97年香港&タイ

第1章 香港にて

97年4月末、キャセイパシフィック航空CX501便は急旋回しつつビル群をかすめる様に香港啓徳(カイタック)空港へ着陸した。タラップを降りると、初めて味わう蒸し暑さに全身を包まれた。俺にとって香港、タイ…東南アジアの旅行は初めてだ。
 いい加減ぽいインド人の客引と交渉し雑居ビルの宿に荷を解き夜の街へ飛び出すと、返還を前に溢れ返る人々と街並に圧倒される。
 通勤客に紛れ香港島へのスターフェリーに乗る。海風が頬の火照りを冷やす。スターフェリー
 山頂でノッポなビルの多い夜景を眺め、麓に戻り歩き始めると子連れのお母さんに「23時、飛行機で台湾に帰るのですが、乗船場はどこですか」と…。「え?時間ないよ!」信号無視を繰り返し、息を切らして船に。甲板で一息つきお母さんに男の子の歳を訊ねると、男の子がニコニコ「10歳だよ」と英語で。僅か7分の航海。親子2人の素敵な思い出になるんだろうな。バスに慌てて乗った親子を見送ると、僕は再び1人になった。
 翌朝、飯屋で目の前に女の子がドカッと座ってきた。日本なら「相席いい?」の距離だ。その子の食べる麺が旨そうで麺の名前を身振り手振り教わった。「再見、Bye bye」席を立つと彼女も「Bye bye!」と手を振った。香港の夜景
 昼、安宿の集結する重慶マンションへ。犯罪の匂いのする怪しい所だ。宿は交渉を妥協してため最悪の部屋。窓、冷房なし、髪と染の付いたシーツ、一瞬でダニにも刺され…独房の様で厭になり外へ。
 香港は歩くだけで楽しかった。竹組みの足場を闊歩するトビ職のオヤジ、バスケに夢中の少年、睨み合ったまま不動の喧嘩中カップル、我関せず煙草をふかすじいさん。重慶マンション内部
 夜、バスを待つ僕に大学生位の姉妹が話し掛けてきた。「ごめん、中国語話せないんだ」すると英語で「山頂行バスはここ?」僕が日本人と分かると日本語に。でも開口一番「彼女いますか」ってなんて日本語だ! 実は台湾っ子だったこの姉妹と談笑してバスを待った。

 

第2章 微笑みの国??タイランド

 タイへ出発する日。点心で朝を済ませ空港へ。長い列でボーッと待っていてやっと自分の順番が来たかと思ったら「当空港は出発40分前に搭乗手続を締切ます。お客様はもう乗れません」これはやばい!…だがそのスタッフは違うカウンターへと走りそちらのスタッフと掛け合って戻ってきた。「OK!次のバンコク便が取れた。よい旅を!」と笑った。変更不可のFIXチケットだったけど、危ないとこだった。仲々機転きくじゃん、キャセイ航空。

  夕陽に染まる田んぼが眼下に広がった。無事、バンコクに着いたのだ。「サワディー・カー」スチュワーデスのタイ語の挨拶が心地よく感じる。しかし「ただいまのバンコクの気温は摂氏38℃…」その後の機内放送は少々げんなり。そして街中へのバスで世界最悪と言われるバンコクの渋滞にハマり、さらにげんなり。
 翌朝、駅へ向かうスシ詰め路線バスの車中で、大きなバックパックに振り回される僕を近くのおばさんがニコニコ見ている。つい微笑返すと、おばさんもさらにニコリ。なんか日本でこんな感じないな。微笑みの国ってこういうことかな。
 北部の都市、チェンマイへの夜行寝台列車の切符を購入。荷物は駅の一時預かり所に託し街へ出る。照り付ける太陽に脳が溶けそうだ。おじさんが「暑いですね」と最初は多分タイ語、次に英語で話し掛けてきた。俺のことを在タイ華僑と思ったようだ。で、日本人とわかると日本語を話し始めた。少し話しすると「出家する坊さんの祭があるけど一緒にどうですか?」と。外でこのようなシチュエーションで会って日本語を使うヤツは基本的に怪しいヤツだ。善人か否か判断は難しい。海外で話してくる奴全部無視する人もいるがそれはつまらない。善に賭けよう。バンコクの運河

 運河をボートで分け入り、これから断食に入るという僧たちの寺を見た。再び船乗り場に戻ると手を叩いて船を呼び寄せた。さっきと同じ船頭だ。「ひょっとしてこの船チャーターしてんのかよ」と思ったが、じいちゃんを信用した。その後、細い運河を奥へと進み、運河沿いの店でビールを傾けた。
  陽も陰り船で帰路に就くと無人の船着場が見えてきた。「船代ある?」わずかな当座の金だけを入れている財布を開いた。2千円位。「足りませんね」「…?」別の財布を出そうとした時、オーバーヒートしていた頭が復帰した。「船頭とグルか…」
  開こうとしていた財布からは、持たせ銭80ドルとトラベラーズ・チェックだけを出した。残りの現金は財布から出さなかった。「ダメだ。ほとんどトラベラーズ・チェックだけだ」船頭とじいちゃんはすかさず80ドルを分捕った。下船すると偶然4番のバスが。「シメた!駅へ行ける」左手を水平に上げると扉が開いた。見送るじいちゃん「カメラ泥棒に注意しなさいね」だぁ!?。今更善人気取ってんじゃねえよ。あんたの顔写真はしかと撮ったからな。ま、カメラ盗らなかった分だけ許すか。
 4番のバスは渋滞に巻き込まれ1時間以上かかってファランポーン駅に着いた。チェンマイ行き夜行列車に乗るには丁度いいタイミングだ。1等の個室より2等のオープンベッドの方が良かったが、満席だったので仕方なく1等の2人部屋。乗り込んできた相客は韓国人キム。俺より少し年上の彼はクリスチャンでバンコク在住、チェンマイへは教会建設の下調べに向かうという。とりあえず、ルームサービスでトムヤンクンや野菜炒めを頼んだが、食後のビール飲みたさで彼と食堂車へ。そこは地元タイ人は勿論、世界各国からの旅行者で賑わっていた。全開の窓からは爽やかな夜風が入り込み、南国特有の開放感が溢れていた。
 翌朝チェンマイに到着。「一緒に観光しよう」というキムの誘いに「悪いけど、俺はゴールデントライアングルへ行くから」「じゃ、俺もゴールデントライアングル行ってみようかな」
 だがしかし、バスは午後までずっと満席。今回の慌ただしい旅では、これじゃ帰れなくなってしまう。ソンテウと呼ばれる小型トラックの荷台にベンチを付けた車のドライバーにキムがチャーター交渉を始めてくれたが、金銭面で決裂。

予定変更チェンマイ観光だ。ホテルを相部屋で確保しベッドに横たわる。窓も廊下側の扉も全開にすると涼風が部屋を通り抜ける。つい惰眠を貪った。
 サムロー(自転車タクシー)をチャーターして市内を一通り見終え、椰子を飲みつつ街を眺める僕にクリスチャン・キムがモスクへ誘った。モスクではパキスタン、中国、タイ、韓国、日本の各人が車座になった。話し方に国民性が出ていた様だがタイ語ばかりで俺にとっては意味不明だった。
 次は車で少数民族モン族の村へ。労働力として重要な象が道端にいて驚き、蝶の温室で飼われているサソリをツンツン素手でつつく我らがドライバーに驚き、そうこうしているうちに焼畑の煙たなびく村に着いた。家事を手伝う子、タライで水浴びする子、車輪を棒で回し遊ぶ子、エンジンをバラし修理する大人…。緩やかな時が流れている。さほど観光化されているわけでもないこの村では、子守りをする女の子が黒い民族衣装を着ているだけだった。
 再び車を走らせ滝のある公園へ。家族や若者グループが弁当を広げ楽しんでいる。僕らもついついハシャいで綺麗なお姉さんと写真を撮らせてもらったり、兄ちゃんとガッツポーズしたり。「こっちいらっしゃーい」家族づれのおばちゃんに声をかけられたと思ったら、お弁当が余ったらしく、ぜひ食べてってと。脅威的辛さに少しだけ食べられなかったが、うまかった。滝
 街に戻るとキムは明日メコン川そしてゴールデントライアングルへ行くと言い出した。そこで旅行社を訪モン族の村ねると愛敬満点お喋り好き女の子が出てきた。最初のうちはタイ語でガンガン話していたが、俺がタイ語を解さないとわかると英語に切り替えた。しかし、ペラペラお喋りは続く。見ていて楽しいくらいに。「僕は明朝バンコクへ戻るんだ」と言うと「ま!飛行機でぇ?驚きだわ。すごい高いじゃない」とケタケタ笑う。お喋りは続く。「このツアーは混むわ。こっちは疲れるわよ」各ツアーのコース、そして魅力を何十分も説明し、いざ彼女はツアー会社に電話した。
「だめー、全部いっぱいだったわぁ!」と笑った。
僕らも吹き出した。

 その晩、明かりを消し眠ろうとするとキムが話し掛けてきた。キムは韓国人の奥さんとバンコクに住んでいる。別に奥さんと仲がうまくいっていないわけではないだろうが「韓国の女性は他の国の人に対して許容する心が小さい…いわば国際結婚には消極的」と言う。
 「ケイイチ、君はタイの女性をどう思うか」
  来てからすぐにタイ人女性のことがわかるわけないが、タイ女性の順応性と溢れ出る穏やかな雰囲気は確かに他の国の女性とは違うと思う。「それなら、ケイイチ。タイ語を勉強してタイ人と結婚するんだ」「おいおい、待てよ」
  寝ぼけつつお互い勝手なタイ、韓国、日本の女心を話す。「今夜はずっと話してようぜ」とキムは言ったが、知らぬ間に夢の中へ…。
 キムとお別れの朝。握手を交わしトゥクトゥクと呼ばれる三輪バイクタクシーに乗る。眩い日差しが照り付ける。今日もいい天気になりそうだ。

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