■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第17号 2000/2/13発行 現在の購読者数243人 会社員時代にもらった金で、100冊も同人誌を作ってしまった私が、 書籍コードの無い本を抱え、この本を扱ってもらえる書店をめぐる日々の日誌。 現在の在庫状況 文体演練法63冊 寓話集49冊 最悪な気分66−3冊 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 2純文学=一人称/大衆文学=三人称(続き) 3短歌風味桃太郎の失敗 1ごあいさつ 安池さんからメール頂けて嬉しかったりしてるのですが、 基本的に私、学校の教科書レベルのことしか書けません。 でも、教科書レベルの事実確認からスタートして 純文学と大衆文学の境界線なんてもはや存在しない なんて言われてる時代に、 純文と大衆文学の区分けまでたどり着けたら ちょっとぐらい驚いてもらえます? 「おっ、すげぇーじゃん。足りないなりに頑張ってるんだ。」 ぐらい言って下さいよ。 じゃ、始めてみますね。 ◇ ◆◇◆ 2純文学=一人称/大衆文学=三人称(続き) 前回の話が、昔話の桃太郎を一人称で書こうとしたとき、 主人公を「私」にするんだけど、「私」が出てくるまで おじいさんとおばあさんの話が続くと。 「私」が出てくることを知らない、 桃太郎のあらすじを知らない人にとって 「私」が出てくるまでは三人称小説で、「私」が出てきたとたん 一人称小説になるのか?なわけないでしょ! ってことだったのですが、 一人称小説というのは筆者=私なんですね。 ですから、私の経験、私が直接見たり聞いたり 体験したりしたことを書くのが、一人称小説。 いきなり私が生まれる前の事を書き出すのはおかしい訳です。 私が生まれる前のことを書きたければ、 周囲の人、おじいさんやおばあさんから 自分が生まれる前のことを聞いてる その状況の描写をしなければおかしい。 順番的には自分が生まれるのが先で、 生まれる前の話は生まれた後からしか聞けない。 桃太郎の話で言えば 「暗闇が切り裂かれ、その割れ目から光がさし込む。 世界が真っ二つに割れたとき、 まぶしい光の中から伸びてくる大きな手に 私は抱きかかえられた。」 ぐらいが限界でしょう。それより前の事は、 後で知った形式でしか書けない。 60年代。サルトルの周辺であった神の視点論争って奴も そういうたぐいのものだと思うんですよ。 一人称で書かれているのに、 私以外の人の心理描写がなされていたり 私がその地点では知らないはずの出来事を 私が知っていたりすると、 「神の視点に立ってんじゃねぇーか」と批判される。 第二次大戦後のフランスってのは、 最終的には連合国側だったので 戦争に勝ったことになってるんだけど ドイツに戦争で負けたという意識が非常に高い。 多くの傷を負った第二次大戦の話を一人称で書けば、 その筆者と同じようなつらい経験をしてきた読者の傷が 癒される訳ですよ。あのときはこんなに辛かった。 こんなに大変だった。親戚や友人がこんなに死んでった。 で。そういうことを書いてる人の話の中に 嘘があった吹かしがあった、大げさに書いてた つったら嫌でしょう。 戦場で一緒に戦った幼なじみ親友がある日ナチスの兵に 私の目の前で頭を撃たれて死んだ。 そのシーンをドラマチックに書いて多くの読者を感動させたのに 実は死んでません。生きてました。 実は私、戦争には行きましたが、前線ではなく内地でした。 空爆も何もない山岳地帯で、主として気象観測してました。 つったら読者は怒るでしょう。 筆者=私の経験を書いてるはずなのに、 何で私以外の登場人物の心の中までわかるの? ってのは結局、ノンフィクションの形式をした フィクションじゃねぇーのか? あんた神の視点にでも立って、 架空の物語作ってんじゃないの?ってことですね。 つまり、一人称ってのは著者の実体験を書いた ノンフィクションであることが大前提なんですよ。 対する三人称ってのは、はやい話戯曲ですね。 大衆文学ってのは三人称じゃないと成り立たないんですよ。 戯曲=シナリオですから、 これだとドラマ化・舞台化・漫画化・映画化 何でもできる訳です。歌舞伎も浄瑠璃もみんなこれですね。 一人称のまずいところは、全部私の視点から見た世界ですから 最初っから最後まで、すべてが私の心理描写でしかない。 ってとこです。 私以外の人が出てきても、その人の行動・言動すべて 私の解釈を通してしか語られない。 私の心理描写・私の解釈が延々続く。 登場人物が一人で心理描写だらけだと 動きが無いし映像化できない。 ドラマにも演劇にも成りようがない。 三人称の場合、演劇という形で再現されることが前提になるため 事実かどうかが問われないことが多い。 例えば、事実に基づいた小説を書きました。 オウム真理教を題材にした三人称小説です。 三人称なので、演劇にしてみました。 芝居をするとき、台本が事実か事実で無いかを言う前に 芝居の麻原彰晃役は明らかに麻原彰晃じゃないんですね。 演劇・マンガ・アニメ・浄瑠璃のような人形劇 どれをとっても、事実の再現であって、事実じゃないんですよ。 麻原役の人が着る服も、当時麻原さんが着てたものと 同じではない。似せてるだけだ。再現でしかない。 でも、文句が出ないのが 戯曲=三人称小説=大衆文学=フィクションだからです。 まあ、上記四つは言い方は違いますが、似たようなものです。 いまね、こういう話を専門にやってきたはずの文芸誌ですら 純文学と大衆文学の区別がつかないとか 純文学なんて物は消えて無くなったとか書いてるんだけど 純文学ってのは大衆文学の高級版なんて 平気で思ってたりするんだけど 三人称/一人称。フィクション/ノンフィクション。 ちゅう区切りは非常に明確に見えてると思うんですね。 ◇ ◆◇◆ 3短歌風味桃太郎の失敗 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/three.htm 文章の中身に意味を持たせないことで 文章の形式その物に注意を ひきつけることが出来るのではないか? 形式その物の意味が見えてくるのではないか? というとこからスタートした文体演練法ですが 短歌風味やってみて失敗しましたね。 文章の内容を無視して技巧のみに走ろうとしたのですが 技巧の中に内容も含まれてしまってるのが 短歌だったのです。 短歌というのは、花鳥風月を歌いながら その中に自らの恋愛感情を込めるという ダブルミーニングの技法が重要な技法であり制約なんですね。 具体的に行くと有名な歌で 「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の 割れてもすえに会わんとぞ思う」 ってのありますよね。 誰でも知ってる歌ですが、意味的には 「滝が流れてて途中で岩によって左右に水が分かれて行くと その水の流れのように私達も障害によって 別れさせられてしまうけど、 いつかはあの川の流れのように また一緒に成りましょう」 ってな内容でしょう。 大事なのは自然に対する情景描写をしながら、 それがそのまま、自分の恋愛感情を示す 恋歌の形式もとっているということですね。 短歌の制約は5・7・5・7・7という 音数の制約だけだと思ったんですよ。とうしょは。 だから、その音数で桃太郎の話を書けば それっぽくなるだろうと思ったのですが 上手くは行きませんでした。それに気付いて じゃあ直せるかと成ると、もともと、 花鳥風月という自然描写に恋愛を絡ませる ダブルミーニングでしょ。 それに桃太郎の話も組み込むとなると トリプルミーニングで作らなきゃいけない。 いくらなんでも無理だろって感じで お手上げなんですけどね。 このへんもちょこっとかじると結構エグくてね どんな歌だったか覚えてないのですが 与謝野晶子が、与謝野鉄幹に送った歌か何かで 「みだれ髪」に入ってるのかな 「夜、桜の花びらが舞って、 その花びらごしに差し込む月の光が非常にきれいだ。 このきれいな花びらにどうしてあなたは触れないのですか」 ってな意味の歌があってね。 当時、与謝野鉄幹って妻子居たわけじゃん。して、 与謝野晶子って鉄幹の教え子でしょ。 その教え子が、先生に 「どうしてこの花びらに触れないのですか」って ここでいう花びらって、風俗雑誌とかに載ってる 花びら大回転とかの花びらじゃん? で、本のタイトルが「みだれ髪」。 何であの本が売れたのか、なんとなく分かるよね。 専門家に言わせると、鉄幹の方が晶子よりも 歌としては全然上だと。 技法的にも内容的にもそうだと言うんですね。 でも鉄幹の歌集より晶子の歌集の方が 売れたというのは、なんか分かるよね。 当時、今で言う女子高生だった晶子が 先生をベッドに誘うような内容の歌を詠んで それを集めた物を本にして出版って、 実話物不倫ポルノでしかも生徒−教師物って 当時としては――じゃなくって、 今でも充分過激なんだけどね。 それを男の俺が真似しようたって真似できないってのが つらいんだけどね。 P.S.毎度のことながら、事実誤認多いかと思いますが その辺りは指摘して頂けるとありがたいです。 次回は、安池さんのレポなどを折り込みながら やってみたいと思います。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□