■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第205号       2009/8/12発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1自然主義 日本の近代文学批評史の中では、近代文学は 自然主義―ロマン主義の二元論で語られることが多い。 フランスの文学史だと、自然主義の訳はたぶんゾライズムとかで 社会的にあまり大きな位置を占めてなくて リアリズム(日本語では写実主義)が、 日本における自然主義のポジションを占めていて、 プロレタリア文学は社会主義リアリズムで、 ゾライズムは自然主義リアリズムで、 マジックリアリズムとか、シュールレアリズムとか リアリズムの変種が色々あるが、広い意味では全部リアリズムじゃん と言ってしまったときに、フランスの文学史の中では リアリズム(写実主義)が、日本における自然主義のように 大きな位置を占めるように思える。 で、この自然主義というかリアリズムというか そういうのを時代区分としてみると、 1850年〜1910年辺り、 男子普通選挙が始まってから、第一次大戦が起きるまでを指す。 フランス革命が1800年ぐらいだとして、 ナポレオンなりロベスピエールなりの英雄が出てきて 国を良い方に導いてくれるという英雄崇拝(ロマン主義)が 挫折し、結局、間接民主制で国民が政治のチェック機能を 果さなければいけないとなったのが1850年頃。 写実主義―自然主義―社会主義リアリズムという一連の文学は 社会問題になっている劣悪な環境に入って行って、 そこで経験した事実を事実のまま書き、 社会問題の細部を提示することで、それをどう解決するのかを 代議士・候補者・有権者に迫るという形式になっている。 時代区分として、その手の近代文学が終わるのは 1910年以降、リアリズム文学・間接民主制によってもたらされた物が 第一次大戦で使用された大量破壊兵器(戦車・細菌・毒ガス)による 一般市民の大量死でしかなかったという結論によってだ。 日本は実質的に第一次大戦の被害を受けていないから 第二次大戦が一つの区切りになる。 よく、女子供相手に云々という言い方があるが これは男子普通選挙法時代の言い方で 政治に責任を負うべき成人男子と 政治に責任を負わなくて良い女子供という二元論で 坂口安吾が、女子供相手に惚れたはれたの話を書くのは 男子一生の仕事足るのかみたいなことを書くのは 戯作文学がリアリズムではなくロマン主義の側に 属している自覚があるからで、 醜い現実を知る必要がない人たちに 夢を与える文学を書いている側の論理だ。 2第三の新人―内向の世代 自分の中で文学のジャンルは大きく分けて 第三の新人―内向の世代の二つに分かれる。 この二つは、自然主義―ロマン主義の二つと 似ている部分もあれば食い違う部分もあって ある種のねじれが発生する。 第三の新人の書く小説の主人公は、学生や生徒で 思春期に特有の悩みを抱えていたりする。 親や先生の勧める堅実な生き方、勉強をして 良い学校に行って、良い会社に入って、 結婚して、幸せな家庭を持って、みたいな物に 息苦しさを感じつつ、 だからといって、親元を離れて、一人で、 住み込みのバイトでも見つけて、自活していくという勇気もない。 大人になることに対しての漠然とした不安を抱えながら 表面的には優等生として生きている。 そういう人が主人公の小説だ。 具体的には、初期大江健三郎や、初期中上健次、 初期村上龍辺りが、それにあたる。 内向の世代が描く小説の主人公は、定年間際の会社員で 会社員に特有の悩みを抱えていたりする。 組織の求める会社員像、言われたことをちゃんとやって 上が決めた方針に対し、口出しをしないで、 営業をやれと言われれば営業をやり、 経理課へ行けと言われりゃ経理をやり、 地方に行けと言われりゃ地方に飛び 本部に戻れと言われりゃ本部に行き、 その度に、自分が長年積み重ねてきたノウハウや人脈は 新任に引き継がれることなく、またゼロからやり直しで 個人にも組織にもノウハウや人脈が蓄積することもなく 消えていくことに、漠然とした虚しさを感じながら 表面的には良き夫・良き会社員として生きている。 そういう人が主人公の小説だ。 内容的には、入社直後の新人時代に良くしてくれた先輩の 定年退職や葬式、自分が長年勤めた部署の統廃合なんかを 描いていたりする。 上の二つは単純に主人公の年齢が違うし、 同時に想定読者の年齢も異なってくる。 読者の年齢が違えば、人生経験の量や読書量、読解力やなにかも 当然変わってくる。 内向の世代は、長い情景描写によって、 消え去ってしまった懐かしいあの頃を描くし 第三の新人は、短いフレーズ、キャッチコピーの連続によって ストーリーをテンポよく展開する。 長い描写は書き下ろしに適しているが、 短いキャッチコピーの連続は、少ない字数での連載に適している。 400字詰め原稿用紙400枚で一冊書き下ろされるライトノベルは 私にとって内向の世代の側に属している小説だった。 携帯の端末、一番安い機種で一回に200字しか表示出来ない環境を 考慮に入れた中で描かれる携帯小説、一話200字の携帯小説は 私の中で、第三の新人に属する小説だった。 私が高校生・大学生だった時、学生なので自分は 第三の新人の側に属していると思っていて 純文学雑誌、文学界や新潮に載っている小説は 内向の世代の小説に見えて、 何となく敵だと思ったし、内向の世代としてデビューした 柄谷行人の著作、「日本近代文学の起源」や「反文学論」は 内向の世代の理論を端的に描いていると思った。 純文学を書いて芥川賞を取りたい、 そのためにまず、文学界新人賞を取りたい、 そういうことを言っている学生さんに時々出会う。 その人の書いている小説を見ると、 思春期特有の悩みが描かれていて、 将来に対する漠然とした不安があって という形式が多く、そういう人の受け皿に 純文学雑誌が成っていないことも自分はよく知っている。 ある文芸評論家がライトノベルにこだわる時 自分には、その評論家が何故ライトノベルにこだわるのかが 分からなかった。 私はセル画っぽいアニメ絵にアレルギーがあって ラノベの表紙イラストがどうしても受け入れがたかったのだ。 自分の育った環境にもよると思う。 私は自分の部屋にテレビがない環境で育っていて テレビは家族が集まる食卓に一台しかなく、 家族全員の総意で見る番組が決まる環境だった。 年の離れた妹や弟がいたので、テレビで見るアニメは タイムボカンシリーズのような幼児向けの物や サザエさんなどのようなファミリー向けの物に限られていた。 中学のときの同級生の中には自分の部屋にテレビとビデオがあって 深夜に放送される大人向けの難解なアニメを録画して 見ている人やレンタルビデオ屋で攻殻機動隊や初代ガンダムのような 難解で思弁的なアニメを見ている人間もいた。 ある人たちにとって、アニメやラノベが 思春期の悩みや不安を投影する受け皿になっていて、 その文芸評論家はライトノベルに、第三の新人的な文学の受け皿を 見ていて、自分はそのことに気付いてなかったなぁと思った。 3日本近代文学の起源 漱石の「文学論」、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」、 柄谷行人の「日本近代文学の起源」この三つは フィクションとノンフィクション 自己表出と指示表出 ロマン主義と自然主義 その辺りをめぐって書かれている。 漱石と隆明はフィクションの側から リアリズムを批判する形をとっていて 柄谷はリアリズムの立場から、 物を書いている。 このメルマガの流れだと私は柄谷を批判しているように 見えるかも知れないが、三つの著作の中で 私が一番好きなのは「日本近代文学の起源」だ。 リアリズムは権威化された文学、純文学と言っても良いし もっと別の言い方もあるかも知れないが、 文学という制度の権力の中心にある。 漱石が明治政府から与えられた使命は 英文学を250年過去にさかのぼって輸入することで、 だからこそ、当時リアルタイムだった 自然主義リアリズムの輸入ではなく、 ロマン主義の輸入に行ったわけだし 吉本隆明がやろうとしたのは、 当時主流だったプロレタリア文学、 社会主義リアリズムに対する批判で だからこそ、反リアリズムの方へ行ったわけで その志は理解できなくもない。 でも、個人的には、制度の周縁にいながら 中心に向かって批判を投げかけるのは 安易に見える。 ある種の権力がどういうしくみで動いて 何故、その制度が発生し機能し続けているのかを 権力の中心から描いて見せた柄谷の著作は凄いと思う。 4漫才ブーム 1980年前後に漫才ブームがあった。 笑いとは何か?という問いで、落語家の桂枝雀さんは 「緊張の弛緩」と答えている。 漫才はボケとツッコミの二役で構成されるが ツッコミが提示する社会規範なり常識なりに対して ボケが規範からの逸脱を行なう。 ツッコミが客席に緊張感を押し付け、 ボケがその緊張感を弛緩させる。 ドリフのコントは、支配する側と支配される側の闘争で成り立っている。 母親と子供、先生と生徒、上司と部下、大家と借家人、 支配する側=いかりや長介が強いる規範と 支配される側=志村けんが仕掛ける規範からの逸脱。 通常、いかりや長介が憎まれ役で、 志村けんが主役であり共感される側だとされるが 実際、見ている人の感想を聞くと、そう単純でもない。 クレヨンしんちゃん型の母親―子供コントの場合、 いう事をきかない子供役に憎しみをぶつけ 子供に手を焼く母親役に共感する親達も少なくないだろう。 漫才はコンビの中でボケ役とツッコミ役がいるのは当然なのだが 漫才ブーム時には、漫才コンビ間でも 規範の側と逸脱の側があった。 規範の側にいたのは「やすしきよし」「巨人阪神」「いくよくるよ」で 逸脱の側にいたのが「ツービート」「B&B」「ザ・ぼんち」などだ。 古典的な漫才のフォーマットを守る側を 新しい漫才がどう攻め立てるのか? 観客の興味はそこにあった。スーツを着て、ネクタイを締め、 社会人同士という設定の中で、芸達者な二人がほぼ同じ量をしゃべる 古いタイプの漫才と、 トレーナーやテニスウエアといったカジュアルな服を着て、 もしくは野球やボクシングのスポーツウエアを着て 高校や中学の部活という設定でしゃべる漫才。 社会人ではなく、中学生高校生という ヤングな設定が新しいというのが一つ。 しゃべる分量が半々ではなく、 一方的に早口で面白いことをまくし立てるしゃべり手と、 その話をひたすら聞いて頷いている聞き手、 卓越した話芸がない素人がステージの上で、ただ話を聞いているという 設定の新しさが一つ。 一人で漫談をまくし立てる側と、 その聞き手というフォーマットでも よく見ると聞き手に二つのタイプがいて 面白い話手が、漫才ブームに乗るために誰でも良いから引っ張ってきた 本当の素人と、 古典的な漫才を真面目に追及している聞き手で 古典的な漫才を真面目にやろうとしている聞き手は 多くの場合、漫才台本の書き手であり、 相方が一方的に思いついたことをしゃべって脱線し アドリブで笑いを取るのに対し、常にアドリブを抑制し 台本(=古典的な漫才)に戻ろうとする聞き手だ。 前者の典型がツービート、B&B、紳助竜介だとすると 後者の典型はザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、 (時期はかなり漫才ブームの後になるが)大助花子、 などで、台本が詰まらないからアドリブの漫談をするんだという側と そのアドリブが滑るから、台本に戻すんだという側で 漫才が構成される。 大助花子はもう少し洗練されて、大助が噛むのも 花子がアドリブに走るのも、途中で台本に戻るのも 全部台本に書かれていて、 アドリブに見せているだけのようでもあるが。 台本を書く側と、アドリブで本を壊す側 という役割は、まんま、古い漫才と新しい漫才 やすしきよしと、ツービートに転化される。 当時、子供だった私は、規範の側に立つやすしきよしを 仮想的にして、ツービートやB&BをTVの前で応援していた。 それでも、やすしきよしは漫才番組のトリ(最後)に出てきて 一番長く漫才をやって、一番大きな笑いを取って 番組を締めていた。 まれに、やすしきよしが中ぐらいの笑いしか取れないことがあると めったに見れないものを見た=得したという感情になった。 他の漫才コンビやお客さんから、敵役・憎まれ役を買って出て それでも一番大きな笑いを取り続けたやすしきよしは凄かった。 やすしきよしの解散以後、やすしきよしの位置 =若手に厳しいベテラン漫才師の位置に、 巨人阪神の巨人さんや、桂三枝さんが番組の企画上、 置かれることが度々あったが、 巨人さんも三枝さんも「若者達に理解のある良い人です」 というアピールをするし、ベテラン対若手という対決の構図が 作れない。 西川きよしさんは、やすしさんがいなくなってからでも 番組的に必要となれば、ベテラン対若手の構図を受け入れるし その役割の中で笑いを取る努力をする。 きよしさん以外のベテランは、番組の中で構成作家を呼んで 「君がそうしろと言うなら、やっても良いけど、  俺、普段こんな人ちゃうよ。」と 構成作家に注意を入れるシーン込みでしか、その役割を演じない。 支配者の側・権威の側・憎まれ役で、 しかも一番大きな笑いを取らないと格好がつかない。 まあ、損な役割だと思う 最近、やすしきよしの漫才CDの歌詞カード・解説文を読んだら 何故やすしきよしがあの役割を演じられたのかが分かった気がした。 漫才ブーム当時、10年のキャリアがあって、 テレビのレギュラーや冠番組もあったやすしきよしが キャリア一年やそこらの新人と一緒にされて 「漫才ブーム」というパッケージで売られることに 怒りを感じていたということが解説文に書いてあった。 新人と同格に扱われることに対する怒りの結論が キャリア10年も漫才も1年の漫才も、 同じに扱われるのはしょうがない。 そのかわり、自分達が一番の大きな笑いを取って、 横綱相撲をとって、誰が一番なのかを お客さんの前ではっきりさせようじゃないか。 だった。柄谷行人はやすしきよしのポジションに立つことを怖れない。 そういう意味で覚悟のある人だと思う。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□