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10年ひと昔とは言うが、本当にあれから10年経ってしまったかと思うと今更ながら驚きを禁じ得ない。
パソコン一台でCD音質の音楽が作れるこの時代に、内蔵FM音源を使った10年前の作品を蔵出しすることは、正直ちょっと恥ずかしい気がする。そう言った意味で、作品自体を懐古する気持ちと同時に、それをアルバムにしてしまう自分自身の不徳をも戒めて「若気の至り」という題名を冠したが、いかがであろうか。

「パソコン」が音楽らしきモノを奏で出したのは 1985年頃と記憶している。それまでも、音源を搭載したコンピュータは存在したが、それは「楽器」というよりは「音階のついたブザー」といったところであった。
しかし、そこに一石が投じられた。ヤマハのFM音源の登場である。私が初めてこのパンドラの箱を手にしたのは、NECのパソコン、「 PC-8001mkIISR 」に触れたときである。当時私はまだ中学生であったが、その魅力は、言葉に尽くせないものであった。

もっともその音源は、「シンセサイザー」という言葉が持つ万能な印象とは程遠い代物であった。成程、FM音源がもつ音色の多様性は認めるにしても同時に鳴らせるのはたった3音である。従来のブザー(本当はPSG音源とかSSGとかいう名がある。ピコピコ音などとも呼ばれていたものだ)と合わせても6音。これが、パソコンに初めて与えられた楽器とも言うべき、「OPN」であった。
しかし、それだけでも我々には勿体ないくらい、当時の印象は強烈であった。私はまず手あたりしだいの楽譜を打ち込んでは悦に入っていた。そして次に、「作曲」という野望に至ったのである。

「作曲」という事象そのものが、凡人からは超越した神聖な行為に思われた時代、その大それた活動を志すにあたって、まずは真似から入るのは世の習わしである。
パソコンで音楽を作る時に、その教科書はゲームの中にあった。僅かな音数を駆使して作られたBGMや効果音は、ゲームの世界と共振して独特の世界を作り出していた。それは、従来のコンピュータ音楽とは全く別のストイックな様式美と、その制約を乗り越えようとするエネルギーに満ちていた。文字通りゲームが無ければ存在し得なかった「ゲーム音楽」は、もはや単独で存在し得る創作体系となっていたのである。

そして、私はこの独特の世界に魅せられ、聴きよう聴き真似で曲を作っては周りの友人という友人に聴かせまくっていた。(いい迷惑である。)やがて、「OPN」は、その後継の「OPNA」にとって代わり、音数も表現力も格段にまして、オーケストラも表現できるに至ったが、時代は既にFM音源からPCMへと移りつつあった。

今日、技術は瞬く間に進歩し、コンピュータの音源も格段に性能が良くなって、巷の音楽となんら変わらない表現力を持つに至ったが、一方でかつての様式美や余計な努力は必要なくなった。その結果、「ゲーム音楽」という単独のジャンルは他のBGMと融合して消滅し、今やレコード店の片隅に「アニメ」「声優」等と並んでひっそりと残るのみである。それを惜しむ人も多いが、それは順当なる進化であったと言うべきであろう。ただ、もうあの時代、発展途上ゆえに面白かった時代には戻れないのであれば、ひとつの「懐メロ」として、存在しつづけることは出来ないだろうか。その問いこそが、本アルバムの編纂に至った動機である。

今回、当時の作品の中から、「比較的」稚拙でない、かつ「ゲーム音楽」としての色彩の濃いものを集めてみた。こうして並べてみると、気恥ずかしい反面、自分史のようでもあり、ひとつひとつの作品の背景について語る事は多いのだが、個人的な出来事の羅列で作品を虚飾するのは、有り難くも聴いて下さる皆様には却って迷惑千万と考え、多くを語らないことにする。
少しだけ解説すると、「Dimension Soldier」は、当時、某ゲーム会社が提供していたラジオ番組のコンテストで最優秀賞に選ばれる栄誉を得ている。
また、多くの曲中に、当時影響を受けた音楽やゲーム等へのオマージュが込められているが、それぞれが何を元にしているのか、それは聴きながら想像してみるのが一興かと思う。
目に浮かんでくるシーンは人によって異なるだろう。それはノスタルジーであったり、あるいは新鮮な発見かもしれない。聴いて感じて、それで単に楽しんでいただけたら幸いである。

1998年12月 田中不公平


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