■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第12号 2000/4/1発行 現在の購読者数232人 会社員時代にもらった金で、100冊も同人誌を作ってしまった私が、 書籍コードの無い本を抱え、この本を扱ってもらえる書店をめぐる日々の日誌。 このメルマガは私の抱える同人誌の在庫がなくなるまで続きます。 現在の在庫状況 文体演練法63冊 寓話集49冊 最悪な気分66−3冊 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ トラッドリアレーベルのHP http://trattoria.eccosys.co.jp のメニュー200のフリーペーパーのページに 私の書いたCDレビューが載ってます。 もし良かったら観てやってください。   ◇◆◇◆ ゲーム結果発表! まあ、当然のように在庫がゼロにならないまま半年が過ぎ、 ゲーム自体が成り立たなかった部分もありつつ、 文体演錬法欲しい人先着5名に郵送します。メールで郵送先送って下さい。   ◇◆◇◆ 反省&教訓 反省部分から入ると、欲しいと言って下さった方ってのは、ML関連とか メルマガ関連で私を知って下さった方で、HPに載せて、 自費出版系書店に置いてもらって、それで不特定多数の方が 見て買って下さるってパターンは無いですね。 わりとメールを通じてのフェイストゥフェイス。 オフ会とかで相手を知った上じゃないと、 住所も名前もTelも連絡先も分からないような奴を 信用できるかって奴です。 ネットだけでしか私を知らない人は 「本を買いたいけど住所は教えたくない。どうすれば良いでしょう」 なんてメールくれたりします(笑)。 オフ会(フリッパーズギターのカラオケ大会) で会ったことのある人はいきなり 住所とTelと宛名を書いてメールくれました。 同人誌やファジン、自主制作CDを作ってる人が HP上でTel住所等の連絡先を公開することは意味のあることでした。 中には居るからね。FreeMailとハンドルネームだけ公開して 同人活動してる奴。 やっぱそういう人はネット上でも信用されない。 自分もHPに住所とTel載せる事にしました。   ◇◆◇◆ マンツーマンの関係が大事だと分かれば、 ガンガン営業すれば良いのですが、商品に自信が無いため営業できない。 もともと小説という媒体で何をやりたかったのか? 何をしようとしているのかって事ですが、 緻密な描写や大きな物語が嫌いだった。 それに対するアンチを唱えたかった。 って奴で、 70年代ってのはヌーボロマンのロブ=グリエや 「内向の世代」全盛で、 意味も無く緻密な描写が10ページでも20ページでも 続いたわけです。ストーリーが展開しないまま 何の意味があるか分からない部屋の中の描写が延々20ページ。 ひどいときには100ページの小説で最初の部屋の描写が60ページとか 平気でありましたから。それに対して星新一は一行目から 「タイムマシンが、ついに完成したぞ」 から始まる。ドラえもんで言うと ポケットから道具を出すとこで始まり 10ページ(400字詰め換算)で落ちにたどり着き終わる。 そういう星新一をかっこいいと思った。   ◇◆◇◆ 大きな物語というのは、13巻目を読んでる友達と 話を合わせようとして、その本を読んだは良いけど 13巻目からじゃ何の事だかわからない。かといって 1巻目から読み出すのは量が多すぎてつらい。 その点、ショートショートは何の予備知識も持たずに読み始めて 10ページ、4000字で終わる。こっちのほうが合理的だ。   ◇◆◇◆ けどね、これ両方とも小説の進化の過程から逆行してるんですよ。 元々、昔話なんてのは口伝えの口承文学だった。 本にして13巻もあるような長い話なんて覚えられないから 大抵短いんですよ。イソップ・グリム・アンデルセン・今昔物語 みんな短いでしょう?基本的に短編集なんですよ。 あ、そこそこ、平家物語とか、古事記とか言わない! そういう例外には気付かない振りして!   ◇◆◇◆ で、紙に書くようになってからも。基本的には短いんですよ。 和紙に筆と墨汁で文字を書いていた源氏物語の時代ってのは 紙の面積の割に文字がデカい。習字の時間に新聞みたいに 小さな文字を書く奴って居なかったと思うんですよ。 大体B5版のノートサイズに「勝訴」と 二文字だけ書いて走り回ったクチでしょう。 でなけりゃ教科書どおりに「青空」とか「希望」って書くんですよね。 「不倫」とか「遺書」なんてのは普通は書かない。 文字が習字から木版印刷になって、文字は多少小さくなるんですよ。 奥の細道なんかは木版ですよね。その木版が活版印刷になって、 文字はさらに小さくなる。印刷技術の向上は小さな文字を 可能にしていく歴史だったわけです。 小さな文字は読む側にとって読みにくい。けれども同じスペースに より多くの文字をぶち込むことが可能になる。 一冊の本に入る文字の量の向上は文学の質自体を変えて行きます。   ◇◆◇◆ 今昔物語なんてのは一作一作が個々に独立した物語で、 物語間の関連はありません。 そこでは一つの出来事が書かれています。 今昔物語が発展すると、一休さんやきっちょむ話として、 登場人物に一貫性が出てきます。 個々独立した笑い話やなんかを集めたのが今昔だったのが その中に出てくる類似した人格に「きっちょむ」 や「一休」という名前を付け、登場人物に一貫性を持たせます。 これはいまで言う「サザエさん」なんかに近い状態ですね。 登場人物・物語の設定は毎回同じであるため、 人物の説明や時代背景の説明をはぶいて話を展開できます。 また、一話終わるごとに物語が一度リセットされるため 人物は死んだり成長したり年を取ったりしません。 この手の話は第一話目と第1364話目が入れ替わっても 何の問題も生じませんし、13巻目から読み出しても 充分話を合わせることが出来ます。 逆にいうと、13巻目まで読んでも、1巻も読んでない人と 同じ程度の知識の集積しか出来ない。 いくら読んでも毎回同じ。 知的なものは1話終わるごとにリセット。 そこの不満を解消をするのが 次に出てくる大河ドラマ。大きな物語。   ◇◆◇◆ よく「小説とは人間を書く物だ」と言いますが、 大河ドラマは主として社会を書きます。 ある一族、ある家系、ある街や国が誕生し 発展し、興隆を極め滅びていく様を描きます。 百年の孤独や平家物語、作家だと司馬遼太郎 漫画だとキャンディー×2に ベルサイユのバラ。 マスイメージ論で少女漫画は文学を超えた。 なんて書かれ方されたのも、この手の漫画です。 主人公は成長し、キャラクターの生き死には、 1話終わっても持続され、 13巻目の本をいきなり読んでも理解できません。 本を読むたびに歴史や社会のシステムについての知識が身についた という気になります。 戦争と平和、ジャン・クリストフ、 重厚長大な文学全集に入っているのは大抵この手の物語です。 印刷技術の向上が一冊の本に詰め込める情報を飛躍的に増加させ 情報量の量的向上が文学の質そのものまで変えたのです。 あ、源氏物語は親子3代の物語だとか、 平家物語は口承文学で 平家一族の興亡を描いているとか、 そういう正論は言わないように。 で。そういう重厚長大な物語が素晴らしいという 価値観の中で育って、これはウゼーなと、 山手線で電車2区間乗るんだけど、その乗ってる間の 時間つぶしになるような物を読みたかったわけだ。私は。 スポーツ新聞でも女性週刊誌でも良いのだけれど それがたまたま星新一だったりしたわけだ。 中学時代、友人がね「最近、北斗の拳みてないな。 1週間観なかったら、次からもう展開についてけなくなってるから」 と言ってるのを聞いて、 「そうだよ。北斗の拳みたいな長い話は駄目だよ やっぱ、ショートショートだよ。」 と言ってたんだけど、テクノロジー的に言うと 星新一はゆり戻し現象、反動・古典回帰の方に いたわけだ。当時の私から見ればすげー先端に見えたんだけどな。   ◇◆◇◆ 私としては星新一のように さらっと読めて後に残らないのど越しすっきりを 作りたくて、取りあえず文字をデカくした。 文字がデカけりゃ読みやすいだろうと。 B5版のノートサイズで行数と1行の文字数を文庫本と同じにしたら、 当然文字はデカくなる。目にやさしい。 テクノロジーの解像度が 人の目の解像度を超えた細かい文字を生み出しても 少しも実用的じゃねーよと思った。 で、作ってみた。分かったのが、文字がデカいとアホっぽい。 デザインが間抜け。文字を小さくした方がデザイン的にカッコ良いんだ。 ただ、文字を小さくすると1行が長くなるから、 2段組3段組にして読みやすくする必要がある。 と同時に、タイトルは大きく、2段・3段ぶち抜きで出したい。 と、同時にその章、もしくはその短編のあらすじを 2・3行でタイトルの横につけて、 重厚長大な本編を読まなくてもあらすじだけ読めば その本に関して他人と話せるようにはしたい。 あらすじ読んで面白いと思ったとこだけ読めば良い。 つまり、文字が小さい方がカッコ良いと思ったからには 情報量も増やさなきゃいけないから必然的に 内容は重厚長大になる。でも、 自分は重厚長大な話なんて読みたくない。 だから、2段ぶち抜きで書いた短いあらすじのとこに 星新一のショートな精神を残す。なぁーーーんて こと考えてたら、それって新聞じゃん? 見出しがあって概要があって本編。 テクノロジー的に最後方に居たと思ってた新聞が 実はデザイン的には結構前の方に居たんだ。 少なくとも書籍と比べて。と思ったわけです。   ◇◆◇◆ で、実際にそういうのを作ってみると、 B5版のノートサイズで見開き本編しかないページなんてのは 細かい文字がぎっしり3段組で文字ばっかり。 とても読む気にならないわけです。 どこかにアイキャッチ=人目を引く映像が必要だと。 写真でもイラストでも良いけど、3段あったら1段ぐらいは 丸ごとアイキャッチに使いたい。3段組で3段ぶち抜きの 縦長アイキャッチもカッコイイなぁ。 なんて事を考える。 大体私はあまり本を読まないんですよ。 雑誌でも文字ばっかのページはさっととばして アイキャッチだけに目を配らせて気に入った写真見てると 自然とその周囲の文字も読んでる。そういう状態ですね。 音楽でも、意識して聴くことは無いけど街中やTVCMで いつのまにか聴いてる。誰の曲か知らないけどどこかで聴いたことある。 そういうプッシュメディアに乗った音楽って強いじゃないですか。 活字の場合、読もうとしたこと無いけど気がつくと読んでるのは アイキャッチの周囲にある文字ですよね。   ◇◆◇◆ 友人で写真やってる奴の話聞くと「文字が大事だ」って言うんですよ。 写真だけで100ページぐらいの写真集作ってもパラパラパラ。 全部読むのに1分かからないよ。 長く目を止めさせるには文字が必要だ。 ってことです。 もう一つ言われたのが、CDジャケットでも雑誌の表紙でも みんな写真の上に文字=ロゴが乗っかってて、 イマイチな写真でもオシャレなロゴを乗っけると それなりにカッコ良く見えるってんですね。 なるほど言われてみれば、そうかもしれない。 文字には写真が必要で写真には文字が必要か。 考えてみれば、雑誌でも写真だけのページと文字だけのページは 作らないんですね。もしあっても駄目なページでしょ、それわ。 つって、ロッキンオンみると 写真だけのページがわんさとあるんですけど、 それはそのページをポスターとして使うんですね。 スターのポスターを付けて売る明星やスクリーンと違って ロッキンオンはポスターが付かないから、 せめてページを丸ごと1枚の写真にして、 それを切りぬいて壁に貼る。   ◇◆◇◆ で、3段ぶち抜きで縦長写真入れたり、一段丸ごと写真に使って その写真にも文字入れたり、文字だけのページにも バックに薄く記号や写真やを入れて、サブリミナルな効果を。 なんてことをやろうとしたら、 いま持ってるWordじゃきついんですね。 すぐにバグるし、エラー出るし、サイズが合わないし。 プロ仕様のクオーク買おうとしたら24万円と言われてダウン。 ページメーカーで8万円。高けぇーなぁーー。 取りあえず、働いて金貯めて、そっからだな。 ちゅうわけで、本の内容よりも形式の方に興味が行ってる状態で、 活字だらけの、文字デカ本を売ろうとか営業しようとか言う 気になれない。物に自信が無いのに営業できねぇよってことです。 これが、このゲームの敗北の一番の原因だな。   ◇◆◇◆ 4月1日嘘をつくには最良の日。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□