■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 143号    2005/12/12発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1映画と音楽とファッション 私は映画をほとんど観てないし、知らないのですが、 どうやら、音楽というのが小学校高学年から高校生ぐらいにかけて 流行るように、映画というのは大学時代にはまる物であるらしいです。 映画を観るだけの金と時間を手に入れるのが大体、 人生の中では学生時代ぐらいしかないと。 あとまあ、デートの定番コースとしての映画というのが 一つはあると。 フリッパーズギターのボーダーシャツの元ネタが 映画「なまいきシャルロット」 http://tinyurl.com/9znv4 だとか リーゼント・革ジャン・バイク・ロックンロールという ロッカーズの定番が一番最初にあらわれたのが マーロン・ブランド主演の「乱暴者」 http://tinyurl.com/b6h8b で、マーロン・ブランドと敵対する暴走族の名前が 「ビートルズ」で、年代的にも53年製作なので、 ロックバンド、ビートルズの名付け親とも言えるかもしれません。 マーロン・ブランドから、 ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」、 エルビス・プレスリーの「監獄ロック」というのは 一つのロッカーズの流れと言えるでしょう。 ビートルズはアマチュア時代、リーゼントに革ジャンの ロックンロールバンドだったのですが、 それでは売れず、マネージャーがエプスタインに変わり、 エリなしスーツにマッシュルームカットという ファッションに変わり、 音もロカビリー調のものから、 カレッジフォーク系に軌道修正されて その流れが、一般にはモッズ寄りのファッションに 変わったということになってるのですが、 どちらかというと、モッズよりも カレッジフォーク、映画で言うと 「サウンド・オブ・ミュージック」 「小さな恋のメロディ」 役者で言うと「オードリ・ヘップバーン」 反抗的な暴走族ファッションから、 優等生的な学生服にパッケージを替えて、 初めて売れたと。 音楽のパッケージの一つであるミュージシャンのファッションを 見ると、元ネタが映画であることが多いことに気づく。 2第一回文学フリマ 第一回文学フリマに行った時に鎌田哲哉氏と大塚英志氏の公開討論が あったのですが 参考 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/47gou.txt その討論でやり取りされた言葉よりも 二人のファッションが私には衝撃的で 特に鎌田哲哉さんの髪型や服装はカッコ良いなと思いました。 雑誌の写真で鎌田さんの顔は知っていたのですが、 生で見ると、迫力が全然違うんですね。 まず髪型が、乱れ髪風無造作ヘアで、 服は厚手のブカブカのセーターを着て、 袖をまくって丈を合わせている。 一言で言うと、1970年代の学生ファッションです。 あの時代の芸術家というのは、大体ああいう髪形をしていて 池田満寿夫、楳図かずお、探偵物語(工藤探偵事務所)の松田優作、 島田荘司、森田童子、エレファントカシマシのVo宮本と あの時代の芸術家は、ベートーベンのような カーリーヘアのもじゃもじゃ頭で、 ティアドロップス型のサングラスだった。 あの時代のあの髪型の人は、ファッションに気を使っていても ファッションに気を使ってないですよという態度をとる。 かっこいいパーマをあててても「寝癖だよ。寝癖。」という 言い方をする。実際には、無造作風の髪型をセットするのに 時間が掛かっていても、 「うっせーな。(寝癖)髪なおすよりも、 人生にはもっと他にやるべきことがあるだろ。 カッコ気にするより自分を磨く方が大事なんじゃねーか? 外見よりも人間中身だろ、中身!」 という態度をとりたがる。 少し前だと、前園・中田系の無精ひげが、 「こっからここまで3ミリ残して切りそろえて、 ここからここが6ミリで、それ以外はきれいにそって」と 普通にそるよりあきらかに手間のかかる 手入れをしているにも関わらず、 「ひげ?ああ、伸びてるけど気にしないよ。 俺は細かいことは気にしないワイルドな男なんだ」だったのと 似た感じで、70年代の学生達の清潔感を保ったワイルドが そこにあったわけですよ。 厚手のセーターもですね。太目の毛糸を粗く編んだセーターで 引っ張るとセーターの下に着ているシャツが透けて見えたりする。 しかもところどころ、伸びてたり破れてたりする。 そういうのがワイルドでカッコ良いという価値観があったわけですよ。 三島由紀夫が1969年、東大全共闘と公開討論をしたときに、 主催の全共闘側の仕切りが悪くていまいち盛り上がらない場面があって 「なにやってんだ」つって、客席から野次飛ばして、 壇上に上がって、マイクを握り、 全共闘と三島両方をこき下ろした学生がいて そのVTRの一部を昔ニュース23で見たのですが、 その、客席から壇上に上がった学生のファッションが 鎌田哲哉さんでした。 セーターの一部が伸びてほつれてひざ上ぐらいまで来ていて セーターの反対側がやはりほつれて短くなって ズボンのポケットの上ぐらいに来ていて、 正面から見ると、セーターが ウエストからひざにかけて斜めになっている。 第一回文学フリマのときはさすがに全共闘から三十年ほど経ってるから そこまでひどいカッコではないのですが、 セーターから髪型から、ワイルド・反体制てのが出ているわけです。 その鎌田哲哉さんが主張していることは この文学フリマを主催している大塚英志は、主催者である以上、 我々参加者よりも権力を持った体制側だ。 私は君たちと同じ八十分の一 (第一回の参加サークル数が約八十サークル) でしかない。一緒に体制側と戦おう! という内容でした。 この主張そのものは、他の参加者達からすごい反発を招いて 鎌田さん個人のためにわざわざ主催者が時間と場所を用意して トークショーをやって、SPA!をはじめとする マスコミも来ているわけで、あきらかに他の無名の参加者とは 違うわけだ。文学フリマに参加する経緯一つとっても 一般の人は自主的に参加しているのですが、 鎌田さんは「参加したくない」と何度も言っているのに しつこく大塚さんから誘いがあって、 結局、何故参加したくないのかを文学フリマの場で 発言しろといわれて出てきたわけで、 他の自主的に参加した学生・社会人サークルとは 扱いがまったく違ったわけだ。 対する大塚英志さんは、度のキツイ眼鏡にテクノカットで トレーナーにジャケットを羽織って 下もスエットみたいなのをはいてました。 ジャケットは室内では脱いでイスの背もたれに掛け、 トレーナー姿で歩く服装は80年代の大学生のファッションでした。 80年代初期のサザンオールスターズやB&Bのライブビデオで 客席を映すと、客席の大学生は男も女も大体トレーナーを着ている。 もっと言うとB&Bの島田洋七さんみたいなファッションを あの頃の学生はみんなしていたわけです。 それまで西部劇を観ても、プレスリーを観ても、 マンダムのCMを観ても、男は太くて濃いもみ上げを残すのが ワイルドでカッコ良いとされていたのが YMOとクラフトワークで、もみ上げをそったテクノカットが カッコ良いとされるようになったと。 マカロニウエスタンの風景や服装ならともかく 無機質な現代社会でリクルートスーツを着るなら 無機質なテクノカットの方が似合うだろと。 80年代初期〜おニャン子クラブにかけては テレビに出てくるアイドルも若者向けお笑い芸人も みんなトレーナーを着ているわけです。 おニャン子なんかは、少し大きめのトレーナーを着て そでから指先だけを出して、 トレーナーごとマイクを握ったりするのが カワイイと言われていたわけです。 70年代の学生ファッションと 80年代の学生ファッションを見比べて 何が分かるかというと日本の経済成長があります。 当時の私の目からみて、鎌田さん大塚さん共に 肉体労働者の服装ではありません。 肉体労働の場合多くは屋外での仕事になるため 文学フリマが開かれている11月ですと寒いので ジャンバーを着ます。鎌田さんのような厚手のセーターでは 風がセーターを直撃して寒いので、 上に何かを羽織らないとやってられません。 つまり、あのセーターは屋内で働く頭脳労働者の服装です。 けれども、大塚さんと比べたときに経済状態は 大塚さんの方が良いことが予想できます。 大塚さんはトレーナーの上からジャケットを羽織って会場まで来て 会場でジャケットを脱いでイスの背もたれに掛けている。 つまり、外は寒いけれども、部屋の中は暖房が効いていることを 前提とした服装をしています。 対する鎌田さんは厚手のセーターを着て、 風のない室内であれば暖房なしでも暖を取れる服装です。 普段から暖房の効いた室内にいる人間と 暖房が効いてないことが前提になっている服装の人間では おそらく、暖房の効いた室内に慣れた人の方が 経済状態は良いでしょう。 この経済格差が、何に反映するかというと 思想的な立ち位置に反映します。 1960〜70年代の学園紛争が何故起きたのか、 80年代に学園紛争がなかったのは何故なのか ベトナム反戦等の建前はあるにしろ、 自分達にエサが与えられているのか無いのかの差ですね。 学園紛争の発端の一つとなった東大闘争では 医学部の学生と教授の中間にあたる人たちの間で 問題が起きます。 学生→院生→助手→助教授→教授というピラミッドがあるとしたときに 院生でも教授が学生を教えるときのお手伝いとして 資料を集めたり、ゼミ生の相談役になったりもしますし 助手でも教授から色々と教えを受けることもあって 先生とも生徒ともつかない微妙な位置があって、 大学内で給料をもらう仕事もあるし、 仕事上の義務も色々発生するのだけれども、 それだけでは食えないから、色々バイトもしなきゃいけないし、 かといって学内の仕事があるから一般企業への就職もできないし、 この中途半端な位置のまま30歳40歳になるのも辛いという 非常に微妙なポジションの人達がいて、 このポジションから上に上がるには、 実力も必要だけど上のポジションの人が死んだり職場を去ったりして ポジションが空くという運も必要で、 ポジション空き待ちの30代40代の 高学歴低収入アルバイターみたいなのがいっぱいいて、 すごいストレスを抱えて生きてたりするわけです。 金にならない雑用を上から押し付けられて、 でもコネや人脈はポジションを得るのに大事だから断れず、 東大の大学院まで出たのに 良い思いが出来ない人達の中で、グループを作って 「上の連中出て行け」みたいなことを言ってるグループがあって あるとき、そのグループの人が教授を殴って首になったんだけど 首にされた人達の中に、アリバイがあって あきらかにその現場にいなかった人も含まれていて 「殴ってないのに何故クビになるんだ」って揉めて 学園紛争が起こり、全国へ広がっていったわけだ。 東大の大学院卒という学歴がありながら、 それが収入や生活の面ではマイナスにしかなってないという ストレスが大学という制度に対する怒りになったのですが 1980年代には、日本がバブルになって、 三流の大学でも卒業すればそれなりに良い働き口がみつかるので 四年間大学に籍おいて、 冬はスキー夏はサーフィン普段はドライブとデートとテニス、 四年間の夏休み、楽で楽しくて良いなぁと。 70年代の学生と80年代の学生のファッションの差が お互いの思想やメンタリティを反映していると。 鎌田哲哉さんの「体制側である大塚英志と闘おう」 という呼びかけに対して、 参加者からいくつかの反応があったのですが、 その中で、「体制が治安を守ったり、 イベントを開いたりしてくれるから 私達は日々の生活を営んだり このようなイベントを楽しんだりできるわけで、 鎌田さんのような反体制的な人ばかりでは 社会生活を営むことすら出来ない」 といった感じのことを発言した女の子がいました。 周りがうるさかったので、聞き取り辛かったのですが おそらくそういう感じのことを言っているのだろうなという 人がいて、この人のファッションがまた、印象的でした。 ショートカットに眼鏡でリクルートスーツに 膝丈タイトミニでミドルヒール。 という典型的なリクルートファッションというか、 テレビドラマに出てくる 秘書や女教師のコスプレのようなファッションで 服装と発言内容がtoo muchで、これはこれで面白いなと。 特にミドルヒールという中庸の精神が面白くて、 ローヒールに膝下の丈のスカートだと 色気のない授業参観のお母さんファッションだし、 赤いピンのハイヒールで太もも丈だとベタなアメリカンポルノの 美人秘書になってしまう。 色気をどこまで出すのかといったときに、 過剰に出すのでもなく無理に押さえ込むのでもなく 自然な清潔感のある、女子アナウンサー的なナチュラルな感じで ミドルヒール。 就職用のリクルートスーツであれば、 スカートじゃなくてズボンでも良いわけじゃないですか。 でもそこで、ひざ頭がギリギリ見えるか見えないかぐらいの ひざ丈タイトミニという、絶妙なバランス感覚ね。 で、発言内容は、無条件に反体制を叫ぶ人は好きじゃない。 という内容で。 鎌田さんの「若者達よ!共に体制と闘おう!」みたいなのは 中央線貧乏カルチャーエリアだと支持されたと思うんですよ。 上野・中野・高円寺・荻窪あたりですよね。 でも、そのとき文学フリマが開かれた場所は青山で 目の前には青山大学があって学園祭シーズンで青山大学の学生も 文学フリマに流れ込んできてます。 南青山なんてのはバブルの頃の女子大生が憧れる 住みたい街ナンバーワンスポットだったわけで、 オシャレなブティックやレコード会社の立ち並ぶ 高級住宅・高級オフィス街です。 青山大学というと、オシャレなイメージがあり、 美人女子大生が多いというイメージがある。 八十年代初頭のバブル期に、女子大生ブームもあったし、 「いま学生の間で流行っている」というキャッチコピーが 「いまアメリカで大流行」と同じぐらいよく使われた時期で 青山の大学生というのはある種のブランドで、 マスコミや広告代理店から大事にされた時代もあったわけです。 サザンオールスターズの母校でもある青山大学は 偏差値そのものも高いのですが、 さらにオシャレなイメージが付くことで、 同じ偏差値の他の大学生よりも就職に有利で 特にマスコミや広告代理店には強いと。 企業というのは一流大学からまず学生を取ろうとして 取れなかった分を二流大学から取って それでも足りない分を三流大学から取るという順番を経るので 一流大学の学生には三年の夏休み辺りから 企業が接触しようとするのですが、三流大学の学生には 四年の冬からしか会わなかったりします。 私が通っていた三流大学では四年の夏に就職活動をし始めて 冬ぐらいに内定だったのですが、 青山だと早ければ三年の夏で内定が出ます。 私やその周囲もそうだったのですが、就職活動の時期というのは 社会に過剰適応しようとするので、 反体制的なものはダサくてかっこ悪く見えます。 まして青山でリクルートスーツを着ている女子大生ともなると 黙って体制の言うことを聞いておけば、 いくらでもいい思いができるという幻想が バブル崩壊後の00年代においてもあるわけです。 広告代理店やマスコミ関係に就職したら、 毎日会社の経費で芸能人と飲み会して、 芸能関係のイベントの販売促進グッズなんかが タダでいくらでも手に入る。コンサートのチケットも 最前列のプレス用招待席で観ることが出来る。 そういう幻想があった上でのリクルートスーツだし 就職活動なわけです。 鎌田さんからの呼びかけに反応した人に もう一人、発言をステージに取り上げられた人がいて 私の隣で本を売っていた白石昇さん http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2444/ なのですが 日焼けしたスキンヘッドにランニングシャツみたいなのを着た マッチョマンで、登山用の鉄パイプで組んだリュックサックみたいなのに 本を百何十冊積んで歩いて九州からきたという 典型的な肉体労働者ファッションの方で。 元々、ムエタイをやっていて、そこからムエタイの本場タイに 興味を持ち、タイ語の本を日本語に訳して自費出版し、 日本で印刷するよりもタイで印刷した方が安いため 現地の印刷所とタイ語で交渉しタイ印刷の本を 実家の九州に送ってもらい、そこから歩いて青山まで来た、 「九州から郵送してたら安いタイで印刷した意味がない」と豪語する 肉体派ですね。肉体労働で貯めた金で本を出す ボディービルダーみたいな体つきの人(当時)です。 この青山の女子大生とは対極にいるような濃いファッションをした人が 言ったのは「お花畑ですね。」 体制だ反体制だといっても、お二人とも出版界で地位も名誉もある 著名人じゃないですかと。 九州から自分の本を担いで歩いて持ってくる自分から見ると 華やかな世界の中で騒いでいるようにしか見えない。 という感じのことを言ってました。 このときの討論はやり取りされた言葉の内容よりも 生で見たときのそれぞれの服装や外見、 その人がもっている雰囲気が楽しくて、 鎌田さんや大塚さんを眺めながら、 「こういう大学生いるよなぁ」 と思いながらぼぉーーーっとしてるのが気持ち良かったです。 写真や雑誌では伝わらない生で著者を見る快感を感じたし 著者自らが本を売るという文学フリマの趣旨が こういう快感をもたらすのだなと感じました。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□