■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第75号 2003/12/23発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 梅島ゆーことぴあの打ち上げの後、 川江一二三さんに 「君はどこへ行ってもいるけど、 何をやりたいんだ?」 と言われた木棚です。 元々、オープンマイクとかポエトリーリーディングというのが 何をやっているのか分からない状態で あちこち見て回っていて、 演劇・ダンス系からオープンマイクに参入された 川江さん http://minifumi.hp.infoseek.co.jp/ やお笑いの流れからオープンマイクに入られた 死紺亭さんや 音楽の世界からポエトリーに入られた さいとういんこさんや 色んな方がいます。 私は活字で文章を書いていて 一人でずっと書いていると何が面白くて何が詰まらないのか 推敲Aパターンと推敲Bパターンのどっちが正解なのか 分からなくなって来て、 よし、じゃあ人前で読んでお客さんの反応を見よう。 てのがきっかけなんですね。 ですので、ポエトリーやオープンマイクへの接し方は 1推敲中の物で分からない物を読んでお客さんの反応をみる 2本の広告方法の一つとして朗読イベントを考える http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/38gou.txt の二つです。 だから、ポエトリーだのなんだの言っても 最後の着地点は自分の中で活字なんですね。 活字にどうフィードバックするかなんです。 推敲中の物でこれはすべるだろうと思ってやって 思ったよりも受けた物の一つに 「俳句風味桃太郎」というのがあります。 私は100%すべると思ってやったのに 70〜80%しか滑らなかった。 2〜3割受けているわけです。 http://www.orcaland.gr.jp/~iwata/hiphop/20030905.html 私は推敲するとき、なるべく現代口語表現寄りに心がけます。 文章では見るけど、口では言わない表現、 歴史のある単語より歴史の浅い単語を使うよう心がけます。 意味の分からない古語や難解な語を使うのが嫌なのです。 単語で対象読者を絞り込みたくないわけです。 が、桃太郎を俳句風にするとき、季語が必要なので 季語辞典を使って書きました。 すると季語辞典に載ってる単語は歴史のある古い単語が多く 季語の横には、 その季語を使って書かれた代表的な俳句が2〜3句と その俳句の意味や解釈が書かれています。 季語辞典に載っているような、 文学史上に残る名句に使われた季語のみが季語とするなら どんなに新しい単語を選んでも百年以上の歴史がある単語しか 季語として使えないわけです。 俳句風味桃太郎は過剰に口語的な句の中で 季語のみが古語という変な物になってしまいました。 MARZというライブハウスで読んだとき、 ライブハウスは基本的に 音楽を聴きに来ているお客さんが中心ですから (一部お笑いを聴きにしている詩人系のお客さんもいますが) 文学を聴きに来る人はいないわけです。 なのに詠んでいると「季語」にお客さんが反応するのです。 これは私にとって意外な反応でした。 2フィクショネス句会 http://www.ficciones.jp/shi.html ずいぶん前にフィクショネスさんの句会にうかがいました。 オープンマイクとはまた全然違うので紹介しなかったのですが これが非常に新鮮で面白かったのです。 午後7時にフィクショネスさんにうかがうと、 店主の藤谷治さんが季語辞典を引きながら 必死になって句会用の句を作られてて 8時開始なので私も一時間掛けて四句作りました。 ルールは 一)一人四つ句を紙に書き、 書いた紙を一句づつハサミで切って 袋に入れます。 二)袋の中から、一人四つ句を手にとって 別の紙に清書します。 この作業で、文字から誰が書いた句なのかを 判別することが不可能になります。 三)次に、清書された句の中から、 自分が良いと思う句(自分が書いた句以外)を 四つ書いて投票し、店主の藤谷さんが集計。 四)一番多くの票が集まった句から順番に発表し なぜその句に投票したのか/投票しなかったのかを言います。 作者は投票しなかった理由を、 「作者だから」でなく別の理由をでっち上げて言います。 五)一通り、感想ができったところで、 本当の作者が名乗り出て、 自作の句の解釈や感想を言って終わる。 参加者は藤谷店主、 フィクショネス詩の学校の先生カワグチタケシさん、 ジュテーム北村さん、女子大生の西真穂さん、私、 あと名前忘れて申し訳ないですが 女子高生一人、大学四年生男の子一人の計7人。 字から誰が作ったか判別出来ないようにしても 実際には内容からある程度誰が作ったか判別出来るわけです。 句会が始まる前に、私は「夏だ一番!ドラえもん祭り」は 夏の季語なのか?とか「チューブは夏の季語だけど クリマスイブのときの山下達郎は冬の季語だけど、 高気圧ガールのときの山下達郎は夏の季語だし、 どう扱えば良いんだ?」とか 「氷の表面が溶けて水膜が出来ないと アイススケートが滑らないので 北欧ではアイススケートは夏の季語だ」などと言って、 季語辞典に載っているような まともな季語を使用する気が無いことを 宣言しているわけです。 店主は店主で、奥さんと上手く行ってないという雑談を カワグチさんとしている訳です。 雑談が終わって句会が始まったときに 文字がどうあれ 妻と上手く行ってないという内容の句があると誰の句で、 ドラえもんがどうのという句があれば誰の句でというのが 丸分かりなわけです。 よくある言い方でいうと万葉集・古今集・新古今集の 三大和歌集があって、 万葉集は詠み手の実体験に基づく和歌が詠まれ、 古今は万葉集に載っている人気のある和歌の型や様式を 使って和歌が詠まれ、 新古今は万葉集や古今にある和歌の一部を差し替えることで 古い和歌に新しい解釈や別の意味を発生させた 和歌が詠まれているわけです。 正岡子規がやった、俳句の革新運動や写生文といったものが 文から文を作る新古今的な方法を月並みと批判し 目の前の現実から文を作る方法であったとすると 私は万葉集・正岡子規派で 藤谷さんは新古今・月並み俳句派と 分かりやすい対立軸が出来て、 7人が藤谷・ジュテーム北村・カワグチタケシグループ 木棚&男子大学生グループ メルヘンな可愛い恋愛詩を書く 西真穂さん達の女の子グループと だいたい三つに分かれて、 それぞれ自分達のグループ内で票を回す という結果になるわけです。 この7人の中で一番遊ぶポジションにいたのが カワグチさんで、 基本的には格式ある文語的な句を作りつつも わざと口語的な句 「たんざくに しょうらいすごい やつになる」 を作ったり わざと女の子チックな句 「夕立や 走れ走れの シンデレラ」 を作ったりして この句は当然、女の子が書いたものだと思って 女の子が票を入れるとカワグチさんの作。 みたいなことをやって、笑いを取られてました。 実際、やってみると、句自体は そんなに面白い句は出てこないんですよ。 ところが、なぜその句に入れたのか・入れなかったのかを 講評し出すと、 一つの句に対して面白い解釈が一杯出てくるんですね。 私は 「死してなお 夏だ一番 ドラえもん」 という舐めきった句を出したのです。 それに対して藤谷さんは 「死というのはドラマチックだし、 詩にしやすいんだけど、 ドラマチックなテーマを安易に持ってくるのは頂けない」 と言えばカワグチさんが 「この家族はすごく仲が良いんですよ。 小学校の二年生と四年生ぐらいの兄弟がいて、 ちっちゃいグローブとか持って キャッチボールをするような仲の良い兄弟だったんです。 でも、お兄ちゃんが死んじゃった。 お兄ちゃん思いの弟は、 ドラえもんが好きだったお兄ちゃんのために テレビの見える位置にお兄ちゃんの遺影を持ってきて それを抱いて一緒にドラえもんを見ている。 その絵を思い浮かべたら、良い句だと思いました。」 と感動話を展開。 その後に作者として名乗り出た私が 「藤子F不二雄が亡くなっても、 新作が次々に放送されるドラエもんてのは いかがな物か?」なんていう安ぽい作者解釈を 語れるわけがなく、 「カワグチさんの解釈に感動しました」としか言えない。 句として面白かったのは、夏の句会だったのですが 「夏暑し 人は知らない 猫は知る」 という句で、 解釈としてはエアコンの効いた場所にいる人は 夏を知らないが、路上の猫は夏を知っているという物で、 これもカワグチさんが面白い解釈を述べて 軒先とか屋根裏とか床下とか、 涼しい場所を猫は知っているが 人間は知らないという解釈をされてました。 全体の流れとしては 選評のとき 藤谷店主がやたら私にくってかかってくるので 最初は何でこんなムキになるんだと思っていたのですが 句会というのはおそらく お互いに対立軸を作って なぜお前はそうなんだ! 俺の立場はこうだ!俺の解釈はこうだ!という 論評合戦・論争合戦が一番面白く盛り上がる場面なんですね。 好きな句を選ぶときに 「今日は無季自由律を書く奴がいねぇな」と 愚痴られていたのですが、 普段はおそらく私よりもっと前衛寄りの人がいて その人と論争やって選評会を盛り上げるのが その日はいなかったので、じゃあ、手近かなところで こいつなら論争出来るだろというのを捕まえたら私だったと。 ところが、やってみると、私は俳句に関して無知で あまり面白いことが言えないわけです。 それを横から見てたカワグチさんが 上手く援護射撃して場を盛り上げるってのを されてました。 この日一番の盛り上がりは、 藤谷店主の詠んだ 「押し黙る 女の食らう くらげかな」 という句で、 普通に考えると、 男の人と女の人が険悪な空気の中同じ部屋にいて 女の人は何を言われても口をきかずに クラゲを食べているという句ですが、 高校生の女の子がこの句に対して 「私は女の人がかわいそうな句だと思いました。 女の人が男の人と喧嘩になって、 男の人から『これでも食らえ!』と クラゲを投げつけられた句だと思いました。」 という解釈を出したときでした。 ケンカしてクラゲを投げつけられる場所ということは 夏の海岸かビーチかにいて、 もしくは家にクラゲを飼う水槽か何かがあって ついカッとなって手元にある物を つかんで投げつけたらそれがクラゲだった。 すごく意外な解釈でした。 句会@フィクショネス 開催は、毎月第1土曜日、午後8時より。 参加費は1575円です。 http://www.ficciones.jp/shi.html 3句会&SSWSから 思ったのは、歴史的のある古い言葉の強さです。 推敲するときに、「歩く」を「歩む」 「空」を「天空」、「古い」を「いにしえ」 に替えるようなセンスは 嫌いだったので口語の方に行ったのですが 古い言葉というのは、厳密な意味は分らなくても その言葉を使われた文脈を覚えていたりします。 現代詩手帳編「高橋源一郎」という本で 高橋源一郎が保坂和志や谷川俊太郎と対談しているのですが その中で「言葉の洗練」と「現実との対応」の話をしていて、 60年代の現代詩は力を持っていたのに 70年代から80年代に掛けて、 言葉の洗練ばかりをして 現実が60年代とは変化しているのに 現実(言葉の示す意味)は60年代のままで 言葉の洗練ばかりをして現実と対応しないように なってしまったということを言っています。 その文脈でいうと私個人の文章は逆に 言葉の洗練をしてこなかったし、 逆方向への推敲をしていたような気がします。 古い文学作品に使われた古い言葉を使うと その古い一語からその語を使った 文学作品全体への連想が広がるわけです。 季語辞典なんてのはまさに、 その季語を使った古い俳句を参照することで その季語から無数の古い俳句への連想が生まれるわけです。 そういった言葉の洗練をあえて避けて通っていたのですが 文学でなく音楽を聴きに来ているライブハウスのお客さんにすら 季語を使うという手法が、言葉の精錬という手法が 通用するというのが、私の中の発見でした。 4イベント情報 03/12/25 生文庫本喫茶/暦詩−コヨミウタ− 出演:るり http://www.azukiinu.com/index.html 大下さなえ http://homepage1.nifty.com/kyupi/ 19:00開場 19:30開演 場所:杉並区高円寺北3−22−4−2F高円寺マチェック 完全予約制。予約は名前・枚数・メアドを入れて info@azukiinu.com 料金:1500円(1ドリンク&クリスマスプレゼント付き) 04/1/3(土) 句会@フィクショネス 場所:東京都世田谷区北沢2−12−2 翔鶴ビル2Fフィクショネス 時間20:00〜22:00 値段:1575円 http://www.ficciones.jp/shi.html 04/1/4 第三回引かせ王選手権 司会 大村浩一  出演 花本武 ジュテーム北村 野村喜和夫 奥主榮 死紺亭柳竹  木棚環樹 田中創 他多数 18:00open 18:30Start 場所:東京都杉並区西荻南 3−8−8−B1奇聞屋 ¥1.000(1ドリンク) http://www.kibunya.jp/schedule/schedule0401.htm 2004年2月1日(日) 鉄腕ポエム 出演:近藤洋一 桑原竜弥 ハギー・イルファーン 西野智昭 レイ 小林大吾 稀月真皓 ジュテーム北村 場所:新宿区歌舞伎町1−14−7林ビルB2Fロフトプラスワン 開場18:30 開演19:30 前売2000円 当日2300円