■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第202号       2009/5/6発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1愚痴 まあ、自分のHPを見ると後藤繁雄を西村繁男と間違えていたり 古井由吉と古在由重を間違えていたりしていて それも本来直すべきなのだろうけどそんな気も起きず たぶん、今後もその手の事実誤認を繰り返していくのだろうなと思いつつ。 月一ペースにダウンしてますが、 ペースだけでなく内容もダウンしまくりで、 何か書いてみようなかなと。 最初はさ、自分なりに文学史のおさらいを やってみようとか思ったのですが、俺クオリティに俺自身が 幻滅して、読む人のこと考えずに、愚痴の垂れ流しで 良いかぁと思って、今回はレコード産業の歴史や なんかについて書いてみるつもりです。 2総合芸術とその部品 最近このメルマガでは文学史について書いてきたつもりなのですが (文芸)雑誌というもののビジネスモデルがどういうものか 見えちゃった気がするんですよね。 ここでいう雑誌は、広告しか載っていないアルバイト情報誌や 住宅情報誌ではなく、売上げの多くを広告に依存する専門誌 (TVゲーム雑誌・音楽雑誌・映画雑誌)ではなく 活字文芸誌や漫画雑誌を想定しているのですが 連載小説や連載漫画を載せて、雑誌単体では黒字にならなくても 連載作品の単行本の黒字で売上げを支えるというスタイルの雑誌を 考えてみます。 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/183gou.txt より ←広告される側             広告する側→       小売店――――雑誌――――TV 顧客数  500人―――3万?30万人―――1200万人 TVで放映されている小説なり漫画なりがあって 全国放送で視聴率10%なら1200万人ぐらいは見るわけで そのTVを見ている人の500分の1がその作品を買うとすれば 2万人から3万人ぐらいはその作品を買うわけです。 そのとき、その作品を単行本で売る方法もあるのですが 雑誌という形を取ると、他の新人作家の連載とセット売りを出来るわけで 3万人ほどの人に新人の連載を売り込むことがで来て その雑誌を買った人達のうちの500分の1が 雑誌に載っていた新人作家の単行本を買えば60冊ぐらいは その新人の本が売れる計算になる。 仮にそのテレビの放送が、ワンクール三ヶ月で週一回放送 合計12回放送だと、掛ける12の広告効果で 雑誌が36万部ぐらい売れて、その雑誌の新人の単行本が 720冊ぐらい売れるとか。 この500分の1は無作為抽出のポスティングによる広告効果なので マッチングが合えば、さらに広告効果をあげることが出来る。 仮に自分が編集者で、新雑誌を作るとして、 売上げの軸になる作家・作品をまず引っ張ってくる。 百万部本を売る作家やテレビ化されている作品ですね。 軸の連載作を決めたら、その作風に合った新人を育てようとします。 軸になる作品がAだとすると、 Aの読者に向かって新人は連載をするわけで Aの読者との相性・マッチングを考えて物を作ることになります。 Aが小学生向けなのか、ビジネスマン向けなのか、主婦層向けなのかで Aとセット売りされる新人の方向性もある程度決まるという事です。 雑誌は手段としては軸となる人気作品人気作家を 引っ張ってくることをしますが、目的としては自分の雑誌から 売れる新人を育てて、自雑誌発の作家だけで潤う というところを目指します。 軸となる人気作とは何かと言うと、映画やTVや舞台といった 総合芸術化されるという事です。単位100万部売れるというだけなら 文芸誌が小説だけを扱う理由はなく 「B型の取扱説明書」「国家の品格」「バカの壁」などのエッセーでも 良い訳ですよ。 何故、小説かとなると総合芸術の部品となりえる文芸だからなわけで 小説限定の文芸誌を作っている地点で、 総合芸術化を最終目的にしているわけです。 世界で一番売れている小説家、スティーブン・キングは 映画の原作小説を書く人ですし、その前のベストセラー作家 シドニー・シェルダンは長くブロードウェイで ミュージカル台本を書いてきた人です。 あとまあ、今回のメルマガの大前提ですが、総合芸術大嫌いな私が 小説とか音楽って結局総合芸術の呪縛から逃れられないんだよなという 愚痴をこぼしている内容です。 ブリジストンのタイヤとか旭硝子のフロントガラスとか、 ソニーのカーラジオとかが、個々のパーツ単独でいくら性能を競っても 自動車という製品(総合芸術)に採用されなければ、 タイヤ単独で存在してもしょうがないとか、 良いタイヤを作るには、良い自動車とは何かを考えて そこからの逆算で、良いタイヤとは何かを考えないと タイヤ単独で、良いタイヤですと言っても意味がないとか そういう愚痴です。 ちなみに総合芸術のひとつである映画業界の人は、 映画って5年ぐらい前の人気作品を映像化する仕事じゃん? 漫画と小説の映像化ばっかで、映画のオリジナル台本作品って 商売として成立しないのな。 最近の邦画でアニメ以外にオリジナル台本で成功した映画ある? なんて愚痴をこぼしてましたが。 総合芸術を目指すのは文芸だけじゃなくて ロックなどの音楽産業も同じで、今回レコード産業の話を書いてみます。 3ロッキンオンとは何か 第3回の思想地図のシンポジウムで宮台さんが、 「初音ミクが大好きで、いま初音ミクを作っている人は プログレから『よいこの歌謡曲』へ行った我々歌謡曲世代だ」 と言っていて、その中で、 ニコニコ動画の初音ミクのタグに「おっさんホイホイ」というのが 付けられているという話が出ました。 宮台さんが40代だとして、 1970年代半ば、10代の時期に プログレシブロックを聴いて育った世代です。 プログレ・よいこ歌謡をつなぐテーマとして 70年代のロッキンオンは欠かせないと思います。 私はロッキンオン株式会社創業社長渋谷陽一著の 「ロックミュージック進化論」を読んで、ロック史を知ったので 私のロック理解はロッキンオン史観だったのですが、 最近、音楽関連の本を読むにつけ、 ロッキンオンが意図的に注目したものと排除したものがあることを 感じました。 ロッキンオンという雑誌は70年代に創刊されて、 洋楽に歌詞カードが付いてなかった当時に、外国人を雇って 洋楽の歌詞を聞き取らせ、歌詞と訳詞を載せて、 その歌詞や訳詞の解釈・深読みを読者投稿欄で募集し 詞とその深読みが載っている投稿誌として人気を博した雑誌です。 当時、ロッキンオンで訳された詞の多くはプログレシブロックと呼ばれた レッドツッペリンやピンクフロイドなどの暗くて難解な歌詞が 中心でした。 私の定義だと70年代のロッキンオンは詩の雑誌なんですね。 私の中で詩というのは外国語の歌の歌詞を翻訳したものなので 今ある詩誌(日本語で創作された歌えない詩)と比べても ロッキンオンの方が詩としての純度が高いと思います。 私の解釈だと、ロッキンオンが上記のような雑誌であったのが 1982?83年ぐらいまでで、洋楽に歌詞カードを付けるのが 普通になった地点で、歌詞・訳詞の著作権がレコード会社に握られ ロッキンオンは歌詞を載せられなくなり、 普通の音楽雑誌になっていくわけです。 それと平行して歌詞の深読みをする投稿誌として人気が出てきたのが 「よいこの歌謡曲」で、日本語で歌われる歌謡曲・アイドルポップスの 歌詞の深読み投稿誌です。 三大ハードロックバンドと言うと レッドツッペリン/ディープ・パープル/ブラック・サバスに なるわけですが、渋谷陽一はツッペリンをほめて ディープパープルをけなすわけです。 当時の日本ではバンドコンテストをするとディープパープルの コピーをするバンドが多くて、ツッペリンのような難解ぶったバンドの コピー人気はなかったと言います。 最近、ツッペリンやパープルのライブビデオを見たのですが それを見ると、圧倒的にディープパープルの方がかっこ良いんですよ。 それと同時に、何故渋谷陽一がディープパープルをけなすかも 非常によくわかるんですね。 私が見て感動したのは、スピードキングという曲のライブで 第二期ディープパープル(一番人気があった時期のメンバー)の物です。 まずボーカルのルックスが圧倒的にカッコ良いんですね。 70年代の日本の少女漫画に出てくるカーリーヘアの金髪の王子様 (ベルサイユのバラなどの絵柄) のモデルがパープルのボーカルだったんだなと、初めて分かったわけです。 チリチリのパーマでパンタロンをはいて、足を左右逆に置いて ひざをクロスさせて立ち、ハイトーンボイスのシャウト。 ハードロック?メタルの様式美を作ったのが パープルのボーカルだったのだなというのが非常によくわかる映像でした。 正直、日本のメタルバンドの高音シャウトを聞いても 何をやりたいのか一切分からず、ツッペリンのファッションを見ても 何を目指しているのか分からなかった自分の中で いくつもの疑問が一気に解決した映像でした。 彼らがやりたかったのは、これなんだ。 そう思わせる圧倒的なカッコ良さがあったのですが、 ライブでのSpeed King(スピードキング)の歌詞が 「スピードキング・スピードキング(繰り返し)、アー(高音シャウト)。」 これだけなんですよ。歌詞カードも訳詞も要らないでしょ。 深読みのしようもない。 (ライブビデオじゃなくてレコードではちゃんと歌詞があります) 「産業ロック」という言葉があるのですが、これは渋谷陽一の造語です。 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/diary18.htm 6月6日参照。産業ロックの定義として ハードな曲でも、バラードでも歌詞の内容はほとんど同じで、 要するに「男と女のラヴ・ソング」である。 というのがあって、深読みのやりようがない歌詞なんですね。 洋楽の歌詞の翻訳&深読みをするという雑誌の特性上 売れていても雑誌で扱えない音楽もあれば 売れてなくても扱いやすい音楽もある。 売れていても自社では扱えない商売敵を産業ロックと呼んだ。 「ラバーソウルの弾みかた」辺りを読むと、多義性に富んだ難解な歌詞を ポップミュージックに持ち込んだのはボブ・ディランらしくて、 そこからビートルズが方法論を輸入し、 チャールズ・マンソン事件辺りで、その方法論が禁じ手になる。 いま詩の雑誌で扱われているような現代詩、 論理的には理解不能な文章で、解釈しようと思えば どんな風にでも解釈できるような詩を作って その詩に対する解釈を読者投稿で募集して、 議論を盛り上げるような広告の手法、 ビートルズのアビーロードのレコードジャケットをめぐる解釈が http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118078606 有名ですが、あれなんかも読者投稿と言いながら投稿者の自宅を探ると 実際にはその住所にそのような名前の人は住んでなかった とかいう話もあって、 音楽雑誌にそれなりのページ数を割いて、ジャケットの写真まで載せて 紹介するのはレコード会社&ビートルズ側の 持ち込み投稿なんじゃないのと思いますが、 (雑誌社はジャケット写真一つ取っても、  レコード会社に掲載許可を取って載せているわけで) あの手の広告手段は「ラバーソウル」を読む限り、 アメリカの音楽雑誌の場合、ボブ・ディランから始まって チャールズ・マンソンがビートルズの「ヘルター・スケルター」に 啓示(深読み)を受けて殺人を犯した事件をきっかけに 下火になったっぽいです。 総合芸術・舞台芸術としてみたとき、歌詞は 「スピードキング(繰り返し)、アー」であったとしても ルックスの良いボーカルがいて、きれいな声質で「アー」と 叫んでいたら成立してしまうんですね。 それに対して、歌詞の意訳だけを取り出して 深読みや良し悪しを論じて見せたのが 70年代のロッキンオンだったのではないかと。 4レコード=演劇・映画だった時代 日本人初のレコード発売は、日本の劇団のフランス公演で 「おっぺけぺー節」というのが録音された 1900年から1906年ごろです。 (資料によって年数が微妙に食い違うのですが、  公演・録音された年とレコードが発売された年の  どっちを取るのかみたいなズレだと思います) この頃、レコードとは演劇を録音した物であったわけです。 映画が無声映画からトーキーに変わった時期、 1920年代後半から1950年代辺りまでアメリカのMGMの ミュージカル映画が人気を博します。 参照映画「ザッツ・エンタテイメント」 この時期のミュージカルは、タップダンスが主流です。 音を出す(演奏)と絵が動く(ダンス)を一致させる物として タップダンスが選ばれました。 普通の演奏だと映像が地味で、演奏者の動きと音との関連性が 一般のお客さんには分かりにくかったのが、 タップダンスだと、演奏と動きが一致するので 楽器演奏をしたことのないお客さんにも非常に分かりやすい形で 映像と音とが一致するわけです。 日本で一番最初にレコードの原盤権を持った芸能事務所が渡辺プロで GS(グループサウンズ)ブームを起こした事務所です。 時期的に言うと、マイク真木の「バラが咲いた」が1966年で 原盤権がシンコーミュージック(出版社)で 渡辺プロも大体そのぐらいの時期、60年代後半ですね。 それ以前の日本のレコードは、映画の主題歌を映画の主演俳優が歌う という形式になっていて、映画会社の取り分が50%、 レコード会社の取り分が50%。 石原裕次郎とか加山雄三とかの時代ですね。 レコード=映画の中で流れる映画音楽、だった時代で インド音楽なんかは今でもヒットチャート上位の ほとんどが映画音楽です。 その時代のミュージシャンというのは、 音楽大学でクラッシックを学んだ人が、映画会社に入って 映画のサントラを作って、主演俳優に主題歌を提供し、 クラッシックの作曲家が作った曲を、 クラッシックのオーケストラが演奏し、 演技の勉強をしてきた映画俳優が歌う。 レコードを出すミュージシャンの職業が、 俳優か音大出のクラッシック奏者だった時代です。 レコードが映画の映画館で売られる映画のパンフレットや 映画関連グッズの一環でしかなかった時代に レコードの版権で儲ける芸能事務所・音楽事務所を作ったのが 渡辺プロで、日本では初のビジネスモデルだったが 外国では既にそのようなモデルがあって、それを真似て作ったらしい。 渡辺プロが成功した理由の一つとして、 テレビの人気番組を持っていたというのが大きい。 「しゃぼん玉ホリデー」「8時だよ!全員集合」この二つは ナベプロのコミックバンドが司会を勤める音楽コント番組で ゲストのミュージシャンがコントやトークをやって最後に 歌を披露するのだが、日本で一番人気のある音楽コント番組の 司会(ゲストのブッキング権)をナベプロが握っているというのが大きい。 しゃぼん玉ホリデーのレギュラーは司会担当のコミックバンドが クレージーキャッツで、男性アイドルバンドがザ・タイガース、 女性アイドルデュオがザ・ピーナッツ。 この三組がすべてナベプロで、当時の人気ナンバーワンアイドルの 男性部門・女子部門を共に押さえていた。 ナベプロの時代は、映画からテレビへとメディアが移る時代で 日本でかなり初期のテレビ放送時代から、 ナベプロはテレビというメディアを押さえていた。 NHKの本放送でなく、試験放送時代に既にクレージーキャッツは テレビに出ていたという。 NHKが実質上、国営放送である以上、政治家や官僚とのパイプが あって初めて成立する物でもあった。 (続く) ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□