■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第18号 2000/2/14発行 現在の購読者数241人 会社員時代にもらった金で、100冊も同人誌を作ってしまった私が、 書籍コードの無い本を抱え、この本を扱ってもらえる書店をめぐる日々の日誌。 現在の在庫状況 文体演練法63冊 寓話集49冊 最悪な気分66−3冊 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 2安池さんからの批評まるごと引用 1ごあいさつ アメリカでお仕事されていた安池さんが 日本に戻られ、引用許可も頂けた訳でして めでたく掲載することが出来ました。安池さんに感謝。 ただですね、 「すべての行が76文字(全角では38文字)に 収まる自動改行した送信でお送りします。」 ってことなのですが、 メルマガ発行媒体のまぐまぐさんの方から 1行は全角で35文字以内でと言われてるんですね。 こうして送信してるということは 送信テストの結果、OKだったことを意味するのですが メーラーやブラウザによっては、 ちょっと心配ではありますが。 でわ、さっそく全文引用行っちゃいます。 2安池さんからの批評まるごと引用 Criticism, Bun-tai-en-ren-hou 木棚さんは"No12【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】" の中で売れるような書評を望んでいるという風に取れることを書かれていますが, 書評が残念ながら買う事を薦める内容では無いものになってしまったことを まずはじめにお詫びしておきます。ぼくがMLに送った内容の全文をこのメールの 最後に置きました。作家を気取る100の実験12号のなかのお金を出さないプロで無い 人間が批評をする場合はとか最近は物騒で爆弾を送りつけたりという文を見て その本意を思い倦ねているうちに時間が経ってしまい書評を書く事がずいぶんと 遅くなってしまった事をお詫びします。 また同じ号の作家を気取る100の実験の中で英語のダメだしを期待されているとあり ますが,これはMLに送った書評には含みませんでした。実際にMLで書評を読んだメン バが木棚さんのホームページに行かれ,英語のダメだしを期待しているからそれを書 き加えて完全な書評にするようにとアドバイスを受けたので,それらについてぼくが 感じたことを以下に書きます。それと断っておきたいのですが,ぼくは文学を志して いる者ではありませんし,英文学の素養も無い者です。今まで受けてきた教育も文学 には関連の無いものです。はじめに英語のダメだしと書かれたのを見たときには勘違 いをされているのではという感を拭う事が正直,できませんでした。アメリカに住ん でいるすべての日本人が英語ができると考えるのは間違いだと思います。木棚さんが いろいろなところで書かれたものを見ますと押韻にこだわった詩などを日本でも模索 するべきとありますが,詩や小説などを書くことを志されるのでしたら,ぼくなどに 英語のダメだしを期待されずに,ご自身でしかるべき英文,ギリシア語,ラテン語な どで書かれた本を読むとともに,大学などの研究機関などで研究されるのがよいので はないかと思います。木棚さんは英文を使う事をとても重視されているようにお見受 けしますが,ラテン語なども視野に含められてはいかがでしょう。木棚さんは年令が まだ26才と随分お若い訳ですからもっといろいろなことに挑戦して欲しいと思います 。ぼくは学生の頃,ほんの少しラテン語を齧ったのですが,結局,身に付きませんで した。しかし英語圏で暮らしてみると文学とは関係無い分野にいてもまともな教育を 受けたひとの間では日本で考えていた以上にラテン語の詩などが身近なものであるこ とを実感して改めて若い頃に勉強しなかったことを後悔し,少年老い易く学成り難し という言葉を実感していますもので。それではこれより文体演練法の中で気が付いた ことについて書いていきます。 まず,目に付く事は日本語ワープロを使って全角で書かれていてシラブルに関係なく 行末では改行というフォーマットになっていることだと思います。せっかく書かれる のですから,ハイフネーションなどをシラブルを調べられてされたらよいのではと思 います。書きっ放しという印象を受けます。日本語ではすべて全角文字で表現でき, 原稿用紙もそのための形態だと思いますが,英文ではジャスティフィケーションやハ イフネーションと言った日本語とは別の美しく見えるためのフォーマットがあると思 います。 英文風味の中で使われている単語が童話には難しすぎるものが含まれているように思 います。童話ではいかに平易な言葉でいきいきと目に浮かぶように記述できるのかと いうことが腕の見せ所のように思います。志賀直哉がよい文章を表して目に浮かぶよ うだと言ったということに考え方としては通じるところがあると思います。 英文風味の中では関係詞が使われていますが,童話に関係詞というのはなじまない気 がします。題材が題材ですから書き手の手抜きと言うか怠慢というかそういう印象が 意図しないにせよ伝わってしまうのでは無いでしょうか。このような効果は意図して いないと思います。 英文風味の中での冠詞,定冠詞の使われ方がどうもしっくりこないように思います。 この辺は日本人には身に付かないという意見もありますが,ぼくは日常,心掛ける事 で問題がないレベルになると思っております。これは多くの文章を英文で書く事で身 に付く事だと思います。 英文風味の中で俗っぽい単語というか言い回しが使われていますがそのような表現を 使う事は童話らしさを隠してしまうと思います。英文風味桃太郎では童話らしさを狙 ったのでは無いのかもしれませんが,そうだとしたら,是非,和文であったオリジナ ルに相当するものを入れるべきであるように思います。通俗表現かどうかはなかなか 日本語をメインに使っている人間にはピンとこないと思いますから,はじめのうちは そのための辞書を面倒でも使われてはいかがでしょうか。言い回しについてはぼくは Houghton Mifflin Companyから出版されているChristine Ammer著の"The American H eritage dic-tion-ar-y of IDIOMS"という定価が$30のハードカバーのものを使って います。このようなものが$30で買える事や本屋さんでは買えない1000円のものの例 として『永久保存版「萬晩報縮刷版2号」』(http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc0 017/shuku2.htm)などがあることを考えると文体演練法が1000円というのは,原物を 地方で文体演練法を直接手にとり内容を全部見る機会が無いひとが抵抗なく買える値 段では無いように思います。萬晩報の方は毎回,記事がメーリングリストで送られ, それを読んだひとが記事を本の形で欲しいと思い注文する訳ですから現在の木棚さん のすべての内容を買うひとは確かめる事ができないという売り方の形態に比べて買い 手が同じ値段の物でも納得ずくで安心して注文する事ができると思います。このよう な方法も参考にされてはいかがでしょう。 揚げ足取りのように感じられると思いまし,書くのも心苦しいのですが,和文の作品 の中では一貫して"しば"にあたる感じとして草の"芝"が使われていますが,これは雑 木の"柴"とするべきもののように思います。英文風味の中でも同じように"lawn"とな っています。ウェッブの中でタオルと日本手拭いの違いなどを書かれている木棚さん らしくない印象を受けました。 文体演練法の中にある作品は日本語以外では英語だけですが,これは現在の一般的な 日本人の英語イコール外国語というステロタイプな考え方そのものという気がします 。一般的な教育(水準)から逃れて自由に文章を考えることの難しさということを考え させられました。いろいろな文体を模索されている木棚さんにはもっといろいろな言 葉で書いて欲しかったと思います。実験的な試みですから文がその言語を母国語とす るひとから見て正しいとか正しく無いといった既成の概念に捕われずにインターネッ トのウェッブ上にある翻訳エンジンなどを使い,その出力をまとめるというような形 でもなにか発見があるように思いました。 思い付いた事を挙げますと上のようになりますが,英文風味以外のことも上記の事柄 はMLへの書評に含めることは気が退けましたので入れておりません。これが"No12【 賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】"で木棚さんが触れたお金を出 さないプロで無いひとが批評するときの礼儀ということに対するぼくの答えです。 書評とは直接関係ありませんが,文体演練法の正しい表記はどのようにするべきと作 者である木棚さんは考えておられるのでしょうか。実際の本の表紙にあるタイトルを 見ると"文体演練法"とあり,また各号の作家を気取る100の実験の冒頭にある売れた 分の統計の中でも"文体演練法"の表記が使われていますが,作家を気取る100の実験 の本文中では練の代わりに鉄を錬る方の"文体演錬法"の表記となっています。このメ ールの中ではMLに紹介した書評の中で作家を気取る100の実験の12号で木棚さんがぼ くへ送った部分の紹介の部分のみ文体演錬法の形とし,それ以外の部分はすべて文体 演練法で統一させていただきました。この辺を作家を気取る100の実験の中などで統 一した方が木棚さんの文章を読んだひとたちが文体演練法に興味を持つようになるの ではないでしょうか。現在の二つの表記が混用された状況では,人間の子供の場合に は親が子供の名前の表記をいつも統一しないということはないように思うことを考え ると,つまるところ作者が自分の作品への愛情を持っていないというように見えてし まうと思います。作家を気取る100の実験の中の言葉は作者の気持ち,考えを写し出 す鏡だと思います。作者が好きで無いと思っているように感じている(という風に文 章では読める)本を木棚さんは読者が買うのでは無いかと思っている姿勢,言い換え ると世間を舐めているという態度が感じられます。作品を売りたいのなら,まずその 辺の心構えも見直されてはいかがでしょう。 ところで,木棚さんのことを知ったのは羊5さんのところで木棚さんが小室批判の文 章を寄せられていたことがきっかけでした。今日,羊5さんのページを見たところ, 木棚さんの小室記事が無くなり,木棚さんへのウェッブサイトへのリンクも無くなっ ていることに気が付きました。羊5さんの所での文章を見なければ,今日,木棚さん の発行する不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】や ウェッブページ,ましてや文体演練法に出会う事は無かったと思いますからとても気 になるところです。実は作家を気取る100の実験のMLが始まってすぐに木棚さんのペ ージを見たときには正直,文体演練法にはあまり興味を持ちませんでした。そのとき ,ウェッブの注文は日本国内だけを想定されているのを見て欲しいと思う気持ちが無 くなっていたのですが,その後,作家を気取る100の実験10号などに羊5さんが欲し いと言ったというのを見て無性に欲しくなってしまったという経緯もあります。ほん やら堂に羊5さんや木棚さんが書かれていたのにどうして羊5さんのウェッブから木 棚さんに関することが消えてしまったのかがとても気になります。現在の木棚さんの ウェッブでの日記にある小室批判ではあまりにも目立たなくて,一般のひとの目に触 れる事はないのでは無いかと思い,残念に思います。文体演練法を受け取ったときに 内容を見て頭を抱え込み,2月に木棚さんのホームページなどを見てときには羊5さ んのところの木棚さんの文章はあった記憶があるのですが,何があったのでしょうか。 MLへの書評に書きましたが,木棚さんの批評はとても好きです。それに対してそうで ない文章を書いたときの木棚さんの文には批評のときの鋭さがまったく見られません 。いろいろ考えてみたのですが,文体などにこだわるよりも,本当に書きたいという か人に伝えたいもの,人と分かりあいたい思うものを見つける事をした方が作家にな る近道のように思います。批評をしているときの木棚さんはその批評を本当にいろい ろなひとに理解して欲しいと考えているのだと思います。だからこそ,あれだけ鋭い 文章が書けるのだと思います。文体を磨くというのはその後にある問題だと思います 。文体を磨くのに費やす労力のホンの少しでも伝えたいものを探す事に使われるとよ うにしたらどうでしょうか。僭越とは思いますが,付け加えさせていただきます。 これからも【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】を楽しみにして おります。木棚さんの作家としての活躍をお祈りしております。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□