■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第189号       2008/10/8発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 0ごあいさつ 最近、やる気がないだけではなくて、 すべてに関してどうでも良いのではないかと思い始めている木棚です。 例えば、 0−1ゼロアカ道場に関して 非現実(バーチャル)の祝祭(カーニバル) http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/zeroaka/youyaku/05.html これの元ネタは荻上チキ著「ウェブ炎上」ISBN:4480063919じゃない? と思った。 『砂漠化、殺す気か』 http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/zeroaka/youyaku/03.html これの元ネタは浅田彰著「構造と力」isbn:4326151285第六章の 「3 砂漠へ」だと思う。 てなこともあるのですが、実際の所どうでも良く。 0−2アメリカの金融危機に関して 柄谷のNAMが正しいことを逆説的に証明してしまったなぁと 思ったりしています。 柄谷行人は お金がなければ個人で地域通貨をどんどん発行して流通させれば良い みたいなことを言っていて、常識的に考えれば 個人で紙幣を発行して使うって、おかしいのですが いまアメリカで起きていることやバブル時代の日本で起きていたことは正に そういうことで。 田中森一のインタビューとか見ると、 バブルで儲かっていた時代、金余りで融資先がないので 銀行は金を貸したいわけです。 そしたら、ペーパーカンパニーを作って、銀行から大量に融資を受けて 債権を売りさばいて、手形を大量に発行して、 何百億円借金してペーパーカンパニーを潰す、みたいな 古典的と言えば古典的なサギをしているわけです。 手形や株券は企業が発行する紙幣みたいなもので 最近では1円で株式会社を作れたり、 アメリカだとミュージシャンの原盤権とか映画や書籍の版権とか 何でもかんでも債権化できるわけです。 私が、いま一番売れているミュージシャン、 仮にマイケル=ジャクソンなら、 マイケル=ジャクソンみたいな音楽をやっていると吹聴しましょう。 実際にミュージシャンとしての活動実績とかは要らないわけです。 マイケル=ジャクソン並みのミュージシャンだという広告だけして まだ作っていないCDの原盤権を債権にして、 株式市場にでも売り出したとしましょう。 マイケル=ジャクソンバブルみたいなものが仮にあれば、 インチキなペーパーカンパニーの債権が高値で流通するわけです。 市場に出回った債権は紙幣と同じ物として取引をされるわけです。 バブルの崩壊は、ある日突然、 その紙幣が無価値になることで発生します。 紙幣として流通していた土地の権利書やIT企業の株券が 無価値になれば、企業間の取引が不可能になる。 現在、企業間の商取引で流通している有価証券の流通量は 紙幣の何千倍だと聞きますが、その量の証券が無価値、 もしくは暴落するというのは、 ある日突然、不換紙幣の価値が無価値になり、 硬貨しか使用できなくなるのと似ています。 家の家賃やローンの支払いも、硬貨でお願いしますと言われれば それまで紙幣では支払えていた支払いさえ滞るようになる。 国が発行する紙幣の何千倍もの紙幣が企業や個人発行で流通していて それらの企業・個人発行紙幣の価値が突然なくなると 健全な企業すら倒産に追い込まれる。 だからといって、すべての企業・個人発行紙幣の価値を国が補償すると ペーパーカンパニーを使って、 大量に紙幣を発行するサギ集団の手助けにもなってしまう。 そんなことを思ったりもしますが、すべてはどうでも良かったりします。 1自然主義の時代とその前後 文学史に対する自分なりの大雑把な理解を書くと 1800年〜1910年 ロマン主義時代   ↓ 1850年〜1910年 自然主義時代   ↓ 1920年〜1930年以降 現代文学(推理小説・SF小説) という感じです。 ロマン主義の時代については散々書いてきたのですが 職業作家と言えば、劇団の座付き作家を意味して、 シェークスピアに代表されるように、詩人と言えば、脚本家を意味し 文学と言えば舞台芸術(演劇・人形劇・お笑い・音楽など)を 指した時代です。 自然主義時代は、活版印刷術の発明と普及があり、 鉄道網・郵便網の発達によって全国一律同一料金で新聞・雑誌が 買えるようになった時代です。 それまで都市部でしか見れなかった演劇の情報が 地方都市でも新聞を通じて知ることが出来るようになった時代です。 産業革命との関係でいうと、1760年代にイギリスで産業革命が起きて それがフランスによって発見されるのが約百年後、1850年代だとして 産業革命の発見と、自然主義時代の到来は同時期である。 (wikiによると「産業革命」という言葉が初めて使われたのは 1837年。語として広まったのは1844年。) 新聞の大衆化で、国中の人が同時に共通の話題を共有するようになる。 これはナショナリズムの下地となると共に 国民作家を生み出す下地にもなります。 また、印刷技術・郵便網の発達による三文小説の誕生は、 出版専門の職業作家を生み出します。 現代文学との対比で言えば、第一次大戦後の1920年代には トーキー映画が生まれて、歌あり・笑いあり・演劇ありといった 舞台芸術が、映画といった形で、地方都市でも中央と時間差なしで 見れるようになります。 また、1920年は アメリカで世界初の商業ラジオ放送が始まります。 これによって 1920年代アメリカのジャズエイジ、 1950年代アメリカのフィフティーズ(ロックンロール)。 といった音楽産業が誕生し、国を代表するメディアが 新聞から、映画・ラジオ・テレビに移り、 ポップカルチャーを代表する商品も、 大衆小説からレコードや映画に移っていきます。 (LPレコードの誕生が1947年。  これが50年代のロックンロールへつながります) ロマン主義時代(演劇の時代)から 自然主義時代(新聞・出版の時代)を経て 現代(映画・ラジオ・テレビの時代)へという 三つの時代が、それぞれ 出版産業の誕生期から繁栄期そして衰退期へ という流れになるのだと思います。 日本でいうと江戸時代から寄席で講談があって、 集客力がある講談を講談本として出版するところから 講談社などの出版社は生まれて、 講談で上演されていない話を新講談として出版したのが 日本における大衆文学の起源とされているわけです。 映画が発明されても、初期のサイレント映画の場合、 上映の際、活弁師が熱弁を振るうわけで これは活弁師の講談を聞いているのか 映画を見ているのかが、まだ曖昧な状態です。 例えるなら、大学教授が講演会でプロジェクターを使って 講義をする時に、プロジェクターに映された映像がメインなのか 講義をする大学教授がメインなのかというのに似ています。 これが1927年にトーキーが上映されると、 活弁師なしの単独の映画で成立するようになるわけです。 その辺りから、国民全体が同時に同じ情報を共有するメディアとして 出版以外に映画・ラジオが前に出るようになってきます。 1400年〜1600年 ルネサンス 1400年〜1600年 大航海時代 1440年頃 グーテンベルクによる活版印刷術の発明 1500年前後 ルターの宗教改革。プロテスタントの誕生 1550〜1600年前後 シェークスピアの活躍 1600年〜1750年 バロック 1600年前後 オペラ誕生 1750年〜1800年 古典主義。 1750年〜1850年前後 イギリスで産業革命 1775年〜1783年 アメリカ独立戦争 1800年前後 フランス革命&ナポレオン帝政 1800年〜1910年 ロマン主義時代 1801年 英国、アイルランドを統合。 1830年代 ペニー・ドレッドフル(三文小説)誕生 1833年〜41年 N.Y.で1セントの      ペニー・パイパー各紙が発刊される。 各国で新聞の大衆化が起こり新聞が企業化産業化する 1840年代末 ラウトリッジ(Routledge)社が     「鉄道文庫(Railway Library)」シリーズの刊行 1843年 ポー「黄金虫」「黒猫」発表。 1850年〜1890年イエローバック発行 1850年前後 写実主義(フランス) 1850年〜1900年 自然主義時代 1850年 産業革命の発見。フランスで産業革命。 1850年〜1900年 国民学派(音楽・ロシア・北欧・東ヨーロッパ) 1860年 W.H.スミス社駅の売店で貸本業を開始(英国) 1868年 明治維新 1869年 アメリカ大陸横断鉄道開通 1877年 蓄音機の発明 1887年 円盤型蓄音機の発明 1902年 複数の場面を持ち、物語性のある初の映画が誕生 1914年〜1918年 第一次世界大戦 1920年代 スペースオペラ誕生 1920年 ラジオの商業放送はじまる(アメリカ) 1925年 ラジオの商業放送始まる(日本) 1927年 初のトーキー映画公開 1935年 初のカラー映画公開 1939年〜1945年 第二次世界大戦 1947年 LPレコード誕生 1920年〜1930年以降 現代文学(推理小説・SF小説) 参照HP レコードの歴史 http://www.terra.dti.ne.jp/~yymatsu/recording/ 2隠蔽された自然主義時代 産業革命・帝国主義・軍国主義・自然主義。 この辺りは、割とパラレルでつながっていて、 産業革命によって、手工業時代の何万倍もの量の工業製品を 蒸気機関で作れるようになります。 大量に作った商品を売りさばくのに、 大きな統一した市場が必要になります。 関税のない自由貿易や鉄道網・郵便網の整備、 植民地=国土の拡大。 これらは産業革命から必然的に要請される物です。 1850年〜1900年の音楽における国民学派は ヨーロッパの少数民族が自民族に古くから伝わる音楽を クラッシックに取り入れたある種の民族主義ですし、 この時代に出てきた新聞というメディアも、 政府の公式発表を載せるメディアであって、政府を批判する論調を書いて 政府の公式会見に呼んでもらえなかったり、情報をもらえなかったりすると 困るわけで、基本、大本営発表なんですよ。 日本において朝日新聞の購読者が飛躍的に伸びるのは 日清戦争と日露戦争時で、自分の息子や夫が戦場に行っている中 その安否を知るために新聞を買うわけです。 日清戦争後の発行部数の減少を食い止めるために 夏目漱石の連載小説があったわけで、 新聞社は戦争がないよりあった方が儲かるわけです。 村上龍と村上春樹の対談本「ウォーク・ドント・ラン」を見ると ヘミングウェイは戦争がなければ、小説を書けなかったのではないか みたいなことが言われています。 新聞社の仕事は、いま話題になっている大事件のあった場所、 犯罪が起きたり、社会問題になっている場所に行って、 何が起きているかを体験して記事にすることなのですが 一番大きな社会問題は戦争なわけで、従軍記者として戦場に行って 文章を書くには、戦場で政府に身を守ってもらわないと 単独では動けないわけで、 そこで記事を書くには当然ある程度政府寄りの記事になるわけで 新聞社・出版社・小説家の戦争責任は、そこに当然発生するわけです。 別冊宝島「わかりたいあなたのための現代美術・入門」に 戦争芸術関連の話が載っているのですが 近代の帝国主義時代において、戦争をして国土を広げることは 正しいこととして認識されていたわけで、 戦争は悪だという認識が広まったのは二度の大戦をはさんで 現代に入ってからで、当時正義だとされていたことをやった人間を いまの倫理観で悪だからといって裁けるかというと、非常に難しい。 戦争は万博やオリンピックを超える国家規模のイベントで 多くの予算や名声が国から芸術家に与えられるわけで そのイベントに参加しないという行動は高名な芸術家であるほど難しいし 国家総動員法が施行されれば、あらゆる物が配給制になるため 国に申請しなくては画材も手に入らないわけで、芸術家を続けていくには 戦争協力するしかなかったわけです。 戦後、戦争責任を追及された芸術家を象徴する日本人と言えば 藤田嗣治(ふじた つぐはる)になると思う。 彼個人が日本政府や日本国民から受けた仕打ちはひどいものだと思うし 彼の名誉を回復させるために、多くの人が彼を擁護する気持ちも分かる。 藤田は戦争協力の絵画だけでなく、戦争批判の絵画も描いていたし 彼よりも戦争に協力的な画家はいっぱいいて、それらの多くが 戦後何の責任も取らず藤田一人に罪をかぶせたというのも分かる。 その上で、藤田が戦争協力で描いた絵を見ると、圧倒的に感動するし 現代の倫理観を持っている自分が見ても、戦争志願しようかと思うぐらい 心を動かす絵になっている。 藤田よりも戦争に協力的であったが 戦後に戦争責任を追及されなかった画家の絵を見ると 藤田よりも圧倒的に下手なんですよ、絵が。 この絵じゃ誰も志願兵にならないよという絵で、 戦争責任が発生しないんです。 私が見た藤田の絵は、歩兵の腰から肩辺りまで伸びた草むらで 戦車と戦車の間にロープを張って、洗濯物を乾かしている絵で 牧歌的で懐かしい望郷の思いが沸いてくる絵でした。 それまで、人々を戦争に駆り立てるファシズム(熱狂主義)というと ナチス型のカッコ良い勇ましい物をイメージしていたのですが 日本の軍歌や国歌、保田與重郎の文章からは、そういう物が感じられず どうやって人々を熱狂させていたのか不思議だったのですが その絵を見て思ったのは、勇ましくカッコ良い軍歌ではなく スコットランド民謡の「蛍の光」のような懐かしくて センチメンタルな感情で祖国を守り闘おうとしていたのだと感じました。 今でいうと、昭和30年代ブームのようなノリで わらぶき屋根の木造家屋で、いろりで土鍋を囲みたいよね という方向の愛国心なんです。 いまネットで「藤田嗣治」を検索すると、 彼が描いた戦争の悲惨さを表現した絵が出てきたり 「戦争芸術」で検索すると戦争批判の芸術が出てきたりする。 でも本来、大戦前の帝国主義時代にリアルタイムで表現された戦争芸術は 戦争協力の芸術であり、戦争賛美の芸術であったはずで、 それをいまの倫理観に照らし合わせて、内容を改編しているのは ある種の隠ぺい工作なわけです。 文学史でも美術史でも音楽史でも良いのですが 戦時中に関する記述が、 戦争で国土が荒れて目立った芸術は出てきませんでした という嘘がまかり通っていますが ナチスドイツが映画にどれだけの情熱を注いだのかを考えても 国家の一大イベントである戦争に、 マスメディアや芸術家が噛んでいないはずがないわけです。 3第七回文学フリマ http://bunfree.net/ 11月9日(日)11:00〜16:00 会場は書泉ブックタワーとワシントンホテルの間にある 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第2展示室 地図 http://bunfree.net/?%C3%CF%BF%DE 秋葉原にて開催される第七回文学フリマに出ます。 一階A−84で渡邊利道さんと出店します。 ポエトリーのCDを出すつもりです。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□