■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第31号 2003/1/9発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1青木研治さんのライブ 観に行きましたよ。03/1/5駒澤大学ガソリンアレー。 バックにギターとピアノを従えてのトリオ編成で ラグタイムのような初期ジャズっぽい演奏と朗読でした。 青木研治さんの公式HPを見ると分かるのですが 元お笑い芸人という肩書きだけあって ライブではお笑い芸人っぽい動きが多く、 横山やすしさんがよくやる片ひざを横に挙げる動き、 さんまさんでいうパーでんねんのポーズや ひょうきん族で言うアダモちゃんのような腕の振りが 多くみられて動きがコミカルなんですね。 入場無料・ドリンクオーダーのみでみせて頂いて CDも通常より安く買わせて頂いて、 ニューシングルまでオマケで付けて頂いたのに こんなことを言っちゃ申し訳ないのですが コミカルな動きが私の感性には合わなかったです。 私が好きだったのは、二年ほど前にMの黙示録という 音楽番組で観た青木研治さんのライブで まずあれはTV用に編集してあり さらに二年という歳月の中で 私の記憶がTVのVTRをさらに編集しているわけです。 このメルマガでも青木研治さんについて書きましたが あれは私の記憶の中にある青木研治さんで 実際のテレビでは、二年前既に髪は黒ではなく 金髪もしくはオレンジで、 弁当箱の詩もこのメルマガで流した内容とは かなり違うわけです。 教室を弁当箱に例えたわけではないですし、 まあ、細部は色々違うわけです。 テレビではSLAMという映画のシーンを 入れて、暴力的で攻撃的な詩のムーブメントが アメリカである。という説明があり その流れで、 青木研治さんのライブのVTRへつながります。 テレビで観た青木研治さんの印象は ハードボイルドな二枚目路線で いかにも詩を詠んだりしそうな軟弱そうな青年が 自分を精神的に追い詰めて行きながら 追い詰められた孤独でナイーブな言葉が 最後に対世間に対して 「だけど俺はパシリじゃない!」 「けれど俺は最後に、弁当箱の底に種を残す」 とねじ伏せる。 そこがカッコ良かったわけです。 世間における詩のイメージ(=軟弱)と SLAMというイメージの橋渡しとして すごくきれいに作用していると思えたわけです。 ところが実際のライブに触れてみると コミカルな三枚目路線でした。 「テレビで観たのはすごくカッコイイ 二枚目路線だったのですけど そういうのではないのですか?」と ご本人にライブ後うかがったら 「いや、そういうのはちゃうね。 化粧してるのも逆ビジュアル系やし。 カッコイイの(詩)もあるけど」 という答えで、 「テレビで観たSLAMは 暴力的でハードボイルドな感じだったのですが」 というと 「そういうのは全然ちゃう。 暴力とか大嫌いやから。」 という反応。 「好きな音楽はTOTOやビリー=ジョイル」 というから攻撃的な要素が一切ないラブバラード路線。 テレビというのは 上手く編集しているので colorの 「疲れた人を癒すために、甘いアメを用意してるあなたは 他人に手を差しのべることで、自分の喜びを見出そうとしてるだけだから 結局、他人に関心があるとは言えない」 というような攻撃的なフレーズは 割りと頻繁にテレビやなんかで聞いた気がするんだけど その後の 「だけど、あなたは優しい人、傲慢という感情を忘れてるけど、いい人 僕は、あなたが大好きさ」 になると、あれ?こんなフレーズあったっけ?と テレビの一五秒CMスポットで流れるフレーズは 聴いたことあるけど、 その後のフレーズを聴くと、 あれ?この曲知らない。 テレビで流れてる一部分しか聴いたことない! という状態になってしまう。 テレビってのは、攻撃的でハードボイルドで カッコイイところだけを編集して みせていたんだなというのがよく分かる。 そして、申し訳ないけど 私はテレビの編集バージョンの方が好き。 ドラゴンアッシュとコラボレートしてた頃の ZEEBRAはバカボンパパみたいなコスプレをして コミカルにラップをされてたのですが そういうのに近い気がします。 ファーストアルバムの頃の暴威=Boφwyのコミカルさとか。 青木研治さんがどういうことをやりたいのかってのを 無視して、ビジネスになるならないだけの話をすると 二枚目路線の方が良いような気がするねんなぁ。 会場で客席から笑い声が生まれるぐらいに 笑いが取れるのであれば、 その路線もありだろうけど、 場の緊張感を弛緩するためだけに コミカルな動きを入れるのであれば 弛緩させずに緊張感持続させた方が 良いと思う。 お笑いで言うと B&Bがお笑いのしゃべりのテンポを 極限まで上げて聞き取れないぐらいのスピードで 話し続ける漫才をやったとすると 象さんのポットが、 ステージの上で黙り続けることで 変な間と緊張感を生み出し、 その間と緊張感で笑わす笑いを生み出したと。 B&Bがスピード上げる限界に挑戦し 象さんのポットがスピードを落す限界に挑戦した。 ダウンタウンの初期の漫才で 「あ」研究家の人が出てくる漫才、 考え事をしているときに、突然、 後から声を掛けられ、何かを思い出したときの「あ」。 とかやっていたのは、 象さんのポットの間をより純化させて 言葉の意味をそぎ落とし「あ」という音にすることで 間のみで笑いが生まれるということを やっていたわけです。 青木研治さんのライブを みると、弁当箱という詩では 極限まで速い口調で話したかと思うと colorでは、 「疲れた人を癒すために、甘いアメを用意してるあなたは 他人に手を差しのべることで、自分の喜びを見出そうとしてるだけだから」 と言ったまま、うつむいて黙っている。 ステージ上の人が黙ると会場全体にすごい緊張感が高まるわけです。 普通だと、ステージの人は黙っちゃいけない。 そのやっちゃいけないことをやってるわけだから、 非日常な緊張感が生まれる。 僕はその緊張感が大好きです。 長時間うつむいていた彼がおもむろに顔を上げて 会場全体に張り詰めた緊張の糸を切り裂くようにいう一言 「結局、他人に関心があるとは言えない」 という言葉は、 張り詰めた場の空気を本当に切り裂くのです。 張り詰めた空気の中、 うつむいている青木さんの姿は うつむいたおでこを右手で支え、 その支える右手のひじを左手で支える 稲垣吾郎のポーズのように ナルシスティックなんだけど それがすごくカッコイイ。 私が好きな青木研治はそっちの青木研治だし 音楽番組の編集者、もしくは司会の富澤一誠さんが 意図した青木研治もそっちだし、 ZEEBRAやBoφwyみたいにそっち行った方が 絶対売れるって。 なにカッコつけてるねんというセルフのツッコミが 入るの分かるけど、世間が求めてるのは そっちでしょうと。 感想としては、人間の記憶って曖昧だな。 テレビの編集ってすごいよね。という辺りでして。 2詩の朗読イベント情報 3/29「ひなたぼっこ」にて 武力也(ぶりきや)さん参加の詩のイベントがあります。 オープンマイクで、一人三分ほどであれば飛び入り参加可。 コミュニティカフェ〈ひなたぼっこ〉 千葉県船橋市本町4-31-23 石国ビル1F 交通 = JR総武線船橋駅南口より徒歩10分 http://homepage2.nifty.com/swampland/chiba/hinatamap.gif 4/29祝日午後六時〜第二回詩のボクシング東京大会が 科学技術館/サイエンスホールにてあります。 入場料二千円。 第3回「詩のボクシング」全国大会 7月12日(土)13:00 会場:イイノホール。 東京都千代田区内幸町2−1−1 飯野ビル7階  TEL:03-3506-3251 http://www.iino.co.jp/hall/map.html Ben's Cafe http://www.benscafe.com/ja/poetry_j.html 毎月第三日曜日にオープンマイクイベントがあります。 朗読希望者の受付17:30〜 リーディング18:30〜(21:00) 参加費:無料 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□