■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 号外    2006/1/14発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 朗読等に関して、いくつかとりとめのないことを書きたい。 2普通の人 詩のボクシングは「普通の人」にこだわる。 楠さんは「普通の人を見たい」と言う。 このメルマガで私は詩のボクシングに関して 色々批判的なことも書いたが、 朗読イベントに接した量に比して、 このメルマガでコメントした量は、詩ボクに関してかなり多い。 楠さんはいわゆる東京ポエトリーシーンというか ある固有名詞を出して 「**がやっているようなことは、 もう何十年も前から俺たちはやっているんだ。」ということを 言って**さんをある種ライバル視というか 批判する発言をしている。 ここで批判されているのは、**さん個人というよりもは ロバート=ハリスさん、宝島初代編集長で、 ウェイストランドのポエトリー特集に寄稿してたりする室矢憲治さん 辺りから始まって、 ハートランドのポエトリーカレンダートウキョウでつながる 東京ポエトリーシーン全般だと私個人は感じる。 楠さんが、何十年も前から自分達が朗読をやってきて いまのスタイルにたどり着いたと。 ここ5・6年やってるような人達が考え付くようなことは すでに自分達がやって、捨ててきた物を繰り返しているに過ぎないと いうとき、確かに共感しないまでも詩ボクの奥行きは感じるし 反感であれ何であれ、詩ボクから何かを感じるし 触発されるからメルマガに書くわけです。 朗読第○世代という東京ポエトリーシーンの中にある 歴史観について説明すると 第一世代が、ロバート=ハリスさん司会の J-waveのポエトリーカフェ(1996-1998)というラジオ番組の 影響を受けた人達で 番組のの常連だったのが、三代目魚武濱田成夫さん、 作詞家の森雪之丞さん、カオリン=タウミさんだと。 ロバートハリスさんはオーストラリアで書店を経営していた人で 本の販売促進手段として朗読をとらえている出版畑の人ですね。 他に元少年週刊ジャンプの編集長が作った雑誌ウェイストランド なんかも朗読に力を入れていたし、室矢憲治さんや ベンズカフェでの朗読イベントの初代司会者で アメリカンブックジャム http://www.bookmall.co.jp/abj/abj/index.html トランジスター・プレス http://www.k3.dion.ne.jp/~radio68/index.html の佐藤由美子さんなど、出版畑の翻訳業界の人が 本の販売促進活動の一つとして朗読を始めたと。 で、出版業界だけでは広がりに限界があるので 音楽業界の人達も巻き込んだと。 さいとういんこさんが1.5世代という言い方をするのは ここですよね。出版業界の人達を第一世代と言ったときに 音楽業界にいた自分は1.5世代だと。 この音楽業界の中に三代目魚武濱田成夫さん、 http://tinyurl.com/dug3v 作詞家の森雪之丞さんが入ると。 音楽業界で朗読といっても中々黒字にするのは 難しいし、継続が困難だなというところに 一般人を巻き込んだオープンマイクイベント中心の 朗読第二世代が生まれて、 普通の人が人前で普通に朗読するようになったと。 オープンマイクは朗読に対する敷居を低くして 「誰でも朗読して良いのだよ」というところへ持っていって 裾野を広げたと。 次の朗読第三世代は、ここは私の個人的な解釈ですが 朗読をしている一般人の中から観客動員力のある人を 作り出していこうとしていると。 オープンマイクは初心者でも朗読しやすいよう 朗読者にやさしい空間を身上としていたのが SSWSでは、審査員が朗読者を商品になるかどうかを吟味し 商品にするためのアドバイスや加工を施していく。 この解釈には、反論が多いとは思いますが、 まあ、私はそう思うと。 これと同じ道を楠さんが通ってきたというのは想像できる。 詩ボクだって最初は谷川俊太郎さんやねじめ正一さんといった 芸能人部門・有名人部門でやっていたのが 素人参加型になり、そこからどう人を育てるのかという ところへ来ている。 裾野を広くして競技人口を増やした第二世代があって でも、それだけではビジネスにはならないから 観客動員力のある人を育てなきゃいけない。 自然発生的にそういう人が出てくればいいのだが、 出て来てないという前提で話を進めた場合 イベント主催者が朗読者に何らかの教育なり加工なりをして 育てていくとなったとき、主催者サイドの見識なり方向性なりが 重要になる。 あるときテレビを見ていたら、テレホンショッピングをやっていた。 司会者が実演をしながら 「奥さん、油汚れがこんなに落ちるんですよ」 というと、テレビの中の客席にいる奥様がたが 「おお〜〜〜〜〜〜!」と歓声をあげる。 深夜によくある普通の番組だったのですが 何か違和感を感じたんですね。 最初それは何なのかが分からなかったのですが、画面を見ていると なんとなく辺なんですよ。 客席で歓声をあげたり、うなずいたりしている奥様がたの中に どこかで見たことがあるけれども 誰だか分からない人達がいたわけです。 見たことはあるけれども名前も分からないし どこで見たのかも分からない人がいる。 よぉーーーく思い出すと、吉本新喜劇で脇役をやっている 人達だったんですね。 私は関西出身なのですが、関西のテレビでは毎週土曜の昼や 日曜の昼といった時間帯に吉本新喜劇が流れていました。 私もよく観ていたのですが、その新喜劇のエキストラに近いような 無名の人たちの名前までは分かりません。 でも、顔は見たことがあります。 よく見ると、テレホンショッピングの客席で 「おお〜〜〜〜〜〜〜!」とか言っている人達全員が 吉本新喜劇の名前も顔も売れてない人達で見た瞬間、 やらせだ、仕込だと感じるような雰囲気になってるわけです。 冷静に考えると、テレホンショッピングの歓声なんてのは 全部やらせだろというのは、分かるのですが それでも、例えば「笑っていいとも」のように 番組収録の観覧希望ハガキを出して、視聴者が集まって ADさんが腕を回したら拍手、ADさんが腕を挙げたら 「おお〜〜〜〜〜〜〜!」と歓声を上げる。 そういうことをしていれば、理屈じゃなく感情レベルでは 自然な感じになるわけじゃないですか。 ブラウンのCMでも、通勤中にサラリーマンが呼び止められて ブラウンでひげをそって、そり残しがあったと。 ここでブラウンをほめれば、 出演料としてブラウンの電機カミソリがもらえる。 もし、そのサラリーマンがヒネくれた人で、 ブラウンをけなしたとしても、CMで使われずにカットされるだけで だったら、一応ほめておいた方が得かなと 素人でも思うわけじゃないですか。 理屈の上では素人使かってても、ある種の合意はあるし ヤラセというか作為というか演出というか 意図する物はあるわけじゃないですか。 でも、無名の素人がやってれば不自然さはないわけです。 ところが、ブラウンの撮影中に、偶然、HGラモーンが通勤していて 「ブラウンです。ちょっとそっていただけますか」と言われて 「ブラウン、フゥーーーーー!」とかやってたら、 不自然に感じるでしょ。百歩譲って、ブラウンのCM撮影で 年末の新宿に行きました。 偶然、HGラモーンのコスプレをしたサラリーマンが 歌舞伎町で忘年会で一晩明かして、早朝、 通勤のサラリーマンに混じって歩いていることはありえます。 そこへブラウンが行って、 HGラモーンのコスプレをしたサラリーマンに ひげをそらせるかと。忘年会でHGラモーンのかっこうをした ごく普通のサラリーマンでも、 やっぱりそれは「普通の人」ではないと。 素人参加番組には、普通に見える人が必要で 普通に見えない普通の人は要らないと。 朗読第一世代、第二世代という言い方をするなら せっかく素人参加型の第二世代を作ったのに 素人のコンクールに有名人を仕込んで優勝させてしまった ように見えては第一世代に逆行することになる。 3演劇の流れ 詩ボクの歴史観は、 東京ポエトリーシーンの持ってる歴史観とはかなり違うと思う。 おそらく、詩ボクの人達は先行する世代として 寺山修司を意識していると思う。 私がある人から 楠さんは詩ボクの朗読は寺山修司の朗読とは別の物だということを 強調したがっていると聞いたことがある。 寺山修司は劇団天井桟敷の座長兼劇作家で、 朗読ブームを作った人でもある。 そして楠さんが、寺山との断絶を意図的に強調しているとすれば それは、寺山からの継続性があるからだと思われる。 寺山修司を知るために、寺山修司の起こしたアングラ劇団ブームを 考えたい。 鴻上尚史は日本の演劇の歴史を 新劇/アングラ/小劇場と三つに分けた。 新劇というのは、江戸時代にあった大衆芸能としての歌舞伎と違い、 西洋式の近代的な演劇を日本に輸入し根付かせようとした演劇だ。 黒船で無理やり開国させられた日本が 植民地にならないためには近代化をせねばならないと 明治政府が考え、近代化政策の一つとして政府主導で作られた劇だ。 政府が作った国立大で、西洋の演劇理論を勉強した人達が 作る劇だと。そこではルールや秩序が尊ばれたと。 アングラはド素人が努力も練習もなしでスターになれますよと いうのが売りで、街中を裸に絵具を塗った仮装行列が練り歩くのを 雑誌やスポーツ新聞が面白おかしく取り上げて話題になったものだ。 過激で過剰な見世物小屋・お化け屋敷の要素と、 裸体を売りにしたストリップ劇場の要素が中心になっている。 反体制・反政府の大衆娯楽だと。 小劇場はテレビのバラエティー番組的な要素を演劇に取り入れたと。 楠さんの詩のボクシングは学校教育に取り入れられたり NHKで放送されたりと、 民と官で言えば官に働きかけている要素が強く、 性的な表現、過激な表現を嫌い 姿勢としてはアングラ(寺山修司)よりも新劇に近い。 朗読第三世代になって、主催者に教育し育てる意志が見えるとすれば 主催者の意図を読むことは今後大事になると思う。 SSWSなんかは音楽産業・ショービジネス的な所を目指すだろうし 対する詩のボクシングは民よりもは官寄りに 教育的な方向を目指すと思われる。 また、新劇/アングラ/小劇場という三つの時代が 朗読第一世代/第二世代/第三世代と似ているとも思う。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■ ■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□