを取られたりしてます。 会場で一番お客さんの反応が大きいのはこのジャンルで 会場を沸かせるある種の華です。 SSWSでも詩のボクシングでもBen'sの四週目でも そうですが、勝ち負けや審査のあるオープンマイクの場合 会場を一番沸かせた人が必ず勝つかというと 必ずしもそうじゃない。 笑いだけじゃなくて、笑いの中にある種の深みも出せないと 勝てなかったりします。 みていると、純粋なお笑いをやりたい人ってのは 1〜2回Ben'sに来て、以後来なくなる というパターンが多いような気がします。 例えば、第三回詩のボクシング全国大会優勝者の 本田まさゆきさんの場合、 母が電話で花屋に 「子供相手だからっていい加減な物を売らないで下さい」 と苦情を言っている。母の日に買った植木が ちゃんとした商品じゃないというのだ。 でもそれは、僕がお母さんに合うと思って選んだ花なんです。 その植木は三分の一が枯れていて、三分の一が咲いていて 三分の一がつぼみの花でした。 というネタで。勘違いから来るある種の悲喜劇だけど 深みがある。 花本さんの場合、俳句を詠みますと言って、 「エアコンの 風に揺れてる カレンダー」 と言う。基本は、無季自由律を詠んで 「それのどこが俳句なんだ!」 と突っ込まれて笑いを誘うのですが 上の句などは、季節による寒暖の差を無くすことで 快適な空間を作るエアコンと季節を示すカレンダーとの 組み合わせの妙があります。 C)文学・書籍のイベント会場寄り でいうとカワグチタケシさん http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/46gou.txt は抑揚・感情を入れない読み方で 逆に聴く人の解釈の幅を広げます。 服部剛さんは、森本レオ系の牧歌的情景描写で、 川村龍俊さん http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/ は、鈴木雅之を超えるような重低音で ゆっくりと重層感のある声を響かせます。 この三つの分類は、パフォーマーの志向の違いそのものだけでなく 会場の違い・客層の違い・主催者の意図の違いからも来ていて カワグチさんでもライブハウスでやる時には音楽寄りの パフォーマンスをされるそうですし、 同じパフォーマーでもTPOに合わせて 変えるという場面はあるようです。 で、この三つはお互い重なる部分と 相容れない部分があって、 三つのおいしいとこ取りをしようとすると 成功する部分と失敗する部分があります。 音楽寄りのスポークンワードが音楽の歌唱と どう違うかと言ったときの自分内定義が、 「日本語の自然なイントネーションの範囲内でメロを作る」 という定義からしても曖昧なのですが、 言い替えると 「しゃべっていると解釈出来る範囲内で歌っている」 「歌っていると解釈出来るしゃべり」 ということですから、 歌唱と語りの両方に属すというこの定義自体が 分類の重なりを示しているわけでして。 音楽寄りに分類したけど、 青木さんは元ホリプロ所属のお笑い芸人さんで 笑いへの志向もありますし、 近藤洋一さんや服部さんは、 音楽寄りに分類しませんでしたがバックトラック付きで 朗読されることもあります。 また、死紺亭さんはお笑いに分類しましたが、 ラップ風に叫ぶスタイルで自ら、 「ビート・コメディー」と名乗られてます。 朗読で言えば、服部さんの森本レオ的な イントネーションはメロディーとも解釈できますし、 川村龍俊さんの重低音は音響的であったりします。 笑いをさそっていても、 花本さんの俳句・陸さんの短歌は 文学的な形式を取ってます。 音楽・お笑い・文学的朗読の 重ならない部分でいうと アカペラでラップの場合、言葉でリズムを刻むので リズム隊である言葉はメトロノームのように 基本的に途切れられないし 早口で多くの音数を詰め込む 「詰め込み気味のフロウ」って奴で 技術を見せるのですが、 早口過ぎると言葉が聞き取れないし、 言葉の意味を重視する文学的朗読からかけ離れます。 また、お笑いは落ちのあと客席から笑いが来たら 笑いがある間は黙らなければいけません。 お客さんの笑い声をさえぎって 次のネタに移ってはいけないのです。 でも、アカペラのラップの場合、 笑いがあったからといって、 リズムを刻むMCが止まるわけにいかないですし バックトラックがあるときも トラックが止まることはありえないし、 お客さんの笑いがあろうがなかろうが、 即興でなければ曲構成は変わりません。 客席から笑いがあったのに曲の構成を変えずに ラップを続けると、お客さんは笑い声でさえぎっては悪いと思い 笑い声を押さえます。次からは面白いことを言っても 笑い声が起きずに静かに曲を聴くモードになって行きます。 イントネーションや感情を排したカワグチさん風の朗読と イントネーション豊かな朗読だと、 言葉の意味を拾いやすいのは イントネーションを排した方なんですね。 メロディーやリズムは聴いていて心地良いですが メロやリズムを聴いてしまって意味を取っていないことがままあり 歌詞カード無しで初見の歌の言葉の意味を聞き取れているのは 全体の三分の一程度だと思うんですよ。 歌の構成の場合、 多少意味が取れてない部分があっても成り立ちますが 伏線があって落ちがあるような文学形式の構成だと 伏線の部分や落ちの部分が聞き取れないと 全体が成立しなかったりします。 歌と朗読の構成の違いを見ても、 歌は一番〜三番まであって 同じことを別の言葉で3回言いますが 散文的な朗読は同じことを違う言葉で3回も言いません。 歌は聞き取れない部分があっても、 二番・三番に移ったときに、 聞き取れなかった部分の言葉を聞き取れば良いですが 推理小説を朗読したような場合、 トリックと結びつく伏線の部分を聞き取れなかったりすると 朗読全体が失敗になってしまう。 この三つのスタイルの相容れない部分てのは 色んな場面で出て来て あんなの音楽じゃないとか 笑い取れてねぇーじゃんとか 文学的じゃないよねとか、 いう批判が出て来たり、 音楽的なスポークンワードに対して 「しゃべり方が変だ」とか お笑い的なスポークンワードに対して 「不真面目だ」とか 文学的なスポークンワードに対して 「作文読んでるだけじゃん」とか いう形で自分の苦手なスタイルに対して不理解を 示す人に会う場面が多いわけです。 観に行くときの目安としては、会場がライブハウスか書店か それ以外かという辺りで判断するのが良いかと思います。 個人的な自分の興味でいうと 最初、青木研治さんから入って 歌う場面も多い青木さんに対して より厳密にしゃべりのイントネーションの範囲内で メロディをつけるみひろさんが自分の中の スポークンワードのスタンダートになって お笑い系のスポークンワードにもいっぱい出会ったけれども テレビで観たことのない形式のそれにはあまり出会わなくて で、地味だけどまだ自分の知らない魅力を 抱えてそうに見えるのが、 カワグチさん系の朗読的スポークンワードだったりします。 3イベント情報 2004年2月1日(日) 鉄腕ポエム4 出演:近藤洋一 桑原竜弥 ハギー・イルファーン 西野智昭 レイ 小林大吾 稀月真皓 ジュテーム北村 場所:新宿区歌舞伎町1−14−7林ビルB2Fロフトプラスワン 開場18:30 開演19:30 前売2000円 当日2300円