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  その1 失われる馬との共生関係

人類は数千年前に馬を家畜化して以来、馬を育て、代わりに力仕事をしてもらって、いわば仲間として共に生きてきました。しかしこの長く親しい関係は今や急速に失われようとしています。ちょっと振り返ってみてください。この半年あなたの住所の近辺で実際に馬を見たことがありますか。あるとすれば、それはTVのドラマや競馬中継の画面の中でだったのではないでしょうか。

もはや日本では特殊な場合を除いて一般の人が日常生活の場で馬を見ることはなくなったというのが実情でしょう。最大の原因はいうまでもなく遠くは産業革命、近くはモータリゼーション(車社会化)です。馬力が機械力に取って換わられることで馬は働き口を失い、いわば無用の長物として社会から疎外されてしまったのです。

しかしこうした事情はモータリゼーションを経験した諸外国にもほぼ共通です。ところがその後の経過が日本は特殊です。欧米諸国では自動車の普及が一段落したあと馬の数がやや持ち直し、その後はほぼ安定した経緯を辿っています。

これに対して日本では馬の数が減りつづけています。明治から昭和にかけて日本には150万頭の馬がいました。昭和27年にもまだ127万頭いました。それが今や85000頭に減ってしまっているのです。

何故なのでしょうか。理由はモータリゼーションがあまりにも急激に、しかも徹底して進められたことにあります。日本のモータリゼーションは1964年の東京オリンピックあたりから本格的に始まり、その後猛烈な勢いで進みました。マイカーを持つのは当たり前のことになり、都市から路面電車が姿を消しました。長距離輸送の分野でもバスやトラックが鉄道に取って代わりました。(写真:路面電車)

30年後の1995年には車は人の輸送距離の51.7%(鉄道は34%)を占めるまでになっていました。つまり交通輸送手段の半ば以上を自動車が担うことになったのです。これが他のあらゆる分野での機械化の進展とあいまって日本の経済大国化を推し進めたのは事実です。しかし一方でさまざまな問題を引き起こしながら国土を変え、都市を変え、果ては社会構造まで変えていきました。

わず30年の間にこれほどの変化を経験した国は例がないでしょう。古くから親しんできた馬という生きものが傍にいることを忘れてしまうほどのスピードでした。スピードだけではありません。文字通り行き着くところまで、徹底して車社会への改造を推し進めたのです。一つの象徴を道路建設に見ることができます。(写真:峠の道 長野県)

海岸地方に旅行すると、こんな所までと思うほど、まさに津々浦々まで立派な自動車道路が通っています。山に行けば、名のある山には五合目から八合目まで観光バスの道路が山腹を縫っています。国土改造計画にのっとって、しゃにむに道路建設を推し進めた結果です。こうした変化の片隅で、馬の生きる世界が急速に狭められていったのは必然です。

馬の用途はどこの国でも第一に交通輸送手段、第二に軍馬、第三に農用馬でした。このうち交通輸送手段としての役割は大半が車に奪われました。かろうじて残った山村や農村の近距離移動も、隅々まで進んだ舗装道路の建設で馬は歩く道を失いました。

もともと舗装道路は二本足の人間や四足の馬の通行には適しません。これに車のクラクションやタイヤ音が加われば肉体的・精神的な苦痛は相当なものになります。このことは自動車道の脇の歩道を10キロほど歩いてみれば痛切に分かるはずです。まして硬い蹄を持ち、鋭敏な耳で絶えず周囲を警戒している馬には無理というものでしょう。(写真:代掻き実演‐山田 編より)

第二の軍馬の需要がゼロであることは周知の事実で、多くを述べる必要はないでしょう。第三の農用馬も耕耘機をはじめとする農作業の機械化でその役割を終えました。戦後まで重用された厩肥も化学肥料の普及で単なる汚物、それも処理に金のかかる汚物に変わってしまいました。こうして馬は生きる場所を失い、昭和27年(1952年)に127万頭いた馬が85000頭まで減ってしまったのです。   11・04・03  

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