■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第214号       2010/6/5発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1.3sisters(さんしまい) http://poetrynews.exblog.jp/ というポエトリーイベントに行ってきた。 ワニラが来ていて、そこでの会話を盗み聞きする。 私がポエトリーを観覧し始めた頃、ワニラという女子高生三人組の ポエトリーユニットがいるらしいという噂が、あった。 あの頃、18歳だった人達が、いま結婚して子供がいたり、 大学院の博士論文を書いていて、来年、女子大の先生に内定している とか言っている。 当時18だった人、28歳。年月の過ぎるのは早いと思う。 そのワニラの会話。 「いま、ショウワセンという言葉があるらしいよ。」 「なに、それ?」 「平成生まれの若い子達の中で、年上好きの子を昭和専と言うんだって。」 「嫌だ。」 「私達が平成生まれの子と付き合うと、その子は同級生から  『昭和専』と呼ばれちゃうんだよ。」 「最悪。」 当時、女子高生ポエトリーアイドルユニットと呼ばれてた彼女達が 昭和呼ばわりされる、もしくは女子大で先生と呼ばれるようになるとは。 昭和と平成の狭間に生まれた世代ならではの会話で、 俺みたいに10歳年下でも昭和だと、元号とかあまり関係ない。 平成生まれに 「激動の昭和史ですね。戦後の焼け野原を生き抜いた世代としては、  東京オリンピックの円谷選手の走りは熱くなるでしょう。」 みたいなこと言われても、普通に、 「夏の、雲ひとつ無い真っ青な空がどこまでも続く日に  村のみんなが集まられて、聞いた玉音放送は今でも忘れられないよ。」 と答えますが、28歳の独身の女の子が、年下の男の子に 「俺、昭和専なんで。」 と告られても、そんな告られ方は嫌だろう。しかも告っている本人が 相手を褒めているつもりである分、扱いに困る。 あと、ワニラの一人がアラブの石油王に 「第15夫人にならないか」と求婚された。 という話題で盛り上がってました。 15番目の奥さんなんて嫌だ派と、第一夫人は石油会社の経営とか なんか大変そうじゃん、15番目ぐらいが楽で良いんだよ派に 分かれて、熱い議論が交わされたり、 第一夫人と第十五夫人の間に、貧富の差はあるのかや、 夫人同士の仲は良いのか悪いのかなどで議論が分かれてました。 女同士15人ぐらい集まって、みんなで料理作ったり、洗濯したり 楽しそうだと思うけどなぁ、一夫一婦制だから浮気が気になるんで 15人奥さんいたら、奥さん同士仲良ければ、それで良いかなぁ。 とか、途上国は何故子供が多いのか?という話題で 「子供が生まれたら養わなきゃいけないし生活が苦しくなるんだよ、  なんでセックスするの?」 「生活が貧しくて、テレビも娯楽もない途上国だと  楽しみがセックスしかないんだよ。」 「でも、セックスしたらそれだけ生活が。」 「いや、先進国の思考に毒されている、  避妊具の無い国で貧しい生活したら、  明日のことを考える余裕もないから。」 「でも、セックスは」 ワニラの口からセックスという単語をいっぱい聞けただけで、 個人的には満足です。 石油王の一夫多妻制について ワニラによる熱い議論がなされていたのですが 一人で多くの奥さんを持つ人がいるということは、逆に 一生独身で結婚できない男性もいっぱいいるということで 貧富の差がそこに当然あるわけで。 日本初の焼肉フランチャイズ店の創業者、明治時代の人で 名前はよく覚えてないのですが、その人は、 焼肉屋の支店を10店舗ほど持って、 支店長はすべて自分の奥さんで、十人ほどの奥さんに、 自分との子供が百人以上いる生活をしていたらしい。 第二次大戦前の日本では、そういうのは普通にあって 金や権力があれば、割と好きなことができる土壌があった。 戦後の日本はある種、社会主義側からの批判を受け入れた 修正資本主義だから、 金も力もない人間でも結婚して家庭を持てるよう一夫一婦制を 徹底したし、税制その他も一夫多妻にならないよう改めた。 これはある種、強者の自由を制限する社会主義的な制度だと思う。 2文学フリマで筑井真奈さんを見かけた 右翼左翼問題と言えば、文学フリマでゼロアカ道場の 筑井さんを見かけたのですが、彼女のBLOGを見ると http://d.hatena.ne.jp/cervezamana/20090531 より 「いつも思うのだけど、この『右翼左翼問題』って、 私まったくリアリティがないのですよ。」 というフレーズに頭を抱える。東大卒の哲学好き25歳で、 この認識だという部分に36歳のおっさんとしては困惑する。 私が中学の時には、社会主義と資本主義の違いについて 社会科の授業で習ったし、中学生の教科書レベルで 計画経済と自由主義経済の違いぐらいは何となく イメージできていた。 差別的に呼ぶなら、ゆとり世代になると、 俺たち世代が義務教育で習っていたことすら、 東大卒でも習っていないという話になる。 これは彼女個人の問題でなく、若い世代と話すと 大なり小なりみんなそうであることに気付く。 イメージの問題として、自由主義経済は、弱肉強食の競争社会で 過当な受験戦争とか、進学校や進学塾の、成績順位順で貼り出して 成績の良い者は賞賛されるが、 悪い者は人間扱いされないみたいなイメージ。 逆に、社会主義だと、幼稚園の運動会で、全員が手をつないで 横一列でゴールイン。順位は無く全員一位。みたいなイメージ。 シュナイター哲学やシュナイター式の教育方法やボーイスカウト。 小沢健二が通っていたという和光大学付属高校などは 社会主義のイメージですね。 早期詰め込み教育を幼児期からするのではなく、 大自然の中で木や森に触れて、積み木もプラスチック製ではなく 木製の物を使って、人形もどんぐりに爪楊枝を刺したような 竹ヒゴと木の実を組み合わせて作った人形で遊んで、 クレヨンや楽器を与えて、好き勝手落書きしたり、 ガチャガチャ音を鳴らしたりして、自由に遊ばせて 子供の創造性を育てる。 右寄りの教育だと、幼児にバイエルの楽譜を与えて 楽譜通りに演奏できないと、定規やムチで手を叩いて 罰として夕飯抜きとかになるのが 左寄りの教育だと、無茶苦茶に楽器を叩いて雑音を出しているだけでも とにかくほめて、音楽を好きになってもらう。 「こうじゃなきゃいけない」という枠を与えて、 その枠の中で競争させるのではなく、 どんな物でもほめて創造性を伸ばす、個性を尊重する教育です。 現実の中国や北朝鮮の教育がどうであるのかは、別にして、 ドイツのシュナイター学校みたいなのは、 ある種の典型的左翼の教育思想だと思う。 ヘーゲルとニーチェの違いと言えばわかりやすいかも知れない。 先生が、「2+3=?」と言うとき、5という答えを 先生が予め知っていて、先生の中にある唯一の正しい答えと 合致する答えを出した生徒が正解になるヘーゲルと 「自分の好きな絵を描いて下さい」と言って、絵を描かせて 最も人を感動させる絵を描いた生徒が褒められる ニーチェ(左寄りの教育)。 ある種のコンテストやコンクールがあったとしましょう。 文学界新人文学賞でもゼロアカ道場でも、SSWSでも良いです。 事前に、主催者側に正しい答えがあって、それに合致した物を 提出すれば入賞できるのか、事前に正しい答えはなくて 人をより感動させた物が入賞するのか。 ハイカルチャー、クラッシックのピアノコンクールとか 近代美術の風景画のコンテストや学術誌に載せる懸賞論文なんかは 事前に審査する側がこういう物というのを決めていて 学術誌に載せるのであれば、文系の学問であっても、 それなりの科学的手続きが必要になります。 逆に商業的な芸能事務所が開くポプコンやミスコンや タレントオーディションであれば、同じ音楽でも クラッシックの演奏技術でなく、見た目が美人とか、 トークが面白いとか、ダンスがカッコ良いとか、 まったく別の基準があって、最終的に売れれば勝ちということは 主催者・審査員の中に事前に設定された回答とはまったく別の種類の 売れ方であっても、結果として売れて儲かればOKなわけです。 学術的な手続きや、基礎教養はポップカルチャーの中には要求されない。 あの手のコンテストは、募集時の建前として、 「事前に合格者像を設定することはない。  幅広い人たちに応募してもらいたい。」みたいなことを謳う。 もちろん、そこで主催者が想像もしなかったような優れた作品が 応募されて、売れて主催者が儲かるなら、そうするのだろうが 実際には、誰も応募してこなかった場合や、 応募された物がすべて標準以下の作品であった場合などを 考慮し、サクラを仕込むとは言わないまでも、 この方向性を示せるのであれば、 質は低くても佳作ぐらい受賞させておくかみたいな コンテストの方向性を示すための受賞作みたいなのがあったりする。 私の興味として、ハイカルチャーとは何か?何故価値があるとされるのか? という問いがずっとある。 ハイカルチャー(高級文化)は、 具体的には純文学や現代美術や現代音楽などだ。 対義語は、大衆文化、サブカルチャー、カウンターカルチャー、 ポップミュージック、ポップアート、大衆小説などだ。 内容的には、このメルマガの第211号の続きになる。 それとは別の対立軸として、商品/セラピーという軸があって 消費者のために作られた商品と、 作り手が自己治癒目的で作った芸術がある。 内容的には、前回のメルマガの続きになる。 この二つの軸をx軸y軸で表現すると、 4つのエリアができる。 商業主義という語を悪口として使ったとき、 ハイカルチャーの対義語なのか、セラピーの対義語なのかで 意味はかなり違うし、前々回のメルマガでは、 ハイカルチャーを商業主義と呼んだ。 3人文科学とは社会科学だった 前々回の文学フリマで「左隣のラスプーチン」制作の http://www.hatena.ne.jp/leftside.3/ 「S.E.Vol.3」を買った。 そこに高校国語教科書編集委員石原千秋さんのインタビューが載っていて 興味深いことが語られている。 P15下段 「教科書を作る側からすると、現代の国語教科書が  限りなく社会科学の教科書、あるいは入門書になっている  ということは意識してやっていました。」 p16下段 「現代社会を論じるための一つのサンプルを見せるという意図が、  国語教科書にはあると思うのです。」 人文科学だと思っていた国語は実は社会科学だった。 ヨーロッパの文学史で、 中世文学と言えばロマンス(空想性の高い長編小説) 近代文学と言えばノベル、というのがあって、 世界で最初のノベルは、円卓の騎士(アーサー王物語)のパロディ、 ドン・キホーテということになっている。 novelは「新しい/new」を意味する語で、語源はnewsと同じ。 ロマンスとノベルを対義語として使うときは、 ロマンスを物語、ノベルを小説と訳すことが多い。 純文学/大衆小説の二元論は、ノベル/ロマンスの訳から来ていて ノベル側を純文学、もしくは文学におけるハイカルチャーととらえると わかりやすい。 小説って、ニュースのことだったんだと思うと 新聞(ニュースペーパー)は、小説誌だったんだとか、 小説は本来、娯楽的な物語ではなく、 社会問題を報道するドキュメンタリーやルポタージュだったんだと 感じる。 教養小説(ビルディングス・ロマンス)は ハイカルチャーじゃなかったんだとか、色々ある。 個人的には、近代文学(novel)は国民選挙 (一定額以上の税金を納めた者にのみ選挙権が与えられる制限選挙) と結びついているように思える。 フランス革命が起きたのが1800年前後。 この時期は文学史的にロマン主義の時代になる。 フランス革命後の混乱・クーデターや内戦が収まって 近代初の定期的な国民選挙が行なわれるのが1848年。 1850年から第一次大戦までを自然主義の時代と呼ぶ。 ロマン主義はまさにロマンスの影響を受けた文学・芸術運動で それと相反する自然主義、最も近代的な小説の時代が 国民選挙から第一次大戦まで。 自然主義文学は劣悪な環境をありのまま描いた文学で そのようなnovel/newsがnewspaperに載って、 社会問題解決案を論じ合う議員への投票行動に結びつけるのが 文学におけるハイカルチャーだった。 これは人文科学というより社会科学であるわけです。 封建制度から間接民主制へという社会の変化が、 哲学にも影響を与えていて、 民主主義の基本は話し合いと多数決なのですが 1800年ごろのカントだと、話し合いの環境を整備するために 純粋理性批判のような本を書くのですが ヘーゲル辺りになると、条約を結ぶか結ばないか いつまでに決めなきゃならないという期限があって、 話し合いに終わりがないなら多数決しかないじゃんというのが ヘーゲルの弁証法だろうし、そうやって多数決で 少数派の意見を無視してきた結果が、 少数民族であるユダヤ人の大量虐殺だったとすれば、 ヘーゲル的な多数決からこぼれ落ちる少数派の個人を救おうとするのが サルトルの実存主義で、それを批判した構造主義のレヴィ=ストロースも サルトルの論文に未開人への差別的姿勢を見つけて攻撃したわけで それは時代的には、アフリカの小国が立て続けに独立する時期と かぶるわけで、 少数民族の文化を大事にしていこうという流れの中にあって ポストコロニアル文学云々も、 人文科学だけど社会科学や哲学とも密接につながっているわけで。 4社会構造の変化がない時代の文学 東浩紀さんのツイッターログを見ると、 メタ物語・セカイ系・物語ゼロについて書かれている日がある。 その三つとも物語の不在についての思考で、 ここで東さんのいう物語が社会構造の変化・時代の変遷を 描く文学を指していて、novelのことなんだなと思う。 社会構造の変化がないから、novelが描けなくて、 その中でnovelを描くとこうなるみたいな話で、 東さんのいう物語が、どういうものかが何となくつかめたので 大きな物語の対義語であるデータベースの意味も 何となくつかめそうな気がする。 私は東さんと違って、社会は変化しているし、 時代も変化していると感じる。 9.11は、米英日対仏独露の戦争で、分析哲学対大陸哲学の戦いで 大陸哲学側が勝った、日本が敗戦国になった戦争だと思う。 自由貿易を掲げる米国とブロック経済化を進めるEUの二項対立で 今の日本の左翼はEUをかつてのソ連のようなモデルケースにしている。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□