■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第70号 2003/11/25発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1本=実用書 よく本が売れないとか、若者達が本を読まなくなったとか言いますが 本ってのは、どこからどこまでが本なのでしょう? アメリカでは本屋では本しか売ってないという話があって、 漫画(コミック)や雑誌(マガジン)は本屋には売ってないし 本じゃないらしいんですね。 新聞(ニュースペーパー)は日本でも本屋で売ってないし 文庫本(ペーパーバック)も本じゃないと言い出したときに 狭い意味での本というのは、ハードカバーの本を意味する訳で、 ハードカバーの本というのは、安くても千円、 普通は二〜三千円するもんなんですね。 さて、普通の人はハードカバーの二〜三千円する本を 月に何冊ぐらい読んでいるのか? この場合の読むも、狭い意味でとらえて 立ち読みや借りて読んだのをはぶいて 定価で買って読むに限定しましょう。 古本屋で買ったのでは、出版社の収入にならないですし 本が読まれないとか愚痴っているのはたいてい出版社であって 彼等のいう読まれるは、会社の収益に反映されるを 意味する訳で、だったら彼等の流儀に合わせて 一般の人は月に何冊ぐらいハードカバーの本を 買って読んでますかという話にしましょう。 仮に、いまの若者、高校生で月に小遣いが 三千円〜五千円ぐらいですか? もう少しもらってます? まあ、そのぐらいだとして、 ハードカバーの一冊二〜三千円する本を 月にどのぐらい買って読んでいるのか? 小学生の子供が二人ほどいる平均的な家庭の 夫婦、夫や奥さんの月の小遣いが いくらぐらいなんでしょう? 仮に二万ぐらいとしますか、 まあ、そのぐらいだとして、 ハードカバーの一冊二〜三千円する本を 月にどのぐらい買って読んでいるのか? 俺は胸張って、月に零冊ですと言えますが 本を読まなきゃいけないかのような風潮は一体なんなんでしょう? いまの若者はコミックを読まなくなってるというのが 社会現象なのですが、あえて、 ハードカバー本のみをブックだとしたときに 本というのは、実用書・学術書・辞書・辞典が普通で 「30分で使えるエクセル」とか「初歩のビジネス英会話」とか 「はじめての出産」とか「離乳食のイロハ」とか 仕事上必要な物がほとんどで、唯一仕事上必要でないのが 純文学系の小説。 だいたいさぁ、娯楽なんてテレビからただでいくらでも流れてくるし 2〜300円の雑誌、 380円の漫画単行本・レンタルビデオ・文庫本小説、 いくらでもある訳で、 わざわざ三千円も出して 仕事や生活に必要の無いものを買う神経が分からない。 昔、大正教養主義というのがあって、 中国の四書や世界文学全集やを読破しているのが 教養人として常識であった時代があるらしいんだよな。 その時代に比べていまは教養として 最低限身に付けておくべき古典を 読んでいる奴がいないとかいう言い方があるんだけど、 あの時代、日本には文化格差や収入格差がすげーあって 片方で鹿鳴館で毎晩舞踏会やってる外交官がいて 片方で東北や北陸の田舎の方では海女さんが 上半身裸のふんどし一丁で貝や何かを採ってて いわゆるアフリカや何かの土人みたいな文化と 西洋貴族風の文化がごちゃ混ぜにあったりするわけじゃん? 一生働かずに優雅にパーティー三昧で暮らす 有閑階級みたいなのになりたいと思ったら 英会話だのテーブルマナーだの教養だのを 身に付けなきゃいけなかったわけで、 やっぱあの時代の教養も収入と結びついた 実用書だったんじゃねぇーの?と。 第二次大戦の敗戦で財閥解体が行われて 日本から有閑階級が無くなったので 教養も古典も無くなった。 大正教養主義ってのもある種の階級に属するための 実用的手段だったのじゃないかと思うわけです。 2生活の中の詩 俺の中で、ラップに関してずっと疑問に思っていたことがあって ラッパーの人は何であんなに自己紹介をするのだろうというのが どうしても分からなかったんですね。 一枚目のシングル曲に自己紹介的なラップが入るのは まだ分かるのですが、アルバム3枚作ったら、3枚とも 自己紹介というのがラップに関しては普通にあるわけです。 Begood Cafeのスポークンワード特集は http://www.begoodcafe.com/spokenword/contents.html 俺の中で割りと強いショックがあったのですが マーク・バムシ・ジョセフ(Marc Bamuthi Joseph) http://www.speakersandartists.org/People/MarcBamuthiJoseph.html http://www.re-route.net/bamuthi_article.html と ジェイソン・マテオ(Jason Mateo) http://www.8thwonder.cjb.net/ http://www.madlabcreative.com/series/flash/e_01_slambox_nav.html の二人はYouth Speaksという 非営利団体で13〜19歳の若者達に スポークンワーズを教えているという話がありました。 「若者達の声」とでも訳せば良いのか分からないけど Youth Speaksてのが 日本でいうボーイスカウト的なノリだと 私には感じられました。 Youth Speaksが実際にどんな活動をしているのかは 詳しく知りませんし、日本でいう青年の主張みたいな物かもしれませんし まあ、分からないのですが、ボーイスカウトって各地に支部があって 月に一回ぐらい別の支部に行って、その支部の人達と しゃべったりテント建てたり飯盒炊飯したり、 キャンプファイヤーしたり、オリエンテーリングしたり するのがボーイスカウトだと思うのですが 仮にYouth Speaksもそんな感じだったとして 月に一度ぐらい別の支部に行った時に そこにいる人の半分は別の支部にいる 自分とは初対面の人間になる訳で 自己紹介をする必要が生まれるわけです。 月に一度自己紹介をしてれば、自己紹介の上手い下手も出てくるし 自己紹介の上手い下手が その後の人間関係にも影響を与えることが見えてきます。 その日、別の支部に交流で行きました。 自己紹介をしました。その場で初対面の人は、 その日一日限りでもう二度と会わない人も大勢いたりするわけです。 その5〜6時間一緒にいるだけの人達相手に 2〜3分の自己紹介ラップで印象を与えて 理解してもらわなければいけない。 一通り自己紹介が終わった後には、 面白い自己紹介をした人のところには 人がいっぱい集まるし、 詰まらない自己紹介をした人のことろには 人が誰も集まらない。 この自己紹介を、ラップと言ってもスポークンワードと言っても 詩の朗読と言っても良いのですが、 日常生活や実用性とすごく結びついている訳です。 私なんかもオープンマイクイベントに行って 良いパフォーマンスをした人(初対面)と話をしたくて 「良かったよ」と駆け寄っても、「ありがとう」と 一言いわれて後は無視されるということもあるわけです。 向こうからすると、自分の周りには「良かったよ」と 言っていっぱい人が集まってきてて、 その中によく分からない初対面の奴が一人いたというだけです。 でも、その二十分後に今度は私がパフォーマンスをして そのパフォーマンスが受けたりすると、 さっき俺を無視した人が、「いやぁ、良かったよ」と言って 駆け寄ってきて、そこで初めて名前や年齢を聞いたり 名刺交換をしたりというムードになる。 オープンマイクに行っても、何もやらないときと 良いパフォーマンスをしたときと 悪いパフォーマンスをしたときでは 確かに周囲の私に対する接し方が違うんですね。 一年二年付き合うような関係だと、 三分やそこらの自己紹介なんてそれほど大事ではないのですが 今日初対面で、おそらく今後二度と会うこともない人間関係では 自分のキャラクターを最大限面白く引き出すパフォーマンスが 出来たかどうかは非常に大事です。 日本で詩を朗読すると言うと何かこう非日常の感じがしますが おそらくアメリカでは、日常生活の中で自己紹介=ラップを やる必要に迫られる場面が多々あると思うんですね。 日本でいう、カラオケを歌う必要に迫られる場面 みたいなものかと思います。 日常生活の中で詩を詠む必要性に迫られる場面が発生して そこで少しでも良い詩を詠みたいと思って、 初めて詩集に実用的な意味が発生するわけです。 和歌がその典型ですが 告白をする・結婚を申し込むときに 申し込む側が5・7・5で上の句を詠んで 申し込まれた側が7・7で返す。 このときより教養を要求されるのが 相手の句に対して即興で返さなければならない 申し込まれた側ですね。 どんなパターンで来られても 大丈夫なように普段から歌集を詠んで 練習しておくわけです。 その和歌の伝統がいまでも残っているなと感じるのは芸能人の ワイドショーで結婚記者会見か何かで 「交際の申し込みは、どのような言葉だったのですか?」 「それに対して**さんはどう答えたのですか?」 てな質問が普通にされてる場面だったりします。 私の個人的な経験で言っても 学生時代に、文学研究会というサークルに入っていて 新入生の女の子相手に「彼氏いるの?」とか言って 「いないです」とか言われたら、 「じゃあ、どんな男の子と付き合ってきたの?」 「私、女子校だったので、付き合ったことないです」 「嘘つけ。なんかあるじゃん普通。 私の写真と彼氏の写真、二枚重ねて壁に貼った。 三年の月日が流れて、色あせた写真は床に落ち、 一枚はどこかに行ってしまった。 ピンで刺した写真の穴がいまでも少し痛い。 とかあんじゃねぇーの?」 とかいうと、その子は少し驚いて 「いまの、この場で作ったのですか?」と言い 「当然」と答えると、急に尊敬の目で見てくれるわけです。 もちろん、即興で俺がそんな詩を作れるわけもなく 今月号の「詩とメルヘン」に載っていたプロの女性詩人の詩を そのまま詠んだだけですが 詩とか詩集の実用性ってそういうもんだと思うんですね。 詩を朗読するための特別な場所に集まる特殊で変な人達のための 詩でなくて、普通の日常生活の中で必要に迫られて 詩を詠む普通の人のための詩集というのが 実用性の高い詩集だと思います。 冠婚葬祭文例集・手紙の書き方と同じような 実用性の高い詩集というと 北川悦吏子 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-3821734-4869130 とか銀色夏生 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-3821734-4869130 とか言っちゃってる辺りに、俺って世俗の生き物だよなと思う。 3イベント情報 11/23(日) 3K7.1 出演:カワグチタケシ、究極Q太郎、小森岳史(ゲスト有) 開演:15:00 料金:カンパ制 会場:さらさ西陣 (京都府京都市北区紫野東藤ノ森町11-1 離楽庵WOOD-INN)  問:075-432-5075(さらさ西陣) http://za-ha.hp.infoseek.co.jp/sarasa_map.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□