■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第130号    2005/5/20発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 目次 1私的音楽史 2このメルマガの目的 3カルメン・マキ 4イベント情報 1私的音楽史 中学の音楽の授業で習った音楽史は、こんな感じだった。 最初に、教会でパイプオルガンを響かせた バロック期があり、これは基本的には宗教音楽で 演奏者は芸術家としては認められず、 パイプオルガン奏者は封建制度の中で 親から子へと引き継がれる家業の一つでしかなかった。 バッハがこの時期の代表的な作曲家。 次に、モーツアルトやベートーベンに代表される古典派が生まれる。 モーツアルトの時代になって初めて、 貴族や金持ちがピアノを習うようになり、 モーツアルトは貴族の音楽教師として生計を立てる。 ベートーベンは歴史上初めて貴族向けではなく、 市民向けの演奏をして、 市民向けのコンサート収入で生計を立てた最初の人だ。 その次にロマン派が来て、民族主義的な国民楽派が来た。 覚えているのはそんな感じの話だ。 で、バッハが弾いていたのがパイプオルガンで モーツアルトが子供のときに弾いていたのがチェンバロ、 ベートーベンがコンサートに使ったのがピアノと 大雑把に習った。 パイプオルガンというのは教会の壁にパイプがずらっと配置されていて 教会自体が一つの楽器のようにできている。 音を奏でるパイプと教会の壁が一体になっているので 当然、持ち運びや移動はできないし、 一家に一台なんてあるはずがない。 自分の家自体が パイプオルガンになっている家庭(教会関係)に生まれれば 仕事として親の後を継いで演奏するけれども、 それは先祖代々引き継がれた曲を引き継がれたように弾くだけであって 芸術家として作曲のセンスが問われるようなものではなかったと。 モーツアルトの時代にチェンバロという小さな古代ピアノが普及して 貴族が教養として(古代)ピアノの演奏をするようになったと。 ここに来て演奏が、専門家された職業内における専門的技術でなく 広く一般に開かれた教養になったと。 チェンバロというのは弦を張る枠が木枠であったため 金属の枠に鉄弦を張ったピアノよりも弦の両端を引っ張る力が弱い。 ピアノは金属の枠に弦を張ることで、強く弦を引っ張れるので、 弦の張りが強い=高い音が出る。 さらに、金属の枠は木枠よりも耐久性があるため、太い弦を張れる。 太い弦を張れるということは、木枠よりも低い音も出る。 つまり、チェンバロからピアノになることで音域が広がり、 また弦も鉄弦になったとこで音色も少し変わったと。 チェンバロよりも音域の広いピアノで作曲をすれば 当然、使えなかった音域が使えるわけだから自由度は増すし チェンバロ時代にはなかった新しい曲がかける。 ベートーベンのオリジナリティはテクノロジーの進化によって 音域が広がったために生まれたわけです。 音楽史の専門書を読んだこともないし、 義務教育の中学の授業レベルでしか 知らずに書いているんだけど、基本的な私の芸術史観は 新しい芸術=ソフトは、新しい科学技術=ハードによって 作られるといったものです。 それこそロックの歴史を見ても、 エレキギターの誕生がロックを生み出し PAの発達がハードロックを生み出し、 エフェクターの誕生がサイケデリックサウンドや ジミー=ヘンドリックスを生み出し、 シンセサイザーがテクノやエレクトロミュージックを生み出したと。 外側のハードの条件がまったく同じで、 百年、二百年の歴史がある創作ジャンルで 新しいものを生み出せと言われても、 二百年の間、無数の人が手がけてきた条件と 同じ条件でいまさらやっても無理だろというのが 基本的な私の創作観だ。 2このメルマガの目的 「君は何をやりたい人なんだ?」 とよく聞かれる。このメルマガでも 文学・音楽・演劇・お笑い・朗読・ポエトリー・映画と 軸がブレまくっていて、何をやろうとしているのかが よく分からないみたいな感想をもらう。 ただ、自分としては軸はブレていないつもりだ。 元々、インディーズで文学をやろうとした。 その際、パブリシティーを上げよう、 書いたものを外に広告しようとしたときに インディーズで音楽をやっている人達と比べて 文学は非常に広告がしにくいことに気付いて 文学(小説)の広告手段について常に書いてきたつもりだ。 ポエトリーリーディングについても 文学の広告手段として有効じゃないかと思うから レポートを書いてきた。 だからSSWSのように、音楽業界の新人発掘部の人が 審査員をしているミュージシャンのオーディションには 一定以上深入りしていないし、そこで、 「頑張って良い曲を作ってミュージシャンになるぞ!」 という方向には行かなかった。 上記のような歴史観を持っているとすれば 基本的には新しいハードウエアに関わろうと しているはずなんですよ。 テレビでSLAMスタイルの朗読を見たときに これは新しい文学の表現方法だと、これから文学はこういう方法で 活動をしていくに違いないと思ったわけです。 ところが、朗読のスタイルによっては新しさもあるし、 ある種の新しいテクノロジーに乗っかったものもあるのですが 朗読の歴史ってのは非常に古くて エジソンが発明したエジソン型の蓄音機、 レコードの初期の初期にあたるやつですが、 そこにエジソンは自分の小話を録音していて 当時エジソンはレコードを音楽を再生する機械ではなくて 各自が自分の小話を録音して自分でそれを聴いて楽しむ機械として 売り出そうとしていたとか、 それこそ口承文学なんてのは、印刷された活字の文学なんかよりも 全然歴史が古かったりとかして、源氏物語よりも八百年ほど古い アリストテレスの時代からあったり、 新しいと思って俺が跳びついた物は本当に新しいのかと。 日本人として世界で一番初めに録音されたレコードが 日本のどっかの劇団がフランス公演をした時に録音された おっぺけぺー節だとかで、1900年辺りですね。 それもレコードで聴く分には朗読劇ですからね。 ある種ポエトリーリーディング。 新しいと思って自分が跳びついた物は 実は古過ぎて歴史的に淘汰されて 消えてしまった物でしかないのじゃないか? 単に自分が歴史に対して無知だったのじゃないか? という疑念が浮かびます。 戦前の日本において模範朗読レコードなんてのがあったとか 方言の矯正や満州の中国人に日本語を強制するのに利用されたとか そういうことを言い始めると 先端だと思ったけれども一番古いところに先祖返りしているなと 「電車や自動車なんか古いぜ、これからは人が人を運ぶ人力車に限る」 ぐらいの時代錯誤感があるのかもなとか その辺の迷いや疑念はすごくあります。 3カルメン・マキ で、今が仮に日本に訪れた何度目かの朗読ブームだとして 一つ前の時代に起きた朗読ブームが1960年代の寺山修司・ アングラ演劇期の朗読ブームです。 カルメン=マキの二枚組CDで「ベスト&カルト」 http://tinyurl.com/7l237 てのがあってですね。 これが面白いわけです。 寺山修司が劇作家であると同時に詩人だというのは有名ですが カルメン=マキに関わっている主な作詞家が 寺山修司と高橋睦郎と谷川俊太郎(笑)。 職業詩人ってどうやって食っているんだろうと いつも思っていたのですが 色々調べると、作詞で食うというのが一般的なようです。 谷川俊太郎さんはアマゾンで調べるとアトムをはじめ、 アニメの主題歌の作詞が多いですね。 他にこのCDに関わっているのが いまは小説家をやっている作詞家のなかにし礼、 作曲では現代音楽の武満徹。 このCDについている解説が面白い。 1951年5月生まれ 1966年雑誌「女学生の友」のマスコットガール  “ジュニア・フラワー”候補十名の中に選ばれる。  (この中に桃井かおりや中野良子もいた)   高校2年のときに学校を中退 1968年6月天井桟敷に入団 1968年9月3〜7日初舞台。新宿厚生年金小ホール   天井桟敷第七回公演「書を捨てよ、町ヘ出よう」   生のエレキバンドとしてピーコックスも出演。   ハイティーンの87名が出演し自作詩を朗読する。 1968年10月赤坂の「スペースカプセル」で    毎夜歌と寺山の詩を朗読する   「カルメンマキの真夜中の詩集」を行う。   その舞台を見たのが、CBSソニーの   酒井政利(山口百恵・松田聖子などを発掘)。 1969年3月雑誌「話の特集」で巻頭ヌードグラビアに出る。 1969年2月2日放送東京12チャンネル「ドキュメンタリー青春」   ディレクターは田原総一郎(Ex朝まで生テレビ)。 1969年2月21日デビューシングル「時には母のない子のように」発売。 1969年大晦日紅白歌合戦出演 1971年11月映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」封切。   出演:カルメン・マキ/桃井かおり   監督:田原総一郎 スタッフの面子を見るだけでもすごいなと思う。 これだけ豪華な面子がそろうというのはある種、 テレビ業界・芸能業界の作られたスターシステムに乗った ってことだと思う。少なくとも解説ではそういう書き方がされている。 そこに、谷川俊太郎や高橋睦郎といった現代詩の人間が居たり 武満徹という現代音楽の人間がいるというのは 現代詩だ現代音楽だといってもそれで食っていこうと思ったら テレビ業界や芸能業界で仕事しなきゃいけないんだろうなとか カルメン・マキが「ときには母のない子のように」のヒット後、 その手のスターシステムから離れようとするのだけれども そうしたとき、スターシステム・スタッフサイド・寺山修司は 何をするかというと、カルメン・マキと似たようなルックスの女の子に 似たような名前をつけて、似たような曲を歌わせる。 1970年デビューの浅川マキ http://tinyurl.com/bmo3c がそうで、 「かもめ」「時には母のない子のように」といった、 カルメン・マキとまったく同じタイトルの、 けれども別の曲を歌わせている。 谷川俊太郎の作詞曲で「子供−家族の肖像−」というのが カルメン・マキのアルバムに入っているのですが 2004発売の谷川俊太郎のアルバム「家族の肖像」。 http://tinyurl.com/a6tde このアルバムのテーマは69年地点で既にあったんですね。 一つ前のブームの音を聞くことで 今の時代の新しいやオリジナルがどういったものなのか 考えさせられる部分はあると思う。 4イベント情報 6/3(金)SSWSチャンピオントーナメント http://www.marz.jp/ssws/index.html 11/20(日)第四回文学フリマ http://bungaku.webin.jp/ ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■ ■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□