■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】  第183号       2008/5/16日発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ お久しぶりです。木棚です。 春の文学フリマ当選者リンク集 http://d.hatena.ne.jp/kidana/20080229 なんてのも作りながら、ダラダラ生きています。 2日本におけるロマン主義の輸入 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/182gou.txt 前回のメールマガジンの続きですが 文学史 1800年前後 フランス革命&ナポレオン帝政 1800〜1910年 ロマン主義。 1850年〜自然主義(文学)=国民学派(音楽) 1850年〜1890年イエローバック発行 1868年明治維新 1900年9月夏目漱石、ロンドン大学へ留学。 1903年1月夏目漱石、帰国。 1904年田山花袋、評論「露骨なる描写」発表。自然主義文学の分野を自覚。 1907年夏目漱石、教職を辞職し朝日新聞入社。 1907年田山花袋「蒲団」発表。 1924年同人雑誌「文芸時代」創刊。新感覚派形成。 参照リンク http://www.library.tohoku.ac.jp/collect/soseki/soseki.html 前回のメルマガだと、ロマン主義から自然主義へという流れになるのですが 日本が文明開化をした明治期には、西洋では自然主義全盛期で まず、自然主義が輸入されて、そこからさかのぼる形で ロマン主義が輸入されます。 西洋だと、ロマン主義は大衆的な娯楽の色彩が強く、 自然主義の方がインテリ向けだったりするのですが、 日本だと、自然主義(私小説・プロレタリア文学)の方が 西洋からのリアルタイムでの輸入で比較的インテリ色が薄く そこから、過去にさかのぼってより深く古典を追求したインテリ層が ロマン主義、反自然主義の流れに組みするので その辺の捻じれや逆転現象は起きています。 少し脱線しますが、飲み会に行ったら「君の言説は厳密さがない」と言われて まあ、自覚的にそうしている所もあって、 厳密さと分かりやすさの両立は非常に難しいです。 例えば「カントはドイツの哲学者だ」とよく言われるのですが、 厳密にはカントの生きた時代には、ドイツは存在していなくて プロシアの哲学者になる。 プロシア政府は後のドイツ帝国の中心になるのですが 地理的には、いまのロシアの位置にあって 「カントは政治的にはいまのドイツに連なるが、 地理的にはいまのロシアにつながる哲学者だ」 とか、言い出すと文章が無意味に長くなりすぎる。 学術論文なら、長く読みにくくなっても、厳密さを追求すべきだが 私の文章はそこを目指してない。 日常会話や啓蒙的なメールマガジンでは「カントはドイツの哲学者」で 良いのではないかと思う。 同じような話で、西洋のロマン主義の極限として フランスのシュールレアリズムがあったとして 彼らが、ロマン主義文学の頂点として崇めた文学の一つに シェークスピアがあるが、 シェークスピア自体はルネッサンス期の作家で、 シュールレアリストたちよりも200年も過去に生きていて 彼らに発掘されるまで忘れられていた、評価されなかった時期が 200年もある。ロマン主義の典型としてシェークスピアを持ってくると 時代設定がぐちゃぐちゃにズレる。 話を戻すと 西洋 ロマン主義=大衆向け=自然主義より古い 日本 ロマン主義=インテリ=自然主義より新しい こういうややこしい話はどうしても出てくる。 夏目漱石は明治政府の金で留学した最初の民間日本人であり 彼の使命は18世紀19世紀の英文学の輸入であった。 1701年〜1900年までの英文学の輸入が仕事であり その中にはロマン主義文学も入ってます。 漱石は東大を出て、明治政府のロンドン留学生募集の公募論文で トップを取ってロンドンへ留学したいわばエリートです。 受験勉強を一所懸命やって、芸能や娯楽の誘惑を断ち切って 勉強だけをしてきた文学部の優等生にありがちな虚無感を 漱石は味わってます。 岩波書店の夏目漱石全集には漱石の個人日記や手紙や借金の申込など 出版されることを前提としない物が多数収録されていて 生々しいのですが、それを見ると 漢文学に憧れた漱石が、漢文学のようなものと思って英文学に接し 英文学者として留学までしたが、英文学と漢文学はまったくちがって 幻滅したという話が載っています。 漢文学は四書五経が官吏登用試験に出題されたように 受験勉強のようなものであり、勉強すれば良い大学に行けたり 高級官僚になれたりする官製の文学です。 対する英文学は、トリストラム・シャンディ (日本に最初に紹介したのは漱石だと言われる)で主人公が読者に語りかける 呼びかけが「ご婦人方」「奥様方」で、 想定読者はメロドラマを見ている既婚女性になっている。 昼メロ・ソープオペラ・ハーレクインロマンス辺りの読者が想定購買層だ。 小説家になってからの漱石が書く小説もほとんどが若夫婦のメロドラマで これが、漱石の目から見た英文学の姿だと思われる。 人生や政治や法律について書かれた漢文学のような受験勉強が好きで 英文学もそれと似たものに違いないと思い勉強したら、 英文学はむしろ娯楽や芸能に近いものであった。 そして英文学の専門家として、政府に認定されて英国に来た以上 それらの娯楽&芸能の紹介&創作をせざるを得ないのだが 芸能や娯楽を見下して、受験勉強や学問一筋で来た人間に 「明日から芸能人になれ」つっても無理じゃん。 これは漱石だけの問題でなく、いまの純文学作家志望者を見ても 一流大学の文学部創作科を出た受験エリートが 学問として純文学を極めたい…みたいな志で 純文学雑誌に小説を投稿している。 でもそこで要求されている文学が、綿矢りさのインストールみたいに 上戸彩主演で映画化されるような物であったときに 学術と芸能の板ばさみでぐちゃぐちゃに悩む自意識みたいな物は 漱石だけじゃなくて、大塚英志−笙野頼子の論争にも 表れていると思いますし、いまの若い書き手の人と飲んでても http://d.hatena.ne.jp/kidana/20080318 感じます。 上記の飲み会で私は「ロマン主義=舞台芸術=芸能」という 定義が間違えていると、批判を受け、 横光利一の「純粋小説論」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html にあるように、 「通俗小説と純文学とを一つにしたもの、このものこそ今後の文学だ」 と批判を受けた。 また、私は「小説家を目指すなら百万部売らなければならない」 と言って冷笑された。 上記の飲み会で、松平耕一さんは法政大学院国文学科卒の30歳で、 文芸評論家のすが秀実さんなどの教えを受けていたりもする。 藤田直哉さんは早稲田大学卒の24歳で、 SFマガジンで評論賞を受賞している。 共に私などより良い大学を出ている人たちだ。 藤田直哉さんは純文学雑誌に小説を投稿したりもしているらしい。 お二人とも小説家や評論家として食っていきたいと思っているようだ。 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/180gou.txt の3−6「プッシュメディアとプルメディア」で書いたが 無作為配布したチラシの平均広告効果は0.2%。 ラーメン屋の開店チラシなどで 「このチラシを持ってくれば、50円割引」などにして チラシの回収率=集客率を調べると、 回収できるのは通常500分の1だ。 売れている女性週刊誌・音楽雑誌、女性自身やロッキンオンの 発行部数は公称30万部ぐらいで、 一部に熱狂的ファンがいるB5判のマニア雑誌、 「QJ」とか80年代の「宝島」とか「ラジオライフ」とか A5ぐらいの小さい版型の雑誌で公称5万部〜3万部。 仮に5万部発行の雑誌に広告を打つのと、 5万枚のチラシを撒くのが同じ広告効果を持つとしよう。 厳密にはチラシは無作為配布だが、雑誌は ファッション雑誌にファッションの広告を載せて、 音楽雑誌に音楽の広告を載せれば、元々ファッションならファッションに 興味がある人に届く分広告効果は高いが、今回それは除外しよう。 テレビのゴールデンタイム〜プライムタイムの視聴率が 平均10%で1200万人ぐらいが見ているとして、 これも、1200万人にチラシを配ったのと同じ効果があると仮定しよう。 五万部の雑誌に広告を打つと、500分の1、 百人ぐらいの集客力がある。1980年代の宝島だと、 ライブハウスで活動しているインディバンドの記事や広告が載っていた。 ライブハウスの席数はスタンディングで百〜二百も入れば満員だろう。 ファッション雑誌を例に取ると、モデルが着ている服のアイテム名と 値段の横に販売店の住所や電話番号が載っている。 そのブランドを扱う直営店が1〜5店舗ぐらいだと、 五万部の雑誌に載って百人新規の客が来れば、 広告の費用対効果としては合格点だろう。 小売店一店舗が一ヶ月営業するのに必要な売上げが仮に 最低五百万円ぐらいだとして、 ブティックの商品が平均一アイテム五千円で 月に一人平均一万円使ってくれるお客さんが五百人いれば 成立するとして、五万部発行のファッション雑誌に広告を載せて 通常のチラシであれば、その0.2%しかお客さんにならないが ファッション雑誌にファッションの広告を載せた場合、 元々ファッションに興味があり、服を買いたい読者に向けて 情報を発信しているので読者の1%がお客さんになったとすれば そのファッション雑誌の広告効果で訪れるお客さんだけで その小売店の販売ノルマは達成できる。 コミケでオタクが着る服として有名になったブランド「ピンク・ハウス」 なんかでも公式HPを見る限り直営店は2店舗しかない。 五万部規模の雑誌が取ってきやすい広告は 一店舗〜数店舗ほどの規模の小売店の広告で、 女性向けファッション雑誌が何誌も出ているのは、 広告主にとって独自ブランドを広告してくれる ファッション雑誌のニーズが多いからなのだと思われる。 クイックジャパン(以下、QJ)の表紙が最近、TVレベルで人気の お笑い芸人(ダウンタウン・爆笑問題)で、記事もテレビネタが多い。 元々は足で稼いだ独自情報を載せる街ネタ雑誌だったと思うのだが 上の方針で表紙にはテレビレベルで有名な人を 持って来なくてはいけなくなったらしい。 QJの正式な発行部数は知らないが、 一番売れた号がエヴァンゲリオン特集号で、三万部ぐらいだと聞いている。 仮にQJの発行部数が二万部ぐらいだとして、 二万部売るために表紙に有名人の写真が必要なのだとしよう。 テレビの視聴率が10%で1200万人が見ているとして、 そのぐらいの数の固定客を持つ有名人を表紙にすると QJのビラを1200万人に撒いたのと同じ広告効果があるとする。 広告を受け取った人が商品を買う確率が平均0.2%だとすると、 1200万人÷500=2万4千人ぐらいがQJを買うことになる。 つまり、テレビで10%ほどの視聴率を常に取っているタレントを 表紙に起用すれば、QJの販売ノルマは計算上達成できる。 ←広告される側             広告する側→       小売店――――雑誌――――TV 顧客数  500人―――3万〜30万人―――1200万人 小売店から雑誌に対して500倍 雑誌からTVに対して500倍の顧客がいる。 小説家志望者(小売店)が、文芸誌に小説を投稿して、 雑誌レベルに著名な書き手になりたいと思っているとして 雑誌の編集者は、TVタレントを雑誌に呼んで雑誌を テレビレベルで有名にしたいと思っている。 3文庫本の棚を書店に確保する方法 「**文庫」というレーベルを新しく立ち上げたとしよう。 出版社営業部員の最初の仕事は書店に**文庫棚を確保することだ。 書店にあいさつに行って、営業して本を置く棚を作ってもらう。 一日に四百冊も新刊が出るといわれる現在、 書店も売上げの上がらない棚を確保するわけには行かない。 すると「**文庫」の本をこれだけ売れていますという実績を 書店に示さなければいけない。 そのとき、必要な売上げが百万部だと言われている。 「**文庫」もしくは「**出版社」でも可だが、 そこから百万部売れた本を出さなければいけない。 2〜3年に一冊、自社レーベルから百万部のベストセラーを 出さなければいけない。これが書店に棚を確保する際のノルマだ。 それ以外に棚を確保するには、雑誌を出し続けるという方法もある。 月刊で文芸誌を出していれば、そこで連載されている小説の書籍化作品は 書店に置いてもらえる。 文芸誌を出すには書籍を出すのと同じぐらい印刷代が掛かるし 一号につき印刷代だけで100万円はするだろうし、 年に十二号出せば千二百万は掛かる。 もちろんそれ以外に、書き手の原稿料や編集者の給料や 編集部のオフィス代など、諸経費は掛かるだろう。 雑誌を出し続けて棚を確保するにも、 結局2〜3年に一冊は百万部を出さないと雑誌自体が出せなくなる。 もう少し別の方法だと、書店の棚をこっからここまで、 月いくらで出版社が借り受けるという方法もある。 新宿紀伊国屋書店の一階のフロアは全部出版社に貸していて 本の売上げはゼロでも紀伊国屋は黒字になるのだという。 これらの話を前提に、 ガガガ文庫でもルルル文庫でも講談社BOX文庫でも、 何でも良いのだが、新しいレーベルが立ち上げられて、 そのレーベルで新人賞を公募していたとして 2〜3年しても百万部売れる本がそこから出てこなければ そのレーベルがなくなることは確かで、だとすれば、そこの社員は 百万部売れる本をそこから出したいはずで、 その場合の百万部は映画化かドラマ化かアニメ化されるわけで 映像化によって百万部売れるかどうかを基準に応募作を読むと思うんだ。 百万部に届かない小説を編集部の力で下駄を履かせて百万に届かせるには 映像化が一番メジャーな手段で、 映画化されて全国ロードショーというのが 一番広告効果が高いとされている。 メジャーな映画会社から映画化されれば、TVCMは流れるし、 雑誌広告も打つし、主演俳優はワイドショーで映画の告知をするし、 ロードショーが終われば、ビデオやDVDになって販売・レンタルされるし その後、TVで放映されたり、メディア露出は高い。 単純にテレビドラマ化されてワンクール 三ヶ月、週一で12回放映されて、平均視聴率10%だとして 日本の人口を約1億人だとすると、一回の放送で一千万人、12回合計だと のべ一億二千万人が観た計算になり、 この広告効果を0.2%で計算しても24万冊本が売れる計算になる。 4あとがき http://d.hatena.ne.jp/kidana/20080318 飲み会の話に戻るんだけどさ。 俺が「俺は本を百万部売るんだ」と叫ぶと 若い二人はドン引きで「もう少し謙虚に、足元を見て」と言うわけさ。 でも、俺が編集部の人間だったらさ、百万部を目指さない書き手より 百万部を目指す書き手を採用するよ。 一冊四百円の文庫本を三万部売る書き手が何人いても 書店に棚を確保する力にならないなら、 出版社の営業部にとって魅力的な書き手を目指すしかないと思う。 「俺の書く小説は著作人格権を伴った表現だから 勝手にアニメ絵の挿絵を入れたり 映像化したりすることは許さない。 活字は活字で独立した作品としてみてもらいたい。」 と言っている書き手より 「テレビで1200万人の人に観てもらえる、 映画で百万人の人に観てもらえる。 そして、百万人の人に読んでもらえる。そういう小説を書きたい。」 という書き手の方が「謙虚に、足元を見て」いると思う。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□