■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第161号       2007/3/31発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 目次 1ごあいさつ 2mixi日記より 3記事=広告?記事≠広告? 4レビュー・批評 5バブル経済 1ごあいさつ メルマガの方向性を、ポエトリーレポートから、 同人活動レポートに変えようと思ったのですが、 現実的にはアマゾンさんがらみの話は契約上の守秘義務が発生するし それ以外の部分は既に多くの類似書籍が山ほどあって 私以外の人が書いたちゃんとした出版社の立ち上げ体験記の方が 面白いので、そうするとメルマガに書くことなくなるなぁと思いながら ダラダラ愚痴日記としてメルマガを続けていきたいです(泣。 個人的にはインディーズ幻想・宝島幻想が自分の中で崩壊し それについて書きたいのですが、 それをするにはまずインディーズ幻想や宝島幻想から書かねばならず それも大変だなぁと思いつつ 最近公開された映画「バブルへGo」でバブルの時期が 80年代後半から90年代前半に設定されているのに違和感を持ちつつ まあ色々書いてみます。 2mixi日記より 私のmixiでの日記で、社交的な自閉症さん、太郎本人さんから ポエトリーに関するコメントが付いて、 ちょっとした論争じみた物が発生したりしつつ そこで思ったことなどを書いてみます。 私なりに論争の要点を出すと ・ポエトリーを批評する側の問題 ・アマチュアリズムとインディーズとコマーシャリズムの関係 の2点で、ポエトリーの批評が現状機能していないというのが 両者一致した意見で、ポエトリーがビジネスとして成立するためには 優れたプロデューサーが必要というのが太郎本人さんの意見。 ビジネスではなく一般の人達が気軽に触れられる文化として ポエトリーがもっと定着するべきというのが社交的な自閉症さんの意見。 と私は解釈しました。 3記事=広告?記事≠広告? 個人的に宝島=インディーズ幻想が崩壊する部分があって その辺りから書こうと思うのですが、 一九八〇年に私は小学校に入るのですが、 その頃はTVにロックバンドが出るということがほとんど無い時代で 今でいうミスチルやアジカンに相当するようなバンドはなく、 アイドルしかテレビに出ないような時代で、 子供心に安全なきれい事の世界に見えたわけです。 学校の先生や親は、勉強して良い成績を取って、良い学校に入って、 良い会社に就職して、良い家庭を作って、良い人生を過ごしましょう みたいなことを言うわけですよ。 つまんねぇ人生だなとか思うじゃないですか。 高校に入って、宝島って雑誌を見たら、学校にも行かず、就職もせず、 バンドやったり、映画撮ったり、劇団やったり、 DJやったりしている人達の体験記が載っていて、 就職や進学をせずに生きる生き方マニュアルみたいな 雑誌になってるわけです。 そういうバイトをしながら自主制作活動しているような 人達のことをインディーズと呼んでいて、 宝島という雑誌はインディーズ界の「ぴあ」と呼ばれてました。 自主制作映画といえばイメージフォーラム、 インディーバンドと言えば、ロックならロフト、 ビジュアル系なら鹿鳴館、レーベルならナゴムで、 そういう人達の活動記録・予定・告知を読むと 楽しそうだったんですよ。 そんな楽しい雑誌が楽しいまま活動していたのが、 1982年から1988年ぐらいまでで、 86年ぐらいからインディーズブーム〜バンドブームを作ることで 他を切り捨てて音楽雑誌化して、 92年ぐらいにはヘアヌードブームに乗ってエロ雑誌化して、 今では普通のビジネス雑誌になってます。 学校とか就職とか関係ないじゃん、やりたいことやろうよと 俺達に語りかけてきた宝島が、 何故、普通のビジネス雑誌になってしまったのか? 宝島が一番輝いていた時代の宝島の編集長関川誠さんの インタビューをみると、バンドブームによって、音楽がビジネスになって バンドの音楽事務所やマネージャーが 「どうして、あちらのバンドがカラーページで、  うちのバンドが白黒ページなんですか?」とか 「あの雑誌は、8ページ割いてくれましたけど、  どうしてこの雑誌は4ページしかくれないのですか?」とか 交渉やクレームが煩雑になってきて、最後面倒臭くなってやめた。 という話なんですね。 雑誌というのは通常、全ページの半分まで広告を入れられる。 全ページが広告だと法律上、雑誌という扱いではなくなるんですね。 ですから、雑誌の収入は広告収入が半分、 実売の収入が半分であるのが理想だとされます。 広告ページは広告主の意向を百%通しますが、 記事に関しては百%編集部に決定権があります。 ところが現実には、 広告収入が雑誌収入の7割とか8割といった雑誌も多く、 記事に関しても広告主の意向が百%反映されないと 広告主が怒って広告を降りると言い出す。などと話がよくあります。 記事に対するクレームや交渉が煩雑なのは主として音楽・TVゲームで ラルク・アン・シェルを「ビジュアル系バンド」と紹介したことで NHKの音楽番組の収録中にラルク・アン・シェルが 怒って帰ってしまったとか、TVゲームの記事で、 モニター用のゲームをやった感想を記事に書いたら、 プレスリリースに載ってないことを書いたとクレームが来たとか、 ミュージシャンの新曲紹介で、 アップテンポのロックンロールナンバーとか ミドルテンポのラブバラードとか書くと、 音楽の内容やジャンルに関して書いたら、 そのジャンルを嫌いな人は買わなくなるだろ、 音楽の内容には触れないように。とクレームをもらったとか。 色んな話は聞くわけです。 この行き過ぎているクレームというのは、内容紹介・批評をするな。 プレスリリースに載ってないことを書くな。と言い換えられる内容で 記事を書くなとか、広告以外のページもプレスリリースと 同じ内容・同じレイアウトで、一字たりとも変えるなとかになるわけで、 広告主の意向通りに対応すれば、HMVやタワーレコードで配られる フリーペーパーみたいに、ジャケット写真とアーチスト写真と、 商品の値段と発売日と収録曲と型番だけが載った読む場所のない フリーペーパーになってしまいます。 リクルート社の週刊就職情報・週刊住宅情報などと同じ、雑誌形態だけど 法律上雑誌じゃないし、読む記事もないフリーペーパー、 広告の寄せ集めですね。 面白い記事を書こうとすると、 広告主からクレームがつき最悪広告が抜けて予算が減る。 広告主の意向に従うと、読む場所のない広告の寄せ集めになる。 広告抜きの低予算で作るなら、 小さな判型でザラ半紙に白黒印刷の活字雑誌になるし、 大きな判型でビニールのようなきれいな紙にカラー写真印刷だと 広告だらけで面白味のない雑誌にしかならない。 結局宝島は、広告費が大きくてかつ、記事に対する口出しが少ない 自動車・パソコン関連の広告を取るためにビジネス誌になっていった。 あの時期にパソコン関連に行ったのは「よいこの歌謡曲」の梶本学さんや ロッキンオン立ち上げメンバーの一人だった岩谷宏さんなどもいる。 宝島の誕生のきっかけとは、JJ氏と呼ばれた植草甚一さんが 売れなくてもいいから、面白い雑誌を作れと若い人たちにお金を出して 雑誌を作らせたのがきっかけで、 当時から面白い雑誌は儲からない物であったことがうかがえる。 創刊号を見ると当時のスターが勢ぞろいの雑誌になっているのだが 儲からなくても良いから面白い物を作るというのは、 逆に言うと、面白いのだけれども他の雑誌では儲からないという理由で 記事に出来ないことを記事にする雑誌を作るということで 当然、すぐにお金はなくなる。 街のストリートカルチャーを紹介する宝島という雑誌は70年代後半 既に一部の人達の中では人気が出て、編集部の周りにはスケボーに乗った オシャレな若者達が記事にして欲しそうにたむろしていたが、 編集部の内部では、毎号毎号、次号を出すお金を捻出できるかどうかの 綱渡りで、編集長をやりたがる人間もなく、 今回が最後の号だという雰囲気のまま、 たまたま雑誌が出せているという状態だったらしい。 例えば、1976年2月号の宝島を見ると 「特集:植草甚一の秘密」で、 宝島編集者の北山耕平さんと植草甚一の対談だけで一冊雑誌を作っている。 この号の表紙を除く総ページ数が242ページ、 うち73ページから158ページまでが対談で全体の35パーセントを占める。 これなどは、面白い面白くないは横に置いて、低予算の極みだといえる。 実際、北山耕一さんはQJ創刊時にQJ初代編集長の赤田祐一さんが 憧れの編集者としてインタビューを申し込んだ人であり 宝島の一番良い時代を作った編集者だと赤田さんに言われる人だけあって それなりに面白いのだが、やはり身内で作っているという安さは感じる。 関川誠編集長の話で興味深いのはYMOの広告を取れなかったという話だ。 YMOがまだ売れる前に記事としてYMOを取り上げ、その後、売れた。 でも売れたときの広告は他の雑誌に取られた。 レコード・CDの場合、定価の一割は広告費に使うという商習慣がある。 仮に千円のシングルが一万枚売れたら、百万円の広告費が下りる。 無名のミュージシャンを記事で取り上げて、その記事がきっかけで売れたら、 その広告費をうちの雑誌で使って恩返ししてくださいよ、ということだ。 先ほどの、広告主が記事に口出しするパターンの逆バージョンだ。 アーチストサイドからすると、広告費なしで記事を書いてくれる雑誌は 部数も小さく、版型も小さく、印刷も白黒で目立たず、歴史も権威もない。 せっかく広告費が出たのなら、もっと大きな雑誌に広告を打ちたいと 考えることもあるだろう。 YMOが売れたのはだいたい1980年だとして、 宝島がインディーズ界の「ぴあ」と呼ばれだす最初の地点で既に 記事と広告費との関係がトラブルとして挙がっている。 そしてこれがきっかけで宝島は普通の雑誌になってしまう。 売れてなかった時のYMOを記事にした理由がもし、 広告を取るためであったのなら、最初っからもっと売れていて 広告費の大きいアーチストを取り上げれば良いわけです。 普通の雑誌が取り上げない、非商業系の、自主制作映画や 自主制作音楽やストリートカルチャーやクラブのDJイベントなどは そもそも儲かることをしていないし、 広告費が出ない活動を記事にしているわけです。 それらの記事を書く地点で、広告費目的ではなく、 読み物として面白い記事を書き、読者がそれを喜んで買い、 売上げが上がって収入増が見込まれるのが、理想的な形ですが 万一、その中から売れる人が出てきたら、 売れてない時からプッシュしていたのだから、うち専属で広告を出してね、 他の雑誌には広告打たないでね、という下心が出てくる。 4レビュー・批評 映画雑誌や音楽雑誌などの専門誌の役割の一つにレビューがあって 発売前・公開前のレビューを読んで、少ないお小遣いの中から 気に入った商品を選ぶ。 このとき記事は嘘をつかないという前提がなければいけない。 読者からの信用があった上で、初めて読者はお金を払って雑誌を買うし、 雑誌おすすめの商品を買う。 もし一度でもライターがダメな商品をすすめてしまったら、 そのライターは信用がなくなる。 70年代の宝島は、よいこの歌謡曲・ロッキンオン・JAMなどと ミニコミ誌共同体的なつながりを持っていて、 各雑誌の広告を載せたり、 各雑誌のスターライターに連載を持たせたりしていた。 宝島に影響を与えたと思われるいくつかの洋雑誌の中で私が一番好きなのは バラエティというレビュー誌で、本とか映画とかロックとか、 各ジャンルの専門家が各ジャンルの新作レビューを連載していた雑誌だ。 バラエティのレビューはレビューというより批評に近い部分もあって、 例えばB級映画のレビューを五年も書いているライターだと、 一つの映画を観たときに、この映画のどのシーンは どの映画のどのシーンの影響を受けていて、 別のシーンは別の映画のあの場面の影響を受けていて、 この監督はあの監督からどのような影響を受け、 何を引き継ぎ何を付け加えたのか、といったところまで書いている。 このようなレビューは通常の商業雑誌においては絶対に載せられない。 音楽雑誌において、Aというアーチストの音を説明するのに 別のアーチストの名前を出すなどもってのほかだ。 商業誌において、Aというアーチストの記事=広告に 別のアーチストの名前を出すと、 Aがそのアーチストの盗作をしたかのように見える。 金払って広告出している広告主を盗作扱いするとは何事だと、 当然クレームが来る。 でも、文学史や音楽史を形成する上で、どのような伝統を誰から受け継ぎ、 どのような影響関係の下で、その芸術が生まれてきたのかを 書き連ねることは、決して芸術をおとしめることにはならない。 絵画史において 印象派やシュールレアリズムというムーブメントが認識されるのは 同時代における異なるアーチスト間の類似性が発見されるからであり、 ある作品のオリジナリティを主張しようとすれば、 オリジナリティではない物、すなわち伝統をまず知らなければならない。 レビューがその芸術に対する感想・反応であるとすると 批評は作品間の影響関係をつづり、 そのジャンルの歴史を描くようなものを仮に批評と呼ぼう。 私はレビューや批評が雑誌、特に専門誌において絶対に必要だと思うが 現実は困難だと思う。 自分が広告主であったとして、高いお金を広告費として払って レビューで散々けなされたら、クレームの一つもするし 次から広告は別の雑誌に打とうと思うでしょう。 1970年代のロッキンオンのレビューを見ると 意外に商品に対して辛らつであったりする。 ロッキング・オン増刊岩谷宏のロック論集1977 p150「レッド・ツェッペリンがなぜつまらなくなったか」 p223「悪夢 ロックの、にせものとほんものを見分ける視点」 タイトルをみただけで、普通の商業雑誌には載らなさそうなタイトルだ。 1970年代のロッキンオンは広告主の顔色よりも、読者の顔をみて 記事を書ける雑誌だった。何故それが可能であったのかと言うと 当時、洋楽のレコードには歌詞カードは付いてなくて、 歌詞が判らない状態で音楽を聴いていた。 ロッキンオンは日本在住のネイティブを雇って、 レコードの歌詞の聴き取りをして書き起こし、 それを日本語に訳して、雑誌に載せた。自分の好きなアーチストの 歌詞を知りたければロッキンオンを買うしかない時代が70年代の 後半ぐらいまであった。 でも、英詞や訳詞に価値があると気付いたレコード会社が、 歌詞カード付きで日本盤を作り、 著作権の絡みで歌詞を雑誌に掲載できなくなった80年代初めに ロッキンオンは普通の雑誌になっていく。 しかし、ロッキンオンが歌詞カードを生み出したという功績は残ると思うし http://www.warewaredan.com/contents/anarchy.html このようなHPで洋楽の歌詞の訳し間違いの指摘文章を読むと 頑張れロッキンオンと思う。 一九八〇年代のよいこの歌謡曲も本当に面白いのは批評の部分だ。 よいこの歌謡曲20号p50波田浩之さんのレビューより 「実は2年前の夏から僕は都内の某レコーディングスタジオで  バイトしている(電話をとったり、お茶だししたりする)。  メジャーな歌謡曲のアイドルもよく来る所で、リズム録りから、  トラックダウンまで全部できる。伊代が『時に愛は』録ったときには  尾崎亜美がつきっきりだったり、『永遠に秘密さ』は達郎の仮り歌が  メチャクチャカッコ良かったり(リズムギターも達郎です)、」 通常、アイドルポップスの記事を書くとき、 アイドルについて書くべきであって、その後ろにいる 作曲家・作詞家・編曲者・演奏者・レコーディングスタジオなど について書くのはタレント事務所の反感を買う。 それを書いてしまえる批評誌である点がすごかった。 広告を見ると、中古レコード屋の広告やミニコミの広告、 自費出版系印刷所の広告が載っている。 映画において、主演俳優をアイドル視する商業雑誌から距離をおき、 作家主義(監督・脚本家中心)の批評を展開した映画批評ミニコミ カイエ・デュ・シネマからヌーベルバーグが起きたように、 よいこの歌謡曲は80年代のアイドルポップスを作家主義批評していた。 5バブル経済 映画「バブルへGO」ではバブル経済を 80年代後半から90年代始めに設定されているのですが、 私の印象ではバブルと言えば80年代始めなんですよ。 経済の厳密な数字上では92年が接待費額のピークだったらしいのですが そこはバブルではなく、バブルの崩壊の時期だろうと思う。 金を水に、世間を風呂の浴槽に例えたとして、 浴槽に栓をして水を入れるために蛇口をひねる。 この蛇口をひねる動作をバブルと思うか、 浴槽に水が溜まった状態をバブルと思うか 風呂の栓から水が流れていく流水量のピークをバブルと思うかで タイムラグがあるのですが、水道の蛇口をひねったのが80年代の初め 水が溜まり出したのが80年代後半、水が流れていったのが92年。 第二次大戦の敗戦直後1ドル=360円だったのが、 最高で1ドル=99円ぐらいまで円高になった。 いまが1ドル=120円だとしても単純計算で3倍になってる。 1970年代後半から80年代半ばにかけての十年でも 円が倍になってるらしい。 360円で1ドルしか買えなかった物が、 360円で3ドル分の商品を買えるようになれば、 円で取引されている日本の土地・株がすべてドル換算で三倍の値段に 跳ね上がることになる。 株の値段が三倍に成れば、その株はもっと上がるのではないかと 多くの人が思って投機目的で株を買い、さらに株は値上がりする。 バブルの正体を円高だけで説明するのは無理があるが、 1983年時は円高不況だと言われた。 円が高くなったことで製品が外国で売れなくなったのだ。 景気が悪くて不況だからバブルではないのだが、 同時に、株や土地の値段が上がってバブルの条件はそろっている。 バブルのきっかけはレーガン=中曽根時代に、 当時不況だったアメリカ経済を日本が内需拡大で買い支えると 約束し、日本の経済成長率を高度成長期の水準で計算したために 生まれた部分がある。 敗戦直後の焼け野原には家も道路も線路もない。 そこへ線路や道路や学校などを建てれば、経済成長が起きる。 線路や道路を整備し終わった後に、 それでも経済成長をしなくてはならないので、 公共事業をやらなくてはいけない。 公共事業の予算はあるが、線路や道路はもういらない。 竹下内閣がふるさと創生で、各市町村に一億円ずつばら撒いた。 予算は単年度計算なので、一年で使い切らないと来年度の予算が削られる。 使い道のない一億円が突然国から降りてきて、 一年以内に使い切らなければいけなくなる。 「クイズ年の差なんて――バブルへGoスペシャル」で出てきたような 無意味に高いフルーツ盛りや一杯百万円のカクテルは 高級官僚や公務員が、予算の消費のために使った手段なわけです。 使い道のない予算が国から降りてきたからといって、 自分達の給料にすることは出来ないわけで、でも接待費・交際費としては 青天井で使いまくれる。 高級クラブに行って、自分の好きなホステスを口説くのに、 百万円のカクテルを入れて、領収書で落し、 お気に入りのホステスを店のNo1にして、 その見返りをホステスに要求するとか、 最悪そのクラブを経営している人間も知り合いで、 その店で使った金のうちの一部をキックバックでもらうとかなってくると 贈収賄なんですが、その百万円のカクテルは 個人の給料から出すには高いのですが、ふるさと創生の一億円や 道路や線路を作る国家予算から回す額としては決して高くない。 そうやって高級官僚からばら撒かれた金が、 色んな人の手を回っていくのがバブルだとして、 西部のセゾンなどはバブルの金を文化事業に回していた。 80年代の宝島もセゾンの広告を入れてバブルの恩恵を受けていた。 それがバブルである以上、92年にバブルがはじければ、 宝島だってやっていけなくなる。 俺の好きだった宝島=インディーズってバブルだったんだなぁと そもそもの成り立ち自体が、 売れなくても良いから面白い雑誌を作れと言って、 お金をくれた植草甚一さんからスタートしている以上、 赤字になるようなことをやるための雑誌だったわけで、 基本80年代のよいこの歌謡曲と同じく、 学生・フリーター達がボランティアで活動する雑誌で、 それがバブルの力でブレイクし、バブル崩壊と共に 普通の雑誌になっていく。これはしょうがないことだと思う。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 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