■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第168号    2007/8/8発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 圧倒的な無気力、木棚環樹です。 えっと、生きているのがしんどいです。生きていくのがめんどいです。 溶鉱炉Vol.9(2007/05/20) http://www.poeca.net/cgi/db.cgi?action=details&code=3021 というポエトリーのイベントを観てきたのですが。 ホーミーの一種であるホーメイという朗唱法を使う 「徳久 ウィリアム幸太郎」さん http://william.air-nifty.com/about.html という方がいて面白かったんですね。 ホーミーというのは、中国やモンゴルに伝わる歌唱法で 一人で異なる音程を同時に出してハーモニックスを出す歌い方です。 ホーミーはテレビでは観たことがあったのですが どこが良いのかサッパリ分からず。 生で見て聴いて初めて、なるほどと思いました。 私の感想としては、ビブラート(音を上下に揺らす)を 高速で行うことで、二音同時に出しているような効果を出して その二音がハモることで、さらに生音とは思えないような、 金属音・アナログシンセ音を地声で出すというパフォーマンスです。 この方はロシア・モンゴル・中国と東ユーラシアの色んなホーミーを される方なのですが、イメージとしてはチベット仏教などの お経の上手いバージョンなんですね。 実際にホーミーはお経として日本に入ってきて、講談や浪曲などにも 影響を与えたらしいです。 徳久さんの話で面白かったのは、徳久さんがモンゴルの民謡を歌って 会場が盛上った後、「あと何曲か歌っても良いんだけど、 言葉が分からないとみんな同じ曲に聞こえるんだよね。 民謡の大会があって何十曲聞いても、専門家で無い人が聴くと 二種類ぐらいしか歌がないように聞こえる。 民謡はメロディが二パターンぐらいしか無くて、 リズムも二パターンだから 全部で四パターンぐらいしか組み合わせが無い。」 そのあと、某所で行われたデスメタル大会について触れた後、 「デスメタルは民謡だ」と言って、会場は大爆笑でした。 デスメタルもリズムが二パターンぐらいで、 メロディも二パターンぐらいで、専門家で無い人が聞くと 何曲聞いても二曲ぐらいしかないように聞こえるでしょう。 前回のメルマガで書いた日本の唱歌も七五調で、 リズムもメロディも似ているから 「桃太郎さん、ももたろさん  助けた亀に つれられて  長いなぎなた ふりあげて  絵にも描けない 美しさ」と まったく異なる歌を3つつないでも違和感なくつながってしまう。 結局、定型詩とは替え歌のことなんだなぁと思います。 2西洋の文化史 以前にルネッサンス云々について書いたのですが http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/149gou.txt http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/150gou.txt その流れで、近代前後について書いてみます。 平凡社の思想の歴史シリーズ1「ギリシャの詩と哲学」 という本のタイトルを見ても分かるように、 西洋史において、古代ギリシャの詩と哲学辺りから 文化史はスタートします。 メソポタミア文明・エジプト文明(紀元前3000年前後)            ↓ 古代ギリシャ(紀元前八百年〜紀元前三百年)            ↓ 古代ローマ(紀元前三百年〜紀元後五百年)            ↓      中世の暗黒期・スコラ哲学時代            ↓ イタリア・ルネッサンス(1400年〜1600年)            ↓ 1440年頃 グーテンベルクによる活版印刷術の発明 1500年前後 ルターの宗教改革。プロテスタントの誕生 1550〜1600年前後 シェークスピアの活躍 1600年〜1750年 バロック 1750年〜1800年 古典主義。 1750年〜1850年前後 イギリスで産業革命 1800年前後 フランス革命&ナポレオン帝政 1800〜1910年 ロマン主義。 1850年前後 写実主義(フランス) 1850年〜1900年 自然主義(フランス) 1850年〜1900年 国民学派(音楽・ロシア・北欧・東ヨーロッパ) 1914年〜1918年 第一次世界大戦 1939年〜1945年 第二次世界大戦            ↓        現代(1945年以降) 物凄く大雑把な流れを書くとこんな感じです。 文芸復古と訳されるルネッサンスですが、 何が復古されたのか?どうしてそれまで復古されなかったのか? キリスト教が絶対的な力を持った中世において 禁止されていたいくつかのことが、この時期に解禁されて ギリシャ神話(もちろんキリスト教から見れば異教です)を 題材とした彫刻などが作られたわけです。 ルネッサンスを知るためにまずは、 中世に絶対的な力を持ったキリスト教のルーツについて 考えたいと思います。 3一神教について キリスト教は当然一神教で、現代の日本人は一般に多神教的です。 この差について少し考えてみます。 日本人は第二次大戦時に天皇を現人神だと称えて戦った という建前になっていて、一応、戦争の原因の一つに宗教があったと 建前上、そうなってます。 戦後それは良くなかったということで、宗教戦争的なことは止めよう、 キリスト教徒の前に行けば、クリスチャンになり イスラム教徒の前に行けば、イスラム教徒になり 色んな宗教を同時に受け入れる宗教的寛容さ=多神教を受け入れよう 的なメンタリティーがある。 もっとさかのぼると、仏教はマンダラに代表されるように多神教で 同心円状に様々な神の姿が絵として描かれていたりします。 神社仏閣という表現があるように、神道の神社と仏教の仏閣を 昔から矛盾なく受け入れてきたりした素養もあります。 そのような多神教的なメンタリティーから見ると 自らが信じる一つの神だけを尊ぶ一神教の教徒は 他の宗教に対して不寛容な宗教戦争を引き起こす原理主義者で 非常に文化レベルが低いように見えたりします。 では一神教文化の側から多神教文化はどう見えるのか。 世界で一番最初に生まれた一神教である ユダヤ教の歴史について書かれた 「ユダヤの民と宗教」A.シーグフリード著、鈴木一郎訳、岩波書店刊を 読んで思ったのは、一神教とはそもそも宗教を禁じる手段であって 宗教ではないのではないかということです。 歴史的には多神教と一神教だと多神教の方が歴史が古いわけです。 古代の多神教は大抵、自然崇拝です。 日照りが続いて作物が枯れるという事態になると、 空に向かって雨乞いの儀式などして、踊りだのお祭りだのをして 雨を降らせようとします。 古代人の力ではどうにもならない自然の脅威の前で 努力や人為ではどうにもできない悩みに対して、 パァーーーッと派手にお祭りでもやって気を紛らわせようやというのが 古代の自然崇拝だとしましょう。 一神教を生み出したユダヤ人は当時、定住をしない遊牧民族で 非常に貧しかったわけです。家畜に乗せて運べる程度の財産しか 物理的に所有できない彼らにとって、生活に直接関係の無い 宗教的な祭壇や絵や像などを持ち歩くことは死に直結するわけです。 貧しい人間が、パァーーーッと派手にお祭りをしたら 財産全部売り払って、無一文になってしまう。 だから偶像崇拝の禁止という法律を作った。 自然崇拝的な多神教は経典を持たず、神のお告げを受ける人が そのときそのときで、色々勝手なことを言う。 それに対して一神教は、神のお告げを受ける人などいないし、 そのようなおまじないの類を一切禁止する。 かわりに、律法(トーラー)を設定し、 成文化された法律に基づいた理性的な行動を行う。 何か困ったことがあったときに 「誰か助けて」と心の中で思う。 このとき助けてくれる誰かが多神教の神だとすると、 助けてくれる誰かを絵や人形やお守りなどの形で 実体化させるのを禁じた法律が一神教です。 何か悪い事をした時に、誰かに怒られるのではないかと思う その誰かが一神教の神です。 古代における芸術は大抵、宗教と結びついていて、 盆踊りも死者を弔うという意味があったり、 江戸時代の大工で腕が良いのは皆、宮大工だったりする。 古代ユダヤ教が宗教を禁止するときの宗教は 芸術全般であったりする。 貧しい遊牧民が、定住者のマネをして贅沢をするなってことですよね。 ルネッサンス以前のキリスト教時代も同じで 快楽的な芸術全般が禁じられたわけです。 ところがメディチ家という富豪が現れ出すと、彼らにとって 芸術的な快楽は、許容出来ないほどのリスクじゃなくなっている。 そこで彼らは禁欲的なキリスト教ではなく、 多神教で快楽的なギリシャ神話を復古させることになる。 キリスト教の聖母マリアはセックスをせずに処女で子供をはらむほど 禁欲的だが、ギリシャ神話のゼウスは浮気をしては子供を作り、 それがバレては正妻から叱られるということを何度も繰り返すほど 快楽的な神だ。 キリスト教がローマの国教になったのが四世紀だとして、 そこからルネッサンスまでは、快楽的な芸術全般が禁止され それが解禁されたのが、文芸復古です。 キリスト教がどのぐらい力を持っていたのかという例で。 1077年 カノッサの屈辱(ローマの皇帝が教皇に謝罪した) 1600年 ジョルダーノ・ブルーノ異端審問により火刑 1633年 ガリレオ・ガリレイ異端審問により終身刑(のちに減刑) カノッサの屈辱によって、ローマ教皇が皇帝より力があることが公になり そこからルネッサンスまでがキリスト教に支配された中世暗黒時代と されるわけですが、 イタリア・ルネッサンス(1400年〜1600年)と言いながらも 1600年ですら、学者が自由に学説を唱えたら火あぶりの刑で 殺されたりしているわけです。 ですから、キリスト教による学問・芸術の禁止はそれなりに厳しかったと いえると思います。 上記の本で初めて知ったのですが、ユダヤの神、「ヤハウェ」とは 「ある」を意味する言葉だそうです。(P21) だとすると、中世において「神(=存在)は、存在する」のは 当たり前の同義反復ですし、ハイデガーの 「あるとは何か?」という問いはそのまま、 「神とは何か?」と読める訳です。 同書P26より 「ヘブル語では宗教を意味する言葉はない」というのも面白く 彼らにとってユダヤ教は律法(トーラー)であって 宗教ではないわけです。 またイラクの「イスラム法学者」という言葉も日本人から見ると 原理主義的なイスラム教の指導者が法を作るというネガティブなイメージに 成りがちですが、そもそも一神教において、宗教とは法だとすると 宗教の指導者が同時に法学者でもあるというのは当然だと思います。 4あとがき あーーー、変なこと書いてるんだろうな俺。と思いながらも ストレス発散法が、惰眠とWebへの愚痴の垂れ流ししかないので まあ、こういう感じです。許してください。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□