序章  今なぜ原始仏教か


 この本の目的は、紀元前5世紀のインドに生きた釈迦の言葉を現代に生きる私たちへのメッセージとして読み取ることにある。人生折々の断片的な教訓や癒しの言葉を見出そうというのではない。もっと広く深く、私たちが現代という時代を考えるための基礎的な手掛かりを求めたいのである。

原始仏教は今から2500年前、釈迦を始祖としてはじまった宗教である。したがって原始仏教といえば、人は私たちの時代とはかけ離れた古い宗教、神秘に満ちた教説のたぐいを想像しがちなのではなかろうか。事実は正反対である。それはきわめて論理的な構造を備えた思想の体系なのである。

西洋では古来あらゆる人々が聖書を基礎に人生を考えて来た。原始仏教にはこの聖書に見合うような、私たち日本人にうってつけの原テキストともいうべきものがあると私は考えている。しかも原始仏教の経典は、その聖書に比べてはるかに論理的な思惟に貫かれているのである。

私たち日本人は、一部の専門家を除いて仏教の本来の姿を知らないできたのではなかろうか。私自身長い間の無知を告白しておかなければならない。原始仏教を学びはじめて10年になるが、それは驚きの連続であった。以下にその経緯を含めて原始仏教と私たち現代人との関わりについて幾つかの点に触れておきたい。

始仏教との出会い

もう30年以上も前のことになる。書店の店頭で一冊の文庫本を手に取り、何気なくページをくっているうちに次ぎのような言葉に出会った。

スッタニパ−タ 1 蛇の章 3犀の角
朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ一人歩め。 子や妻に対する愛著は、あたかも枝の茂った竹が互いにあい絡むようなものである。筍が他のものによりつくことのないように、犀の角のようにただ一人歩め。

あたかも林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、智ある人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ一人歩め。

                             中村元訳 「仏陀のことば」岩波文庫    

「独立自由を目指して」という言葉が眼に飛び込んできた。驚きであった。釈迦は2500年前、北インドの地で活躍した実在の人物である。その釈迦の言う「独立・自由」とはいったい何なのか。友情も、妻子への愛情もものの数ではない、すべてをかなぐり捨てて求めよという独立とは何か、自由とはいったい何を指しているのか。これはぜひ一度丹念に調べてみなければならないと思ったものである。

戦後の日本では個人の<主体性>をめぐる論議が盛んであった。欧米人のように各個人が主体性を持って行動できるようになるためにはどうすればよいのかということである。アメリカ式の個人主義の輸入で日本の家族制度が根こそぎ壊され、長く日本人の生き方を支えてきた「家の思想」が用をなさなくなったことが最大の原因だったと思う。そうしたなか、私が上の言葉に出会ったのはちょうど新左翼思想の台頭期で、学園紛争が吹き荒れていた。東大の時計台の壁に書かれた「お袋を殺せ」という落書きが新聞の紙面で紹介されたりしていた。「この矛盾に満ちた世の中を変えなければならない、だがお袋との熱い絆に縛られている自分にはなにもできない」という若い活動家の痛切な心情だったと思う。そんなこともあって経典の言葉に惹きつけられたのかもしれない。

仕事にかまけてつい延び延びになったが、退職後古い経典を一人でこつこつと読んできた。最初はすぐ飽きるだろうと軽く考えていたが、事実は逆で読み進むにつれて次々に新鮮な驚きに出会い、原始仏教の世界に引き込まれていった。

人間学

原始仏教の古い経典を読みはじめて最初に直面したのは「いったい宗教とは何か」という問いであった。経典には私が漠然と予想していた祈りの言葉が一行もなかったからである。多くの宗教の経典は神やホトケといった何らかの超越者に対する賛美と祈りの言葉に満ちている。だが原始仏教の経典には神々への賛美や祈りの言葉は一行も現れない。そもそも賛美や祈りを捧げるべき<超越者>が登場しないのである。これは私の宗教観を揺るがす大きな驚きであった。

釈迦が考えたのは、神でも霊魂でもなかった。釈迦の思索の対象は徹頭徹尾人間であった。しかもそれは抽象的な人間一般ではなく、今ここに具体的に生きている「私自身」、「個としての人間」についてであった。経典は、絶対者への祈りや賛美の代わりに、人間釈迦が自ら生身の人間について考えた言葉に終始している。そこにあるのは人間についての哲学、「人間学」なのである。釈迦は、「私とはいったい何者か」「私はいかに生きるべきか」という二つの問いを立て、徹底して具体的に、合理的に考えていた。この問いは、間もなく21世紀を迎えようとしている私たちが今まさに直面している問いではなかろうか。

神戸の中学生

3年前(1997527)神戸で起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件は記憶にあたらしい。少年は切断した男児の頭部をまるで見せびらかすように中学校の正門前に置いていた。少年の手記には「人間の壊れやすさを確かめるための『聖なる実験』」と記されていた。「人を殺したらどんな気がするか、いろんな方法で試してみたかった」そして実際に殺してみたら、「スーッとした」と少年は書いている。これは人間倫理の根本問題であり、言葉の本来の意味でのニヒリズムの問題である。「人間の生きる意味はいったい何か、なぜ他人を殺してはいけないのか」の問いである。少年は新聞社にまで手紙を出して、この問いを必死に社会に投げかけていたのだと私には思える。この事件に限らない。核、環境、医療、老人、新聞記事の一行一行が「お前は何者か、お前はなぜ生きるのか」と私たちに問いかけているのではなかろうか。

前者の「人間とは何か」の問いに、釈迦は『それは無である』と答えている。言い換えれば「人間の生存にあらかじめ与えられた意味はない」という答えであった。これは今の言葉でいえばニヒリズムである。釈迦は私たちが今直面しているのと同じニヒリズムを正面から見据えて思索していた。後者の「私はいかに生きるべきか」の問いに、釈迦は『慈悲に生きよ』という回答を与えている。慈悲とは何か。これについては本文で詳しく検討するが、古い経典にはこの二つの問いに対する釈迦の命がけの思索と修行の軌跡が赤裸々に伝えられている。

現代思想との類似

第二に私を驚かせたのは原始仏教における人間学の方法、その斬新さと合理性であった。確かに経典は古い言葉で語られていて現代の私たちが正しく理解することは容易ではない。しかし注意して読むと、そこには近代から現代にかけての西洋の哲学史に劣らない豊かな内容が盛られていることがわかる。2500年前のものとはとても思えない斬新なテーマがあり、しかも科学的な思考に慣れた私たちにさえ違和感のない合理的な思索に貫かれている。

実は私は、人間学の側面から見る限り原始仏教は近代以降のヨーロッパの哲学史と極めてよく似た構造をもっていると考えている。それどころか、むしろ西洋の哲学の方が近代から現代へと時代が下るにつれてますます釈迦の思想に近づき、多くの点でほとんど同じ答えを導きつつあるようにさえ思えるのである。

本文で見るように、たとえば原始仏教の基本思想である無我説は根本のところで現代の実存主義と同じ人間理解を示している。原始仏教の欲望の分析は多くの部分でフロイトの精神分析に通じている。また無我説と並んで原始仏教の基本思想の一つである縁起説は、フッサールに始まる現象学と非常によく似た方法に基づいている。なぜこれほど原始仏教と現代思想が似ているのか。その理由を解明することは私の能力を超えている。しかし一つだけ指摘すれば、両者とも今いう意味での<個人>の原点でものを考えている点にあるのではなかろうか。

「個人」の原点

周知のようにキリスト教では人間は神の創造になるものである。<個人>の生きる拠り所はあらかじめ神から与えられていた。<個人>は初めから確立されていたわけである。しかし時代が下るにつれて世俗化が進み、キリスト教への信仰が薄れる中で<個人>はそれほど確固たる存在でないことが明かになって来た。デカルトに始まる西洋の近代哲学の流れは、ゆらぎはじめた人間存在への信頼を取り戻すための一連の営みとして読むことができるだろう。マルクス、フロイト、ニーチェといった人々に続く現代思想は、もはや古いキリスト教の枠組みに頼ることなく、「人間とは何か」についてもう一度<個人>の原点に遡って考え直して来ていると言ってよいだろう。

一方釈迦の生きた時代は、今からおよそ2500年前、インドにとって危機の時代であり、かつてない大規模な国際化の時代であった。それはまた、人類史上はじめて人々が氏族や部族といった古い共同体から独立して、今いう意味での「個人」として生き始めた時代であった。かれらは古い共同体の神々を捨て、共同体との太い心の絆を断ちきって、新興の都市に群がり集まった自由人であった。だがそのことは同時に、人々が生きることの意味を見失い、虚無に直面したことを意味していた。

<個人>は、共同体に所属して生きた過去の人間とは異なる二つの特徴を持っている。死の運命の自覚と欲望の開放である。共同体は祖先から子孫へと生命を引き継いでいく。だが個人は死ななければならない。死ぬことは個人にとってすべてが無に帰することである。一方開放された欲望は諸個人の間に争いを産み、大規模な戦争に発展する。この不合理はいったい何なのか。人々は<個人>として独立し、自由を手にした途端に、生きる依りどころを自ら模索して苦悩しなければならなかったのである。

インドにはキリスト教のような唯一絶対の神ははじめから不在であった。釈迦は人々のこの悩みに答えるべく<個人>の原点で修行し思索した人である。原始仏教と現代思想の類似はこの点に最大の理由があるのではなかろうか。

東洋の思想

原始仏教が私を惹きつけて止まないもう一つの理由は、感覚的なある種の「親しみ」であった。それは東洋人の一人として同じ東洋で生まれた思想への親近感といってよいかもしれない。折に触れて西洋の思想書を手にしたとき、私はその論理的な説得力に圧倒されながらもしばしばある種の違和感を禁じ得なかった。それは隔靴掻痒のもどかしさであったり、言葉にならない反発であったりした。漱石は1911年(明治44)に行った和歌山での講演でこう言っている。

    「日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が    押し寄せるたびに自分がその中で食客をして気兼ねをしているような気持ちになる。新しい波はとにかく、今しがた    ようやくの思いで脱却した旧い波の特質やら真相やらも弁えるひまのないうちにもう捨てなければならなくなってしま    った。」

                               漱石全集10 P556(ちくま文庫)

これに続いて

「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である…しかしそれが悪いからおよしなさいというのではない。事実やむを得ない、涙を飲んで上滑りに滑っていかなければならない」         

という有名な言葉があるのだが、漱石の言う「食客のような気分」は私自身の長年の実感であった。西洋の思想に触れるとき、私の感覚とどこかそぐわない、あるいは私自身の具体的な生活をどこかよそに置いて考えるのでなければ全面的には納得できない、そんな違和感である。ところが経典の言葉を読むときこの違和感はまるでなくなっていた。古い経典の言葉は決して読み易いものではない。しかし苦労して何とか理解にこぎつけたとき、その意味が何の抵抗もなく心に入ってくる、いわゆる腑に落ちるのである。これはやはり千数百年にわたって仏教に育まれてきた日本人の心というほかないだろう。 

漱石の予言通り、私たちは敗戦を越えて100年近くも皮相上滑りに滑り続けてきた。しかし今ようやくそれを止めて、自分の頭でものを考えるときが来ているのではなかろうか。というよりそうせざるを得ないときが来ているのだと思う。原始仏教の経典はそのための願ってもないテキストを私たちに与えてくれているのである。

日本人の仏教理解

ところで釈迦の開いた仏教はその後広くアジア世界に広がった。中国・朝鮮を経て日本にも伝わり、千数百年にわたって私たちの心を育んできた。それは信仰として、ブッダ=如来の尊い教えとして、人々の心に定着したものであった。歴代の一般庶民は、僧侶たちが行う種々の儀礼や説教を通じて信仰として仏教に親しんできた。しかし現代の私たちには過去の人々のように信仰を持つことが極めて困難になっている。哲学者の西谷啓治は「現代には宗教がなく、宗教には現代がない」と言っている。資本主義の経済システムの中で、科学と技術の諸成果を享受しながら暮らす私たち現代人の不幸なのかもしれない。しかしそうだとしても、すでに触れたように仏教は信仰だけの宗教ではない。人間と世界について考えた深い思惟の産物でもある。原始仏教は周到な人間観察とそれに基づく精緻な思想の体系を備えている。信仰心を失った私たち現代の凡夫も、思想としてのこの側面からなら釈迦の仏教に近づくことができるはずである。

周知のように日本人は主として漢訳仏典を通じて仏教を理解して来た。近代に至るまで仏典が日本語に翻訳されることはなかった。歴代の高僧たちはともかく、一般庶民が釈迦の思想の具体的な姿に触れる道は閉ざされていたといえる。幸い今は近代仏教学の進歩で仏典の翻訳が進み、釈迦の時代の歴史的状況についてもかなり明らかになって来ている。私たち一般人もようやく具体的に釈迦の思索の跡をたどれるようになったわけである。この本はそうした学問の成果を支えに古い経典の言葉を現代の視点から読んできたリポートである。2500年前のインドで、釈迦はいったいどんな問題に直面して何を考えたのか。この問いを頭に置きながら経典の言葉をたどってみたい。

私の立場

最後に断りを述べておきたい。この本は原始仏教に帰れという信仰への誘いの書ではない。また原始仏教についての学術的な解説書でもない。それは専門の僧侶や学者の仕事だと考えている。私は僧侶でも学者でもなく元マスコミのジャーナリストである。ジャーナリズムは常に視点を現代に置いて、生活者の立場でものを考える。これに習って私も、現代に生きる一生活者の立場で、原始仏教から何を学べるかという観点から経典を読んできた。そうすることではじめて、原始仏教の中に現代を考えるための原テキストを見出し得ると考えている。この本はそのテキストを掘り起こす為の拙い試みである。

本書の副題を「原始仏教哲学ノート」としておいた。釈迦の仏教について主として思想としての側面から考えてきたからである。しかしいま私は原始仏教を宗教と呼ぶか哲学と呼ぶかの問題に関心を失っている。というよりどちらであっても構わないと思っている。とにかくそこには私たちが根本的なところでものを考えるための基礎、足場、地平とでも呼びたい何かがある。私自身の経験をいえば、それはズシンと重く心に響くものであり、また西洋の思想のようによそよそしいものでなく、直にひたひたと心に沁み透ってくるものであったことをつけ加えておく。

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