■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第178号    2007/12/2発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1悟性とは何か 感性・悟性・理性と並んだ時に、他は分かっても、 悟性だけは単語の意味が分からないという人もいると思います。 感性というのは、経験を感じ取る部分ですね。 理性は、論理を組み立てる部分で、悟性はその中間、 経験を概念に置き換える部分です。 おでん屋で、丸い大根や三角のはんぺんや四角いコンニャクを 食べたとして、大根を見て、「丸い」という概念に置き換えるのが 悟性の仕事です。 丸いというのは抽象的な概念で、決して丸その物は どこにも存在していなくて、丸いボールや丸い卵は存在しても 丸その物はどこにも無い。 丸その物が物体として存在していれば、丸の元素記号とか 調べられますが、抽象的な概念としてしか存在しない。 存在する物を感じ取る能力が感性だとすると 存在する物から抽象的な概念を導く能力が悟性です。 ハイデガーの時代には、悟性=言語能力は人間にしかないと、 思われていたようです。 三とか四とか右とか左とか、平行とか直角とか 誰から教わったわけでもない抽象的な概念を 生まれながらにして感じ取ることが出来る能力が 人間にだけ備わっているという考え方です。 p123ページを見ると、感性は対象を受け取る能力で、 悟性は対象を認識する能力だと書かれています。 感性によって対象が与えられ、悟性によって対象は思惟される。 インプットとアウトプットの関係です。 2先験的分析論 カントは先験的な人なので、 先験的な悟性=概念について考えようとします。 経験以前にある、概念が存在するのか? 普通に考えると、おでんとかたこ焼きとか言った名詞も 悟性によって導かれる概念だし、 丸いとか四角いとか言った形容詞も、概念だし ほぼすべての言葉は概念だと思う。 しかもそのほとんどは経験によってもたらされる概念だ。 「たこ焼きを食べたら、  熱くて舌がやけどしそうになったけど美味しかった」 といった時、美味しいとか熱いとか、色んな概念が出てくるが たこ焼きを食べるという経験がなければ、 発生していない概念ばかりだ。 経験以前から存在する先験的概念として何があるかと言うと 判断の形式があるというわけです。 「たこ焼きが熱い」と思う。そう思うのは悟性の領域で この判断は「A is B」「A=B」という 肯定文の形式になっている。 他に、否定文があったり、 「このたこ焼きが焼きたてならば、熱いはずだ」という条件文や まあ、色んな文の形式があって、その形式の中に概念は入る。 概念は経験によって事後的に、もたらされるとしても、 その概念が使われる文(判断)の形式は、先験的に存在している。 なんとなく、経験以前にデカルト座標が存在するってのと似ているでしょ。 厳密には文の形式ではなく、判断の形式と言っているのですが ちょっと列挙してみます。 一、分量 ・全称的判断(すべてのAはBである)      ・特殊的判断(若干のAはBである)      ・単称的判断(このAはBである) 英語の授業でやった「a boy」と「the boy」 の違いみたいなものでしょうか。 「The boy」だと「その少年は〜」となるのが 「A boy」だと「少年てやつは〜」と一般論になる。 前者は単称的判断で、後者は全称的判断ですね。 冠詞がaかtheかsomeかみたいな話ですよね。 次に 二、性質 ・肯定的判断(AはBである) ・ 否定的判断(AはBではない) ・ 無限的判断(Aは非Bである) というのがくる。 肯定と否定はそのままだとして、 無限的判断は、肯定文の形を取りながら述語が否定的であるものを指す。 例として「霊魂は不死的である」という文が載っている。 文の形としては肯定文だけれど、内容的には否定文だという奴です。 ノンフィクションのノンとか、無意味の無とか、非常時の非のように 否定的な接頭語が述語に付くような文章を指しています。 三、関係 ・定言的判断(AはBである) ・ 仮言的判断(AがBならばCはDである) ・ 選言的判断(AはBであるかさもなければCである) 仮言的はif構文、選言的はor構文だと思います。 四、様態 ・蓋然的判断(AはBであり得る) ・ 実然的判断(AはBである) ・ 必然的判断(AはBでなければならぬ) 蓋然的判断はたぶんCanとかMaybeで 実然的判断は普通にBeで 必然的判断はMustやHave toなんだと思う。 以上の四つのカテゴリーで悟性の機能すべてが網羅されている とカントは書く。 なんかこう、英文法の授業でやったような話がつらつら並ぶわけです。 カントは自分の元ネタとしてアリストテレスのカテゴリー表を上げている。 一、 分量    ・単一性    ・ 数多性    ・ 総体性 二、 性質    ・実在性    ・ 否定性    ・ 制限性 三、 関係    ・実体−付属性    ・ 原因−結果    ・ 作用−反作用(相互作用) 四、 様態    ・可能−不可能    ・ 現実的存在−非存在    ・ 必然性−偶然性 それぞれが、カントのカテゴリーと対応しているのが分かると思う。 一の分量はある一つのAに関して、Bであると判断する(単一性)。 他のいくつかのAもBであると判断する(数多性)。 その結果、すべてのAはBであると判断する(総体性)。 という流れになっている。 三の関係で、実体−付属は、主語と述語の関係ですね。 「リンゴは赤い」だと主語(実体)のリンゴがなければ、 述語(付属)の赤いは存在していない。 逆に赤いは存在していなくても、リンゴは存在できる。 青リンゴのように。そのような主従関係がある。 原因と結果も主従関係がある。 でも相互作用になると主従関係が無くなる。 カントの仮言的命題 「AがBならば、CはDである」というとき AがBならばという条件が主(原因)となり、 CはDであるという従(結果)が生まれる。 選言的命題 「AはBであるか、さもなければCである」とき AがBであれば、AはCではない。AがCであれば、AはBではない。 BとCの間には、主従関係はないが相互作用はある。 四は「AはBであり得る」状態があって、 主体が判断して「AはBである」ようにしたら 「AはBでなければならぬ」状態になる。 (つづく) ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□