乗馬の喜び

最近は「生涯スポーツ」という言葉をよく耳にするようになりました。子供から年寄りまで、男女を問わず誰もができるスポーツということでしょう。この意味で言えば乗馬はまさに素晴らしい生涯スポーツです。

まず平均の取れた全身運動であり、身体の一部に偏った負担がかかりません。バランス感覚を養い、手足を器用にします。それに何よりもやり方によって運動の強度や難度を幾らでも調節できるのが素晴らしいところです。唯一多くの人が心配するのが落馬によるケガでしょうが、段階を踏んで慎重にやれば他のスポーツより危険が大きいとは思えません。

身体の健康だけではありません。私の属する乗馬クラブには大勢の中高年の女性が通ってきていますが、彼女たちが口をそろえて言うのは「癒される」という言葉です。確かに馬の大きくて優しい瞳、暖かい身体(38℃くらい)に触れると気が和みます。しかしそれだけではありません。

最近分かってきたのですが、乗馬の根本は馬とのコミュニケーションにあると思います。先にも書いたようにコトバに頼らないコミュニケーション、全身を使っての馬との意思疎通です。これは生きものを相手にする乗馬にしかないもので、これこそ乗馬による本当の意味の癒しではないでしょうか。

馬を厩舎から引き出し、頭絡を掛け鞍をつけます。馬場に連れ出して騎乗し、歩かせます。500キロもの巨体を持つ生きものがよくもこう柔順にいうことを聞いてくれるものだと感心します。さらに右に行け、左に行け、ゆっくり走れ…と次々に合図を出します。全て手綱を持つ手と脚(騎乗者の足のこと、馬の足は肢と書く)、それに鞍に接する腰(騎座という)の動きで馬に伝えます。

コミュニケーションがうまくいって馬が思い通りに動いてくれたときの、あの馬との一体感、充実感、その喜びに似た感覚は何とも表現の仕様がありません。これは人馬一体の妙技を身につけた達人でなくても十分味わうことができます。

常歩でトロトロと歩いている馬の腹を踵で軽く圧迫し、馬が即座に反応して見違えるようにしっかりした足取りで進み始めたとき、さらに両踵で軽く馬腹を蹴って馬が間髪をいれずに速歩に移って走り始めるとき。そんな時、これぞ乗馬だと自然に喜びがわいてきます。駆歩の発進がはじめてうまくいって、こちらも馬の動きに滑らかに順応できたときは、まるで雲に乗って空中を滑って行くような快感を覚えたものです。(写真:函館湯の川海岸で)

無論馬が肢を踏ん張って動かないこともあり、時には機嫌を損ねて飛び跳ねることもないとは言えません。しかしこれも馬の意志であり、馬の側からの情報発信です。これをきちんと受け止めて馬をなだめ、協調関係を取り戻すことこそ物言わぬ生きものとのコミュニケーションの成就というものでしょう。そして乗馬の醍醐味のはずです。

いや、ちょっと格好よく書きすぎました。初心者はそうはいかず、パニックに陥ってこちらからコミュニケーションを断ち切ってしまうのが落ちです。そして落馬ということにもなりかねません。そんなことにならないよう、徐々にでもコミュニケーションのレベルを上げていきたいものです。

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