■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 号外    2004/8/28発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1ごあいさつ 高エントロピー、低強度、木棚環樹です。 哲学用語で「強度(ストロング)」というのは 論理的厳密さ、科学らしさのことを言うのだと最近知りました。 格闘技で、「ホースト強いぜ」と言っているのは 哲学的には「ホーストは科学的だ」 「ホーストは論理的厳密さをともなっている」と 言っているらしい。 前回、吉田拓郎が新宿西口の改札前で路上ライブをやってという話を 書きましたが、許可とって似たことをやろうとすると http://www.jr-break.com/ 「BREAK STATION LIVE」なんてシステムがあって、 オーディションに通ると東京駅や上野駅でライブが出来る なんてのもある。 自分が発した言葉に自分が復讐される。 AGEHAさんのHPみながら、 ああ、今の自分も復讐されてるなぁと、 そんな毎日です。 2広告代理店モデルと旅芸人モデルの違い この二つのモデルの一番大きな違いは、比較対象(ライバル)が 異なる点です。 旅芸人、ライブミュージシャンは、フォークならフォーク ポエトリーならポエトリーというジャンルが 根付いてない場所でライブをやります。 すると、まず、フォークってなに? ポエトリーってなに? そこから説明しなきゃいけない。 この時、客席は、その人のパフォーマンス=ポエトリーだと 解釈し、ポエトリーがある状態とない状態の どちらが良いのかを比較します。 いままでポエトリーのイベントやパフォーマンスなんて 行われたことがない場所で、 路上ライブでもフリーコンサートでも良いけどやると。 観客がそのイベントに対して良し悪しを判断する時 比較対象となるのは、そのイベントがない状態と比べて そのイベントは、パフォーマンスは面白かったか?です。 広告代理店モデルの場合、既にポエトリーなり何なりを 知っている人達=固定客の前で売るわけです。 有名どころでは吉田拓郎の前座をまだ無名時代の、 九州から東京に出てきたばかりの長渕剛がつとめて 客席から「帰れコール」を浴びて、本当に九州の実家へ 帰ってしまったってのがありました。 矢沢栄吉の前座を無名時代の浜田省吾がつとめていたとか そういうのですね。 似たようなフィールドで、既に成功している人の 固定客相手に「Aさんと似たようなものです」と言って 物を売る。これが広告代理店モデルで この時、既に売れているAさんと比べて クオリティーが高いのか低いのかが問われるわけです。 ゼロの状態と比べて、良いのか悪いのかでなく 既存の売れている商品と比べて良いのか悪いのかが問われる。 マーケティングに関する笑い話の定番ですが 「アフリカのある国で、靴が売れるかどうかを調べるため 二人の調査員をその地へやった。 一人は帰ってきてこう言った。 『ダメです。誰も靴をはかないアフリカでは靴は売れませんよ。』 もう一人は帰ってきてこう言った。 『これはチャンスです。 まだ誰も靴を持ってませんから。』」 この笑い話は、ゼロから市場を作って行く旅芸人モデルと 既にある市場に食い込むことを考える広告代理店モデルの 違いを示している。 SSWSのグランドチャンピオントーナメントで http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/79gou.txt 印象的だったのは、 トーナメントの一回戦が フリースタイルのラッパー対詩人という 形が四つ続いて (レイさんはフリースタイルではなかったですが、  トラック使ったラップミュージックということで) フリースタイルのラッパーが全員一回戦落ちで 詩人サイドの人間が勝ってしまった。 審査員をみると、いつものSSWSで審査をする常連審査員以外に 三代目魚武さんやS−KENさんが来ていて そちらのゲスト審査員は、トーナメントしか見てなくて 常連審査員はトーナメントが始まる前の13:00の前座から ずっとステージを見ていたりする。 で、トーナメントが始まった18:30にはみんなもう パフォーマンスをいっぱい観てお腹一杯で疲れていたりするわけです。 トーナメントが始まると、18:30入りのゲスト審査員は結構 フリースタイルを評価するのですが、 常連審査員は、前座でKEN THE 390や降神の クオリティーの高いラップを観ていて それと比べて、トーナメントのラップは質が高いか低いかみたいな 見方をしていて、18:30入りのゲスト審査員は ゼロの状態からラップを観て、「面白いじゃん」となってる。 ラップを油っこいフランス料理、詩を味噌汁だとすると トーナメントの5時間前から豪華フランス料理フルコースを 食べ続けた常連審査員は、トーナメントが始まる頃には フルコースでフランス料理出されても、 腹一杯でもう良いとなってる。 腹すかして審査員席についたばかりのゲスト審査員は 「フランス料理、旨いじゃん。味噌汁じゃ、食い足りねぇ」 になってる。 この審査員間の温度差というのは フランス料理を食べている人のもとへフランス料理を届ける 広告代理店モデルの客と フランス料理を食べたことのない人のもとへフランス料理を届ける 旅芸人モデルの客の違いです。 ライブミュージシャンの人が、 「地方行くとお客さんが暖かいんだよ」というのは 人口密度が低くて採算が合わないとされる地方、 ロックコンサートが開かれない地方で ロックをやると、クオリティー云々以前に ロックコンサートをやってくれたことに対して お客さんが喜んでくれるという話だと思います。 クイックジャパンVol.37P168より 「こういうミュージシャン」「ああゆうバンド」 ってできあいの鋳型をつくって、十把一絡げにそこにはめ込んで、 そしてマーケティングとプロモーションでオートマチックに 売っていくシステム。 「他にないからすごいんだ」じゃなくて 「他にこんなにあって売れているからすごいんだ」 っていう発想しかないんだ。そんなバカな! by忌野清志郎 3三つ目のモデル 前回の復習になるけど、ポエトリーから スターを生み出すには。 ということで、誰かがガンガンライブやって 路上ライブでも何でも良いけど物販で 朗読CDなり詩集なりを5万とか6万個売れば 後は、色んな企業がそこに参入してきてくれて ポエトリーブーム起きますよと。 成功したビジネスモデルが一個出てきたら、 ブームが起きて、みんなそれと同じような形式のリーディングに 統一されちゃうよと。 フォークソングブームでも、バンドブームでも 最近のR&BブームでもHIP−HOPブームでも 何でも良いけど、一個成功例が出てくると、 それまでアンダーグランドで 2年3年、5年10年地道にやっていた人達が オーバーグラウンドに出てきて、 技術もキャリアもある人が 新人として表舞台に出てくるんだけど ブームが長く続くと、 最初にそのジャンルのフォーマットを作った人の フォーマット内でのパターンが出尽くして 新しいパターンを追求しようとする 質の高いスタジオミュージシャンは どんどん難解な方、技術的に高度な方へ走ってしまい、 狭く深く、孤高の高みへ行ってしまう。 一方で、そのフォーマットのベタなパターンは 広く普及して飽きられ、ベタ過ぎてギャグっぽくなる。 すると、最後にそのフォーマットをギャグのネタにして 笑いを取る人達が出てくる。 キャロル・クールス・銀蝿という 皮ジャン・リーゼント・ロックンロールの流れでいうと 横浜銀蝿やアラジンがそうだし、 拓郎・陽水・泉谷という第二次フォークソングブーム〜フォーライフ の流れで言えば、泉谷しげるがそうだ。 グループサウンズで言えば、本人にその気がないにしろ 赤松愛の失神は、ベタの極限を示したため、ギャグ化されている。 ちなみに、今回自分が書いた三つのモデルは バンドブーム末期に筋肉少女帯が 「コアなファン捨てても欲しいタイアップ」と 叫んでいた頃、 大槻ケンジ氏が生き残るのはカリスマ・天才・キャラクターだと 言っていた三つの概念とほぼ同じであることに気付いた。 ちなみに、大槻ケンジはGSブームに関して カリスマ=ショーケン、天才=沢田研二、 バンドブームに関して、 カリスマ=YOSHIKI、 天才=(バンドブームから時期的に少し外れるとしながらも) 布袋、 キャラクター=大槻ケンジとしていたが いまとなっては、バンドブーム時のカリスマの位置にいるのは 甲本ヒロトだと思う。 4雑談 バンドブーム時に高校生だった自分としては ブルーハーツ=甲本ヒロトって、別格過ぎて口に出すのが恥ずかしい 名前だった。 吉田拓郎ジャスト世代の人、松山千春・佐野元春辺りは 絶対に吉田拓郎の名を好きなミュージシャンリストに入れない。 偉大なのを認めた上で、 あえてそこの名前を出すのは恥ずかしいだろという意識がはたらく。 日本で三大テクノバンドと言ったときに、 ヒカシュー・プラスチックス・P−MODELを挙げ YMOを挙げないのも似た意識からだろう。 上戸あやがインタビューで 「私はみんなが聴くような、メジャーな音楽は聴かない。 大人の人が聴くような古くてマイナーなバンドを聴く。 例えば、ブルーハーツとか」 と言っているのを読んで、歳を取ったことに気付く。 逆に、自分より年下の二十代の女の子が、 外道・頭脳警察・四人囃子 ファニーカンパニー・シルバースターズといった、 キャロルと同期のロックバンドの話をしているのを聞いて ちょっと落ち込んだりもする。 私の父は大江健三郎世代だが、 「大江健三郎が好きだったんでしょ」というと 「いや、あの都会的でオシャレな感じが俺は嫌だった。 もっと地に足の着いた石川達三が好きだった」 と言われ、愕然とする。 父の世代では大江の名前は有名過ぎて口にするのが 恥ずかしい作家で、その世代に生きた個々人は もっと他に好きな作家がいたのだが 二十歳下の私からは「大江世代」というくくられ方をする。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html 発行者 木棚 環樹:kidana@pat.hi-ho.ne.jp ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□