■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第208号       2009/8/15発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ポエトリーに固有のスキルとは何か ポエトリーリーディングという物を、 世間に対してアピールしようとした時に 既存の音楽とどう違うのか?既存の何かより優れている点は何か? などを説明しなくてはいけない。 で、まあ、ラップだと、ビートボックスに合わせて リズムに乗せた言葉を即興ではじき出すとか あるわけですが ポエトリーの場合、バックトラック無しのアカペラが多いんで 既存のリズムに合わせて朗読できる人は少ないが でも、非常に音楽的に聞こえる朗読が多い。 (当時、私の頭の中にあったポエトリーは、固有名で言うと  稀月 真皓(きずき みひろ)さんや青木研治さんで、  アカペラだと非常に音楽的に美しく聴こえるのに  バックトラック有りだと、音痴に聴こえるパターンが多かった。  みひろさんのCDは、ポエトリーにバックトラックを付けて  失敗した典型的な例だと思う) 歌としゃべりの中間のような 不思議なイントネーションやリズムのあり方が ポエトリーの魅力だと思っていて それをどう、産業として見せていくのかとなったときに 音楽業界の場合、カラオケ収入というのが大きいので バックトラック無しのアカペラ=カラオケ化不可だと、 厳しいだろうと思うと同時に、 みひろさんの朗読とバックの演奏が全くかみ合ってないCDも 聴いているので、朗読の音程・リズムを生かしたまま バックトラックを当てるにはどうしたら良いのかを 考えた時期があった。 バックトラックに合わせて歌うのではなく 朗読に合わせた伴奏をするにはどうしたら良いのか? 音楽には、リズムと和音とメロディがあるとして 朗読のリズムに合わせて打楽器を叩く、 朗読のイントネーションをメロディとして解釈し 一端、音階に直す。 その音階内に存在する音のみで和音を構成する。 そういうことを考えた。 すげー一般的な音楽の教則本を読んで 編曲の技術を色々勉強しようとした。 いま、DTMソフトを使うと、パソコンにマイクをつないで 鼻歌を歌うと、そのメロディを譜面に変えてくれるし その鼻歌を自動演奏してくれる。 鼻歌の音程がズレても機械の方で修正してくれるし、 そのメロディに合った和音も機械が勝手に付けてくれる機能もある。 でも、まあ、なるべく機械に頼らず、 自力で楽器をいじって耳コピーした方が勉強になるだろうと思って 色々やってみた。 やってみて、思ったのは中々上手く行かないものだなと。 例えば、「さいた さいた ちゅーりっぷの はなが」 という朗読なり歌唱なりがあったとして 「さ・い・た・(休)・さ・い・た」の各音の発話の所に 打楽器を「ドン・ドン・ドン」と入れると 「さ」に打楽器の音がかぶる、「い」にも打楽器の音がかぶる、 「た」にも打楽器の音がかぶる、 自分の発音が全部打楽器に消されている気がする。 みたいなことを言われるわけですよ。 むしろ、「さ」と「い」の間の「・」に打楽器の音を入れてくれ、 みたいなMIDIでいうスイング機能を要求されたりとか。 同じようなことは、音階でも起きてて 学校のチャイムの音は 「ド・ミ・レ・ソ  ソ・レ・ミ・ド  ミ・ド・レ・ソ  ソ・レ・ミ・ド」 (上記のソはすべてドより低いソ) だとして、このメロディに合った和音を付けようとすると C(ド・ミ・ソ)の転回形である(ソ・ド・ミ)が 一番、メロディの構成音に近くて、合っているはずだとなるのですが 実際鳴らすと、メロディパートと同じ音を多く含む和音を使うと メロディの音が目立たなくなるとか、 まあ、色々ある。 音楽理論の教則本を読んで、納得できない箇所が いっぱいあったりもするのですが 平たく言って、あの手の理屈は、 クラッシックのオーケストラの編曲を前提にしていて 100個の楽器が一斉に音を鳴らすときに、 他のパートの邪魔にならない、目立たない音の鳴らし方であって 精々3つか4つぐらいの楽器で合奏する時には 多少ズレてて目立った音があった方が、面白いとか いや、俺の理解や演奏技術がつたないから おかしなことになるんだとか、色々ある。 2パンクmeet ポエトリー パンク(punk)は元々チンピラを意味する単語で 反抗的な態度(アティチュード)を取るロックとして パンクロックというのがある。 パンクロックは、1976年デビューの セックス・ピストルズというバンドに付けられた呼称で 1980年代にディスチャージを中心に ハードコアパンクという呼称が使われ、 1990年代後半には、ヘルメットなどのメロコアが広がり、 76年のオリジナルパンクからさかのぼる形で、 彼らのルーツと言われるニューヨークパンクが再発見される。 パンクスを馬鹿にした蔑称でファッションパンクという言葉がある。 パンクの精神を持っていないのに、格好だけのパンクスという意味だ。 セックスピストルズのマネージャー、マルコム=マクラーレンが、 ロンドンのブティック経営者で、ピストルズ自体、 ブティックとタイアップして、 ファッション広告の写真を撮ったりしていて、 そもそも、オリジナルパンク自体がファッションパンクだ という矛盾があったりする。 パンクとポエトリーはニューヨークで割りと近い関係にあって ニューヨークパンクのパティ・スミスは、 ビートニク(ポエトリーをメジャーにした文学運動)の ウィリアム・バロウズの教えを受けていたり、 ピストルズのボーカル、ジョン・ライドンがピストルズ解散後 Pil名義で作った最初のアルバムにポエトリー・リーディングを 入れていたりする。 3パンクとは何か 私は昔、スターリンという日本のパンクバンドが好きだった。 客席に生肉を投げ入れたり、ボーカルが客と殴り合いをしたりするのが 売りのバンドで、 そのバンドに対し、坂本龍一が 面白いのは認めるが、音楽の面白さではない と雑誌で言っていて、当時の私は「ふざけるな」と思った。 また、別の場所では別の音大出身のミュージシャンが 「譜面に書けない物は音楽ではない」と言っていた。 スターリンのパフォーマンスは譜面に書けない。 クラッシックが生まれた時代、音楽を記録する方法は、 譜面しかなかったので譜面に書けるものだけが著作権として認められた。 アナログシンセの音色やジャズのスイング、MIDIのスイング機能、 これらは譜面に書けない。譜面に書けるのは音階のみで スイングしたリズムや和音によって生まれるハーモニクスなど 記譜できない物は音楽ではないという考え方がクラッシックにはある。 記譜できるもの、メロディのみを音楽だとするクラッシックがあり、 片方でダンスミュージックとしてのロカビリーやジャズがあり、 もう一方で白玉の美しい和音・ハーモニーを聴かせるモダン・フォーク、 ピーター・ポール&マリーやビージーズ、 モダンフォークのエレキ版とも言えるモッズの whoやフェイゼスがいる。 メロディ・リズム・和音の何を優先するのかという話で 無教養な肉体労働者向けのダンスミュージックロカビリーと インテリ大学生向けの美しいモダンフォークだと パンクは当然、イメージとしてロカビリー的な物を打ち出す。 マルコムはロカビリーファッションを専門に扱うブティックを 経営していた過去があるし、 ジョン・ライドンもピストルズをダンスバンドだと言っている。 けれども、ピストルズのメインコンポーザーであった グレン・マットロックは、モッズであり、彼の作った曲は、 リズムよりも和音の美しさが前に出ている。 この手のパンク・ピストルズの持つ矛盾は、それなりに面白い。 ピストルズは当時、 ロックミュージックの演奏技術が高度化・複雑化する中で 音楽に演奏技術なんていらない、言いたいことを表現すれば良いんだ というアジテーションをして、 ファンの中から多くのパンクバンドを生んだ。 技術なんか無くても誰でも表現できるんだというあおりは パンクスは演奏が下手だという批判になって返って来る。 アメリカのテレビドラマで、主人公の男の子が学校の不良に バンドを組もうと誘われて、バンドに入ったのだけれども 親は息子が不良と付き合うことを良しとしなくて、 結局、何回かライブをやった後、 息子は別の仲間とちゃんとした演奏をするバンドを組んだ という話があった。 その不良がやっているバンドは、ドラムがドカドカ鳴っていて ボーカルは歌わずにアジテーションしながら客席にダイブして ギターもベースも演奏せずに床に楽器を置いて 客席にダイブして、主人公だけが真面目にギターを演奏する というライブで。 私はディスチャージというハードコアパンクバンドが好きなのですが ユーチューブでディスチャージのライブ映像を見ると ボーカルはマイクのコードを持って、頭上でマイクをぐるぐる振り回し つまり、まったく、マイクに対して歌わないまま、 客席にダイブして、それに続いて、 ギタリストもギターをステージに置いて客席にダイブ、 ベーシストもベースをステージに置いて客席にダイブ、 演奏は打楽器のドラムのみという内容で、 あのドラマのライブの元ネタはディスチャージかと。 メタル系の人からギターの下手なバンドと 揶揄されるディスチャージですが、 下手というより、そもそも演奏する気がない。 それと同時に、ダメなイメージを売りにするとき ギターやベースは弾かないのに、ドラムだけは演奏しているというのが 白人社会における音階至上主義というか、 リズム・打楽器に対する社会的地位の低さというか そういうのを感じました。 セックスピストルズは、楽器の演奏能力がないのを売りにしていましたが 解散後の個々の活動を見ると、ボーカルのジョン・ライドン以外は ちゃんと楽器出来てるじゃんとかあるんだけど ピストルズ解散後のジョン・ライドンが レゲエにはまっていたというのが、いまいちよく分からなかった。 レゲエはダブという技術を生み出した音楽ですが ダブは、語源的にはダブル(二重録音)から来ていて サビのコーラスパートを重ね録りしたりするのが 元々のダブで。 レゲエはターンテーブルに、スーパーウーファーをつないで 体にBUZZBUZZ響く重低音を鳴らしながら 歌うのですが、レコードの再生するとき イコライザーで、ボーカルの音域の中音を下げて 低音と高音だけ上げて歌うんですね。 既存のレコードのボーカルパートだけ抜いた音に オリジナルのメロディと歌詞を乗せて歌うのですが それをすると、ボーカルパートだけじゃなくて 中音域の伴奏も抜けるんですよ。 リズムも和音も二オクターブ近く離れた高音・低音部のみだと 伴奏によるボーカルパートへの拘束が一切なくなります。 リズム・音程すべて自由で、ただ、ダラダラしゃべっているだけでも ちゃんと音楽として成立しているように聴こえる。 朗読に伴奏を付けるのって、こんなんで良いんだと思うと ちょっと脱力しました。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□