■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第13号 2000/4/15発行 現在の購読者数239人 会社員時代にもらった金で、100冊も同人誌を作ってしまった私が、 書籍コードの無い本を抱え、この本を扱ってもらえる書店をめぐる日々の日誌。 このメルマガは私の抱える同人誌の在庫がなくなるまで続きます。 現在の在庫状況 文体演練法63冊 寓話集49冊 最悪な気分66−3冊 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 文体演練法 書評コーナー号 目次 1チハルさん 2安池和仁さん   ◇◆◇◆ お久しぶりです。 最近、やっと次のバイトにつくことが出来、安心しきりの木棚です。 今回は、このメルマガの皆さんに助けていただきまくりの書評特集号。 チハルさんには、ほめて頂き。 安池さんには叱られるというバランスの取れた内容です。 ただ、最近何がカッコ悪いったって、本がさばけなかったってことより、 5冊プレゼントと232名にメール出して誰も欲しがってくれないという この現実だな、うん。 そんなわけで行きます。まずはチハルさんの方から。Let's Go!   ◇◆◇◆ 感  想 桃太郎は、今でこそ古典文学として子供から大人まで幅広く読まれ ている作品であるが、もしかしたら、当時の流行り言葉を使って書 かれていたかもしれない。現代でいえばコギャル言葉のような。 話の内容だって、よく考えれば立派なSF文学である。浦島太郎も そういう要素を含んだ作品だ。当時としてはは凄く「ススんだ」話 だったと思われる。 つまり何が言いたいのか。今の文化、そしてこの文章だって、あと 300年位経ったら古典になっているかもしれない。口承文芸とは そういう性質のものであるはず。もしかしたら遠い将来、この中の ひとつが学校の古典の教材になってたりしたら面白いだろうなあ。 当時の世相を探る、とか言って、生徒達が辞書を引いて語句の意味 を真面目に調べたりして。その光景を想像すると非常に楽しい。 個人的には、ルポタージュ風味が興味深い。鬼との戦いを戦争に例 え、キビダンゴを麻薬に例えたのには驚いたが、きっと実際の所も そうだったかもしれない。そうでなければ、いくら勇気のある若者 だって、恐ろしい鬼なんかと戦えるものか。そして、犬・キジ・猿 だって、そんなにおとなしく桃太郎についていくものか。 おそらく、団子の中に入れた野草に芥子でも混ざっていたんだろう。 そう考えれば納得がいくのだが、果たして真相はどうなのだろう? 残念ながら資料が無いので現在では何とも言えないのだが。 ところで、B5サイズだと持ち歩くのには少し大変かもしれない。 電車の中で読むように、と持っていくのも何だか恥ずかしいような。 せめてA5サイズ位だといいのに、と思った。 ◇ ◆◇◆ 2安池和仁さんがMLで流してくださったものを以下引用。 最近,文章を書くには能力が必要とか論理力が必要ということが話題になっています が,今日はそれに少し関係がある,ある本のことについて書いてみたいと思います。 クルマには関係ないネタですので,まあ読み物として読んでください。 実は1ヶ月前になりますが,木棚環樹さんという方から文体演練法という自費出版の 本を頂きました。その本の話を知って見てみたくなり頼んだところ,批評を書くと本 当は1000円のところを無料で貰えるということで批評を書くということを後先考えず に引き受けました。要するににゅぷはお金に目が眩んだ訳です。今,考えるとこれは 大きな間違いでしたが,そのときにはもちろん気付いていません。これはそのお金に 目が眩んでしまったにゅぷの物語です。 1週間程してその本が届きました。もうとてもわくわくしながら届いたパッケージを 開けて本を開きました。さて,そこで何がにゅぷに起こったのでしょう。中を見た瞬 間にぼくは固まりました。本のタイトルから文体を練る練習のことについて書かれて いる本でいろいろな方法論が書かれているものだと勝手に思っていたのですが,内容 はさまざまな文体で昔話の『桃太郎』を書いたものをまとめて本の形にしたものでし た。会話風味桃太郎とかニューアカデミニズム風味桃太郎とか西部劇風味桃太郎とか という28作あります。全部で250ページ以上の大作です。全部,読んでみたのですが 本を手に取ったひとが自分の文体を磨くために使うという目的には向きません。まず 一貫したページ番号がふってなくて,奥付がついていないんです。ISBNは無くても奥 付は欲しいところです。とても批評を書くような状況ではありません。 困り果てて著者のウェッブのホームページに行くとなんと内容の見本があります。昨 年の秋に見に行ったときには無かったものです。「ううっ,こんなの前に見たときに は無かったぞ。中身が確認できたら頼まなかったのに,クソ。」と感じるだけで文体 演練法の書評を書く助けにはなりません。しかし,そこで著者の文体演練法に対する 思い入れや表紙の写真で苦労した話などを読む事ができました。本屋で買えない本で 1000円と言う値段を見てかなり内容が充実しているに違い無いと考えてしまったのが そもそもの間違いの気がします。書評ということでしたが,文体演練法に1000円をつ ぎ込む事はお勧めできないというのがぼくの結論でした。 「でも,こんなことは何か書き難いよなぁ」と思っていると購読しているその著者の 方が主催されているインターネット上のメーリングリストの上で「文体演錬法を安池 さんに送りました。批評が聞けることになっております...」ということが書かれて います。そこでは無料で貰うとプロで無い人間は悪い事は書けないとかインターネッ トを通しての人間関係で住所を知られるとどうなるか分からないなどと恐ろしいこと が書かれています。これには思わず,う〜んと唸ってしまいました。ぼくのいる分野 では他の人の書いたものに目を通し批評するという場合,原則として無料でそういう ことを担い,公平な批評をするということが了解事項になっています。それはソサエ ティに所属するものの義務であるという考え方が普通なのですが,分野が異なるとこ こまで考えが違うのかと愕然としました。ぼくにとってインターネットというのは相 手の素性は分かっているごく透明なものと認識していたのでこれは衝撃でした。その 著者のメーリングリストは『不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取 る100の実験】』となっていて著者の方は作家を目指しています。そこの著者の書く 批評は結構好きでいろいろ見ていたのですが,実際に文体演練法を手に取り,内容を 見てみると作家になるということを目指す事と批評家ということは別のことだという ことを改めて感じました。ぼくは今まで,その著者の批評を見てきたので文体演練法 には期待していたということに気付くまでには暫く時間が必要でした。 最近,ハルキの小説は文学では無いとか,文章を書くには伝えたいと言う気持ちより も文章を書く才能が優先されるなどといういろいろな意見が出ておりますが,ものを 書くときにいちばん必要な物を考えてみると文体などよりも文章を書きたいと思うこ と,伝えたいともうものを持つことが一番必要なのでは無いかという当たり前のこと を何度も考えるようになりました。文体演練法を見ておもしろいと感じない理由を分 析してみると全部の荒筋は分かっていてただレトリックが違うだけで,かといってそ れを読むと自分の文体を効果的に磨けるということも無く,ただほかのひとの試みに 目を通すという極めて受動的な読み方を強いられるというところにあるのだと思いま した。木棚さんと直接メールをやりとりしたときにはとても鋭い観点でのものの見方 などを聞き,また,木棚さんの批評も鋭い切れ味なので本の退屈さとのギャップがよ り際立ちます。批評家と作家との違いは本の僅かな自分の中に伝えたいものをもつか どうかということなんだと思います。その差を乗り越えることが木棚さんが鋭い文章 を書く作家になる鍵のようにぼくは思いました。文体演練法についてや木棚環樹さん という方に対して興味がある方はhttp://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/へどうぞ。作 家になる実験のメーリングリストについてのことなども書かれていますが,ぼくが見 て面白いと思ったのは小室哲也についての批評とかです。 CAVEAT: たぶん上の文章を読んで文体演練法を是非手にしてみた いと思ったひとがいると思いますけど,頼む前には必ず 見本をみましょう。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□