■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 号外    2006/4/6発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1純粋芸術とは何か つうことに興味があった。 英語で言うとファインアート。 純文学でも、現代文学でも、現代詩でも、 現代音楽でも、クラッシックでも、現代美術でも、 コンテンポラリーアートでも、何でも良いけど、 純粋芸術って、何をやってるのだろう? どうやって生活費を稼いでいるのだろう? そういう興味が、高校・大学時代にあった。 ポップミュージックやジュニアノベルや大衆小説や サンリオ系のキャラクターデザインやイラストなんかと比べて どう考えても売れてなさそうだし、 どうやってお金を回しているのだろう? そういう興味があった。 子供の時に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて 大きくなった自分をイメージできなかった自分は なんて答えて良いか分からず黙っていたのだけど、 「宇宙飛行士」とか「パイロット」とか答えておくと 「子供らしい」といって大人に重宝される物だということを知って 取りあえず、そう答えてみたりもした。 中学ぐらいになると、さすがに「宇宙飛行士」とか答えるのは 恥かしいわけじゃん。中三にもなると一応進路相談とかもあるし。 進路相談では無難に「高校へ行きます」と答えるとしても、 大人になるといった時のイメージが漠然と、 「大学行って、会社員になって」というイメージしかなくて 当時テレビのニュースで 「サラリーマンの平均生涯賃金が2億円」 てのやってて、「俺の人生2億円かぁ」と思ってたわけだ。 中学二年の文化祭のバザーで矢沢栄吉の「成り上がり」が売られてて 軽く立ち読みしたんだけど、中学二年生の自分にとって 「ロックミュージシャンになって成り上がったぜ」みたいな本は すげーかっこ悪いわけだ。 「ロックミュージシャン」なんてのは中二にとって、 「宇宙飛行士」や「パイロット」と同じぐらい幼稚でカッコ悪い答えで、 やっぱ、「進学して、将来は公務員になります」とかが 大人でカッコイイと思えるわけ。 でもそれは、すげー漠然としてて、 サラリーマンや公務員が何をする仕事なのかとかは、 まったく分からないわけだよ。中二だから。 高校行って、ちょうどその頃、バンドブームがあって、 宝島とかにバイトしながらバンドマンやってる人の体験談みたいなのが 雑誌に載ってたり、別冊宝島で現代美術だの現代思想だのに触れて、 「こーゆー世界もあるんだぁ」と漠然と思って、 で、そういった現代**みたいなのは何をやってるんだ?という興味と 現代**の人達はどうやって食ってるんだという興味が 沸くわけだ。 どう考えても、現代思想の本が、映画化やドラマ化されて ベストセラーになるとか、 現代音楽がオリコンチャートの一位になるとか、 現代美術や純粋芸術のアーチストが作ったキャラクターグッズが 女子高生の間で大流行とか、なさそうじゃん? 近田春夫の「考えるヒット」p97&98を見ても 音楽業界にいる近田春夫すら、 クラッシックの人がどうやって食っているのか分からないという 書き方をしている。 クラッシック業界の人がものすごく豪華な暮らしを しているように見えるのだが、どうやってやりくりしているのか よく分からない。 三千人規模のホールを満員にしたとしても、ロックバンド四人で ギャラを分けるのと、オーケストラ百人でギャラを分けるのでは 一人分の取り分が違う。 ましてオーケストラはバイオリン一個三千万円とかの世界だ。 エレキギターなんて高くても百万前後。 普通の高級品だと三十万が上限だったりする。 百人で三千人集客して、一人あたりの集客が30人。 チケットが一枚三千円だとして、一人九万円。 会場代や流通経費やいろいろ差っ引くことを考えれば、 一人分の取り分は当然もっと少ないはずで、 それでなんで三千万のバイオリンが買えるんだという話になる。 そういう嫌なことを考えるガキだったんだよな、俺は。 クラッシックに関して言うと、ベルリンフィルオーケストラとかは ベルリン市が税金を出してオーケストラを雇ってると。 さらに、海外で公演をするときに、市からの税金をもらいながら 例えば日本で演奏するとすると、 日本の興行主からもギャラをもらったり、 海外公演の練習風景をフィルムにとって映画にして、 その映画とセットで興行主に売って、テレビ(NHK)で その映画を流させて、映画を収めたビデオを売ったりとかしたらしい。 市の税金で雇ったオーケストラ使って映画撮って、演奏会やって、 そのギャラを市に内緒で指揮者が自分の懐に入れて それがバレて、市と指揮者がもめたりとか。 CDの印税も、通常のポップスの場合、作詞・作曲が各3%づつで 歌唱印税が0.05%。作詞作曲編曲演奏歌唱 全部一人でやってる売れっ子フォーク歌手辺りで6%・7%。 仮に、千円のシングルが百万枚売れたアイドル歌手がいたとして 歌唱印税がシングル一枚につき0.5円で、百万枚で50万。 これがクラッシックのカラヤンの場合、 指揮者の取り分が定価の10%。 オーケストラの取り分が定価の2%。 「アダージョ・カラヤン」が日本だけで仮に十万枚売れたとして 一枚千円の十%、100円掛ける十万で一千万円。 オーケストラの取り分が、2%で百人居るので、一人0.02%。 千円のCD一枚あたり0.2円で、十万枚売れたら2万円入る。 もちろんそういうのは臨時収入で、 ちゃんとした給料は市の財政からちゃんと出る。 参考文献「帝王から音楽マフィアまで」p39 「グラモフォン社がカラヤンとの録音契約で支払う印税は 十二パーセントとも十四パーセントともいわれているが、 そのうちオーケストラに渡されるのはわずかに 二パーセントで、あとの十パーセント以上の金は カラヤンの懐に入ってしまう。」 同書のp13には、連邦政府とベルリン市から補助金をもらって 文化活動として演奏を行っているベルリン・フィルを使って 海外公演をした際、補助金と現地の興行収入の二重所得を 得ていたことがバレてバツが悪くなる指揮者の話も出てくる。 じゃあ、そんなに取り分の多い指揮者って何をやってるのか? 何で偉いのか?市は何で、オーケストラにそんな税金を払うのか? 売れないフォーク歌手や売れないポップミュージシャンで 良い歌うたってる人もいっぱいいると思うんだけど そういう人には税金は使われずに、オーケストラや指揮者には使われる。 その差はいったいなんなのか? みたいなことにずっと興味があった。 これはクラッシックに限らず、美術でも文学でも思想でも同じだ。 2芸術の歴史 以前メルマガで、イタリアルネッサンスから ドイツへ行ってイギリスへみたいな事を書いた。 ルネッサンス   ↓ 古典主義(古典派)   ↓ ロマン主義(ロマン派)   ↓ 写実主義   ↓ 自然主義 という流れを大雑把に考えて、ルネッサンスを文藝復古と訳して、 古代ギリシャ・ローマ文化を再発見しましょうみたいな運動だと 考えると、古典主義と、意味的には同じになる。 この時代は文化人になろうと思うとまず、 古代ラテン語の文章が読めないとダメで、 ラテン語の勉強に数年使って、 次にラテン語で書かれた各専門分野の学術書を読むようになって そこで特定の専門分野の学問を身に付けるのに数年掛かる。 その学術分野の中でも博物学を修めた人間が、 色んな鉱物の勉強をして、山へ行って目的の鉱物を集めて 鉱物をすり鉢でつぶして絵具を作り、そこで初めて 絵を描けるようになる。 芸術家は、絵を描くにしても、 まず自分で絵具を作るところからやらなくてはいけなかった。 今でもそういうところがあるけど優れた画家は、 独自の色を出す独自の絵具を持っていて、その成分は極秘で 一番弟子にしか教えないとかいう世界だったわけだ。 音楽にしても古代ギリシャの音楽は合唱がメインだったので 五線譜ではなく、詩の上に点とかマークが付いていて そのマークと言葉のイントネーションで、 メロディを感じなければいけない。 外国語の歌詞カードを見て、イントネーション=メロディを 感じ取る能力が要求される。 古代の言語で書かれた文学を現代に翻訳するのはもちろん学術的な 仕事だけど、この時期の芸術は音楽にしろ絵画にしろ すごく学術研究に近かったと。 これがロマン派になると、古典の枠から離れて 個人のインスピレーションが重視されて 創作に近くなると。 絵を描くための絵具が、チューブに入れて一般に売られるようになって ラテン語や博物学が出来なくても金さえ払えば絵を描ける。 それまで手書きで本をの書いていたのが 活版印刷術が発明されて、創作文芸でベストセラーを出せば 創作一本で生活して行けるようになって、 職業小説家、パトロンを持たない大衆小説家が生まれると。 一部の金持ちがパトロンになって、 一部の学者の間で芸術が作られる時代から 大衆が大衆のための芸術を作るようになったと。 一般の人に広く門戸を開けられたのがロマン派の時代で、 音楽と美術と文学が割りと近くなる。 いまでいうメディアミックスですね。 文学を題材にした絵や音楽が流行る。 空想的で自由なロマン主義時代が終わって、 写実主義・自然主義時代になると、 目の前の現実をありのまま描く絵画・文学が台頭する。 文学的にはゾラが提唱者で、創作文芸というより ルポタージュ・ドキュメンタリー的な色合いが強くなる。 貧困や犯罪や戦争といった社会問題が起きている場所に入っていって そこで起きていることを描く。 絵画にしても貧しい農村を描いたり、 逆に貴族の華美な生活を醜く描いたり社会問題に切り込もうとし始める。 ロマン主義の時に、個人に目が行っていたのに対して この時期には社会に目が向くようになる。音楽でいえば国民楽派が 自分達の民族に古くから伝わる音楽を取り入れることで 民族の出自にスポットを当てようとしたように。 ルネッサンス・古典主義=翻訳・学術研究        ↓ ロマン主義・ロマン派=創作・芸能・芸術        ↓ 自然主義・写実主義=ルポタージュ・ドキュメンタリー 上の三つも厳密には、そんなにきっちり分かれてなくて ルネッサンスの時代に万能の天才といわれたダヴィンチも ラテン語が読めなかったとか、 ロマン主義的な作風のゲーテ(通常古典主義に入れられる)が ロマン主義を批判してたり、 自然主義の提唱者ゾラがロマン主義を擁護してたりと ちゃんと区分しようとすると、 著者の自己定義と実際の作風が違ったり、 時系列的にはロマン主義時代でも、 作風的には古典主義の人もいたり、 面倒なことが多い。 思想的には、ロマン主義にナポレオンのボナパルティズム、 自然主義にダーウィンのダーウィニズムが入る。 若き天才ナポレオンが天下を取り、悲劇的な末路をたどるように ロマン主義において「若き天才」と「悲劇的な結末」がセットになる。 ダーウィンの進化論が弱肉強食によって、 環境に適応しない種が絶滅し、適応した物だけが残り、 進化が起きるとしたように、 環境に殺されて行く弱者の視点で社会を描いた小説が 自然主義と呼ばれたりする。 と分けると、ポエトリー第一世代・第二世代・第三世代の 自分内定義や、新劇・アングラ・小劇場の変遷と 変わんねぇーじゃんと思った。 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/145gou.txt 結局、俺の悪い頭で物を認識しようとすると 一つのパターンにしかはまらないのだなぁ。 もっと、頭が良くなりたいなぁ。と思う。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□