■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】   第179号       2007/12/27発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさいつ 今回、カントは少しお休みして「文学のインディーズシーン」について 書きたい。それについて書くには、 「(純)文学」についても書かなきゃいけないし 色々ややこしい話も出てくる。ご理解願えればと思います。 2文学とは何か 夏目漱石の「文学論」と 吉本隆明の「言語にとって美とは何か」(以下、言語美) この二つの著書は、ほぼ同じアイデア、同じ方向に向かって書かれている。 さらに、柄谷行人の「日本近代文学の起源」と 東浩紀の「ゲーム的リアリズムの誕生」は、 同じもの(データベースもしくは教養)について、 違う方向から書かれている。 東浩紀はある種の教養が組み上がっていく過程を書き 柄谷はある種の教養(江戸期における漢文的教養)が 捨てられていく過程を描いている。 上記四つの本は、すべて書かれた地点での著者の年齢が ほぼ同じ34歳前後で、このメルマガを書いている私もその年齢になる。 「文学論」と「言語美」は文学を二つの要素に別けて考えている。 文学論はF+f。言語美は指示表出と自己表出。 両方とも同じことを言っていて、 自然主義的要素とロマン主義的要素の二つに分けている。 言語美        指示表出/自己表出 文学史        自然主義/ロマン主義              新聞/演劇 ジャンル   ノンフィクション/フィクション              外界/内面 絵画          具象画/抽象画 芸術の歴史としてみた時、指示表出の後で、自己表出が発見されている。 絵画史を例に取るとイメージがわきやすいと思う。 通常、絵は外にある物を写実的に描く所から始まる。(指示表出) いわゆる具象画だ。 幼児がクレヨンでぐちゃぐちゃに描いたラクガキは通常、 立派な絵画として観賞されることはない。 けれども絵の技術がある程度発達して、 写真のように正確な写実が出来るようになると 次は、ムンクの叫びのような、歪んだ絵が 動きや不安が伝わってくる面白い絵として観賞されるようになる。 ムンクの叫びを見て、誰も客観的にあのような風景が 外の世界にあったとは思わない。 書き手の内面にある不安があのような絵を描かせたと解釈する。 ムンクはあの絵で、外の世界ではなく、自分の内面を描いたことになる。 ある種の自己表現(自己表出)と言って良い。 それがもっと極端になると、絵具をキャンパスに叩きつけて ナイフでキャンバスを切り刻み、「怒りを表現しました」みたいな 表現主義に行く。 ムンクだと、まだ人や橋や川といった描かれる対象が外側にあって それを通じて不安等を描いていたのに対し 外側に描かれる対象が無く、ただ自分の内面にある怒りを キャンバスにぶつける表現がそこに誕生する。(抽象画) 言語美によると、自己表出の極限として、 フランスのシュールレアリズムがあり、その影響で日本の新感覚派が 誕生したとなっている。 漱石の文学論はイギリスの心理主義をバックボーンに書かれており 心理学の精神分析をバックにしたシュールレアリズムで 言語美ともつながる。 精神分析において患者に夢の中の世界を語らせることによって 患者の無意識を顕在化しようとする。 シュールレアリズムの表現方法はそれと似ている。 絵を観賞する審美眼的には、具象画のあとに抽象画が来るが 絵を表現する表現力的には、 クレヨンを無茶苦茶に振り回す幼児期の表現があって その後に写実的な具象画の表現が来る。 文学論も言語美も抽象画を良しとする審美眼の発見と その驚きについて書いている。 参照http://d.hatena.ne.jp/kidana/20071213/1197515184 ルネッサンス期の芸術家は、メディチ家に雇われた発明家集団であり ある種の科学研究所(ラボラトリー)だ。 そこに自己表現や芸術家は存在しない。 科学的法則の発見と職人があればいい。 自己表現や芸術家の概念はロマン主義によって生まれる。 ロマン主義的な文学とは幻想文学であり、剣と魔法の世界であり 天使と悪魔と妖精の世界だ。それは美男美女によって舞台芸術にされる。 きれいな挿絵、きれいな舞台衣装、きれいな音楽と照明で、 美男美女が踊る舞台芸術がロマン主義だ。 鴻上尚史は演劇の起源を「美人」だと書く。 人間は美人を見たいと思うしそのためなら、金を払う。 でも、どんなに美人でも、黙っていて動かない美人を じっと眺めていられるのは一分が限界だ。 そこで、その美人がしゃべったり動いたりして 興味を持続させなければならなくなる。 このとき、動きや仕草やしゃべり方が 下品で観客の興味を削ぐような物ではまずい。 美しくけなげで、かつ興味を持続させるものが必要になる。 それが物語で、物語は美人の前に困難を立ちはだからせる。 美人は困難を乗り越えることが出来るのか? 興味を先延ばしさせることで、一分しか持たない美人の効果を 先延ばしすることができる。 自然主義はある種の新聞だ。 報道・ドキュメンタリー・ルポタージュと言っても良い。 いま世間で話題になっている治安の悪い地域・紛争地域に 自ら足を運び現地取材で情報を取ってくる。 世間を騒がせた有名な犯罪者の獄中手記とか、 思想犯・政治犯として国を追われた人の亡命文学・暗黒文学が ある種の自然主義と言って良い。 言語美・文学論にならって、すべての文学はこの両極、 美男美女が歌って踊る舞台芸術と著名な思想犯の獄中手記との 間にあると仮定してみる。 個人的には、下記のような三極構造だと思うが。     古典主義/ロマン主義  /自然主義 アカデミニズム/コマーシャリズム/ジャーナリズム     翻訳小説/娯楽小説/社会派小説       大学/演劇/新聞 とりあえず、文学の全体像がそのような物だとイメージしてみる。 3文学のインディーズシーン 3−1経済的側面からの定義 インディーズとは何かを考えるときにそれとは逆に インディーズではない物。メジャーのプロとは何かを考えてみる。 編集者から見てプロの作家とは、 OKが出るまで何度も書き直しをしてくれる者だ。 アマチュアの作家だと、そうはいかない。 こちらの依頼した通りの物ではなく、自分の書きたいことを書いてくるし 書き直しを命じても、本業が忙しいから直せないとなれば 期日までにOK原稿をあげるよう強制することも出来ない。 編集者から見て、本業のスケージュールを理由に 原稿の締め切りを落とすようではプロとして信用できない。 原稿を書くことが本業であれば、そのようなことはなくなる。 自分との仕事が生業でなければ、信用ができないとして いくら金を渡せばその作家は編集者である自分との仕事を 生業に出来るのか? 最も安い金額を提示しようとすると、月十万ぐらいあれば 一人暮らしの大学生並みの生活が出来るとして、 そのぐらいの金を得ていれば、まあまあ、プロと言えるのではないか。 書籍の定価の10%が著者印税だとして、月十万円を作家に渡すには その作家が月100万円の売上げを出してくれないと困る。 一冊千円のハードカバー本換算で月千冊売ってくれないと 編集者としては作家に専業で食っていける金を渡せない。 仮にその作家が年に四冊本を出すとしたら、 三ヶ月に一冊ペースで本を出し、一冊が三千部売れれば 月十万の金を渡せる計算になる。 通常、オフセット印刷での最低ロットが三千部で 三千部売れない作家は商業出版では本が出せない。 ここから逆算すると、インディーズとか同人作家とかいうのは 三千部に満たない何百部の世界で活動している書き手を指すといえる。 また、インディーズで三千部を越えていても 何らかの事情(二次創作であるなど)でメジャーに行けない作家もいる。 3−2他ジャンルのインディーズとの比較 音楽業界において、二千人規模の会場のチケットをワンマンで 完売するとメジャーからお誘いの声が掛かる。(例Boowy・黒夢など) 音楽でもメジャーでの最低ロットは三千枚ほどで、 印税率は6〜7% (作詞作曲編曲演奏歌唱をすべて一人でやるフォークなどの場合) 一年間で千円のシングルを三枚、三千円のアルバムを一枚出すので 大雑把に言えば、上記の出版の計算とあまり変わらない。 音楽におけるインディーズは二百人規模のライブハウスを 満員にしているような人達であったりする。 バンドの場合、収入をメンバー四人+所属事務所で分けるので 三万枚〜五万枚が、ある種のボーダーになる。 安定してこの辺りの売上げを出している中堅バンドの場合 「辞める」と言っても引き止められないし 「続ける」と言ったのに、契約を切られたということもない。 文学におけるロマン主義の起源を演劇=舞台芸術としたときに ここで書いているロックバンドのライブも、 お笑いの寄席も、劇団の演劇もみんなロマン主義文学だといえる。 ロマン主義文学において、小説単体では客を呼べない。 文学単体の流通能力は低いのだ。お客さんを呼べる素晴らしい美人がいる。 お客さんを呼べる素晴らしい美人画がある。 美人画の挿絵や美人の役者が集めたお客の興味を持続させ 後世にまで残す力しか文学にはない。 CDも文学と似ている。ステージ上のミュージシャン目的に ライブハウスに集まった人しかCDを買わない。 もしくは、美人のバックに流れるCMソングやドラマ主題歌に なったCDしか買われない。 ライブミュージシャンにとってCDの売上げ枚数と ライブの観客動員数はほぼ同数だ。 仮に月200人の観客動員力がある インディーズのミュージシャンが一枚千円のシングルCDを ライブハウスで月に200枚売り切っていたとしよう。 印税率10%計算で2万円の利益を出していることになる。 舞台芸術を生業にしている人達としゃべると 彼らは100人規模のライブハウスは物を作る場、 アーチストを育てる場ととらえて 二千人規模のホール以上の規模ををビジネスととらえている。 3−3自然主義(=新聞・雑誌)文学におけるインディーズ 漫画実話ナックルズ2007年11月号の 「現場で働くのは契約社員!!週刊誌記者の給料・待遇すべてバラす!!」 によると、雑誌は週給制で5万円辺りからスタート。 週に最低5本はネタを出す。 ネタが取れなければ契約更改ですぐに首らしい。 この辺がいわゆるメジャーの世界だとすると、 インディーの世界はどうなのか? 昔、編プロの面接を受けた時に出された条件が ・ 会社に住み込み ・ 給料保障なしで出来高払い ・ 雑誌やテレビの一般公募にひたすら投稿 隣の部屋で、当時視聴者からショートドラマの台本を募集して それを放送していた番組(いまでいうココリコミラクルみたいな番組)の ディレクターさんが打ち合わせしていました。 プロとアマとの境界は難しいが、昔、 ロッキンオンに投稿した原稿が載って、ページ五千円、8枚で税引き後 三万数千円もらったことがありますし、朝日新聞の川柳欄に投稿して 三千円もらったこともあります。 で、それでプロとしての自覚が生まれるかというと生まれない。 ロッキンオンも仮に編プロ泊まり込みで寝る時間以外は すべて投稿に費やして、毎週ロッキンオンに5本10本音楽批評投稿して 毎週一本ぐらい載って毎週4万円稼いでいたら、 月16万でプロ意識が芽生えたりするのかもしれません。 バブル期に百円ライターという言葉があって 使い捨てのフリーライターのことをそう言ったそうですが 原稿料が四百字詰め原稿用紙換算で千円に満たない百円のライターで ある意味、「Oh!マイニュース」 http://www.ohmynews.co.jp/info/fee などがそれだと思う。 日本の三大ネットニュースサイトの一つで SNS感覚で投稿できる素人参加型の投稿サイトで 編集長は元週刊現代編集長の元木昌彦氏。 そういうところで経験を積んで、徐々に上に上がっていくという システムなのだと思う。 このジャンルは、投稿を趣味にしているハガキ職人と フリーライターと雑誌専属の契約社員の境界はあいまいで 何がプロで何がアマチュアとは定義しにくいジャンルだと思う。 その雑誌の専属ライターや専属編集者でも 企画を出して落とされることはザラで、決定権は編集長にあるわけで その編集長も書店売上げや広告主・スポンサーの意向などを見ながら 経営的に判断するわけです。 また、プロのカリスマ編集者やカリスマライターが 必ずしも文章が上手いわけではないというのも 最近個人的に実感してきました。 2ちゃんねるのプロレス板でターザン山本スレを見ると ターザン山本(週刊プロレスの元編集長)の 個人HPに載っている日記の誤字・脱字・言い間違いなどが 指摘されまくっている。 また、ターザン山本以外にも、著名ライターの個人HPを見ると たまに極端に文章の下手な人とかいます。 雑誌記者は取材のプロであって、足で情報を稼ぐのが仕事であり 文章の上手さだけで言えば、ネットで自作小説を書いている人の文章や 伝統的な文芸同人誌でずっと小説を書いている人の文章の方が 上手かったりします。 3-4伝統的文芸同人誌のシステム 一九七〇年代後半ぐらいまでは小説家は文芸同人誌から 生まれてくる物であったらしい。 文芸同人誌の一番典型的なシステムを書くと 会費が月三千円で、会員が百人。会誌は月一ペースで発行され 一人一ページ寄稿することが出来る。 このシステムだと月三十万円集まり、 十万円〜二十万円ぐらいで同人誌を作れば 主催者の手元には十万円ほど残る。 つまり主催者一人が食っていく分ぐらいはなんとかなる。 詩や短歌や俳句などの同人はこのようなシステムだ。 小説の場合、一人あたりのページ数が増えるので 会費とは別に掲載費を払うシステムもある。 この場合もページ三千円が相場だ。 いっけん主催者が私腹を肥やしているように見えるかも知れないが 一ページに四百字詰め原稿用紙換算で3〜5枚分入るとして 百ページあれば300〜500枚の手書き原稿用紙が毎月届いて それをすべてレイアウトして、 まだワープロもパソコンもなかった60年〜70年代に 金属活字を一字一字組んでいく、もしくは写植を一字一字組んでいく その手間隙を考えれば、まあ、正当な報酬だと言えると思う。 文芸同人誌ステムは古くは松尾芭蕉の時代からあったようだが 散文の世界にそれが適用され普及するのは 第二次大戦時の国家総動員法の下、すべての資源が国家の管理下に置かれ 本を出版するために必要な紙も国から配給を受けないと 手に入らなかった時代に、小規模の同人誌といえども国に届出を出して 一元化された組織に所属した辺りから、同人誌間の横のつながりが 生まれたものだと推測される。 (続く) 4お知らせ 2008年5月11日(日)「春の文学フリマ」が開催されます。 出店ブース数158ブース。来場者数1300人。 活字系同人誌即売会としては日本最大規模のイベントです。 出店者募集締め切りが2008年2月12日。 是非ふるってご応募ください。 公式HP http://www.bunfree.net/ 思想地図 http://www.nhk-book.co.jp/home_files/info/2007/oshirase_15.html ゼロアカ道場 http://www.hirokiazuma.com/archives/000347.html 引かせ王選手権 http://www.poeca.net/detail.php?id=3221 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/94gou.txt http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/95gou.txt ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□