2002年エジプトへの旅
2500年目の旅行者の記録


「ほら壁にはツタンカーメンの絵だ。この中にはミイラが入っていて…」俺は今、エジプトのルクソール、「王家の谷」のツタンカーメン王の墓にいる。今朝、日本では到底お目にかかれない古びた自転車を借りて夜明け前に町を出た。ナイル川を渡船で越え、うさんくさい客引きと交渉し、ピックアップトラックの荷台が客席となっている乗合バスに自転車を載せる。まっすぐの道を行くと、未明の紫色の大地に巨大なメムノンの像が現われる。3500年も座り続けるその巨像はまるで生きているような存在感だ。わずかな家も途切れ始め、山間部へ分け入るとそこが死者の街「王家の谷」だ。朝一番で観光客は一人もいない。砂だけの山肌は朝日で黄金色に輝いている。静寂の中で深呼吸してみる。冷たい空気が心地いい。これなら誰もいないツタンカーメンの玄室で一人静かに時の流れに思いを馳せられるかも…。

そんな淡い期待は、はかなくも消えた。玄室には俺ともう一人。チップ目当ての墓守が俺に寄り添い勝手に説明する。「見ればわかるよ」という程度の説明だ。しかも、手すりにかけた俺の手に彼の手が重なってきた。インド辺りから西では男同士が手をつなぐのは友達同士ではよくあることで、決してホ○とかいう次元ではないのだが、悠久の時王家の谷を感じるとかいう俺の願いは雲散霧消した。

エジプトの遺跡は想像を絶する長い歴史を持つ。観光地としての歴史も紀元前500年頃からである。紀元前の観光客の落書きがそれを物語っている。ということは観光地の客引きどもは創業2500年という恐ろしい実績がある。そう考えると奴らも生きる文化遺産だ。煙たいこともあるけど、憎めない愛敬のある奴らでもある。自転車

今回は現地の移動とホテルはエジプトで手配した割に、カイロ、アブシンベル、アスワン、ルクソール、紅海を7日間という短期間で回った。意外と旅行しやすいのは観光立国ゆえか。テロ対策の警備は厳重で、ルクソールのマクドナルドですら武装警察官2人が護衛していた。でも、街の空気は陽気だ。そこかしこで「Welcome to Egypt!」と声をかけられた。パピルスのプレゼントをもらったこともあった。ヨットに乗りナイルの風を感じたり、毎度のタクシー値段交渉。ホテルの下水が溢れたこと…面倒くさいことまでもなぜか楽しかった。
そんな旅も終盤。未明のピラミッド入口。一日300人限定のクフ王ピラミッド内部の入場券を獲得するため早目に到着した。ガイドブックには朝7時開門となっていたが俺が着いたのは朝6時。しかし、聞いたら8時からだという。長袖を持ってきていたがとても寒い。紅茶売りから0.5LE(約15円)で紅茶をもらい暖を取る。陽が出てきた頃、ヨーロッパ系の男女と日本人男性が来て計4人の待ち人。一方、団体客のバスも到着し始めた。やがて8時ついに開門。するとヨーロッパの彼女が走り始めた。チケット売り場は遠いためツアーバスに負けないよう走り出したのだろう。俺も猛ダッシュを始める。まずピラミッド地域入場券を買う。しかし、バスはここを通過しクフ王入場券売り場へ直行した。「もう、いいや歩こう」と諦めかけたが、ポリスが「ヤーバーニ(アラブ語で日本人)、Run!」と笑いながら声ををかけてきた。それに押されるように再び数年ぶりの猛ダッシュを敢行し、無事クフ王の入場券を獲得した。ピラミッド内は途中からかがんで通るのがやっとになるが、一部の観光客はここで進むのを断念する。確かに閉所であるが、上からの圧迫感が大きい。ベトナムにあったベトコンの地下トンネルより断面は大きいのに圧迫感はその比ではない。頭上の石の重さを無意識に感じ取っているのだろう。やがて大回廊に出ると、クフ王の玄室はすぐだった。これほど巨大な建造物の中の小さな空間。なぜこんなものを造ったのか、素直に不思議と思う。
クフ王のピラミッド内部を見た後、道を外れて砂漠の外れを目指した。砂に足をとられつつたどりついた小高い丘からはピラミッドがきれいに見渡せた。道がないため観光客は来ないが、ラクダに乗ったおじさんが来た。

物売りだ。俺の隣りに座りひとしきり土産物を見せるが、俺に買う気がないとわかると静かにそれらをしまった。そして彼はおもむろにロバに草を与え始めた。頬張るロバを見て彼も俺も微笑む。美しいピラミッドと大きな空を一人占めしたような開放感の中、ロバの草を食む音を聞きながらそよ風に吹かれる。ふと眠くなってくるこんな時、旅がいいな、と思う…。

ピラミッド

 ホームへ