■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第210号       2009/11/1発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1漫画VS劇画 日本の漫画史を語る上で一番有名なトピックは 漫画と劇画の対立だろう。 手塚治虫を中心に描かれた戦後の漫画史の中で、 手塚治虫の劇画批判は大きな主題だと思う。 でも、私が子供の頃、漫画と劇画の対立に関して 様々な本を読んで知っていたが、 劇画と漫画の違いが最後まで分からないままだった。 大雑把なあらすじとしては、トキワ荘時代に、 手塚治虫は何誌にも連載を抱えていて、原稿を取りに来る編集者が 何人も手塚治虫の部屋で常時待っているような状態だった。 原稿が遅れているのに痺れを切らした少年マガジンの編集者が 少年サンデー用に描いた手塚治虫の原稿(W3〜ワンダースリー)の 絵柄を真似た漫画を他の漫画家に描かせて、 サンデーよりも先に掲載した。 これに怒った手塚治虫は、トキワ荘の漫画家(藤子不二雄など)に マガジンで漫画を描かないようにボイコットをうながし、 多くの漫画家はそれに従った。 既存の漫画家にボイコットされたマガジンは、 貸本漫画から漫画家を引っ張ってきて、 劇画という新しいスタイルの漫画を掲載した。 それまでの丸くて白い絵柄で夢のある話を描く児童漫画に対し、 黒くてリアルな絵柄で残酷な暴力や性描写などを描いた劇画は 斬新で新しい物として世に受け入れられ、 手塚治虫の時代が終わると共に、 劇画作家に対する手塚治虫からの批判は続いて 漫画家と劇画作家の間に深刻な対立が生まれた。 という流れがあって少年マガジンの劇画の代表としては 巨人の星、あしたのジョーがあり、 それがリボンの騎士や鉄腕アトムとは異なる絵だとは分かるが 例えば、ドラゴンボールやワンピースは劇画か?漫画か?と問われると よく分からない。 漫画と劇画の違いがよく分からないという時期が、しばらく続いた。 下手糞なりに自分で漫画を描いてみて、漫画と劇画の違いが 自分内定義ではあるが、実感できた。 劇画は、あしたのジョーや巨人の星がそうだが、 ストーリーを書く原作者と、絵を描く漫画家の分担作業だ。 少年マガジンを出している講談社は元々、 「少年倶楽部」という少年向け月刊小説雑誌を出していて 江戸川乱歩の「怪人二十面相」などを連載していた。 つまり、少年向け大衆小説を書く小説家と、その挿絵画家はいたので 小説家に脚本を書かせて原作とした。 絵も挿絵系の黒くておどろおどろしい貸本漫画家に 漫画を描かせるという方針を取った。 怪人二十面相の挿絵が、手塚治虫の絵と比べて、 黒くておどろおどろしいのは分かっていただけると思う。 巨人の星、あしたのジョー、共にスポーツ根性物、 通称、スポ根と呼ばれるジャンルだ。 何故、スポーツなのか? 理由は色々あるが、 写真に写るというのが重要であると思われる。 ストーリーのアイデアを出す者と、絵を描く者が別々である場合、 意志の疎通はかなり難しい。 鉄腕アトムのような近未来都市やリボンの騎士のような 中世ヨーロッパを模したファンタジー世界を描けと言っても 実際にその絵がない以上画家は描けない。 野球場やボクシングのリングなど、実際に写真に撮れる背景であれば ロケをして、撮影した写真を拡大コピーなどして、 トレースすれば良いわけだから、画家は描ける。 劇画が新しかった時代は、写真のようなリアルな絵と持てはやされたが 逆に言うと、写真のような絵しか描けなかったのだともいえる。 鳥山明は背景を描くアシスタントに、どうやって指示を出すのか聞かれて ドラゴンボールで悟空が、初めて行った星など、一度目は自分で描くが 二度目からは、その絵を見せてアシスタントに描かせると言っている。 絵の描けない小説家や脚本家では、ファンタジーは無理なのだ。 少年漫画誌四誌は、マガジンとサンデーがほぼ同じ時期に創刊され 遅れてジャンプとチャンピオンが創刊される。 それぞれの方向性の違いを語る上で、 「まいっちんぐマチコ先生」の話はしておいた方が良いだろう。 1982年ごろ、学研から出ていた漫画雑誌で 「まいっちんぐマチコ先生」は連載され、アニメ化される。 夕方5時ごろ、放送されたアニメなのだが、内容的には 主人公の男の子達が、担任のマチコ先生に、 色々エッチなことをするというストーリーで、 オープニングの主題歌のバックに流れるアニメシーンで既に マチコ先生のシャワーシーンなどが流れて、 夕方、家族みんながいる場面で流すには、 刺激が強すぎるのではないかと問題になり、 主婦層を中心にマチコ先生の不買運動が広がり、 それが、学研の科学と学習にまで広がった地点で、 アニメ放映は中止され、不買運動側が勝った形になる。 これよりももっと過激な放送だと、 永井豪の「ハレンチ学園」というのがあって、 実写でおっぱいを出した女の子とか普通に出ていたのだが、 ハレンチ学園を出していた集英社は、 学研のような学習誌を持っていないわけです。 これが、サンデーになると、小学館だから、 学習誌の収入が馬鹿にならないので、 エロや暴力に対しての規制が必然的に強くなる。 漫画vs劇画の対立は、まんま、 サンデーvsマガジンの対立であるのですが 喧嘩のアクションシーンを見ると、ナイフや金属バットを使い バイクで人をひき殺すマガジン対 モクモクとケムリみたいなホコリが舞って、 ボコスカという擬音だけが鳴って終りの少年サンデーの差は TVで言えば、小学生がグーで顔を殴りあう民放と、 肩を押し合うNHKみたいな、暴力表現の違いがある。 これも、本当に漫画と劇画の対立がどこまであったのかは怪しくて マガジンで「かぼちゃワイン」というちょっとエッチな漫画があって 一時期、夏休みの朝十時台でしょっちゅう流れていたアニメなのですが この漫画家さんは手塚治虫さんのアシスタントを長く勤めた方で 手塚治虫関連の漫画賞を三つも取っているとかいう話もあります。 小学館のコロコロコミックで、藤子不二雄賞みたいな新人漫画賞があって その中で、藤子F不二雄さんが出すコメントがすごくて 漫画の評が、 なめらかな曲線が描けているかどうかについてしか書かれていない。 なめらかな曲線は、劇画と漫画を別ける重要なポイントで ギザギザした暴力的な線を描く劇画と なめらかな曲線の児童漫画の対立を、 藤子F不二雄さんは死ぬまで引きずっていて、 漫画のストーリーやデッサンの話は一切せずに、 なめらかな曲線が描けているか、 描けていないかという話しかしてなかった。 漫画のペン先で描いた事のある人なら分かると思うのですが 漫画のペンでなめらかな曲線を描けるようになるには 慣れが必要で2〜3年掛かる。 逆に言うと、慣れれば誰でもなめらかな線は描ける。 つまり、アシスタントなり、なんなりをして、 ペン先に慣れ親しんだ人しかデビューさせないという意志が そこに感じられる訳です。 2線 児童漫画の線が、カブラペンで描かれたなめらかな曲線であるのに対して 劇画の線は、Gペンを使ったキザキザした多角形型の線になる。 一般に、Gペンのメリットとして、筆圧で線の太さが変わる点が よくあげられる。 主人公が拳を前に突き出している絵の場合、 手前にある拳は大きく、奥にある顔は小さくなる。 それと同じくして、拳の輪郭を縁取る線は太く、奥の顔の輪郭は細く、 輪郭の線の太さを変えることで立体感を出す。 他には、アクションシーンで動いている物を描く時、 主人公の投げたボールの動きを表現するのに、ボールの輪郭がボケて ボールの軌道から、空気抵抗的なキザキザしたものが ほとばしっていたりするのですが、そういう迫力のある動きを描く時 キザキザした線が必要になります。 児童漫画のなめらかな曲線の良いところとしては 線が安定してなめらかなのでスッキリした見やすい印象の絵になる。 「ワンピース」と「フェアリーテイル」を比べた時に 同じような題材を描いているにも関わらず、 ワンピースはキザキザした劇画タッチの線で フェアリーテイルはなめらかな曲線で描かれています。 その劇画と漫画の良いとこ取りをしようとしたのが ファーストガンダムのキャラクターデザインを手掛けた安彦良和さんで なめらかな曲線でかつ、筆圧で線の太さが変わる線を描くために 筆を使って漫画を描いてます。 線の描き始めが細く、途中で筆圧が加わり、最後にまた細くなるため すべての線が三日月状になる独特のタッチで、 シンプルでスッキリした線でありながら、躍動感のあるタッチで 似たタッチで描けるアシスタントがいないため 漫画の背景もすべて本人が描いているという漫画家さんです。 線の話をしたときに、江口寿史、鳥山明といったイラストレーター的な 線を漫画に持ち込んだ、当時少年ジャンプの編集者だった鳥嶋和彦の 功績も見逃せないと思う。 イラスト会社に2年半ほど勤めた鳥山明が ジャンプで漫画を描き始めたときの編集者で 「Dr.スランプアラレちゃん」に「Dr.マシリト」として 登場する人ですが、 サンリオのキティちゃん的な線、太さが均一で、 なめらかな極太の輪郭を持ち、円や楕円や直線といった、 シンプルな幾何学的模様の組み合わせで絵を構成する サンリオの「いちご新聞」みたいな方向性を ジャンプに持ち込んだ編集者です。 これは線という意味では、劇画に対する漫画側からの揺り戻し現象 とも取れます。 イラストと漫画の違いを書くと イラストはカラーで、漫画は白黒だとか イラストはキャラクターの絵一枚で成立するが 漫画はキャラクターの動きや表情やカメラアングルが変化するため 同じキャラクターに対して何パターンも絵が描けなきゃいけないとか 色々あります。 鳥山明がジャンプで連載を持つまでに、1000枚の原稿を没にされたとか イラストレーターから漫画家になるまで何年掛かったとか その手の話が掛かれた鳥山明初期短編集 「鳥山明○作劇場」「鳥山明満漢全席」を読むと イラストレーターとして、とがった感性を持った鳥山明が 徐々にイラストレーターとしての自分を捨てて、 漫画家になっていくと同時に、とがった感性を丸くしていく過程として 読めて非常に面白い。 一つは、カラーのイラストは、カラーで描かれるアメコミとも 親和性が高くて、 80年当時、アメコミの影響を受けたニューウェーブとして 脚光を浴びていた大友克洋の漫画にもアラレちゃん帽をかぶった老人が 登場するのだが、鳥山明もレディレッドというアメコミ風の物を描いていて 当然カラーで、アメコミのようにコマやページは左から右に進み、 漫画内の擬音はすべてアルファベットという構成になっている。 あの頃、ジャンプの巻末の作者の近況報告欄で、 桂正和、新沢基栄、佐藤正などの漫画家が鳥山明から漫画の資料を 借りた話を描いているのを見て 白黒の漫画の資料とは別のカラーイラストやアメコミ的な資料を この人は持っているんだなぁと思った。 3あとがき ああ、ネタがないのに書けてしまった。良いのか、こんなので? 「おとうさんは心配性」で岡田あーみんが「大友克洋風」で描いたコマが まったく大友克洋風でなく、 普通にいつもの岡田あーみんの絵であったことに笑った。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□