1UPJ3 日本最大級の詩の朗読イベント ウエノポエトリカンジャムを見て レポート書かないつもりだったんだけど 軽く書いてみます。 会場の収容人数が1200人。 時間が12時から20時までの8時間。 会場が屋根付きの屋外。 (イメージとしては、客席の一部に屋根のある野球場) 当日は暴風雨が降ったりやんだりでした。 客席の埋まり具合は客席の 三分の一〜四分の一が埋まっている感じで 目分量で言うと三百〜四百人ほど入っている。 八時間の長丁場で人の出入りもかなりあるので のべ人数にするともっと行くと思う。 無料の公式パンフは2000部用意され、 多分、パンフの配布枚数からおよその来場者人数が 近々公式発表されると思います。 過去のウエノポエトリカンジャムは 第一回第二回合計の来場者人数が1500人。 (公式タイムスケージュール表より) 平均すると750人。 客層は出演者の関係者、 地方から出演される奥さんの子供たちなどと 地元の人たち、上野公園の路上生活の方とか 上野公園に散歩に来てふらりと立ち寄った方など 赤ちゃんや幼児からご老人まで幅広く来られていて 朗読を見るのは初めての方も多いと思います。 タイムスケージュールが 全五ステージ、各ステージが1時間10分〜1時間35分ほど。 各ステージの間に休憩が十五分ほど入って その間、外のサブステージでイベントがある。 一人持ち時間五分で、 各ステージに出場者が17名、司会者が一名。 後ろに行くほど人は増えてて、熱気も上がって、 五ステージ目には客席の半分ぐらいは埋まって立ち見も出てました。 第一印象は予想よりもかなりヌルイ。 誤解を招かないようにヌルイの説明をすると 狭い室内にギュウギュウ詰めでやっていた マラソンリーディングや谷川俊太郎さんのライブの方が 人が入っていて熱気があるような印象になるのに対し、 六人がけのベンチに一人で寝転がっている上野の路上生活者の方や 酔っ払いの方、会場で鬼ごっこをする幼児の方や 座ったまま何時間も動かないご年配の方などいて 特に前半部は、8時間という長丁場の中で聞き流す姿勢で 来場されているのが客席の空気でした。 二千円払って室内の会場に入って二時間のステージを見る のではなく、 無料で屋外で、公園の中ですから、公園とステージの境界もないし ステージを観に来ていない人達に向けてやる路上ライブですね。 SSWSや詩のボクシングの場合、審査や勝ち負けがあるので 一言も聞き漏らさないよう静聴する緊張感が客席にあるのです。 でも、ウエノでは大自然に囲まれた野外公園で おおらかに8時間聞き流す姿勢が 客席にあって、その差は結構大きいと思いました。 審査や勝ち負けがある場合。客席がドカドカ沸いて、 爆笑して、「面白かったなぁ」という記憶だけで 何をやったのかまったく記憶に残らない朗読よりも、 客席は静かで無反応だけれども、 最後までしっかり聞いていると深みがあり 記憶に残る朗読の方が勝つのですが ウエノポエトリカンジャムでは逆だと思う。 緊張して聞き入らないと聞き取れない朗読よりも 聞き流していてもたまにちょっと 面白いフレーズが飛び込んでくる方が エンターテーメントとして勝ってる気がする。 8時間も集中して聞いてられないてのが本音でしょう。 今回、運営者サイドは大変だったと思うのですが 雨が降って屋外のサブステージが使えないから サブステージでやる予定のオープンマイクを メインステージでやるとか、 サブステージの敬々さんのフォークライブが盛り上がっているから 次の出し物を後ろに回して、フォークの時間を延長するとか 出演者がまだ来場してないから、先に次の人に出てもらうとか 当日にガンガンタイムテーブルを変えて、全然平気な姿勢が すごくプラスに働いてて、 俺みたいに神経質な人間には出来ないことを 受け入れてて、そこが運営者の人達の凄みだなと思いました。 2テレビVSオープンマイク 正直、今回初めてウエノポエトリカンジャムを見たのですが テレビみたいだなと少し思いました。 田原総一郎が「テレビは物を作らない。 テレビは物を広めることはするけど、 他で作った物を消費するだけだ」と 以前、朝まで生テレビで言っていた。 ライブハウスというのは発表の場に見えて 意外に物作りの場だったりします。 ライブハウスの支配人を含めて、音楽業界関係者の前で 演奏お披露目をして、業界関係者から 様々なアドバイスやダメ出しをもらって、 場合によっては他の発表媒体に紹介してもらったりもして お客さんと一緒に物を作り上げていく場だったりします。 SSWSでも詩のボクシングでもBen’sでも そうゆう要素があります。 ウエノポエトリカンジャムは良い悪いを別にして テレビだと感じました。 客層を作る場であっても作り手を育てる場ではない。 アメリカのポエトリーシーンと日本のそれを比較するときに 向こうは黒人への人種差別があるが、 日本のお前らは差別されてねぇーじゃんという言い方があって その言い方に対して、ずっと抵抗はあったのですが ちょっと理解できる部分がありました。 アメリカのポエトリーシーンに白人はほとんど居なくて 居ても、日本のいわゆる朗読のようにただ読み上げるだけで リズミカルに読むとか抑揚を音楽的に聞かせるという 工夫はないと。ポエトリーリーディングではなくただの朗読だと。 実際、ウエノポエトリカンジャム2005でも 白人のアーサー・ビナードさんが、 翻訳者の立場から大学の講義のような朗読をされてて 講義は講義として非常に面白かったのですが 韻や抑揚やリズムやメロディはありませんでした。 はてなダイアリーでUPJ3のレポを読むと 観客の立場でUPJ3を観る視点が テレビを見るような視点で描かれてて テレビよりオープンマイクが面白いのかと聞かれたら、 厳しいなと、個人的には思ったわけです。 正直言って、テレビのお笑いやテレビの音楽と比べて オープンマイクのそれの方が面白いとは言い難い。 例えば、プロのミュージシャンのライブは アンプやスピーカーといった音響機器や照明器具を 自前で持ち込んでやるわけです。 テレビのスピーカーとは比べ物にならないぐらい 良いスピーカーで良い音を聞かせることでテレビに勝つ という部分もありますし、機材によって どの音域の音をひろいやすいかが違ってくるため 自前の機材でないとチューニングが合わないというのもあります。 矢沢栄吉の成り上がりを最近読み返して何に驚いたかというと 職場に通うバス代の百何十円が無いといっている貧乏時代に 数十万する機材を矢沢栄吉は持っているわけです。 まったくの無名時代にキャバレーのオーディションを受けるのに その店の機材でなく、自前の機材を持ち込んでやってるわけです。 矢沢以外のメンバーは機材がないからドラムの代わりに 風呂オケたたいたりしているときに、 ボーカルだけはマイク・アンプ・エフェクター含めて 数十万円の機材を使ってるわけです。 脱線しましたが、テレビでは有名人気ミュージシャンや芸人でも 音楽やコントのライブだけでは視聴率が取れないので バラエティーをやっている。 まして無名の人達の舞台でテレビと比べて、 面白いかといわれて、仮に厳しいとしましょう。 でもこれ、俺たちがアメリカの黒人やプエルトリカンなら 通用するんですよ。 アメリカの地上波放送はほとんど、英語で白人がやってます。 アメリカではラテン系の言語 (スペイン語・ポルトガル語・フランス語)しか しゃべれない人がいっぱいいて、黒人もヒスパニッシュも 華僑もいっぱいいて、黒人が聞く音楽と白人が聞く音楽は まったく別だったり、通う学校も受ける教育も住んでいる地域も 白人と黒人では違うと。 黒人は黒人がやっている音楽、黒人がやっているドラマ 黒人がやっているワイドショー、黒人がやっているニュース しか観たくないのだけれども、テレビでは白人しか出てこない。 だからケーブルテレビが発達し、 人種ごと、言語ごと、宗教ごとにチャンネルがある。 同じイラク戦争のニュースでも白人のCNNと アラブ人のアルジャジーラではまったく違う。 黒人は黒人社会に住んでいるのに 白人のテレビしか地上波で流れないのなら 黒人社会のコミュニティーにあるオープンマイクって 地上波のテレビより面白いよね、支持されるよね。 ラテン語しかできないヒスパニッシュは 英語のテレビ見るより、ラテン語の自分たちのコミュニティーの オープンマイク見た方が楽しめるでしょ。 グラミー賞取った黒人ラッパーが ニューオリンズを襲った台風に関して コメントしたら、テレビではカットされるわけジャン。 黒人社会の発言をテレビは取り上げない。 言論の自由がないテレビと 言論の自由があるオープンマイクだったら どっちが面白いかという比較ですよね。 翻って、日本のテレビで、日本人に言論の自由があるのか。 テレビが俺たち日本人の表現を受け入れてないとなると オープンマイクがその受け皿になるのですが そうじゃない場合、 アメリカで白人がやっているオープンマイクや ドイツ人がドイツでやっている朗読会、 フランス人がフランスでやっている朗読会になると 大学の講義のような普通の朗読、 普通の文学の授業にならざるを得ないと思います。